エンタメの今に切り込む新企画【ザ・プロデューサーズ】第九回・島田昌典氏

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ザ・プロデューサーズ/第9回 島田昌典氏

ザ・プロデューサーズ/第9回 島田昌典氏

編集長として”エンタメ総合メディア”として様々なジャンルの情報を発信していく中で、どうしても話を聞きたい人たちがいた。それは”エンタメを動かしている人たち”だ。それは、例えばプロデューサーという立場であったり、事務所の代表、マネージャー、作家、エンタメを提供する協会の理事、クリエイターなどなど。すべてのエンタメには”仕掛け人”がおり、様々な突出した才能を持つアーティストやクリエイターを世に広め、認知させ、楽しませ、そしてシーンを作ってきた人たちが確実に存在する。SPICEでも日々紹介しているようなミュージシャンや役者やアスリートなどが世に知られ、躍動するその裏側で、全く別の種類の才能でもってシーンを支える人たちに焦点をあてた企画。

それが「The Producers(ザ・プロデューサーズ)」だ。編集長秤谷が、今話を聞きたい人にとにかく聞きたいことを聴きまくるインタビュー。そして現在のシーンを、裏側を聞き出す企画。

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音楽プロデューサーシリーズ第二弾ということで、今回はaikoやいきものがかり、秦基博、back numberなどのプロデュースをてがける島田昌典さんへ直撃した。

――島田さんと音楽の出会いから教えて下さい。

小学校に入学したら、親にピアノを習えと言われ、無理やり教室に通わされ、でも嫌だったんですよね、女の子ばかりで。親はサラリーマンでしたが頑張ってアップライトピアノを買ってくれて。小学校6年生くらいまで続けました。小学校の高学年の時、近所のお兄ちゃんにたまたまビートルズを聴かせてもらって、そこでショックを受けたというか、めちゃめちゃかっこいい音楽があるんだって衝撃的でした。それまではテレビから流れてくる歌謡曲やアニメのテーマソングが好きでよく聴いていましたが、ビートルズを聴かせてもらってからはがぜんそっちの方に興味が向きました。中学校に入って音楽好きの友達ができて、ビートルズをカバーしたりして。その辺からですね、音楽をやり始めたのは。当時は今みたいにリハスタとかがなかったので、自分の部屋の窓を閉め切って、楽器を無理やり押し込んでやっていました。もちろん僕はピアノでした。

――そこからビートルズにのめり込んで、作品を集めていったんですか?

そこから広がっていって、ブリティッシュロックとかを聴いていましたが、なかなか中学生のお小遣いではLPレコードは買えませんので、一枚買ったら本当に擦り切れるまで聴いて、友達とレコードを交換したりしていました。

――高校生になってからはますます音楽熱が高まって。

当時父親が電気系の会社に勤めていたこともあって、小さいオープンリールが家にあって、それがたまたまLRで別々に録音できたので、友達と宅録をやっていました。Lチャンにドラムとベースを入れて、それを聴きながらRチャンに歌とかコーラスを録音して、多重録音に感動して、それで今に繋がっているんですかね。そこから音楽を趣味としてやって、でも自分のやりたいことはエンジニアの親の影響もあって、そっち系に興味があって。これからはコンピュータの時代が来るんじゃないかと漠然と思っていて、将来はそれを仕事にしたいと思っていました。

――エンジニア志望から、どこで進む道が変わっていったんですか?

理系の大学に行って、そこで軽音楽部に入っちゃうわけですよ(笑)。当然音楽にのめり込んでしまって、ちょうどジャズ・フュージョンブームで、国内ではカシオペアとかナニワエキスプレスが人気で、海外にもフュージョンバンドがたくさんいて、そういうアーティストの曲をカバーしていました。大学以外でもバンドをやって、楽器を買うためにアルバイトに精を出して、学校に行かなくなるわけですよね。たまたまセッションに参加したらそこで5千円もらって、初めて音楽で稼いで、これで5千円もらえるんだと思い、それで音楽で食べていきたいという気持ちが強くなって、3年の時親に話をして、当然卒業だけはしろと言われましたが、自分の中ではもう決めていたので大学を辞めました。同時に、30歳くらいまでに花開かなかったら、また別の道を考えようと決めて、音楽の道を進み始めました。

――どんな活動をやっていたんですか?

