【K-POP】よしぞうDの「音楽は本当に国境を越えるのか?」 第3回

2017.2.25
コラム
音楽

ヤン・ヒウン(양희은)-朝露(아침이슬)


公式に韓国政府から許可を受け、日本語で歌うことが初めて許されたシンガーソングライター沢知恵さんの1998年の歴史的な公演の感動は、日本に戻っても冷めることはなかった。あの公演を、公演で知った当時“近くて遠い国”と言われていた隣国の音楽や文化を、あの涙の意味を伝えたいと思った。

「まずは知らなきゃ!韓国といえば大久保って誰かが行ってたっけ。」私は大久保にCDを買いに行った。しかしCDは韓国語。お店に日本語はない。店員も日本語がほぼできない。そうなればジャケ買いしかない。しかしその店はプラスチックのパッケージでなく、紙ジャケのような手作り感溢れるCDばかり。しかもジャケット写真があっても白黒コピーで、ほぼタイトルとアーティスト名しかないようなCDが多い。私はジャケ買いならぬ、ハングル買いでCDを1枚選んだ。もちろんハングルは読めない。

“1998.02.01”

日付が書かれているCDを見つけた。これはもしかしたら誰かのライブ盤?結局このCDを買って帰った。家に帰りCDを再生する。「サー……」音が悪い。MCらしき声が聞こえてくる。観客のざわざわ声も聞こえてくる。が、MCのテンションがコンサートとは違う。「うん?」若干の不安がよぎるが聞き続けた。拍手と共に演歌調の曲の演奏が始まる。「演歌のライブか〜」探していた音源と違う落胆を抜いてもこのCD、何かがおかしい。ただの演歌のライブ音源ではない。演奏のスタイル、音色がどこか懐かしいのだ。イントロから観客はノリノリで手拍子を叩いている。そして男性のボーカルが始まった。……下手すぎる!なんだこれは?!と驚愕して数十秒。鐘が鳴って演奏が止まった。♪(鐘の音)カーン。このCD、日本でもお馴染みの「素人のど自慢」の番組を録音したものだったのだ。韓国の国営放送が1980年代から放送している「KBS韓国のど自慢」。しかも誰かが勝手に録音したらしきCDだった。ジャケ買いは失敗した。気を取り直し、私は沢さんからいただいたお薦めの曲を夢中で聴いた。


「朝露(アチミスル)」 ヤン・ヒウン

1971年に発売された女性シンガー、ヤン・ヒウンの代表曲。アメリカではジョーン・バエスやピーター・ポール&マリー、ボブ・デュラン、日本でも岡林信康、高石友也、高田渡がそうであったように、韓国でも反戦への想いや政府や社会へのアンチテーゼとなるフォークが民主の指示を受けた。70年代から80年代にかけての韓国民主化運動の象徴となった歌がこの曲。ヤン・ヒウンは韓国のジョーン・バエスと言われている。フォークはどこにでも生まれる。そしてその歌が人の心や人生に大きく寄り添うというのも同じ。60年代70年代の日本のフォークと“同じ”ような歩みをみせるその“同じ”に私は驚いた。「韓国にもフォークがあるんだ!」その驚きの中に、私は自分の中にある無知と偏見を見た。

「朝露(アチミスル)」/ヤン・ヒウン
 

※KBS「不朽の名曲〜伝説を歌うシーズン2」でAileeによるヤン・ヒウン「朝露(アチミスル)」のカバーは→ こちら


「口音」 キム・ソヒ

1917年生まれ。パンソリの歌い手。無形文化財としても指定された名手。パンソリは太鼓や鐘に合わせて扇子などを使い、身振りを加えながら鳴り物奏者と2人、または一人で物語りを歌い語るオペラのような韓国の伝統音楽。楽譜がなく、口から口へ伝承されている音楽で、歌と表情と身振りだけで1本の芝居を観ているかのような世界を作る。およそ300年前に生まれたもので、民衆の心に宿る、怒り、喜び、哀しみといった喜怒哀楽を物語にして表現し観客に求められ、受け継がれた音楽らしい。観客はチュイムセという掛け声を入れて舞台にも関わる。(歌舞伎で言えば「成駒屋!」みたいな感じかなぁ)

パンソリを“伝統音楽”という括りに入れるのは簡単だが、パンソリを聴いていると、“うた”の力を再認識させられる。特にこのキム・ソヒの「口音」の衝撃と言ったら……。問答無用に感情を捕まれるような“くちおと”。歌が上手いとか下手とかではない、技術のもっと奥にある何かが宿っているようなキム・ソヒに私は初聞きでのけぞった。言葉がわからなくても哀しみや嘆きが伝わってくる。

そしてこの曲を通しパンソリの存在を知った私は、この国の人々が、いかに音楽と密接に生きてきたのかを知った。鑑賞するものではなく、生活の中に“うた”があり“うた”が人を動かし癒やすことを韓国の人々はカラダで知っているのだろう。言葉だけでなく言葉も含める“音”が感情を表し聴くものの心に届け動かす。音楽は人間の営みと共に、人間のカラダの中から自然発生した音の塊なのかもと、音楽の原点を見たような感覚を覚えた。音楽は私の中にもある!

