2017年大阪松竹座は中村芝翫、橋之助、福之助、歌之助4人の襲名披露公演「壽初春大歌舞伎」で幕開け!
右から中村芝翫、中村橋之助、中村福之助、中村歌之助(撮影/石橋法子)
2016年秋、東京・歌舞伎座で二ヶ月に及ぶ襲名披露公演を成功させた八代目中村芝翫、四代目中村橋之助、三代目中村福之助、四代目中村歌之助。歌舞伎界を担う親子4人が2017年お正月に、新築開場20周年を迎える大阪松竹座で襲名披露公演「壽初春大歌舞伎」に出演する。公演に先駆け、大阪で開かれた取材会の模様をたっぷりとお届けする。
まず会の冒頭で意気込みを語った4人。昼の部『梶原平三誉石切』に出演する芝翫は「念願の梶原を初役で、仁左衛門のお兄様のご指導のもと勤めさせていただきます」。人生初の5役に挑む橋之助は「『梶原平三誉石切』では俣野五郎という憧れの役を二十歳にして勤めさせていただきます。夜の部『鶴亀』では藤十郎のおじ様に率いていただき、僕たち3人で踊らせていただける。これも父や七世芝翫、そして皆様のお陰です。兄弟3人が四天王を勤める『勧進帳』は僕にとっては試練であり、同時に楽しみな一ヶ月になると思います」。
四代目中村橋之助
福之助は「襲名ならではの緊張感を楽しみつつ精一杯頑張りたい」と頼もしくコメント。また、中学三年生の歌之助は、本作が初の地方公演であり「兄たちとは違う初めてのことが多くて緊張もあるのですが、どれも演じてみたかったお役ばかり。父の弁慶で兄弟3人が四天王を勤める『勧進帳』はすごく楽しみです」と初々しく語った。続いて会見は、記者たちとの質疑応答へ。
「父からは芸の心を引き継ぎ、荒削りで男らしい八代目芝翫を目指します」(芝翫)
ーー襲名披露狂言に『梶原平三誉石切』、『勧進帳』を選んだ理由とは?
芝翫:僕は若い頃から時代物が好きで、自分でも本領を発揮できるものだと感じていました。『梶原平三誉石切』はまだ手掛けたことがなかったのでぜひやってみたいと、今回は仁左衛門のお兄様にご指導を賜りました。やはり先輩方と一緒に舞台に出させていただくと、「芝居ってこういうことなんだな」と気付かされます。皆さん自然体で役に入っていかれるんですよね。そういう先輩方の芸を引き継ぐのも、八代目芝翫襲名にあたり必要な部分だと思います。『勧進帳』でも仁左衛門のお兄様が富樫で出て下さいますので、色んなことを仰っていただけると思います。
八代目中村芝翫
ーー芝翫は女方のイメージがありますが、立役での八代目芝翫襲名への思いをお聞かせ下さい。
芝翫:私が目標としているのは四代目芝翫です。とはいえ、芝翫型で残っているのは『熊谷陣屋』ぐらいですね。周りの役に関しても一つずつ、芝翫型というのを成立させていかなければいけない。まだまだ自分の中でも試行錯誤を必要とする大きな名前です。僕としては『勧進帳』の弁慶、『仮名手本忠臣蔵』の由良之助であったり、荒削りな男臭い八代目芝翫を目指しています。10月の襲名披露公演の祝幕では佐藤可士和さんにお力添えをいただき、引き出しの釻(かん/取っ手)の部分を墨で力強く書いてもらいました。また、各月でデザインが変わりますのも私の念願でございました。佐藤可士和さんには他にもTシャツ、バッジ、お配りものの風呂敷などをプロデュースしていただきました。
ーー夜の部では『口上』、『勧進帳』の弁慶、『雁のたより』の若旦那と3演目にご出演です。体力を必要とするエネルギッシュな構成ですね。
芝翫:大変だと思います。とくに『勧進帳』の弁慶はトライアスロン並みに大変ですから。続く『雁のたより』の若旦那は、ほとんどアドリブみたいなもので、関東育ちの僕にとって関西弁は外国劇に出るようなもの。また、昼の部『梶原平三誉石切』では、鴈治郎さんと共演させていただきます。2年前、鴈治郎さんの襲名披露公演では、病床の兄に代わり東の成駒屋代表として松竹座に出させていただきました。そこから、芝翫襲名に話が進んだこともあり、今回は西の鴈治郎、東の芝翫として、互いの顔が揃うということも考えて勤めたいなと思います。
「父とはイメージを変えて、新しく自分らしい四代目橋之助にしたい」(橋之助)
ーー橋之助さんはインターバルなしにお父様のお名前を継がれます。もう新しいお名前には慣れましたか。
橋之助:まず僕の中で父はすでに芝翫ですし、同様に2人の弟たちも福之助、歌之助の名前がしっくり来ています。僕としては、最初は父の良いところを残しつつ、新しい部分も取り入れた四代目橋之助にしようと考えていましたが、今はイメージをガラッと変えて、一から新しく自分らしい四代目橋之助にしたいなと思います。名前が馴染むと言うより、進むべき方向性がやっと見つかりつつあるという状況です。
右から、中村芝翫と橋之助
ーーご長男としては、弟たちをサポートしなければという思いもあるのでは?