関西はアメリカでいうと南部的な音楽のミュージシャンが集まっていて、ブルースやソウルとかそうアーシーな土臭い音楽が盛んで、僕もそこにどっぷりハマって色々な人とセッションしていました。下手くそだったので、必死で練習して、自分の音楽の部分を高めていけたのは、今思うと、大阪ならではの音楽の影響があったからかなと。もちろんフュージョン全盛の時代でしたので、僕ものめり込んで、NANIWA EXPRESSの清水興さん率いるバンド「HUMAN SOUL」に参加してしました。

――1990年代は、日本を代表するギタリストの一人、渡辺香津美さん等と共に「夢の乱入者」( 関西テレビ)という音楽番組で、メインメンバーとして、ゲストを招いてセッションをやっていました。大阪でそうやってミュージシャンをやりながら、音楽のプロデュース、アレンジの仕事を一番最初に手がけたのは、誰の作品なんですか?

当時は大阪で音楽の仕事って、なかなか少ないんです。そんな中で、もんたよしのりさん、やしきたかじんさん、円広志さん、当時の3大巨頭のサポートバンドをやるというのが、大阪のミュージシャンの登竜門だった気がします。僕も円広志さんのバックをやらせてもらい、その中でキーボーディストというのは、楽譜を書くのを任されたり、ライブアレンジを頼まれたり、そのあたりからアレンジをやっていった感じです。並行してCM音楽もやらせてもらっていて、そこでアレンジの面白さに気づいて、だんだんハマっていきました。

――29歳の時に東京に拠点を移していらっしゃいますが、最初はどんな仕事をしていたのですか?

東京に来たからといって、すぐに仕事があるわけではなく、サポートミュージシャンをやりながら、レコーディングにだんだんと参加していって実績を積んでいきました。東京は、サポートミュージシャンとスタジオミュージシャン、アレンジャー、プロデューサーと役割分担がしっかり分かれていて、僕も最初はサポートミュージシャンから入っていって、福山雅治君とかやらせてもらったりしながら、徐々にアレンジの仕事をもらいながら、ライブアレンジの仕事をやったりとか。

――仕事ってどうやって、どのきっかけでもらえるようになるものなんですか?

先ほどの大阪時代の話でもありましたが、ライブアレンジをやってくれないかと言われて、ヘッドアレンジをやって、それをバンドに指示したりして、そこでいい感じになればアーティストのディレクターが今度デモテープを作りたいんだけど、手伝ってくれないかというような感じにつながっていきました。ギャラ安かったりはするのですが、それがよければ正式にアレンジの依頼がきて、レコーディングに繋がっていくという感じです。

――ひとつひとつが仕事に繋がっていったっていう感じですね。

あとは当時スタジオミュージシャンとしてもやっていたのですが、一緒に「サーフトリップ」というユニットを組んでいた、ムーンライダーズの白井良明さんが、90年代半ばくらいから歌謡曲のアレンジ、プロデュースをやっていて、そこに一緒に呼ばれてレコーディング現場に入っていきました。

――やはり最初の頃は苦労が多かったですか?

お金の部分はやっぱり波がありましたから苦労はしましたし、実際自分のバンドを大阪から東京に活動拠点を移して、最初は結構大変な時期もありましたけど、でもやっぱり音楽が好きで、その気持ちだけでやっていました。聴いてくれる人が待っていてくれるので、その想いだけでやっていましたね。若いからできたのかもしれませんが。ミュージシャンはみんな苦労しますよね。楽器のローンを払うのも大変でした。でもこうやって音楽をやっているとワクワクドキドキできるのは聴いてくれる人がいて、良かったと言ってもらえるからなんです。

――島田さんといえば、どうしてもaikoとのタッグの印象が強いのですが、彼女との出会いを教えて下さい。

僕が30歳の時に彼女のインディーズでアルバムを作りたいんだけど、という話をもらったのが最初です。

――aikoが作る音楽の最初の印象はどうだったんですか?

