【クロスレビュー】宇多田ヒカルは、8年半ぶりの最新作『Fantôme』で何を示したのか その2
宇多田ヒカル『Fantôme』
宇多田ヒカル『Fantôme』クロスレビュー・2 文=兵庫慎司
活動休止期間を経ての8年半ぶりのニュー・アルバムであること。水曜日のカンパネラやLucky Tapes、雨のパレードなどに楽曲提供もしてきたプロデューサーでありシンガーでもある小袋成彬、世界から注目を集めるラッパーKOHH、そして盟友(ってベタな言葉だが、でもそう言ってもいいのでは、と思う)椎名林檎が参加していること。そして、2013年に亡くなった母親に捧げられたアルバムであること。
などの事前情報から、すでに大きな注目を集めていた……というか、そもそも宇多田ヒカルが復活したこと自体が事件なので、音楽シーン云々以上の規模で注目を集めて当然なわけだが、その注目の高さを軽く上回っていく内容だった、『Fantôme』は。先に「花束を君に」「真夏の通り雨」の2曲が発表された段階で、どちらも母親に向けて歌っていることは聴けばあきらかだったし、「この2曲と『桜流し』が入っている時点で相当だな」と思ったが、その期待の比ではなかった、全曲聴いたら。
で。さっきから、1行2行書いては消す、ということを延々とくり返している。「花束を君に」「真夏の通り雨」がデジタル・シングルでリリースされた時、別のメディアにレビューを書いたのだが、その時もそうで、仕上げるのにすごく苦労した。
椎名林檎のシンガーっぷりがすばらしいとか、KOHHがヤバくて鳥肌立ったとか、音作りがオーガニックな生音楽器方向に寄って音楽ジャンル的により広くなっているとか、歌詞のこんなところで母への思いをこんなふうに表現しているとか、小袋成彬が参加している「ともだち」がすごく重要な曲であるとか、アルバムを通しての結論とも受け取れる「道」って1曲目じゃなくてラストに置くべきだったのではと思ったけど聴き通すとやっぱり1曲目でよかったと思うとか、にしてもどの曲もアレンジいちいちすごいなあとか、歌う時の発声のしかたや言葉の放ち方が日常会話のそれに近くなっている気がするとか、にもかかわらずメロディの自在さはアップしているとか……。
というように、聴いていて思うことや、気づくところはあるんだけど、それを指摘したからって何? って自分で自分に言いたくなるのだった、書くたびに。
日本語を日常的に使っている人なら理解できる言葉を、ドラマチックで美しいけど自然な抑揚を持つメロディにのっけて、その曲にもっともふさわしい形のアレンジを施して音楽にしている。で、亡くなった母に捧げた曲や、自分にとって必要な存在のことや、その存在への思いや、生きていくということにあたっての意志などを歌っている。そういうアルバム。
どうでしょう。あたりまえすぎておもしろくないでしょう、そんなこと書かれても。でも、ここで鳴っているものを文字で表そうとして寒くならないの、これくらいしかない気がする。ほかの人はそんなことないだろうけど、僕にとってはそうだ。そんな、聴くと言葉を失ってしまうアルバム。とか書いて締めくくるのも、とても寒いし。
とにかく、宇多田ヒカルが何を考え何を感じてきたのか、そして今何を考え何を感じているのかを知るための音楽ではないことはわかった。聴く人が、自分が何を考え何を感じてきたのか、今何を考え何を感じているのか、そしてこの先はどうしたいのか、どうなりたいのかを知るための音楽だ、ということなんだろう、たぶん。
文=兵庫慎司
2016年9月28日(水)発売
『Fantôme』
税抜価格:3,000円
01. 道
02. 俺の彼女
03. 花束を君に(NHK連続テレビ小説「とと姉ちゃん」主題歌)
04. 二時間だけのバカンス featuring 椎名林檎(レコチョクTVCM)
05. 人魚
06. ともだち with 小袋成彬
07. 真夏の通り雨(日本テレビ「NEWS ZERO」テーマ曲 )
08. 荒野の狼
09. 忘却 featuring KOHH
10. 人生最高の日
11. 桜流し (「ヱヴァンゲリヲン新劇場版:Q」テーマソング)
All Songs Written and Produced by Utada Hikaru
Except
08. 忘却 featuring KOHH
Written by Utada Hikaru and Chiba Yuki
11. 桜流し
Music by Utada Hikaru and Paul Carter / Words by Utada Hikaru