エンタメの今に切り込む新企画【ザ・プロデューサーズ】第七回・岡本伸章氏
ザ・プロデューサーズ/第7回 岡本伸章氏
編集長として”エンタメ総合メディア”として様々なジャンルの情報を発信していく中で、どうしても話を聞きたい人たちがいた。それは”エンタメを動かしている人たち”だ。それは、例えばプロデューサーという立場であったり、事務所の代表、マネージャー、作家、エンタメを提供する協会の理事、クリエイターなどなど。すべてのエンタメには”仕掛け人”がおり、様々な突出した才能を持つアーティストやクリエイターを世に広め、認知させ、楽しませ、そしてシーンを作ってきた人たちが確実に存在する。SPICEでも日々紹介しているようなミュージシャンや役者やアスリートなどが世に知られ、躍動するその裏側で、全く別の種類の才能でもってシーンを支える人たちに焦点をあてた企画。
それが「The Producers(ザ・プロデューサーズ)」だ。編集長秤谷が、今話を聞きたい人にとにかく聞きたいことを聴きまくるインタビュー。そして現在のシーンを、裏側を聞き出す企画。
今回は松崎しげる、大橋純子さんから、SuG、竜馬四重奏まで、幅広くアーティストをマネージメントするオフィスウォーカーの若き代表岡本氏へと直撃した。最近話題の「黒フェス」の裏側にも迫る。
ザ・プロデューサーズ/第7回 岡本伸章氏
――岡本さんはバンドマンとしてプロを目指していたんですよね?
そうですね、基本的には音楽で飯を食っていこうと思っていました。地元・名古屋でギターロックバンドでドラムを叩いてました。月何本かは東京でライブをやって、各地ツアーも回っていました。それで、バンドをやりながら大学を卒業して、家具屋さんに就職しました。そのままバンド活動を続けていたのですが、某プロダクションから声がかかって契約することになり、脱サラしました(笑)。
――そうだったんですね。
結局2年間、その事務所にお世話になったのですが、ある日「お疲れさん」と言われまして・・・。スタッフのみなさんもプロ中のプロが集まっていたので、この人たちをもってしても僕らを売ることができなかったということは、どこへ行っても売れないんだなと思い、表舞台で飯を食うことを諦めました。
――そこからレコード会社に入ったのですか?
そうですね、食べて行くためには、仕事をしなければいけなくなり、その時、自分に何が出来るかなと考えたときに音楽しかありませんでした。転職情報誌を見ていたら、たまたま日本クラウンが募集しているのを見つけて受けて、名古屋採用で入社しました。地方の営業所はポップスも演歌も全部同じ扱いなので、そこは面白く勉強になりました。
――行動力があります。
名古屋の駅前の演歌専門店でインストアイベントやった後、ロックバンドのライブでCDの即売をやるなんてことは日常茶飯事で、演歌の世界も覗かせてもらえたのは勉強になりました。名古屋には半年ちょっといて、ようやく人脈ができ仕事が楽しくなってきた頃に東京に異動になりました。
――所属は宣伝部ですか?
東京に来てすぐにナイトメアというバンドの宣伝担当をしました。「お前、バンドマンだったからバンドマンの気持ちが分かるだろ!」と上司に言われたのですが、当時僕は正直ヴィジュアル系ってなんですか?という感じでしたね(笑) ロック、それもブリティッシュ系の音楽が好きだったので、そういう音楽はわかりますが、でも「同じバンドマンだから一緒だ」と言われて、右も左も解らず飛び込んでみました。そこから彼らと行動を共にしているうちに、最終的に大切なのは“人間”という部分だなという考えに行き着きました。
――なるほど。
ジャンルは関係なく、一生懸命やっている彼らを近くで見ていて、なんとかしてあげたいと思いました。当時のヴィジュアル系アーティストは、一部のメジャーアーティスト以外はテレビにも呼ばれないですし、ラジオにすら出られない状態でした。出演できたとしても東京以外のFMで、「東京のFMに出したい」と先輩に言っても「出られるわけないじゃん」のひと言で話が終わっていました。当時はそれが常識でした。でも反骨精神に火が点きましたね(笑)。
――ナイトメアをまずはどんな方法で売り出そうと考えたんですか?