おもしろかったですね。一緒に仕事していくうちに、彼女が大阪出身ということで、ブルースの影響を受けていて、半音で下がるメロディとか、コード進行も変わっていたり、なんか感じるものがありました。ちょっと他人とは違うなと。表現力、パフォーマンスは群を抜いていました。

――aikoの作品はどの曲も島田さんが作るイントロが印象的でした。

それは基本的にaikoが作る曲に触発されて出てきているもので、ゼロから1にする部分は彼女はすごいなと思いますね。日本人はイントロ好きですよね、歌謡曲が流れている中で育ってきたせいか、DNAの中にイントロ好きというのが入っていると思うんですよね。歌謡曲ってイントロが大事じゃないですか。だから今もイントロの中で情景を作っていって、歌の中に起承転結がある、そういうドラマティック性がを求めるのかもしれませんね。海外の曲ってストリーミング全盛の時代になったからか、イントロが長いと途中で飛ばされるからか、すぐ歌が始まる曲も多いですよね。

――今でもイントロには細心の注意を払うというか、力を入れていますか?

そうですね、曲の導入という部分で考えると短くても長くても、醸し出せるかというか、歌に繋げる感じは大事だと思うので。短くても何かしらの起伏であったり、人の耳に入って振り向かせられるようイントロは、今でも作りたいですよね。

――いいイントロがなかなか思いつかない、出てこないこともありますか?

なかなか見つからないです(笑)。思いつかなかったら昔は散歩して探していましたが、今はもうどこにも落ちていないですね(笑)。

――そういう時はサビ頭ですか?

サビ頭も日本人は大好きですからね。最後転調っていうのも好きですよね。落ちサビっていうのもあります。

――島田さんの様々なアーティストの音楽プロデュースをしていますが、その方法、やり方を教えていただけますか?

アレンジプロデュースするときは、基本はアーティストが何をしたいのかをくみ取り、感じて、そこを一番のポイントにします。そこで僕のフィルターを通して、化学反応を起こして生まれてくるものを、お互いに触発されながら作っていくというか。そこで他と違うものができればいいなといつも思っています。アーティストが何をやりたいかという先には、聴いてくれるユーザーをいつも念頭において、そのバランスが大切です。先を行き過ぎてもダメですし、うまく半歩先を行くというか。

――もちろん理屈はないと思いますが、こうだったらユーザーに刺さるんじゃないかという感覚は、どこで感じるものなのでしょうか?

それだけは完成してみないとわからないので、売れてくれるのが一番いいのですが、楽曲に対して売れて欲しいから作っているのであって、“売れる曲”というのが全てでいいのかというのは、難しいところでもあると思います。作っているときはただただ多くの人に聴いてもらいたいという気持ちで作っています。自分自身が客観的になって、曲に対して例えば震えがきたり武者震いするとか、作り手から離れた客観的な部分でなるべく聴くようにしていて。曲の構成やキーが関係してくると思うのですが、それができなければ何が足りないのかが見えてこないと思います。曲のバランスを徹底して考えながら、フックをふたつくらいみつけて、それが聴こえてくるまでは何度も何度もやり直します。どこが一番の萌ポイントで、それをどう伝えるか、魅せるのかということが、バランスという意味では一番大事だと思います。

――俯瞰で見るのが重要で、自分のなかでのエゴはそんなに出さないようにしているということですか?

そうですね。曲って作って手元から離れたら、それが伝わってみんなのものになるので、だからできるだけ客観的に見るというか。客観的に見ながらも、客観的に見ている自分がどれだけ楽しめてグッとくるかということですね。

――アーティストの中にもこだわりがあって、ここは直したくないとか、意見をたたかわせる場面もあると思いますが、そういう場合はどういう進め方をするのでしょうか?