私は自分の生活にパンソリを取り入れて見た。私のカラダと感情を一致させ、それを音で伝えてみる。すると自然に「あーー」という音が口を出て、「あ〜あっあ〜〜」と自然な抑揚がメロディを作る。「できる!」私は「今日も幸せだ。あなたが好きだ。」という気持ちを“あ”だけでパートナーに伝えてみた。「仕事大変なの?大丈夫?!」パンソリは難しかった。

余談が過ぎたので話を元に戻そう。後日、私は韓国で生のパンソリ公演を観た。パンソリの舞台は沢さんの公演がそうであったように舞台がそのまま客席まで繋がっているような一体感を感じさせた。それはK-POPのアーティストの韓国での公演でも感じる。この国の人々の“うた”への反射神経は高い。

「口音」/キム・ソヒ

「オギヨディオラ」/ Lee-tzche

Lee-tzche(リーチェ)韓国名はイ・サンウン。同年に公開された田中麗奈の初主演映画「がんばっていきまっしょい」の主題歌、「オギヨディオラ」。

沢さんからCDをいただく前からこの曲はよく知っていた。当時、日本のヴァージンレコードからプロモーションを受けていたからだ。しかし韓国のアーティストだということは知らなかった。英語の歌詞に英語らしからぬ「オギヨディオラ」という錆のフレーズ。不思議な感覚を覚えながらもそれはまぎれもない洋楽だった。ナイジェリアのアーティスト、フェミ・クティなどのアフロビートにも英語以外の歌詞は聞こえてきていたし、セネガル出身のフランスのラッパーMC Solaarなどラップやヒップホップでも英語以外の言葉があった。ポップスなんかでもリッキー・マーティンはスペイン語で歌っていた。そんな曲がヒットチャートに挙がった90年代。“洋楽”のメインストリームにはいろんな言語があった。

私も“洋楽”としてお昼のワイド番組でよく「オギヨディオラ」をOAしていた。Lee-tzcheが韓国人だと言うことは、沢さんから教えてもらった。なぜレーベル担当者からそのことを聞いていなかったのかわからないが、“洋楽”として初めて触れた韓国音楽がこの曲だった。そしてこの感覚はその20年後の私に引き継がれた。「洋楽として韓国音楽を紹介したい」。私は2013年にその挑戦に挑むことになる。

20年後、私はLee-tzche(リーチェ)こと、イ・サンウンと出会った。イ・サンウン氏は80年代のトップアイドル。人形のように歌うことを辞め、彼女はNYへと渡りシンガーソングライターとし日本も含む海外で音楽制作を始め、既成概念に捕らわれない音楽への挑戦を続けた。

「オギヨディオラ」/ Lee-tzche

ソテジワアイドゥル~K-POPの源流

インターネットが普及していなかったこの時代。韓国音楽と出会うことは難しかった。大衆音楽だってそれは同じ。ラジオの現場でも韓国アイドルの情報としていったら日本人と韓国人とで結成された韓国のアイドル、Y2Kくらいだった。それも“世界でも人気の日本人”という文脈で語れるニュースが多く、韓国のアイドルに興味があるレーベル担当者や同業者に会ったことがなかった。90年代、韓国では、のちのK-POPへと繋がる歴史が刻まれ、韓国アイドル史は90年代を起点として語られることになる。

その起点に位置するのは92年にデビューし、韓国で初めて200万枚越のヒット曲と出した“ソテジワアイドゥル”だろう。ヘビィメタルバンドのボーカルだったリーダーのソ・テジとヤン・ヒョンソク、イ・ジュノによる男性3人組のグループだ。ソテジワアイドゥルはラップを大衆音楽に持ち込んだ。そしてダンスサウンドブームを作った。

「ハヨガ」/ソテジワアイドゥル(93年)
 