自分自身も、東京のプロモーションがどういうものなのかよくわかっていませんでしたので、コアな媒体は事務所さんに協力してもらっていました。基本的に宣伝ってマッチポンプな部分があるじゃないですか?なので、正面からプロモーションに行って無理なら、その番組のスポンサーを見つけて、そこに落とし込んだほうが早いんじゃないかと思いました。出すためには手段を選ばないというか(笑)、それくらいやらないと広がらないと思っていましたね。
――確かに。
ちょっとパターンが違うのですが、クラウンは親会社が第一興商で、カラオケボックス「ビッグエコー」で、カラオケの待ち時間にその月のイチオシ曲のスポットを流す、いわゆるパワープレイ的な枠があったんです。それを取りたくてプレゼンにかけました。レコード会社、グループ会社含めて色々なプレゼンが上がる中で、ナイトメアがその枠に決定して、なんとなくナイトメアというバンドの道が変わってきた気がしました。ナイトメア自体は変わっていないかもしれないんですけど、なんとなく僕の中でここから道が出来たという感覚でした。
――なるほど。
ただ握手会をやって、インストアイベントをやってCDの枚数を稼ぐのではなく、違うアプローチを考える中で全国の「ビッグエコー」でポスターを張ってもらえて、待ち時間に絶対流れるスポットでMUSIC VIDEOを観てもらったり、当時はカラオケ人口がかなり多かったので「最近ナイトメアってよく見るよね」と言われるようになり、ある程度効果があったような気がします。
――あの頃のカラオケ店でのプロモーションはとても効果的でした。
あとその頃、FMで第一興商が提供していた番組があって、そこにブッキングしてもらったんです。当時は渋谷・スペイン坂のスタジオでの公開収録は、ヴィジュアル系は絶対出ることができないと言われていたのですが、やらせてもらいました。300人以上お客さんが集まって、その人気の高さに見る目が変わったというか、とにかくあらゆる方法を考えて、それまでは出演できなかったFMにも出ていくし、目に触れる機会を増やしていって、ちょっとずつ雪が溶けていくような感じで認知度が広がりました。本当にありがたかったですね。親会社のおかげです(笑)
――最初に担当したナイトメアが、少しずつ大きくなっていくのを肌で感じながら仕事をしていたんですね。
そうですね、本当に勉強させてもらいました。事務所の皆さんとも夜な夜なああしたい、こうしたいっていうのを話して、真剣になって言い合いしたり喧嘩したり、そういう熱量がありました。全員の、アーティストにかける熱量がすごくて、もちろん社内は、僕から先の関わる人の熱量が薄まっていくのは事実なんですが、でも営業にもどう熱量を伝えるのかをずっと考えていました。
――その時担当はナイトメアだけだったんですか?
いえ、もう一組UNDER THE COUNTERというギターロックバンドを担当していました。マネージャーさんと二人で全国を回って色々展開を考えていました。マネージャーさんがアイディアマンで、大阪のFM局と、当時の「ぴあ関西版」と関西のタワーレコードさんとのメディアミックスをやろうといって、タワーレコードのコメントカードをラジオのDJに書いてもらって、雑誌でも露出してラジオでライブ招待をやったり、大変勉強させられる事が多かったです。
――全く違うタイプの2つのバンドを並行して担当していて、得る部分も大きかったのではないですか?
そうですね、片や新人でライブのお客さんも100人、200人の世界、片や3000人の熱狂的なファンがいるのにメディアの受けが悪いという(笑)。お互いがどうやったら現状突破できるかという部分では共通していました。お互いにないものを持っているアーティストたちで、熱量の凄さという部分も共通していました。
――その2組を担当して得た方法論や戦略が、その後色々なアーティストを担当していく上での参考書になっていく感じですか?
学んだことは多いですね。真っさらな状態で東京に来て、そういう仕事ばかりしていて、培われたという方が正しいのかもしれませんが、自分のベーシックな部分になっています。
――その2バンドをやっていて、その後はどんなアーティストを手がけられたのですか?