時と場合と曲にもよりますよね。そのアーティストがどうしたいのか、結局最後はアーティストに返っていきますから。曲が世の中に出てしまうと、それがアーティストの評価になってしまって、リスクを背負うことになるので、そのリスクを回避させるためにアーティストが一番輝けることを念頭に考えながら、ピッチを直したほうが良ければ直しますし、ボーカルのバランスだったり、ちょっとしたことで聴こえ方というのは変わってくるので、アーティストによって臨機応変に対応しています。その中で無理矢理そうしているわけではないのですが、後で聴いてみると、なんとなく島田印というか島田サウンドのカラーというものがついているのかなと感じています。

――バンドが好きとおしゃっていますが、やはりご自身がバンドやっていたことが大きいのでしょうか?

そうですね、バンドにはバンドならではのサウンドがあって。ずっと一緒にいるわけじゃないですか、そこで培われた音楽は、外部の人間はなかなか入ることはできないし、独特なものなんです。それが面白いというか、他にはないですよね。セッションからも生まれない、シンガー・ソングライターが作るものとも違うバンドサウンドってあるんですよね。

――島田さんが手がけられたバンドというと、大ブレイクしたback numberの名前が出てきますが、名曲『花束』も島田さんのアレンジですね。

歌詞を見たときに、ここまでストレートに男の心情を言葉にしたものって、なかなかないと思いました。(清水)依与吏君の作る世界観は他になくておもしろいです。

――島田さんが手がけられた作品で、これは会心作と思った最初の作品はなんですか?

ヒットしたという意味ではaikoの「花火」ですね。自分の中でいい曲として残っているのは同じくaikoの「カブトムシ」ですね。

――色々なアーティストと仕事をすることで、インプットされることも多いと思いますが、アウトプットも多いと思います。何か仕事以外でインプットすることはありますか?

やっぱり結局音楽になってしまいます。レジェンドたちが創りだしてきた音楽は、本当に素晴らしくて、いまだにビートルズを聴くことによって新しい発見があったりします。今世の中に流れている音楽は、昔の音楽のエッセンスを、現代にうまくミックスしてやっているものが多いと思います。今、流行っているのは80年代の音楽を今風にミックスして、EDMや打ち込みを上手く取り込んでいるんですよね。そういううまい焼き直しのやり方とか、昔のアーティストやミュージシャンからいまだに刺激を受けたり、新しい発見ができたりします。

――気分転換も音楽ですか?

そうですね(笑)。今ストリーミングが中心になってきて、今「TIDAL(タイダル)」が好きでよく聴いていますが、アップルミュージックと違って音がいいです。CDサイズというか44.1kHz/16 bitの「高音質ストリーミング」で、いつまでも聴いていられるような音質で、素晴らしいです。あとは楽器を弾いたり。新しい楽器はもちろん、昔の楽器を集めているのでそれを引っ張りだしてきて弾いてみたり、そうすると刺激になったりして。昔のリズムマシーンとか。

――そこであの曲にこの楽器を使ってみようとか、ひらめいたりするんですか?

そうですね、ひらめきだったり実験をしたり。ダメなこともよくありますが、実験しながら新しい音楽を探しているという感じです。

――今や国民的バンドになったいきものがかりが、今年10周年を迎えましたが、最新曲「ラストシーン」は島田さんが手がけられています。デビュー曲「SAKURA」も島田さんの作品ですよね。

10年目の新たなスタートということで、新曲「ラストシーン」をやらせていただきました。いい曲ですよね。「SAKURA」は頭と最後をあえて楽器を使わずアカペラにした方が、聖恵ちゃんの声、歌が伝わって、インパクトがあるかなと思ってあのアレンジにしました。

――いきものがかりの最初の印象はどうだったんですか?

