【SPICE対談】ラジオの中の人 第二回 DJ/MC/タレント 奥浜レイラ×構成作家 磯崎奈穂子(前編)

2016.6.15
インタビュー
音楽

音楽と人の声を届け続けるラジオ番組を作る人たちに、放送では聞けない裏話を聞く対談企画「ラジオの中の人」。

第一回となった藤田さん野村さんの対談はコチラ


第二回は、かつて洋楽に特化したラジオ番組を共に制作されていた、番組のDJをつとめた奥浜レイラさんと構成作家の磯崎奈穂子さんにお話を伺った。
メジャー・インディー問わず良い音楽を紹介するその番組は惜しまれつつも既に終了しているが、その後も業界で活躍されるお二人は今、ラジオに、洋楽に、どんな思いを抱いているのだろうか。

番組を作る人:構成作家 磯崎奈穂子さん 
伝える人:タレント 奥浜レイラさん 

——お二人はかつて、関東某局の洋楽番組をご一緒に制作されていました。奥浜さんは番組の二代目DJになるわけですが、そもそも奥浜さんに決めた理由って何だったんですか?
 
磯崎:その番組はロックを伝える新生ラジオ番組として立ち上げて、当時10年くらい続いていました。初代のDJがアメリカに行くことになって、新しいDJのオーディションをしようということになって、その中の一人として出会ったのが最初です。
奥浜:オーディションの前に、小論文みたいの書いて持って行きました。
磯崎:元々スペシャ(注:奥浜さんはスペースシャワーTVの番組MCを担当していた)とか見てて、奥浜さんがそういう仕事をしているのは知ってたんですけど、共通の知り合いから応募があったのがきっかけですね。ラジオなので、最初は2分くらい喋ってる音声ファイルと作文を履歴書と一緒に提出してもらって。まあでもその時は12人くらい候補がいたかな。  
奥浜:あ!今、人数初めて知りました。
磯崎:ロックの番組だったので、作文のテーマが「私とロック」だったんですよ。それぞれプロの事務所に入っている方もいるし、バイリンガルの方もいれば海外の人もいるし、という中で、奥浜さんはモデルもやられているし顔も可愛いねって感じだったんですけど、他の人と違ったのが…普通、パソコンで打ったような原稿とか送ってくるじゃないですか。でもこの人は素朴過ぎる、学校で使うような普通の原稿用紙で送ってきたんですよ。しかも手書きの。もうね、中学生なのかっていう感じだったのを凄く憶えてますね(笑)あとぶっちゃけその時送ってもらった音声も「???」って言う感じで(笑) 
奥浜:なんか、声が暗かったんですよね。 
磯崎:そうそう(笑)それからオーディションして、何人かラジオのスタジオに実際に来てもらって喋ってもらったんですよ。いい方も何人かいたんですけど、奥浜さんになんかこう、引っかかるものがあったということですね。それが出会いです。  
嘉陽田:人柄で選ばれた感がすごいありますね。
奥浜:思い出したくないことがいっぱいあります、その作文とかも。番組の最終回の日に、その作文持ってこられて打ち上げで読まれた記憶がある。 もうやめて、って(笑)
磯崎:もちろんお仕事したいという気持ちはあるんでしょうけど、よくも悪くもすごくピュアだったんですよね。すごく何かに秀でてるとか、何かに詳しいとかっていうよりも、番組としては熱い気持ちだったり、知りたいっていう気持ちが必要で、最終的には奥浜さんになんとなくそれが見えたところだと思いますね。 
奥浜:この話、すごい汗かく(笑) 
磯崎:やりにくかったと思うんですよ。10年も続いた番組に入ってくるので。初代の子が10年やっていて、固定リスナーもいる中で急に変わるわけですから。  
奥浜:オーディションは、増子プロデューサーと向い合って座って喋るっていうスタイルだったんですけど。 
磯崎:全くわからないものとか振られるんですよ。たとえば「ビートルズのサージェント・ペパーズって…」とかっていきなり聞かれたり。  
奥浜:アルバムだとどの辺が好きですか?とか聞かれたり。

——その時は音楽の知識は全然なかったんですか?

奥浜:好きではありましたけど、そんなにちゃんと聞いてるわけではなかったので。曲でいったらこれが好きで「それだったらサージェント・ペパーズかなぁ」「そーですかねえ」みたいなそんな感じだったと思う(笑)
磯崎:彼女、B型だからだと思うんですけど、悔しがるんですよ。悔しいから、聞かれてわからなかったことを次の週までに調べておこうとか聞いておこうとか、そういうのはありましたね。  
奥浜:あー、バレてたか…

——奥浜さんになってから、何年続いたんでしたっけ? どうでしたか? 

