浅利慶太プロデュース公演 『この生命誰のもの』に出演の野村玲子・近藤真行に聞く

インタビュー
舞台
2017.11.27
野村玲子・近藤真行 (撮影:荒川潤)

野村玲子・近藤真行 (撮影:荒川潤)


浅利慶太プロデュース公演 『この生命誰のもの』が12月、自由劇場にて上演される。尊厳死の問題を扱った舞台作品。イギリスの劇作家ブライアン・クラークの原作戯曲はローレンス・オリビエ賞作品賞を受賞、映画化もされている。演出・潤色を手がけるのは浅利慶太、劇団四季時代から数えて9度目の上演となる。昨年の公演に引き続き担当医・北原まゆ役を演じる野村玲子と、全身不随で尊厳死を望む若き彫刻家の早田健役を演じる近藤真行に、作品への思いを聞いた。

――野村さんがこの作品に出演されるのは三度目となります。

野村 お芝居に入るとき、自分と役との共通点を探っていく作業をしていきますが、初めて演じたときから今回の上演までの間に両親とも亡くすという経験をして。医療の現場、医療に携わる人々と関わることにより、命の問題、死との向き合い方をさらに深く感じるようになったと思います。作品の中では、登場人物みんながそれぞれの立場で精いっぱい自分の信じるところを貫こうとしています。演じるのは医者の役どころですが、私自身は、両親の死によって、早田さんとはまた違う意味で、老いた父、病の母に向き合い、残された時間とどう向き合わせてあげればいいのか、二人はどのようにその時間を過ごすことを望んでいるのか、そういったものを目の当たりにしたことで、家族と患者との関わりについてこれまで以上に考えるようになりました。

野村玲子

野村玲子

――近藤さんは前回が初出演でした。

近藤 まったくの新人だった僕を抜擢していただきました。でも、それまで役作りもしたこともない状態だったので、浅利先生の言うことにとにかく一生懸命がむしゃらについていったという感じです。それから一年半が経ち、さまざまな経験をして、前回よりもちゃんと役として脚本と向き合えているような気がします。僕が早田さんの立場だったらどうするかについてもより深く考えるようになって、やはり同じ決断をするかなと……。早田さんは、ちょっと僕自身に似ているかなと思うんですよね。思っていること、人間としての軸はちゃんとあるんですけれども、それをストレートには言わないというか、ちょっとオブラートに包んで言うところが。そうですよね?(笑)

野村 (笑)はい。すごいシャイだと思う。

近藤 早田さんも、セリフだけを表面的に聞くと、すごく楽しくおもしろおかしく進んでいく感じだけれども、本当はシャイなんじゃないかと。

近藤真行

近藤真行

――初演の際、演出家からの言葉でとりわけ記憶に残っているのは?

近藤 とにかく必死だったので、全部は覚えていないのですが、芯のある人間を演じているのだから、男らしく、オスとしていなさいと言って下さったことですね。僕はそういうタイプの人間じゃなかったので、うわあ~となって(笑)。役としても、私生活においても、ダメ出しされているなと思いました。前回はこんなに多くのセリフをしゃべるのも初めてだったので、発声から稽古場での居方から、何から何まで教えていただき、俳優としてすごく育てていただきました。それから一年半の間にいろいろな役を演じさせていただきましたが、同じ役にまた挑戦するというのは初めての経験なので違った緊張があります。今回は、前回と違って先生からは「こういう役でこういう風に書かれているから今の芝居は間違っている」という感じで、より具体的にダメ出ししていただけるようになりました。

野村 演出家はその素材、目の前にいる俳優に合わせて、その魅力を引き出すということをして下さっているんだなと、前回彼が主役デビューしたときにつくづく思ったんです。前回公演は私にとっては再演でしたが、彼の個性を生かしながらの演出に変わっていきました。再演のときはいつも、作品の流れはこうでこのキャラクターはこうあるべきだというのが観念的にあるんですけれども、それを全部壊されました。もっとナチュラルに、もっとリアルに、普通の会話として成立させていくという感じで。近藤くんの場合は型でしゃべるという経験がないので、思ったことを本当にそのままスパーンと言う。そうか、今回はこういう感じで挑まなくちゃいけないんだなと、かえって私たちの方があたふたしたというか。演出家は、今の近藤くんの年齢と肉体に合わせて芝居をつけているなと感じますね。