聖恵ちゃんの声が一番印象に残っていて、響いたというか本当に真っすぐだなと思って。 水野くんと山下くんという二人の作曲家がバンドにいるという、新しい形態だなと思いましたね。水野君と山下君が書く曲も、またちょっと違うじゃないですか。でもやっぱり日本人的な、万人受けするメロディは共通しています。

――10年間彼らとずっと付き合ってきて、変わったところはどんなところですか?。

曲が“プロな”曲になってきましたね。作家としてのツボを得たというか。聖恵ちゃんのボーカルというのは、他のシンガーにはない“いいバランス”があって、彼女の存在はやはり大きいですよね。この3人だからここまで来れたのだと思います。

――島田さんが仕事を引き受ける時に、何か判断基準にしているものはありますか?

基本的には全部受けようと思っています。実際、時間的な問題で不可能な時はあると思いますが、これまでも仕事を通して色々なものが自分の中でできあがってきたので、何かあるんじゃないかと思うんですよね、依頼が来るということは。だから絶対やろうって思っています。

――今、島田さんは、ベテラン勢はもちろん、赤い公園や新山詩織という若いアーティストを手がけていますが、若い人たちの音楽に対する向き合いかたは10年前とは変わってきていますか?

変わってきていますよね。環境が進化しているので、アーティスト自身が10年前と比べたら驚くほど進化しています。バンドのなかでデモが簡単に録れるますし、リハスタも安いところがいっぱいあるので、割と自分たちがやりたいことに近いものを作ってきますね。

――みんな最初から演奏力も高いんですか?

みんなうまいです。赤い公園は男勝りというか、ビックリしますよね。そこら辺の男はかなわないですよ。素晴らしいですね。楽器ができる若い人が増えてきているので、それはそれで生まれてくる音楽が新しくなっていると思います。YouTubeで色々なミュージシャンのプレイを簡単に観ることができるのも大きいですよね。中でも女の子の方がうまいというか、エネルギーがありますよね、音楽に対しての情熱とか。男のほうは、なよっとしていて、情けない部分がいっぱいありますよ。怒られ慣れていないのか、怒られるとシュンとなるし(笑)。

――今、島田さんが手がけられているアーティストの中で、特に注目しているアーティストを教えて下さい。

今も出てきましたが、赤い公園はライブパフォーマンスも素晴らしいし、他とは違うオリジナリティを持っているというか、J-POPのカテゴリーに入りきらない演奏力と、おもしろさがあります。やっている姿勢は素晴らしくておもしろいですね。男性はシンガー・ソングライターの高橋優君。彼の言葉が飛び込んでくる感じは、本当に素晴らしいと思います。ストレートに心に届いてきますよね。CDのセールスという部分以上に、日本武道館を満杯にしたり、ライブパフォーマンス、伝える能力があるアーティストだと思います。

――島田さんが新しいアーティストと対峙するときに、一番島田さんに響くポイントはどこですか?どこかひとつでも突出していればいいのか、バランスが取れているほうがやりやすいのか。

突出している方がいいですね。例えば、歌が下手というのはピッチが悪いことをいうのだとしたら、でも音程が外れていても心に響く時もありますよね。だから歌が下手でも、何かしら輝いている部分があったり、本人が書いた言葉が飛び込んでくるのであれば僕はやりたいと思いますし、なんとかいいところを引っ張り上げることに、仕事のやりがいを感じます。声の持っている魅力が大きかったりしますね。声フェチというか、マイクをとっかえひっかえして、どれがその人の声に一番合っているのかを、一番グッとくるマイクを選んでレコーディングします。声に惹かれることは多いかもしれませんね。ヒットしたアーティストはやっぱりみんな声がいいと思います。もちろん歌詞やメロディの良さもあると思いますが、声が占める割合も大きいと思います。声だけでもっていかれるというか、声を出しただけで自分の世界観に引き込むことができるというか、そうなるとピッチが合っていなくても関係ないです。

――ところで、今の音楽業界は島田さんの目にどう映っていますか?

