志田未来、鈴木杏、田畑智子、斉藤由貴が「家族」と「女たち」の「生きる姿」を描き出す、『母と惑星について、および自転する女たちの記録』稽古場レポ

レポート
舞台
2016.7.4
(左から)田畑智子、志田未来、鈴木杏(撮影:久家靖秀)

(左から)田畑智子、志田未来、鈴木杏(撮影:久家靖秀)


現・パルコ劇場での最後の新作舞台となる『母と惑星について、および自転する女たちの記録』が7月7日(木)から上演される。蓬莱竜太が脚本を、栗山民也が演出を務める本作は、観る者に“生きる”意味を問う問題作だ。

パルコ・プロデュース公演にゆかりのある実力派女優――志田未来、鈴木杏、田畑智子が三姉妹を、彼女たちの母親を斉藤由貴が演じるこの4人芝居。都内の稽古場を訪ね、第一幕の様子を見学した。

突然の母の死からひと月。徹底的に放任され、父親を知らずに育った三姉妹は遺骨を持ったままあてのない旅に出る。「私には重石が三つ必要なの。」毎日のように聞かされた母の口癖が頭をめぐる。次第に蘇るそれぞれが持つ母の記憶。あの母親は自分たちにとって何であったのか。自分たちはこれからどこに向かえばいいのか……

(左から)志田未来、田畑智子(撮影:久家靖秀)

(左から)志田未来、田畑智子(撮影:久家靖秀)

手前に向けて緩やかな傾斜がついているステージ。その奥には白い大きな幕がかかっており、その下、つまりステージの最奥には左右の舞台袖につながる一段高い通路のような場がある。

点在して座る志田、鈴木、田畑。直前までお互いに、もしくはスタッフと雑談めいたやりとりをしているが、「では始めます」という演出助手の掛け声とともに一瞬にして三姉妹…シオ、優、美咲として息をし始める。このとき、母・斉藤はまだステージエリアには上がらず、自席で役への想いを巡らしているようだった。

母の遺骨をどこに撒こうかとさまよう娘たちの「今」と、亡き母との思い出を回想する「あの時」が交互に描かれる。そして「あの時」の場面になると、まるで幻のようにすうっと斉藤がステージ上に登場する。

斉藤が演じる母親は実にひどい。昨今耳にする「毒母」という表現がぴったりだ。子どもよりもまず自分が大事。実に身勝手で奔放。その影響からか、母に真っ向からぶつかって生きてきた長女、ある意味要領よく「共存」していた次女、反抗どころか、自己主張のひとつもできずにただ泣いていた三女のキャラクター設定が非常に生々しく感じられた。

左から鈴木杏、斉藤由貴(撮影:久家靖秀)

左から鈴木杏、斉藤由貴(撮影:久家靖秀)

娘たちは、母の死をきっかけにどのように過去と向き合い、そして前を向いて歩こうとしているのだろうか。娘たちそれぞれが母にどのような想いを抱いていたのか、逆に母は何を思ってそんな生き方をしていたのか。言葉のやりとりのずっと奥深いところから何が浮かび上がってくるのか、結末が非常に気になる第一幕だった。

稽古では、栗山がそれぞれのキャラクターについて、ほんの少しセリフの強弱を変え、ほんの少し顔や体の向きを変え、ときにはなぜそうなるのかを丁寧に解説しながら演技をつけていた。それに対して4人の女優は、栗山が出す指示の意図をすぐ理解し、ときにはその場で実演も交えつつ自分のものにしていた。「打てば響く」という表現はまさにこの4人にふさわしい言葉だ。

栗山がこの日語った言葉の中で、とても印象に残った一言がある。

「この芝居は、想いや気持ちを【探る】芝居だから」

その言葉は、演じる役者だけではなく、いずれこの芝居を観る観客にとっても大きなキーワードとなるに違いない。本番の舞台で、我々がどれだけ作品の奥深くまで踏み込んでいけるのか、今から楽しみでならない。

(取材・文=こむらさき)

公演情報
パルコ・プロデュース公演
『母と惑星について、および自転する女たちの記録』

 
■作:蓬莱竜太
■演出:栗山民也
■出演:志田未来、鈴木杏、田畑智子/斉藤由貴
■会場・日程
【東京都】パルコ劇場  2016年7月7日(木)~31日(日) ※7/7(木)=プレビュー公演
【宮城県】仙台電力ホール 2016年8月4日(木)
【広島県】広島・JMSアステールプラザ 大ホール 2016年8月9日(火)
【福岡県】北九州芸術劇場 中劇場 2016年8月13日(土)~14日(日)
【新潟県】りゅーとぴあ 新潟市民芸術文化会館・劇場
2016年8月16日(火)
【大阪府】シアター・ドラマシティ 2016年8月20日(土)~21日(日)
■東京公演後援:TOKYO FM 
■企画・製作:株式会社パルコ
■公演 HP: http://www.parco-play.com/web/program/hahawaku/

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