別のフィールドで勉強したいという欲というか、刺激が欲しくなりました。それで27歳の時にクラウンを辞め、今の会社に入りました。
――それで「ブロウグロウ」というレーベルを、エイベックスさんと一緒に。
そうですね、僕が入ったオフィスウォーカーという会社のグループで、「ブロウグロウ」というレーベルがあり、エイベックスさんと共同運営していまして、そこで働きはじめました。J、キリトが、活動していました。
――すごく雑な聞き方なんですが、マネジメントをやる人に大切なこと、レコード会社のレコードマンが大切にしなければいけないことを、教えていただけますか?
マネージャーに一番必要なのは“覚悟”ではないでしょうか。そのアーティストやタレントを手がけるということは、人生を共にするわけですから、何があっても最後まで責任もってやれるのかどうかです。例えその判断が間違いだったとしても、やり切らなければいけないですね。自分が信じた以上は、覚悟を持ってやらなければ成立しない仕事だと思います。
――覚悟という意味では、人を扱うというところでレコードマンも同じですか?
A&Rの人達も、同じ気持ちではないでしょうか。レコード会社の人でも、ものすごい熱量でアーティストに接して、人生を共にしているなと思う人はこれまでにも何人もいました。事務所云々ではなく、熱いものを持って取り組んでくれます。それってすごく大事なことだと思います。やっぱり最終的には“人”なんだなと思います。
ザ・プロデューサーズ/第7回 岡本伸章氏
――そうやってスタッフが熱い想いを持ってやっていると、アーティストにも伝わり、ひいてはそれがユーザーに伝わると思います。
マネジメントって、当たり前ですがいいことばかりではありません。そういう意味で全てにおいていつもガラス張りの状態にしておかないと、マネジメントって怪しく思われる部分があるので(笑)、グレーな部分もアーティストに見せないと信頼関係は築けないと思います。そうじゃないと向こうも心を開かないというか、任せられないですよね。数字についても、よくても悪くても全て伝えます。僕はいま経営者をやらせていただいていますが、数字って嘘をつかないので、数字はアーティストに伝えるべきだと思います。ファンクラブの人数から、グッズの回転率から客単価から、何から何まで全部伝える、それが大切だと思います。
――経営サイドになられても、アーティストとはよく話をしますか?
逆に話しをしないとダメだと思っています。だってこんな若造に、人生預けるなんてどうかしていると僕は思っていますので(笑)、そこは普段からきちんと話をして、わかってもらえるようにしたいと思っています。
――若手からベテランまで、わけ隔てなく面倒見がいいとお聞きしました。
人が好きなんでしょうね。何かやってあげたいなといつも思っています。今こういう立場でやらせていただいていて、本当にありがたい限りなんですが、やっぱり現場を見ないとわからないです。この人はどういう考えで、どういう理想を持っているんだろうというのは、お互い面と向かって話をしなければわからないですし、アイディアも出てこないです。
――岡本さんがこのアーティストとやりたいと思うポイントを教えて下さい。
ひと言では言い表せないのですが、“むずむず”するんですよ。何か気になって仕方がないというか、そわそわするというか、ここで声をかけなかったらダメだなって思える感じなんです。恋愛をしているような感じというか…。
――お忙しいと思いますが、今でもライブハウスにはよく行きますか?
行きたいのですが、最近はなかなか行く時間がなくなりました。時間の話が出たので、今思っていることをお話しすると、当たり前ですが時間は24時間365日しかないので、その中でできることは限られているということを再認識しました。その中で今、ひとつひとつの事に集中して打ち込まなければ、うちの会社を含めて自分にも未来がないと思ったんです。
――大切です。
でも元々器用なタイプではないので、まず今所属してくれている、自分たちが信じたタレントやアーティストをどれだけ大きくできるかということに集中したいと思っています。それがある程度見えてきたら、また新しい才能の発掘に情熱を傾けたいです。まだ港から出たばかりで、まだまだ風向きもちょっと不安定な感じなので、そういう意味ではもうちょっと落ち着くまでは、今一緒にやっているアーティストやタレントをしっかり育てていきたいと思っています。
――元々バンドマンで、30代の若い方がマネジメントのトップに就くと、会社も活性化されそうですし、所属アーティスト、タレントからも何かやってくれそうという大きな期待が寄せられそうです。
そうですね、ありがたいですね。僕の上司でもある、弊社会長の大谷には感謝しています。この会社は元々26年前に、松崎しげると大谷とで立ち上げた会社です。初年度は松崎が社長を務めましたが、一年後に松崎が大谷に「俺はまな板の上の鯉で、120%のパフォーマンスがしたいので、会社運営はお前に任す」と言って、大谷が25歳あたりで社長に就任しました。
――そうだったんですね。
その経験から僕にも大谷は「お前も若いうちから色々経験を積め」といつも言ってくれています。それで見えないものが見えてくるし、自分が経営者になったときにバランスよく出来るようになるためには、今のうちから苦労しろという親心だと思います。「自分がいるうちに冒険して、勉強しておけ」ということを言ってくれ、ものすごく感謝しています。社長をやれと言われた時も、血が繋がっているわけでもないのに社長に据えるというのは、先輩の社員の方もいる中で、自分に譲るというのはすごくありがたく、光栄なことです。最初は正直荷が重いと思いましたが、やってみたいという気持ちの方が大きかったです。
――岡本さんのキャリアの中では、アーティストの関わりが多く、また芸能系とは違うフィールドで動いていたと思いますが、そういう意味で戸惑いはありませんでしたか?