橋之助:もちろん心配ですが、兄弟なのであまり口うるさく言うと弟たちも「分かってるよ」となります(笑)。それよりは、今回の公演で言うと新悟のお兄さん、児太郎のお兄さんに言われた方が、弟たちも素直に聞くので、僕はそこまで言わないようにしています。
ーー芝翫さんからご覧になって、3人のお子さんの長所や頑張っているところは。
芝翫:まだ語れるほど勤めていませんが、一つ言えるのはこれだけ3人が芝居好きになったというのが嬉しいですね。11月の襲名披露公演では4人で連獅子(『祝勢揃壽連獅子』)をやらせていただきました。毎日家族で稽古の映像を見直しながら話し合いを重ねる中で、ただ毛を振るんじゃなくて、最後はきちんと揃えようという意識がすごく強くなった。有り難かったのは染五郎くんが稽古を見てくれたこと。とくに歌之助には顔の仕方、首の振り方などを丁寧に教えてくれました。歌舞伎界の良いところですね。倅たちもそれぞれに襲名を通して精神的にも肉体的にも成長していると思います。とくに歌之助は、先日期末テストが終わったばかりの中学三年生ですが、5月にスチール撮影した『鶴亀』のかつらが11月の本番では全然入りませんでした。衣裳も千穐楽では数センチ短くなっていましたね。
「10月、11月と歌舞伎座での襲名披露公演は、本当に”生きてるな”と思うほど大変でした(笑)」(福之助)
ーー福之助さんは今回4演目にご出演ですね。
福之助:大学に入ってから少しずつお芝居に出させていただけているのですが、10月の襲名披露公演では初めて5役に出させていただき、一日がすごく長かった(笑)。本当に「生きてるな」と思えるような初めての経験で、大変でした。
三代目中村福之助
ーー歌之助さんはいかがですか?
歌之助:楽しみですね。兄たち2人は毎月少しずつお芝居に出て、大人の役をやり始めていますが、僕は中学三年生で、夏休みとかしか舞台に出られなかったので。一日中劇場にいて、松竹座に出させていただけると思うと幸せです。好きなお役を一日やらせていただける喜びがありますね。
芝翫:10月公演では福之助、歌之助の二人は『外郎売』で40分、『口上』で30分、『熊谷陣屋』の四天王で40分座っていましたからね。『熊谷~』ではあぐらでしびれるというのを初めて経験したらしいです(笑)。
ーー1月公演では『勧進帳』で四天王のうち3人を息子さんが勤められます。どんなご心境ですか。
芝翫:僕もこれまで四天王は山ほど勤めてきましたが、その中で「いつかは弁慶を」という熱い思いをたぎらせてきました。中でも橋之助は弁慶を勤めるのが最高の夢らしく、それに伴い福之助、歌之助もいつかは「弁慶をやりたい」ということですので、僕としても良いものができれば。
橋之助:四天王に関しては、だんだんと勉強して弁慶をやるのが理想でしたが、今回僕は初の四天王でいきなりの亀井役。四天王は、お客様の目に見えない所で心が通じ合っていなければいけない大切なお役です。心配もありますが、父の重荷にだけはなってはいけないなと思います。
「立役が好きですが、祖父(七世芝翫)の女方にも憧れはあります」(歌之助)
四代目中村歌之助
ーー橋之助さん、福之助さん、歌之助さんは、それぞれ立役を目指されていますか?
