【プリンス追悼】日本で録音した曲があった?!元プリンス担当A&R、ワーナーミュージック・ジャパン 小野誠二さんインタビュー
まったく今年は悲しいニュースが続く。
1月のデヴィッド・ボウイにつづいてプリンスまでもが急逝したのは既報のとおりだが、こんなに一気に宝を失うなんて、怠惰なマーケティングでビジネス音楽を量産し続けてきた音楽業界への天罰かと思うくらいだ。
偉大なるプリンスの訃報には、国内外問わず多くの著名人が追悼コメントを寄せている。
ポール・マッカートニーや、プリンスと同い年のマドンナ、日本ではX JAPANのYOSHIKIやくるりの岸田繁、田代まさしまで。失った今、世界は改めてプリンスへの愛を再確認している。
そんな中、日本のレコード会社ワーナーミュージック・ジャパンでプリンスのA&Rをつとめた事もある小野誠二さんに、在りし日のプリンスについてお伺いしてきた。
1992年、ワーナーミュージック・ジャパン入社。HIPHOP/R&B/SOULなどアーバン系をメインに洋楽の制作宣伝業務に従事。現在はフリーのA&R/プロデューサーとして暗躍中。
プリンスがいるワーナーで働きたかった
Q.プリンスとの出会いを教えて下さい。
小野:出会いは中学生の頃ですね。洋楽を聴き始めて、湯川れい子先生の「全米トップ40」などラジオ番組をむさぼるようにチェックしていた頃、「1999」「リトル・レッド・コルヴェット」「デリリアス」がチャートに入りプリンスという存在を知りましたが、雷に打たれたような衝撃を受けたのはアルバム『パープル・レイン』と、第1弾シングル「ビートに抱かれて」でした。
Q.小野さんがワーナーミュージック在籍時にご担当されたプリンスの作品を教えて下さい。
小野:2014年10月1日に同時発売された、プリンス名義の『アート・オフィシャル・エイジ』と、プリンス&サードアイガール名義の『プレクトラムエレクトラム』の2作品です。
Q.「プリンスがいるから」という理由がワーナーへの就職を決めた大きな動機だったとのことですが、その上ご担当することになった時はどんなお気持ちでしたか?
小野:いくつかのレコード会社からワーナーに決めたのは、プリンスのいるワーナーで働き、そしていつかプリンスと仕事で関わりたいという思いからでしたが、程なくしてプリンスはワーナーから離脱。
その願いもとうに諦めていた2014年、ワーナーと電撃再契約そして突然のアルバム・リリースが発表され、奇しくも僕が担当する栄誉に預かり、20年来の夢が叶い感無量でした。
日本でピアノ弾き語りライブをやりたがっていた?!
Q.プリンスに会ったことありますか?
小野:残念ながら、僕は会ったことはないのですが(泣)実は、学生時代にミネアポリスに行って、ペイズリー・パーク・スタジオへアポなしで行ったことがあるんです。
あいにくその日は日曜日だったからなのか、スタジオには誰もおらず、残念ながら中に入る事は出来ませんでしたが・・・でも、これには余談があって、ペイズリー・パーク・スタジオの住所など当時は何も情報がなかったので、どうやってスタジオまで行こうか思案した結果、その頃プリンスが地元ミネアポリスで経営していた「グラムスラム」というナイトクラブ/レストランに行って情報仕入れようと決心。
恐る恐るお店に入り、カウンターで飲んでいた時、たまたま近くにいた、地元の新聞社で働いているという白人のお兄さん、グレッグと仲良くなり、「ペイズリー・パーク・スタジオに行きたいんだけど、どうやったら行けるか知ってる?」と聞くと、「郊外にあるから、車じゃないと行けないよ。よかったら連れて行ってあげようか?」ということで、翌日連れて行ってもらったという次第。
これが縁でグレッグとはしばらくクリスマスカードなどやりとりしていたのですが、1996年にプリンスがマイテと結婚した時は、新聞社という立場を利用して結婚式の写真など送ってくれたりしました。
ワーナーでレコーディング・エンジニアをされていた方で本人に会ったことがある人がいるのですが、1990年にプリンスがコンサートで来日した際、突然レコーディングをしたい、というリクエストを受けてその日の深夜から早朝にかけて、エンジニアとして一緒に仕事をしたそうです。
この時レコーディングした楽曲「ストローリン」「ウィリング・アンド・エイブル」「マネー・ドント・マター・トゥナイト」は1991年のアルバム『ダイアモンド・アンド・パールズ』に収録されました。今思えば、ものスゴいエピソードです。
Q.A&Rだから知るとっておきの情報を教えて下さい。
小野:僕が担当したのは前述の2枚だけで、しかも本人のプロモーション稼働はほとんど無し、という状況だったので、残念ながら本人に会う機会もありませんでした。
ただ、本国レーベルのWarner Bros.とやりとりして感じたのは、リリースの決定から、情報解禁、アートワークやマスター音源などの素材、どれをとっても急ピッチ、何事も直前に案内が来るという按配で、これがプリンス流なんだな、と感じました。
これは本国の音楽関係者から聞いた情報ですが、亡くなる直前まで行っていたピアノ弾き語りライヴを、近いうち日本でも希望していたということを聞きました。どういう形にしろ、もう一度プリンスのライヴが観たかったです・・・
Q.プリンスは、アメリカを始め世界の音楽シーンにどんな影響を与えた、どんな存在といえるでしょうか?