そうですね、やり方は100%違います。でも面白いことに応用が利くんです。実はこっちでは見えないものをあっちでやっていたり、あっちに見えないものがこっちで見えていたりするんですよ。音楽と芸能は、お互いないものねだりなのかもしれません。そうやって見ていると面白いですよ。
―――松崎しげるさんがいて大橋純子さんがいて、宝塚OG姿月あさとさんがいて、SuG、竜馬四重奏、それぞれカラーが違うアーティストが一堂に会しています。
本当にそれぞれ畑が違うのですが、全部を客観視してみると、意外と色々なところにボールを投げられるんです。例えば、SuGがニコニコ動画と親和性が高ければ、そこに松崎が登場するとウケて、なぜか松崎が「二コ超会議」に出て歌たったり(笑)。そうことができるんです。SuGがニューアルバムをリリースする時、プロモーションのタイミングで、ボーカルの武瑠(たける)が、喉の手術をして休養しなければいけない状況になって、メディアに出ることができなくなった時は、松崎を武瑠に変わる新しいボーカル”SHIGERU”だという企画にしたら、ワイドショーが、面白おかしくそれを取り扱ってくれるわけですよ。そういうミックスをさせちゃうんです(笑)。
――松崎さんというとももクロとのコラボもおなじみです。
あれは、ももクロさんが、西武ドームでのライブが決まり、ライオンズの球団歌「地平を駆ける獅子を見た」をやる企画になり、歌っている人は誰?松崎しげるさん!ということでオファーを頂きました。ついでに「愛のメモリー」も歌うことになって、ももクロさんサイドから「替え歌作ってもいいですか?」というご依頼をお受けして、それがももクロさんのサプライズを発表するときの定番曲になったんです。
――松崎さんは面白いことに対しては面白がってやってくれそうな、そんなフランクなイメージがあります。
松崎は、自分が、ブレていなければ良いと思っています。自分たちがブレブレだったら、どんな企画をやってもダメだと思います。ブレていなければ、ちゃんと残っていくんですよね。実際、松崎は、どれだけ黒いんだとか、歩くメラニン色素だとか言われていますし(笑)、私生活でも色々話題を提供していますが(笑)、でも歌った瞬間、みんなその歌唱力に圧倒され、納得してくれます。だからブレていないんですよね。そういう意味では、松崎もよく言いますが「俺はまな板の上の鯉だから、好きなように料理しろ。ただ出た以上は120%の結果を出す」というのはそういうことだと思っています。
ザ・プロデューサーズ/第7回 岡本伸章氏
――松崎さんは去年「黒フェス2015~白黒歌合戦~」というフェスを主宰し、今年も9月6日に行われます。
去年松崎の45周年でやらせていただきまして、フェスをやろうって言い出したのはスタッフなんです(笑)。2014年に、来年は45周年なのでああしたいこうしたいと松崎が言っていたのですが、なかなかいい企画が思いつかず、その時フェスがいいんじゃないかということになって来年の9月6日(くろ)が日曜日だったので、9月6日を「松崎しげるの日」と日本記念日協会に申請して、認定されました。
――アクティブですね。
地方のホテルでスタッフだけで部屋飲みしている時に盛り上がり、、、でもそんなもんじゃないですか?飲みながら会話して熱くなってきたことがパンと落ちてくるって・・・。それで次の日にチームを作ろうと思い、お世話になっている各所に連絡して、委員会制にしました。そこからあまりも大変すぎて、本当に試練でした(笑)。
――出演アーティストはどうやって決めたんですか?
