2016年はゲーテの、「ファウスト」の年?
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ゲーテによる音楽作品はあまりにも多い、けれど
2016年は不思議な年だ。各種の文学的創作、思想、科学など多岐にわたって活躍したヨハン・ヴォルフガング・フォン・ゲーテ(1749-1832)の作品による音楽作品が次々と取り上げられてきた、特段の記念年でもないのに。もしかすると、クラシック音楽の分野では、シェイクスピアの記念年でさえここまで多くの作品が取り上げられることはなかったのではないだろうか?
と、書くと「いや声楽、歌曲の分野では毎年数多くの作品が」「シェイクスピアの記念年には古楽の分野で刺激的な取組が」といった反論が容易に想像できるし、かく言う私自身も重々承知している。歌曲のコンサートではゲーテの詩による作品がないことがむしろ稀だろう、そしてたとえばシェイクスピアのソネットを当時の様式で演奏する試みが示唆的だったことには私も同意したい。だが少し、ゲーテ作品の演奏について例を挙げるのにつきあってほしい。
今年、まず3月には東京・春・音楽祭2016ではリッカルド・ムーティの指揮によりめったに演奏されないボーイトの歌劇「メフィストフェレ」のプロローグが演奏されたが、この録音も少ない知られざる大作が取り上げられる機会など、そうあるものではない。続いて4月には新国立劇場で「若きウェルテルの悩み」を原作としたマスネの歌劇「ウェルテル」が上演された。そして以前当サイトでも紹介したとおり、新日本フィルハーモニー交響楽団とNHK交響楽団によるマーラーの交響曲第八番が7月から9月にかけて演奏されたが、この作品は交響曲としては例外的に「ファウスト」の第二部、その幕切れをテキストとして使用している。
そしてこの秋にはこの一連の流れのクライマックスを形作るように、続けざまにベルリオーズの劇的物語「ファウストの刧罰」が演奏される。9月11日に第300回目の記念となる演奏会でこの作品を取り上げた高関健と東京シティ・フィルハーモニック管弦楽団に続き、この週末にはユベール・スダーン&東京交響楽団による演奏会が開催される。どうだろう、一人の作家に刺激されて創り出されたこれだけの大作群が、続けざまに一年のうちに演奏される機会がそうあるだろうか?
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「ファウストの刧罰」を作曲したエクトル・ベルリオーズという作曲家は、文学と関係の深い作品を多数作った。まだ作曲家が20代の1824年にフランス語訳されて間もない「ファウスト」に感激し、「ファウストの八つの断章」(1929)を作曲して老大家に楽譜を贈呈している(残念ながら、ゲーテはその音楽を聴いていないという)。ほかにも、バイロンに刺激された「イタリアのハロルド」(1834)、若き日より愛読し彼の人生を大きく左右したシェイクスピアによる劇的交響曲「ロメオとジュリエット」(1839)があり、その経験を経て完成させたのが「ファウストの劫罰」(1846)だ。
さらに思い返せば、原作こそないものの彼の出世作にして代表作「幻想交響曲」(1830)には「ある芸術家の生涯のエピソード」と副題があり、全体を通して自作のプログラム通りに物語が進むように、あたかも”お話”のように作られていた(「ファウスト」でも印象的な”ワルプルギスの夜”がこの作品に登場するのは、偶然ではない)。さらにその続編として作られた「レリオ」は、「幻想交響曲」と同じ主人公の後日譚として構想された、オーケストラと語り、そして歌によるなんともジャンル分けのしにくい”ドラマ”であるわけで、彼の創作はジャンルがなんであれ、ある種の”ドラマ”として構成されている、と言ってしまっていいかもしれない。
これまた旧来のジャンルにあてはめず”劇的物語”とされた「ファウストの刧罰」はゲーテ作品の第一部をもとに作曲され、ドラマの終結は伝承における「ファウスト博士物語」のもの、つまり博士の地獄落ちを採用しているから、ここには終曲のあまりに有名な「すべては仮象に過ぎない」と歌う場面は現れない。この作品で歌われ演じられるドラマは、すべての探求を究めてすでに現世に飽いた老博士が、悪魔の力により若返って美しいマルグリートと出会い、しかしその愛を失って地獄落ちする、ゲーテ若き日の経験を反映した若者の”恋愛悲劇”だ。
その音楽はベルリオーズが若き日に断章形式で作曲した習作を、文学的・劇的作品を創り上げてきた経験を活かしてブラッシュアップしたものだ。たとえば「ロメオとジュリエット」でロレンス神父役のバリトンと心情描写を行うアルトの独唱、そして合唱を用いながら本来の主役ふたりは登場しないという、まったく彼独自の原作消化で異彩を放つ異色の”交響曲”として創り上げた経験は、余人には想像すら難しい。そんなチャレンジを成功させた彼が、「ファウストの刧罰」では比較的普通のオペラに近い構成でドラマを描くのだから、その雄弁ぶりは比べようもない。原作の第一部を自由に翻案してメリハリの効いた構成の作品に編み直し、ファウストの地獄落ちを圧倒的な音響的クライマックスとした、実に彼らしい作品になっている。
