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「イマーシブ・シアターの到来が意味するもの」 by 中山夏織 【特別企画:観客参加型演劇】

2016.8.22
特集
舞台

『溺れる男―ハリウッドの神話The Drowned Man – A Hollywood Fable』

  2013年6月から1年間にわたり、パンチドランクとロイヤルナショナルシアターとの共同製作により上演された『溺れた男-ハリウッドの神話』から、具体的に、この「文法」なるものを探ってみよう。

1.空間:
パディントン駅に隣接する、かつて郵便局のオフィスだった廃墟的空きビルが、架空のハリウッドの映画スタジオ「テンプル・スタジオ」として蘇った。巨大な4フロア全体を用い、それぞれ大小の部屋が、映画セットや化粧楽屋、近郊の町、砂漠等となり、それぞれが徹底したビジュアルで飾られる。インスタレーションとしての装置や小道具のディテールと美しさは圧巻。 

2.観客:
仮面をつけて(強制。はずすと注意される)、その4フロアをひたすら自らの意思で彷徨い歩く。しかし、どのフロアから鑑賞するのかを観客は決められない(エレベーターで連れて行かれ、強制的に降ろされる)。それなりの勇気がなければ、動けなくもなる。

3.
一度の観劇で、必ずしも、全シーンが見られるわけではない。あらかじめ、地図が渡されるわけでもなく、自分で手探りしていく。

4.
第4の壁は一切存在せず、装置や小道具に触れることも可能。観客を蹴散らすように、パフォーマーは、演じ、踊りまくる。めちゃめちゃなまでに近接的。

5.物語:
映画スタジオのカップルと近郊の町のカップルの二つのナラティブが相互にミラーしながら展開。台詞からナラティブを理解するのではなく、小道具や場所から観客は物語を推測していく。(難しい過ぎるという批判から、途中から簡単なアウトラインが配られるようになったらしい)

6.一対一の対峙:
少し高額なプレミアム・を購入した観客は、特別のエントランスから入場し、一度に、一組のみの特別なプロローグのシーンが提供される。

  このように綴ると、少し知的で難解なディズニーランドか、幽霊屋敷なのじゃないかと揶揄もされるだろう。観客も決まった導線に従って歩くわけでなく、探求し、彷徨い歩くわけで、疲労もあれば、不安感、ストレスを募らせることもあるだろう。だが、肝心なことは、観客もまたリスクを負う契約を交わしたうえで、参加していることである。

  アートマネジメントの視点からも実に興味深いものがある。もとより、英国には、日本のようなA4判のチラシをばらまくという習慣はない―長3封筒サイズにはいるカード・チラシが一般的だが、その郵送料は高くつく、エコじゃない、というわけで、21世紀に入ったころから、Eチラシが導入され始めた。劇場の場合は、シーズン・プログラムを作るが、年間1本、多くて2本しか創造しないパンチドランクのようなインディペンデントは、シーズン・プログラムを作る意味がない―といっても、『溺れた男』の場合、メインストリームの頂点ナショナルシアターが共同製作にはいっているから、自ずと、そのシーズン・プログラムには掲載された。それはさておき、これが重要なのではなく、パンチドランクの戦略は、あえて大々的な宣伝を避け、徹底してメールやSNSに集約したことにある。

  幕が開けてから生じた現象は、観客が次の観客を呼ぶ―つまり口コミと、リピーターが続出したことである。の価格は決して安いものはなく、むしろ高額なのだが、口コミとリピーターの続出がこれまで劇場に足を運ばなかった観客層を開拓し、予定以上のロングランを可能にした。

  この背景には、観客は自分の体験を、他者に語らずにはいられない強い衝動がある。不安を体験したことも、むしろポジティブに働く。誰もが同じものを同時に体験したわけでもない決定的な事実が、体験者同士の対話につながる。リピーターが多いのは、謎解きを続けたくなるからだ。また、話を聞かされた者は、話を聞いた時点ですでにその体験の幕が開く。大々的な宣伝をしないほうが、かえって何か「シークレット」なものとして、心に訴えかけた。

  YouTubeでこの作品の体験の感想を、15分以上にわたり一人嬉々として語り続ける女子学生の映像を見つけた。語らずにはいられない。語ることで体験がさらに深いものになる。これまでこんな強い衝動を引き起こす演劇体験があっただろうか? 生涯のうち、何度経験できるのだろうか? 一時的な流行で終わるかもしれないが、新たな観客を開拓し、新たな関係性を導きだしたことは否定しえない。