そしてメッセージ性の高い歌詞で同世代に絶大な支持を受けた。

「渤海を夢見て」/ソテジワアイドゥル
 

僕には本当に一つだけ
僕は望んでいることがある
引き裂かれ地の友達らに
いつ頃会うことができるのだろうか

ひとつの民族の兄弟である私たちが
互いを銃で狙い
私たちが作った大きな欲望に
己が先に死んでしまうというのに……「渤海を夢見て」作詞・作曲:ソ・テジ

たった4年の活動だったが、ソテジワアイドゥルは今のK-POPの源流となった。解散後、ソ・テジはソロとして活動を開始。韓国で最も影響力のあるアーティストになった。そしてヤン・ヒョンソクは、BIGBANG、2NE1を輩出したYGエンタテイメントを作り、今の後のK-POPブームを作った。

90年代から2000年初頭、アイドル第一世代と呼ばれるアイドル、Fin.K.L、Sechs Kies、H.O.T、S.E.Sが登場した。S.E.S は東方神起やEXOの所属事務所、SMエンタテイメント所属のガールズグループで1997年にデビュー。韓国で初めて成功したガールズグループになりSMエンタテイメントが初めて日本でデビューさせたアーティストとなった。しかしこの挑戦は商業的には失敗し、私がいるラジオ現場でも韓国音楽の“需要”がないということを証明する例になった。

「夢をかさねて」/ S.E.S.
 

2003年の韓流ブーム到来まで5年。日韓共催“FIFAワールドカップ”まで4年。私は日本と韓国を繋げるコンテンツを作りたい。そんな夢を強く抱くようになった。なぜそこまでのめり込んだのか今でもわからない。ただ、「あの沢さんの公演で見たもの、あの公演をきっかけに知った音楽を伝えなきゃ」と、ただそれだけだった。ラジオディレクターの私が知った未知の音楽、そしてそれは隣の国の文化。企画書に向かいその必要性を説く日々を送った。しかしその夢はそう簡単に実現することはなかった。「近くて遠い国」その壁は高く厚かった。

続く


さて韓国ではすでに放送が終了したのにも関わらず、まだ話題をさらっているドラマがあります。コン・ユが4年ぶりにドラマ出演し主演とつとめる「トッケビ(鬼)」。

コン・ユは鬼となり935年生き続け、その人生を終わらせるために呪いを解くことができる”鬼の新婦”を探す主人公を演じています。私はまだ観ていないのですが、最近「トッケビは見た?!」が、まるで合い言葉みたい。会う人会う人に聞かれます。コン・ユと主人公のトッケビと暮らす死神役のイ・ドンウク、代々トッケビに仕える財閥の御曹司役の「BTOB」のソンジェが神過ぎる!スタイルの良さ、佇まいを観るだけでも価値があるとか、ヒロイン役にキム・ゴウンのかわいく切ない演技にキュンキュンするとか、脚本が秀逸とか、「トッケビ(鬼)」の話になると熱くなる人によく会います。

観る前にあらすじも聞かされ、もう半分見終わった気がしているくらいです。このドラマの脚本はキム・ウンスク。「相続者たち」「太陽の末裔」といったヒット作を連発している脚本家でしす。そしてこのドラマ、ケーブルテレビ局tvNで放送されたものなんですが、このtvN、社会現象にもなったヒットドラマ「恋のスケッチ~応答せよ1988~」を放送した局なんです。ケーブル局のドラマが社会現象になるというイメージ、日本ではあまり想像できないですが韓国ではもちろんそれは快挙。しかも地上派ではない放送局の番組が、始めて”番組選好度調査”で1位となる快進撃と遂げました。そしてそして、このドラマから生まれたもう一つのヒットそれが、ドラマOST=サウンドトラックです。

「Stay With Me」/EXO チャンヨル&パンチ (「トッケビ(鬼)」のOSTより)
 
「 will go to you like the first snow」/Ailee (「トッケビ(鬼)」のOSTより)
 

一時、韓国のヒットチャートを「トッケビ(鬼)」のOSTからの曲が独占するという現象も起きていました。そして手前味噌ながら、私が日本事務所の代表を務める10CM(シプセンチ)のこの曲も、「トッケビ(鬼)」のOSTに収録されています。4月22日(土)に行う日本公演でも、この曲を披露するかもしれません。

 
「my eyes」/10CM (「トッケビ(鬼)」のOSTより)
 

公演情報
「10CM Night~オヌルパメ Vol.4」

■日時:2017年4月22日(土) 18時開演(開場 17時)
■会場:彩の国さいたま劇場小ホール
JR埼京線与野本町駅(西口)下車 徒歩7分
新宿から快速で27分、渋谷から39分
■出演:10CM
■先着順先行予約:2016年12月29日(木)12:00~2017年1月9日(月)18:00
■一般発売:2017年1月28(土) 12:00~
■公式サイト:http://www.10cm-kjmusic.com/
■公演専用URL:http://eplus.jp/10cm/
 


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