磯崎:3年10ヶ月ですかね。
奥浜:約4年、毎週緊張でしたよ。なんか、試されてる感じがするから。毎回。  

——奥浜さんはそれまで、ラジオ番組をやったことはあったんですか?

奥浜:ないです。初ラジオでした。台本はあるんだけど、台本通りにやったってつまらないし、かといって台本に書いてくれてることはデータとしてものすごい知識の量だから、それをどうやって柔らかく聴きやすいものにするか、というのはいつも考えていたんですけど。まあ緊張しますよね。ラジオ自体初めてだったから、声を乗せた時に毎週違う感じがして。自分にとって自信があるものと、そうじゃないものの時の声の乗り方が全然違ったりするから、たぶんそれはサブで聴いててすごいわかったと思う。
磯崎:そうですね。もともと「音楽専門誌のラジオ版」っていうコンセプトではじまった番組なので、色々洋楽番組がある中で実はそういうものってあまりないんですよね。
私自身がラジオで育った世代で、ラジオがなかったら今の仕事もしてないっていうぐらいなので、それをもう一回やりたいっていう気持ちがありました。 
洋楽好きの若い子たちを育てたい。もちろんリスナーには年配の方もいっぱいいますけど、やっぱり中学生とか高校生時代に聴いた番組ってすごい影響を与えているものってあるじゃないですか、みなさん。そういうものになろうって。
(奥浜さんは)そういうお姉さんにならなきゃいけないし、教えてあげる人であり、共感する人であり、みたいなところを出さなきゃいけない。台本があっても、自分の言葉でどう感想を交えて話していくか、リアルな感じを出すかっていうのがすごい難しい番組なんですよ、実は。  

「洋楽ちゃん」を育てたい:啓蒙できる音楽番組

——若い子に対して、こちら側が考えていることをインフルエンスしてもらうってことですもんね。

磯崎:そうなんですよ。だからそう、今流行っているものを紹介するだけじゃなくて、番組としての提示とか、意見とかを打ち出していく、そういう番組なので。リスナーの人は後ろにスタッフがいるっていうのを知らないから、それを代弁しなきゃいけないのでDJの人は実は大変だと思うし。 
DJの人がしゃべったことに「(それで)いいですよ」って言ってくれる番組って多いと思うんですけど、この番組はダメって言われちゃうんですよ。  
奥浜:今のやり直し、って。  
磯崎:そういう意味では鍛えられる番組だったと思います。そういう番組ってあんまりないと思うので。それは初代の子もそうだったし、奥浜さんもそうでしたね。  
奥浜:収録ものとはいえ、そういう番組ってないですよね。  
磯崎:最初はこのルックスもいいしモデルでタレントさんだったから、大丈夫かな?とは思いましたけど、まあ見事にやりましたね。  
奥浜:見事かどうかは今もわからないですよ、終わってからも。みんなで「洋楽ちゃん」を育てようってずっと言ってましたよね(笑) 
磯崎:今考えると本当に、いい番組でしたよね、自分で言うのもなんだけど。 
奥浜:いい番組でしたよね!(笑)今はいちリスナーとしてラジオを聴くんですけど、この番組みたいな番組他になくて。正直、物足りない。もちろん、聴いてて番組として面白いなって思うのはたくさんあるんですけど、じゃあ私は洋楽の知識をどこから得たらいいの?みたいな。自分が迷子になっちゃうっていう感じ。終わってからもう一年半ぐらいですか。
磯崎:だから本当に、いっぱい番組から育った子たちがいたんですよ。中学生くらいから聴き始めて、フェスとか行くようになって、SNS通じてお互い知り合って会場で声かけられたりとかすることもあるし。
奥浜:お友達みたいですよね。
磯崎:今でもそういう子たちがフェスとか行ってるのを見ると、(番組やってて)良かったなぁと思うし。

——啓蒙できているということですね。

磯崎:金曜の夜中っていう時間帯も良かったんですけどね。(注:番組は毎週金曜の深夜3時〜5時に放送)めちゃ深い時間。ちょうど週末で次の日が休みで、若い子たちが夜更かししてる時間なんですよね。 
奥浜:楽しいだけではなかったけど、これがなくては困るっていう番組ではありますね。今も。  

——日本の今のラジオのあり方ってどう思われてますか?

