鬼才・松本雄吉の逝去を悼む ~千里眼の演出家~ 九鬼葉子
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松本雄吉 撮影=井上嘉和
維新派の松本雄吉さんが6月18日、食道癌で亡くなった。関西演劇界は今、深い悲しみに包まれている。とても受け止められない。大阪人にとって大きな自慢の、世界に誇る天才だった。大阪、と限定してしまうのは、失礼かもしれない。蜷川幸雄さんに続く、まぎれもなく日本の巨星の逝去。芸術界全体にとって、かけがえのない人を失くしてしまった。
熊本県天草生まれ。大阪教育大学で美術を専攻。1970年、大阪で日本維新派を結成(1987年に維新派と改名)。当初は、自らも出演。白塗りの裸体で死者の世界を描く、おどろおどろしい、どちらかと言えば男臭い舞台を作・演出していたが、1991年、東京・汐留コンテナヤードでの野外公演『少年街』から、独自のスタイル「ヂャンヂャン☆オペラ」を確立。大阪弁の言葉を変拍子のリズムに乗せて発する、独特の音楽劇を繰り広げた。野外にこだわり、公演ごとに鉄パイプや木材を用いて、壮大な野外劇場を劇団員の手で建設。岡山県の離島・犬島や琵琶湖、奈良県の室生村や曽爾村など、歴史性と自然に恵まれた様々な場所で公演を行った。2000年以降はオーストラリアやヨーロッパ、南米ツアーなど、海外公演も成功させている。
描く世界は、路地裏から月世界まで及ぶ。「《彼》と旅をする20世紀三部作」(2007~2011年)では、戦争に翻弄された20世紀の歴史に、抑圧される弱者への視線を込めた。『夕顔のはなしろきゆふぐれ』(2012年)や『透視図』(2014年)では、現代の都市の様相と、土地に刻まれた記憶の堆積を活写。都市や移民、漂流をテーマに、多彩な角度から世界を見詰め、人間本来のあるべき姿を呼び覚ます。
維新派『夕顔のはなしろきゆふぐれ』構成・演出=松本雄吉 2012年7月、デザイン・クリエイティブセンター神戸(旧神戸生糸検査所) 撮影=井上嘉和
劇団外でも2013年と2015年には寺山修司原作の『レミング〜世界の涯まで連れてって〜』、2015年には気鋭の劇作家・林慎一郎作『PORATAL』の演出などで話題を呼んだ。朝日舞台芸術賞、読売演劇大賞優秀演出家賞、紫綬褒章、大阪文化賞など、受賞歴多数。
千里眼の演出家だった。野外演劇の作業は、天候に左右される。台風で劇場建設や美術制作、稽古が中断されることもしばしばだ。天気の良い日に、1回の通し稽古ですべてをチェックしなければならない。装置や役者の動きに間違いはないか、役者登場のタイミングは完璧か、装置の角度はどうか、装置と役者、そして役者同士の位置関係や距離感はどうかなど、ポジショニングと動きのチェック。加えて役者の視線や体の角度、しぐさ、果ては体の癖や足の上げ方、相手役の演技に対するリアクションが的確かどうかまで、細部に渡って同時にチェックする。
視覚面だけでなく、聴覚面にも及ぶ。役者の発語へのダメ出しや、マイクを通した声の聞こえ方など。同じ場面でも、肉声とマイクを通した声、録音の声など、様々な声が同時に重ねられるのだが、音のバランスを確かめ、音響担当に、ボリュームの調整やマイクの増減の指示をする。視覚・聴覚面に渡って、全体から細部まで、松本さんは一度の稽古で同時にすべてを五感総動員でチェックした。
維新派『透視図』 構成・演出=松本雄吉 2014年10月、大阪・中之島GATEサウスピア 撮影=井上嘉和
松本さんは、おちゃめでかわいい人だった。2004年の『キートン』では、大阪・南港に現場入りしてから台風が5つ到来するという、受難の連続であったが、雨が降ってきた時も、美術制作の遅れで稽古が始められない時も、「焦ってもしゃあない」とばかりに落ち着き、即決で段取りを変えていく。本番が近づき、心身追い詰められているはずだが、劇団員全員、不安や苛立ちをぶつける人はいない。特に松本さんは常にユーモアを忘れず、舞台稽古がどんどん遅れて行く時も、皆の気持ちを代弁するかのように「時間がない~」「では今から5分休憩。なんて少ない休憩時間やあ~」と、少年のような泣き声を出す。その声色と表情のあまりのかわいらしさに皆が爆笑、空気が和らぎ、劇団員全員そのまま淡々と作業と稽古を続けていた。
日本人離れした、大陸的な人生観のある人だった。自然に逆らわず、共生している。経済や利便性という欲に絡み取られ、自然を支配しようとした近代文明の限界を知っていたのだろう。その哲学は、作品群にも反映している。
一流の芸術家であることにおごらず、気さくに誰にでも話し掛けてくれる人だった。劇団員から愛され、演劇界で愛され、公演先の島民からも、劇場前の屋台の人々からも愛された。
維新派『トワイライト』 構成・演出=松本雄吉 2015年9月、奈良県曽爾村健民運動場 撮影=井上嘉和
本音で語ってくれる人だった。蛇足ながら、私に最後に掛けてくれた言葉は、昨年9月、奈良県宇陀郡曽爾村での『トワイライト』開演前、私を見て、開口一番「どうしたん、その顔。えらい肥えて」だった。仮にも女性に向かって言うには、憚られる言葉だろう。自分では気付かなかったが、不摂生で私の顔はむくんでいた。真に私の体を気遣い、ずばりと言って下さった。すぐに改善し、事なきを得た。私は存じ上げなかったのだが、その時にはすでにご自身のご体調はかなりお悪かったはずだ。
多くの人が、彼の本音に救われた。
本当にありがとうございました。
心からご冥福をお祈り申し上げます。
九鬼葉子