小野:発表した作品の数、そのクオリティ、演奏の技量、音楽性の多様さ、そして独自性、アーティストとしてのカリスマ性、神秘性、どれをとっても音楽の歴史上比類なき存在だと断言します。
現在活躍しているアーティストは意識、無意識に関わらず、プリンスの影響を受けている、まさに“音楽そのものが人の姿となってこの時代に具現化した存在”なのかなと思っています。
今からでも遅くない!プリンス入門
Q.小野さんのフェイバリット作品はなんですか?
小野:好きなアルバムはたくさんありますが、中でも1枚といえばアルバムは『アラウンド・ザ・ワールド・イン・ア・デイ』です。
大成功した『パープル・レイン』に続く作品で、商業的にはそれほどの成功を収めなかったものの、サイケなイラストのジャケットに象徴されるように、『パープル・レイン』で見せた従来の“黒人音楽”というカテゴライズの域を超えたアプローチをさらに推し進め、もはや形容不可能な域にまで到達した、その後のプリンスを“音楽の神”たらしめるダイバーシティを感じさせる作品で、ターニングポイントとなったのではないかと思います。
シングル楽曲で言うと、前述の日本でレコーディングされた「マネー・ドント・マター・トゥナイト」。
当時、日本でレコーディングしたのを知らずに聴いて、プリンスにしては珍しいAORテイストの物哀しい曲調の1曲ですが、後からクレジットを見て、日本で録音されたことを知り、益々好きになった曲です。
Q.プリンスの映画の追悼公開が決定しました。一番好きなプリンスのLP/CDを持参すると鑑賞料が割引になるそうなのですが、小野さんだったらどれを持って行きますか?
小野:どれでもですが、やはり『アラウンド・ザ・ワ-ルド・イン・ア・デイ』でしょうかね。
Q.プリンスを聴いたことがない人は、今からでも聴いた方がいいですか?どのアルバムから入ったら良いでしょうか?
小野:もちろんです。きっと、驚くことマチガイありません!
プリンスは、同年代のアーティストと比較しても膨大な数のアルバムをリリースしているので(※1978年のデビューから2016年まで、ほぼ毎年、合計39作品と言われている)、全てを聴くのは大変かもしれませんが、可能であれば、プリンスという存在の変遷を時間軸で辿って頂きたく、デビュー作から順を追って聞いて欲しいところです。
特にデビューから1990年代前半のワーナー時代はぜひとも。時間の無い方はDVDで『パープル・レイン』の映画を観て、プリンスの特異性を感じて頂くことをお勧めします。
終始愛のある回答をしてくれた小野さん。
最後に、ご自身の心に刻まれたプリンスのメッセージをご紹介してくださいました。
小野:2015年2月8日、第57回グラミー賞授賞式に、「年間最優秀アルバム賞」のプレゼンターとして出席したプリンスが、受賞者発表前のスピーチで語った短い一節、「Albums, Remember Those? Albums still matter. Like books and black lives, albums still matter. (アルバムって、覚えてる? アルバムはまだ大事だ。本とか黒人の命と同じように。アルバムは重要なんだ)」という言葉。
“音楽の化身”として彼が警告を発したこの言葉の重みが、今更ながら身に沁みます。
間接的にしか関われませんでしたが、プリンスと同じ時代に生きられたことを、本当に感謝しています。ありがとう、そして安らかに。。。
音楽業界は偉大なる宝を失ったが、果たして今の時代に、同じように愛されるアーティストがどれだけ存在するのだろう。
後世にまで語り継がれるアーティストを残すには、その人の才能だけではなく、私達リスナーがどれだけ敬意をもって音楽を聴くかにも因ってくるのではないだろうか?
小野さんのプリンス愛を目の当たりにして、自らの音楽愛を省みることとなった。