橋之助:僕は女方もやってみたいんですけど、いかんせんガッチリした体格なので、先輩方には「お前には無理だよ」と言われています(笑)。『野崎村』のお光、『俊寛』の千鳥、『石切梶原』の梢だったり。可愛いだけじゃなく、お芝居として心が動くところがたくさんあるので大好きです。似合わないかもしれないけど、やってみたいです。踊りは女方も勉強したいなと思います。でも将来的にやりたい役は、弁慶のような線の太い立役を目指しています。
福之助:立役を勉強したいです。
芝翫:僕も福之助を女方にしたらどうかと考えて、7月に『鬼一法眼三略巻』「菊畑」の腰元役で出したんですけど、ダメでしたね(笑)。数年前、歌舞伎鑑賞教室で児太郎に『俊寛』の千鳥をやらせた時は、橋之助からいきなり「何で僕にもやらせてくれなんですか」と言われて、「そんな栄養のいい人が、いるわけないじゃないですか」と(笑)。
橋之助:昨年10月の大阪平成中村座では、『俊寛』の千鳥を新悟のお兄さんと鶴松が交互に勤めて、二人ともむちゃくちゃ可愛かったです。女方さんがやる可愛い千鳥ではなく、それこそ勘三郎のおじみたいな立役がやる可愛らしさを感じて。その辺りの良さに、福之助はまだ気付けていないんだと思います。
右から福之助、歌之助
芝翫:一番男っぽいのは歌之助かもしれません。
歌之助:僕は立役のほうが好きです。小さいときから父や勘三郎のおじ、三津五郎のおじを見て来たので憧れます。また、七世芝翫の祖父と僕は晩年一緒に出ることが多かったので、隣で見ていた祖父の女方に対する憧れはちょっとあります。
芝翫:歌之助は性格も仕草も父親にそっくりでハッとさせられます。10月、11月とずっと同じ楽屋でしたが、ご飯の食べ方、お化粧の仕方、風呂上がりまでそっくり。父にしてみれば息子が2人もいて、父の芸を伝承しないのは申し訳ないことだと思うのですが、芝居の部分はおいそれとできるものではなく、やはり女方の修行をしないといけませんし。お芝居の部分はさておいても、父の踊りや心だけは父の芸として、伝承していかなくてはいけない。僕があえて言うまでもなく、息子3人もそのことは心にあると思います。
ーー改めて、公演への意気込みをお聞かせ下さい。
芝翫:父が昭和42年に芝翫を襲名した際は「今までためてきたマグマが、パッと開いたような華がある」という劇評をいただいたことを思い出します。今回は自分もそうなれるよう、今まで培ってきたものを集大成として出せたらいいなと思います。また、芝翫は初代から関西に縁が深く、勘三郎の兄、三津五郎の兄も共に関西を愛しておりました。僕たちの世代を育ててもらったと言っても過言ではないこの土地で八代目芝翫、また倅どもの襲名興行をさせていただけることを有り難く思います。大阪松竹座新築開場20周年の幕開けにふさわしい興行になることを望んでおります。
右から中村芝翫、中村橋之助、中村福之助、中村歌之助
(取材・文・写真撮影:石橋法子)
中村宗生改め 三代目中村福之助 襲名披露
中村宜生改め 四代目中村歌之助
■会場:大阪松竹座
二、梶原平三誉石切(かじわらへいぞうほまれのいしきり)・鶴ヶ岡八幡社頭の場
三、新口村(にのくちむら)
一、鶴亀(つるかめ)
二、襲名披露口上
三、勧進帳(かんじんちょう)
四、雁のたより(かりのたより)