磯崎:今の若い子ってラジオを聴いていない子がほとんどだと思う。だから東京に住んでいても東京のラジオ局の事知らない子も沢山いて、それはしょうがないと思うんですよね。スマホがあって、情報がいっぱいあるので、その中でラジオをわざわざ選ぶってのはそれなりのモチベーションがないと行かないと思うし。実際、今やってる番組のリスナーとか見てみると、基本的に30代、40代、50代が中心になってるメディアだと感じます。
その時代ごとに流行りのメディアって絶対あって、今はインターネットだと思うんですけど、ラジオの時代もあったし、CSの時代もあったし。それが移り変わっていくのはしょうがないんですけど、そうなった時に改めてラジオって何ができるのかなっていうのを見直すべきだと思っています。 
ラジオも、メディアとしてテレビと競っていたバブリーな時代もありましたけど、とにかく「しゃべりが面白い」「音楽がいい」っていうことしかもうないと思うので、そこをもう一回極めるところに来てるんだと思う。じゃないと結局誰も聞かなくなっちゃうし。 
奥浜:先導する媒体が少なくなりましたよね。ラジオに関してもインターネットに関しても。お客さんの求められるものを作っていくから、私達がやろうとしてたような、先導して引っ張っていこうっていうメディアがあまりないような気がするから、そういう人がラジオでもいたらいいなって思います。
磯崎:メディアの意見をバーンとぶつけちゃうってことですよね。私達はこれがいいよ、あなたはどうですか?っていう。迎合して視聴率の取れるものだけにいくとみんな同じになっちゃうので、それはすごくつまらないなぁとは思いますね。
インターネットは映像も見れて音も聞けて、文字だって読めるっていうのが全部あるから強いと思いますよ。昔、ロッキング・オンの方と番組の中のコーナーで一緒にやってたこともあるんですけど、雑誌の人たちはいつも「ラジオは音が聞かせられるからいいよね」って言ってたんですよね。雑誌は聞かせられないから、音が聞かせられたら一発でわかることを文字で知らせなきゃいけない。一時期ロッキング・オンなんて、CDつけてた時代もありましたけど、そういう理由があると思うんですよね。 
奥浜:行動がもう一個増えますもんね。 
磯崎:映像で音楽を見るのとラジオで聴くのって、情報量がたぶんすごい違うので、それはどうなんだろうっていつも思ってますね。同じ曲でも映像で見るのって、聴いてるんだろうけど、それよりももっと視覚的な要素がすごい強いから。ラジオで聴いてた時のほうがちゃんと聴いてた気もするし。
奥浜:私、DJから今VJになってて(注:現在はTVK「洋楽天国EXXTRA」のMCを担当)ラジオで音楽をかける時と、VJとしてビデオをかけるときは全然選び方が違うので、けっこうそこは葛藤がありますね。映像に制限があってこれは流せないとか、今出てる最新のものはこれなのに、エグいシーンがあったり映像的にちょっと流せないとか、本当にテレビってそこがシビアで、本当に私が伝えたいもの、流したいものだけではないことがありますね。

——そのあたりはラジオの方がフレキシブルですか?

磯崎:番組にもよると思うんですけど、うちらは本当にアルバム一枚まるまるかけたりとかもしてましたし、10分くらいの曲フルでかけたりとか。  
奥浜:そうそう!「今日はかけます!」とか言ってね(笑)
磯崎:たとえばこの前プリンスが亡くなりましたけど、そしたらもう二時間全部プリンス特集にするとか。そういう自由度は高かったですね。そういう番組の方が面白いですよね。  

——その方が洋楽的だと思います。ラジオの付属の情報が必要だったり、不自由な部分が逆にトキメキに変わるというか。ネットって全ての情報がいっぺんに見れてしまうから、深くハマりづらいようには思います。

磯崎:その時リアルタイムでしか聞けないから、ずっと残らないからっていうのもありますよね。地方の人がラジオ聴くのは車文化っていうのもあると思うんですけど、やっぱり情報が少ないっていうのもあるし、貪欲なんですよね。そこにはまだ可能性があると思います。  
個人の意見ですけど、基本的に不景気というかそういう時代の中で、なかなか完全に自由な番組を作りづらいというのはあるし、日本の流行・需要みたいなものをみなさんすごく気にするので、そこに「洋楽」っていうものがはまりにくいとは思います。 
ラジオ番組って最低2人いればできるので、そういう風になっていくかもしれないですよね。会議室で録音して、パソコンで編集して流す。そういう時代になっていくと思うんですよね。 

