【K-POP】よしぞうDの「本当に音楽は国境を越えるのか?」第1回
沢知恵
韓国音楽シーンを紹介するコラム「本当に音楽は国境を越えるのか?」。本日からスタートします。よしぞうDこと内田嘉です。ラジオディレクターであり、そしてひょんなことから、韓国を代表するアーティスト、10CMのマネージメントをすることになり、あれよあれよと韓国との縁が深まりなぜか韓国な今日この頃。韓国音楽、文化、人との出合い、そこから生まれたプロジェクトについてこれから書いていこうと思います。皆様!よろしくお願いいたします!
私 と韓国の出会いは1998年。金大中が大統領となり、それまで禁止されていた日本の映画や音楽が、少しずつ解放された年だった。日本国籍を持つミュージ シャンが初めて韓国で、日本語で歌ったのも、この年。初めての“日本人”は、沢知恵さんだった。当時、沢さんと仕事をしていた私は、沢さんの公演を観るために、公演が開かれた光州(クワンジュ)に向かった。
沢さんとの仕事は「日韓米」(にっかんべー、と読みます)というTOKYO FMの特番。1990年代、まだ韓国音楽に誰も興味を持っていなかった時代に、韓国音楽を紹介し、沢さんの韓国での公演について語るために作った特番だ。
その頃の韓国はまさに「近くて遠い国」。今のように若い人が買い物のために韓国に行くなんて話しを聞くことはなかったし、情報誌でスポットを紹介されること もなく、日本でデビューした韓国アイドルだってそれが韓国人なのか日本人なのかわからない程、日本の音楽シーンに“韓国”というワードは登場しなかったそ んな時代だった。私もそんな一人。沢さんから聞く韓国は未知の国の話しだった。韓国で日本の歌を歌えないなんて事実も知らなかった。
それまでも数回、韓国に行ったことはあったものの、記号にしか見えないハングルに圧倒され行動範囲はホテルとその周辺のみ。空港とホテルの移動以外、韓国の 街並みを見ることさえなかった。ただ空港からホテルに向かう間に現れる入り江に見間違えるほど川幅の広い大河のハンガン(漢江)と、都市伝説を鵜呑みにして、食べたことがないキムチの臭いがするような気になっていたソウルの金浦空港だけが私の韓国だった。日本語が通じ、韓国料理以外の料理が溢れていたら大型ホテルにいたら、そこは名古屋や福岡と変わらない
光州は、私が見たこともない韓国だった。ガイドブックにも数ページしか情報がないその街 は、ソウルに比べ英語が通じない。しかもこちらもカタコト。空港から公演会場の近くに到着したものの、お腹がペコペコで同行した上司と街の食堂に入った。 漁村の中の食堂。海はないが、そんな雰囲気の地元民のためのお店では、黙っていてもメニューは出て来ない。そもそもここは何屋なんだかさえもわからない。 客は一組。かろうじてそこが食堂だとわかるという程度で、他に情報は何もない。食堂のオバチャンは壁に貼られたメニューらしきものを指さし注文しろと言っている。しかしそこには理解不能な記号ばかり。애, 우, 거,??????
観光を生業としていなかったらしいその店の店員は、言葉の通じない外国人にそう長くは付き合ってくれない。苛立ちが伝わってくる。私は唯一の客のテーブルを指さし、同じものをほしいとジェスチャ-した。どうにか通じたようだった。緊張のあまり喉が渇いた私達は、ビールを指さし注文した。だがオバチャンは厨房付近 を指さすばかり。困っていると、隣の客が私の腕を引っ張りビールが入った業務用冷蔵庫の前に連れて行った。何事だ! 身構えていると、オジサンは自分の家の ごとく扉を開け、自分でビールを取り出し私に手渡した。どうやら自分で取って飲むんだよ、と言っている。ホントかよ?!と思いながらの、と言っている。ホントかよ?!と思いながらのビールを手にし、席に 戻ると、さらなる問題が起きていた。テーブルの上には見たことがない物体が横たわっていた。その名はスンデ。ソーセージの怪物のような、皮で具を包む海苔 巻きのような見慣れない物体は、豚の腸に豚の血と野菜や肉などを詰めた韓国のソウルフードだった。臭いを消すための強い香辛料と具材の味が慣れると病みつ きになる人も多いと言われている食べ物だが、その時の私は何の肉かもわからない。強烈な味がする闇鍋を食べている気分だった。(ちなみに先ほどのビールの 飲み方。のちにこの時覚えた韓国の飲み物の注文の仕方を、「これ韓国式なんだよ」とちょっと自慢げに披露し続け、ソウルのとある店では店員に怒られ、ある 店では他のお客さんに爆笑された。どうやらあれは昔のしきたり、田舎のためにまだ続いていた習慣だったようだ。文化とは日々変化するものです。)
し かし洗礼はまだ続いた。お店を出て、通り向かいにある会場に行こうとするが信号がない。しかもこの道路、広いという範疇を超えて川並なのだ。片側6車線。 しかも車線が日本よりも広い。走ってくる車の勢いも半端ない。全力で走っても20秒はかかりそうだ。私達はすきっ腹に流し込んだビールにクラクラしながら、どうにか道路を渡りきった。これも後になったわかることなのだが、韓国の環状道路は広く、地下動をくぐり向こう側に渡るという所が結構ある。だから信号が少ないのだ。そしてまだ休戦状態である韓国はあらゆる所で有事を想定した準備をしている。広い道路は戦車が通れるため。そんな話しを聞いたことがある。
息も切れ切れに歴史的瞬間を迎える会場に辿り着いた私は、そこで本当に歴史が変わる瞬間を目し、それからの私の仕事を変える場面を目にすることになる。が……
そこに辿りつく前に今日のコラムは文字数を超えてしまいました。韓国でのエピソードを交えながら、韓国の音楽のこと、文化のこと、人々のことを話していきたいと思っています。よろしくお願いいたします。
【今日の選曲】
「こころ」 沢知恵 (さわともえ)
1991年にGeorge Dukeプロデュースのアルバムでメジャーデビューしたシンガーソングライター、沢知恵の代表曲。韓国で始めて政府の許可を得て日本語で歌うことを許可さ れた公演で、日本語で歌った曲。祖父である詩人、金素雲が朝鮮の詩人の詩を日本語訳・編作詞した詞に曲をつけ発表した曲。夏川りみ、クミコ、持田香織、ア ン・サリーら多くの歌手にカバーされている。
沢知恵・公式サイト:http://comoesta.co.jp
男性アイドルグループ SHINHWA
在米韓国人2人組ヒップホップユニット DRUNKEN TIGER
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