まず真っ先に、ももクロさんに出演のお願いに行きました。二つ返事でOKして下さり「松崎さんの45周年にうちが出なくて誰が出るんですか」と言って下さって、本当に嬉しかったです。松崎の交友関係中心にお願いをしました。その中で歌手に絞り込んでいくと、どんどん少なくってきて。コンセプトとして、松崎のフェスということは音楽フェスでもなく芸能、テレビ系でもない、ちょうど中間的な立ち位置にいるのが松崎だと思うんです。テレビの世界の人でもあるし、歌の世界の人でもある。だから「黒フェス」はエンタテインメントの要素がないとダメで、ただ音楽をやるだけだったら他のフェスがもうやっています。やっぱり面白い人に出て欲しいと思い、お世話になっているコロッケさん、清水ミチコさんにもお願いしました。その人のヒット曲―曲だけ知っているとか、その人のことは知っているけれど、実際歌っているところは観た事がないとか、そういうことってありますよね。だから「黒フェス」はテレビと音楽フェスの真ん中なんです。「うわ!テレビでよく観る人が、目の前で歌ってる。やっぱこの人って上手いんだ」と思ってもらえて、その人のことをちょっとでも気になってもらえれば、僕らはそれで万々歳です。
――その感じすごく伝わります。
“間違いない”人たちに登場して欲しいと思っているので、今年も中川翔子さんとか青木隆二さん、クリス・ハートさん、May.Jさん、ももクロさん、奥田民生さんが出て下さいます。それと去年僕は洋食の「たいめいけん」さんにも直談判に行って、やっぱり色が黒いというと茂手木シェフじゃないですか(笑)、何も言わずに「やりましょう」って言って下さいました。そういう面白さも必要なんです。
――他にはないフェスになりました。
そうですね、他のフェスと違うのは一組一組の尺です。おいしい使い方、テレビ番組に近い使い方をしないといけないんです。例えば持ち時間30分でお願いしますと言って、でもヒット曲を歌い終わったら、お客さんはちょっとトイレに行こうかなってなるじゃないですか。そうなって欲しくなかったので、“おいしい尺”をこちらから出演者に提案しました。例えばオープニングで、ハウンドドッグ・大友康平さんが「フォルテシモ」1曲だけ歌って帰った時は、お客さんがびっくりしていましたよね。みんな「えぇ!1曲なんだ」と思った時にお客さんが気づいてくれたはずなんです、このフェスは時間が一組一組違うから、席を立ったら場所を取られると(笑)。
――なるほど!確かに。
いつ何が出てくるかわからないという仕掛けにしました。だからタイムテーブルも発表しませんでした。個人的な考えですが、これぐらいの規模感のフェスならタイムテーブルを発表しなくても良いと思います。僕が料理人だとしたら、前菜からデザートまで美味しく食べてほしいんです。ワンマンライブもそうじゃないですか?演者もスタッフもSEからエンディングまで、手を抜かないし、全部観て欲しいから全力投球する。フェスもそうあるべきだと思うんです。頭から終わりまで間違いないものを作るから、全部観て欲しいんですよ。だからタイムテーブルを発表しなくて良いと思っています。僕らみたいなトリッキーな時間配分のフェスは、そういうふうにしないといけない。今年もやらせていただきますが、本当に出演時間15分というアーティストが多いです(笑)。
――松崎さんの意見ももちろん大きいと思いますが、やっぱり岡本さんが観てみたい人にオファーしている感じですか。
そうですね、それもありますが、とにかくお客さんに喜んでもらいたいです。それと松崎がお世話になってる方には是非来て欲しいんです。その為に、例えば松崎が昔から通っている餃子屋さんが新小岩にあって、そのご家族に「黒フェス」というのをやるんですと言ったら、そこのお母さんに「行きたいけど、年寄りにはスタンディングはしんどい。座れたら私たち行くのに」と言われ、急遽ベンチシートを用意しました。普通の席ではなく、疲れたら座れる「団塊シート」「ゆとりシート」と名付けて座って観覧できるエリアを作りました。松崎をずっと支えてくれている人に来て欲しかったんです。でもフェスを仕掛けるのが初めてで、わからないことだらけで制作・運営の方には迷惑をお掛けしました。
ザ・プロデューサーズ/第7回 岡本伸章氏
――岡本さんから見た今の音楽業界はどう映っていて、今後どう変わっていくと思っていますか?