アーティストの生き方・アティテュードまで楽しむのが洋楽の醍醐味

——日本の洋楽マーケットって、最近どうなんですかね。

磯崎:洋楽に関していえば、今の状況の中では、昔みたいに日本からヒットを出そうみたいなのはなかなかやりにくいと思います。でもたぶん今やらないと、大変なことになる。未来のカタログがなんにもない状況になるってことなので。
嘉陽田:メディアが自ら発信することが出来なくなっているのと同じで、レコード会社が自ら日本のマーケットに発信することが本当に難しくなっていると思います。仕組み上どうしても、サラリーマン的な働き方になってしまう。
秤谷:このままだと鎖国しますよ、鎖国。
磯崎:音楽を売っている会社が、それを本当にいいと思って売ってるのかっていうのがわからないことがある。とはいえ稼がなきゃいけないから、目先の利益が取れそうなものだけやっているようにも見えるし。個人的にはもっと、自分の耳を信じてみんなで一丸となって日本で売ろう!みたいなのがあったらいいのになぁとは思いますけどね。

——でも本当に、洋楽って売れにくいし売りにくい。日本の今のリスナーって、「洋楽」ってだけでシャットダウンしてしまうところがあるような気がするんですよね。

磯崎:邦楽が好きな人はそれでいいし、洋楽って歌詞がどうしても伝わらないっていうのはすごくマイナス点で、日本人だから日本語の歌詞のほうが心にグッと来たりするのは当然だと思う。それも否定しない。
一方で、CDは売れないけどライブには人が来るとも言われてたけど、それもどんどん淘汰されていく状況になってきてる。どうするの?って思うけど、でも音楽はなくならないんだったら、いいものをやるしかないじゃないですか。たとえレコード会社が縮小しても。 
奥浜:あとは純粋に、洋楽の聞きどころって、歌詞だけじゃない。私、英語喋れないけどなんで洋楽が好きかって、生き方がかっこいい人達がちゃんといるからっていうのがある。たぶんそこを教えてあげられる人がいないんじゃないかと思います。
歌詞がどうだよって説明するだけじゃなくて、この主張をもってこの人は活動してて、こういう人でこういう生き方をしてきたからこの歌詞が生まれてきてっていう、ストーリーをちゃんと教えてあげる人がいるっていうのが、日本語の歌詞を直接テロップでPVに入れてあげるっていうこと以上に私は大事だと思うから。
磯崎:私達の時代は、大人になったら洋楽を聴くものだと思っていたところがあるし、海外への憧れるもあったけど、基本的に今海外だから、日本だから、って逆にあまり関係ないんじゃないかと思う。入りにくさはあるかもしれないし、接する機会もあまりないんだろうけど。
奥浜:憧れみたいなのはあまりないのかもしれないですよね。 
磯崎:洋楽だってダサいものもいっぱいあるし、流行りだけでやってる人たちもいっぱいいるので、本当にいいものを選んで欲しいだけで。 

——奥浜さんが仰ったように、洋楽って人の人生に触れるじゃないですか。カートコバーンが死にました、ジョンレノンが殺されました、みたいな事件に直面していくと、同じ時代を一緒に生きてるんだなっていう感じがする。

奥浜:私は洋楽のアーティストをひとりの人間として見る機会が度々あるんですよね。この人の生き方、考え方がすごく好きだなとか。 
磯崎:昔はあったんでしょうね。清志郎さんとか。  
奥浜:今もある人はあると思いますけどね。 ただなかなか、日本て全部丸出しにできない文化ですよね、芸能の文化もあるし。
秤谷:治安がいいっていうのもあるしね。 
一同:確かに!!!!(笑)


洋楽を丁寧に伝えるかつての番組を聞いている時のように、お二人の根底に大きな音楽愛を感じる対談だった。後半は近日公開予定。


●伝える人:タレント 奥浜レイラさん 
年間100公演以上のライブへ足を運んでいる、自他共に認める音楽オタク。TVK「洋楽天国EXXTRA」でMCをつとめるほか、ラジオDJ、映画イベントMCや動画サイトでの生放送番組MCなど幅広く活躍中。2008年からサマーソニックのステージMCも担当。

●番組を作る人:構成作家 磯崎奈穂子さん 
制作会社Office Plus 9所属。洋楽のラジオ・テレビ番組の制作を手掛けるほか、海外アーティストの日本でのパブリシスト/PR業など幅広く手掛ける。