ベルリオーズが後世に残した影響はあまりに大きい、その割に知られていない作品がとても多い…
その独特な大作に向き合うにあたって、高関健と東京シティ・フィルハーモニック管弦楽団は声楽陣にも日本人キャストを配し、作品そのものに迫る演奏で大好評を得た。彼らの第300回目という節目の演奏会を自ら見事に飾り、今後への期待をさらに高めたといえるだろう。なお、東京シティ・フィルハーモニック管弦楽団は11月に開催する次の定期演奏会でも同じくベルリオーズの、これは特別によく演奏される「幻想交響曲」を下野竜也の指揮により取り上げる。
楽譜への深い読みで公演を大成功に導いた高関健 (c)Masahide Sato
対してこの週末に「ファウストの刧罰」を演奏するユベール・スダーン&東京交響楽団は、マエストロをはじめこの作品ですでに成功したキャスト、そして初挑戦となる実力派を揃えて二回の公演を行う。東京交響楽団の創立70周年を飾る特別な演奏会の中でも、強く記憶される演奏会となるだろうことは疑いようもないところだ。いやはや、めったに演奏されない「ファウストの刧罰」が、これほどの短期間に二組の充実した演奏が行われる2016年の秋のめぐり合わせはまさに奇遇と申し上げる他ない。
この作品を数多く演奏してきたスダーンの手腕に期待しよう
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ここで少し海外に目を向けると、日本のみならず韓国、中国各地でマーラーの交響曲第八番が演奏されているし、つい先日にはパリ管弦楽団の首席指揮者に就任したダニエル・ハーディングが最初のコンサートにシューマンの「ゲーテのファウストからの情景」を選んでいる(Arte.tvよりオンデマンド配信されるとのことなので、興味のある方はぜひ新コンビの来日前にお試しあれ)。こうして見てくると、今年はまったくの偶然ながら世界的にゲーテによる音楽作品、特にも「ファウスト」による作品が注目された一年だった、のかもしれない。
どうだろうか、せっかくのこの機会に、この週末まずは「ファウストの刧罰」を聴き、読書の秋はゲーテ畢生の大作と過ごすというのは。定評ある既存の訳に加えて近年は読みやすい新訳もある、さらに「青空文庫」を探せば森鷗外の訳による古風ながら格調高い訳も見つかる。数多くの音楽家を刺激してきたゲーテの大作を読破した後ならばきっと、マーラーもシューマンもリストも、もちろんベルリオーズもまた違って聴こえてくることだろうから。
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…と、ここで本稿を終える予定だったのだが、もうひとつの、かなり先の公演をご紹介したい。本稿に関連する情報がこの時に飛び込むのもまた何かの縁、ということでご容赦いただきたい。
2019年、と少々先の話にはなるけれど、待望の再来日を果たすアントニオ・パッパーノ率いる英国ロイヤル・オペラが、グノーの歌劇「ファウスト」を上演するという。これもベルリオーズ同様にゲーテの大作から第一部、そしてミシェル・カレの「フォーストとマルグリット」をもとにした歌劇だが、なんと日本で最初に上演されたオペラなのだという。フランスのグランド・オペラの代表作を新鮮なものとして提示したデヴィッド・マクヴィカーの刺激的な舞台は高く評価されて再演を繰り返し、予定として発表されたグリゴーロ、ダルカンジェロほかの豪華なキャストが揃い…と、この来日公演はどうしても見逃せない、聴き逃せないものとなりそうだ。…だからといって皆さま、「ファウスト」を読むのはそこまで先送りにはされませんように。
■日時・会場:
2016年9月24日(土) 18:00開演 サントリーホール 大ホール(定期演奏会)
2016年9月25日(日) 14:00開演 ミューザ川崎シンフォニーホール(川崎定期演奏会)
■出演:
指揮:ユベール・スダーン
合唱:東京少年少女合唱隊、東響コーラス
管弦楽:東京交響楽団
キャスト:
ファウスト:マイケル・スパイアーズ
メフィストフェレス:ミハイル・ペトレンコ
ブランデル:北川辰彦
マルグリート:ソフィー・コッシュ
■日時:2016年9月11日(土) 14:00開演
■会場:東京オペラシティ コンサートホール
■出演:
指揮:高関健
合唱:東京シティ・フィル・コーア(合唱指揮:藤丸崇浩)
児童合唱:江東少年少女合唱団
管弦楽:東京シティ・フィルハーモニック管弦楽団
キャスト:
ファウスト:西村悟
メフィストフェレス:福島明也
マルグリット:林美智子
ブランデル:北川辰彦