まず音楽は普遍的なもので、もちろん聴き手に届ける形態は変わりますが、やっている側の形態は変わらないし、ただそれを発信するツールが、デジタルに変わっていくだけの話であると思います。結局人が創って人が聴くものなので、そこがブレない限り無くなりはしないです。インフラは各自で整えられるようになって、SNSなど外に発信するツールも自分でできる時点で、プロモーションを含めて全部自分達で完結できます。でも全部やるのはいいけど、自分達の首をしめることになりかねないとも思います。その部分を人に振れば、自分はその時間をもっと創作活動に割けるのでは?とも思います。もっというと、レコード会社はレコード会社の新しい役割りを担うべきだし、マネジメントはマネジメントの新しい役割りがあるし、時代は変わってきているのでそれぞれが新しい役割りを担って、それに向けて成長していかなければ、誰も残っていけないと思います。
――間違いないですね。
レコード会社だけでなく、マネジメントも危機感があります。この業界自体が人が多すぎるという人もいますが、でも例えばマネージャーになりたい若い人は、圧倒的に少なくなっています。そういう人の問題もありますし、日本のマーケットだけではなく、海外にも目を向けてもっと打って出るべきだと思います。そういう意味ではありがたいことに、SuGを始め、我々は海外でも音楽やらせていただいています。アジア、ヨーロッパ、アメリカ、実際に足を運んでみて、現地の生の声を聞いて、それを経験にして戦略を考えています。
――海外のマーケットはやはり魅力的ですか?
そうですね。でもこちらが提示するコンテンツが、100%メイド・イン・ジャパンじゃないと、海外のものには勝てないと思います。今までのようにはいかないです。年々ヴィジュアル系も厳しくなっていますし、もっともっと考えなければいけません。
――世界で勝てる日本のコンテンツ。
勝てるものって今はアニメしかなくて、コスプレイヤーは人気で、残ると言われています。コスプレは世界でもまだ通用すると。自分で身に付けて楽しむことができるというのが、大きいのではないでしょうか。ただライブに行ってワーって盛り上がるだけではなく、自分たちがその衣装を着て、自分たちにお金をかける楽しみということに向かっている。コスプレを楽しんで、それでもお金があればライブに行って、それでもお金があれば握手会に行くという、お金をかけるという行為の付加価値にプライオリティがあると思うんです。でも世界的に不況だから、そこまでお金が回らない。コスプレを着るということは、マネをしている対象がそこにいなくても、コスプレをしているという自己満足感があって、満足度が高いんです。昔勤めた家具屋の受け売りですが、大事な事はNPS、「Net Promoter Score」を世界でも日本でもどこまで上げられるかではないでしょうか。
【編集後記】
黒フェスのくだりでのお話が印象的でした。ハウンドドッグをブッキングして、出演がフォルティシモ一曲。実に一般のリスナーの心理や、「一般的な需要」というものを理解し提供するということができているのだなと。バランスや建前を考えたり、エゴを出したり、ひねくれたりするのは正直簡単で、こうしてニーズに対してシンプルに与えるというのは逆にとても難しいし、勇気のいることなんだと思います。こういったコンテンツを産み出す人たちを、この記事を通してでもしってもらって、音楽の裏側の仕事や、アーティストをマネージメントする、プロデュースすることがは「いかにカッコイイか」ということを様々な人に改めて知ってもらいたいと感じました。
次回もお楽しみに。
編集・企画=秤谷建一郎 文=田中久勝 撮影=風間大洋
1978年生まれ。愛知県知多市出身。
サラリーマンの父と美容師の母を持つ次男。
名古屋でバンド活動を経た後、クラウンレコードに入社。
その後、専門レーベル「ブロウグロウ」に転職し会社運営に関わる。
2013年、グループの主軸であるマネージメント会社「オフィスウォーカー」の
代表取締役に就任し現在に至る。