CDが以前に比べたら売れなくなってきた中で、YouTubeでも宣伝といいながらフルコーラス流している曲もあるし、若い人達は音楽はただで聴くものと思っているようですし。本当にこれからどうしたらいいのか夢がなくなって、若い人達が音楽を仕事にしたいと思わないんじゃないかと思います。そうならないためにも我々がいい曲を作って、ヒットを出して、音楽業界を盛り上げていかないといけません。メディアとしてのCDはなくなるかもしれませんが、ストリーミングになるのか、また何か新しい形態になるのかわかりませんが、新しい音楽をみんな聴きたいと思っているので、そこはワクワクできるものを僕たちが作って、皆さんに提供して音楽業界を盛り上げていかなければいけないと思っています。

――音楽を提供するメディアは変わろうとも、いい音楽を作り続けるしかないと。

それしかないですよね。ワクワクさせてあげると、ライブにも行きたくなると思いますし

――この先、作家、クリエイターを目指している人は、こういうCDが売れない状況で、単価が安い配信は収益の分配率もCDよりは安く、作品を提供してもそれで食べていくのは難しくなっていきそうと思っている人もいると思います。どういう風に打開していけばいいと思いますか?

制作費も削られている今、クリエイターは仕事も減り、本当に食べていくだけも大変だと思います。目先を変えてみると、日本のアニメは海外でも人気で、同様にアニメソングも高い支持を得ていて、その部分で勝負するというのは、ひとつあると思います。その分野でどんどん曲を書いていったり。昔はスタジオに行かないとレコーディングができませんでしたが、今はポータブルでどこでもできるので、間口は広がっていると思います。だからどんどん作ってどんどんネット他で発表していって、可能性を自分で広げていくしかない。もちろんクオリティの問題もあると思いますが、そこで自分の表現力、可能性を試していって、周りはそれを見つけてすくい上げていくということですよね。間口が広い分だけ色々なことができると思うので、売れる売れない関係なく、とにかく音楽を作ることです。売れることだけを考えていると作れません。人に頼らず自分でやっていくしかないというか、メジャーレーベルも厳しい状況ですから、メジャーだけを考えるのではなく、インディーズも含めて色々な状況を考えながらやっていくしかないと思います。

 

【編集後記】

前回のJin Nakamura氏とも共通する部分ですが、やはり「いいものを創り続ける」という信念にこそ、サウンドクリエイターのベーシックと真髄が両方とも内包されているんだなと強く感じました。趣味も音楽と言い切る島田氏のスタジオは正に音楽が溢れていました。楽器も機材も本当に、私のような音楽好きがワクワクしてしまうものが多く、また一つ一つが非常に大事に扱われているということも感じました。音というものにアンテナを貼り、日々咀嚼していくことが自然にできるようになること、そんな部分を持つべきなのかもしれません。

 

編集・企画=秤谷建一郎  文=田中久勝  撮影=風間大洋

 

プロフィール
島田昌典

大阪府出身。作編曲家、キーボーディスト、プロデューサー。aiko、いきものがかり、秦 基博、back numberはじめ、数多くのアーティストのプロデュースを手がけている。2014年、自身が手がけた楽曲を集めたコンピレーション・アルバム『島田印』をリリース。
 
2001年、自身のプライベートスタジオ「Great Studio」を立ち上げ、鍵盤楽器をはじめギター、ベースなど数々のビンテージ楽器、録音機材を収集(特に復刻版メロトロンは島田サウンド必須のアイテム)。ここから数々のヒットソングを創作していった。
自身のルーツともいえるビートルズからのブリティッシュサウンド、サイケデリックサウンド、バンドサウンド、アメリカのルーツミュージック、ストリングスアレンジ、などなど、影響を受けた幅広い音楽からのスピリットを、自身のフィルターにかけて融合する、島田昌典ならではの「ひとひねりある」ポップサウンドは、今や多くのポピュラリティーを得て、特にアーティストから篤い支持を得ている。根っからの音楽好きで、根っからの音楽職人。楽器収集家でもあり、楽器演奏家でもある。今日もまた“新しい音”を求めて、こだわりの機材と共に、プロデュース、アレンジに没頭している。
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