――お芝居をされてのお互いの印象はいかがですか。

野村 普段はシャイなんですけれども、お芝居で会話の交流をすると、ストレートで嘘がない演技をする人ですね。

近藤 ありがとうございます! 自分自身でもそれを心がけているんですけれど、僕が何をやっても玲子さんが受け止めて下さる、それで嘘がないようにできているんじゃないかなと思います。

近藤真行

近藤真行

――入院したりして身動きできなくなった経験はありますか。

近藤 僕は入院経験はないですが、前回この役に取り組むにあたって、早田さんのように一日中ベッドに横たわり続けてみたんです。お茶が飲みたくても飲めない、テレビを見たくてもつけられない、小さなことですけど、そうやって思い通りにならないことが積み重なっていったときに、泣けてきた。それでも、自分が早田さんのような決断をするかどうかの結論は出せませんでした。そして今回もまた同じように横たわることを何日間かやってみたんです。好きなお芝居も観に行けない、趣味をやったりもできない、何もできないとなったとき、今の僕は早田さんのように死を選ぶだろうと思いました。

野村 私自身も入院経験はないのですが、父が大きな手術を受けることになったときに、同意書を書いて、見守って、手術室から出てきて……。そのときは助かったんですけれど、すごく運動が大好きだったのが、それができなくなる、そのことで、だんだん父らしさが失われていく。そして、父自身が自分から自分らしさが失われていくことを受け入れていっている様子がすごくせつなくて。そのとき手術をしなかったらそのまま天国に行っていたかもしれない。手術を受けたことでもらえた命がある。けれど、かつての自分とは違う肉体となっていくということが……。自分の人生は自分で選択しなければならないという早田のセリフがあるのですが、その選択にもいろいろなバリエーションがあるじゃないですか。どんな状況でも生きたい人と、こんな状況では生きたくないという人と、それもそれぞれの選択になってくる。父は幸せなのかなと、そのときは思っていましたね。ただ、いろいろできないことは増えていくけれど、残された時間の中で味わえるちょっとした幸福はあったのかなと、今は思います。私は19歳で東京に出てきて、もちろんたまには帰っていましたが、同居している親子なら話せたようなことが話せなかったという、父との長い空白の時間があって。それが、不思議なんですけれど、手術後から亡くなるまでの時間、短かったですが、そのぎゅっと凝縮された時間の中でいっぱい話すことができました。それは神様が与えてくれたギフトなのかなって、私は思っているんです。父にとっても楽しい時間だったかなと……。父に聞いていないのでわかりませんが。

私も、自分が自分らしく生きられないのであれば、わがままとかではなく本質のところで、早田さんと同じ選択をするかな。ただ、早田さんはフィアンセとは別れていますし、守らなきゃいけないものがないんですよね。それもまたいろいろな立場によって違っていて、死という選択をすることで、守らなくてはいけない者たちを不幸にする可能性があればそれはできないかもしれないし……。本当にそれぞれの立場で選択の自由があるし、自由には責任も伴う。今回は、前々回や前回に比べ、自分と早田とのやりとりだけでなく、登場人物それぞれのセリフ、それぞれの立場で自分のベストを尽くしている人たちのセリフがすごく心に入ってきて、とてもせつないなと感じますね。

野村玲子

野村玲子

――深刻なテーマを扱いながらも、笑いもあり、明るさや軽やかさも感じる作品です。

野村 近藤くんの持っている軽やかさが出ますよね。歴代早田役を演じられた俳優さんは、がっつりストレートプレイのご出身だったり、深刻なものがお好きな方だったり、ドラマティックなものもがお得意な方だったり、軽やかさやコミカルさ、ユーモアみたいなものをテクニックとして表現されている方もいらっしゃいました。近藤くんの場合は、普段の会話にしても、すごくユーモアがあっておもしろい。彼は絵を描くのが得意で、いろいろな俳優の似顔絵を描いて見せてくれるんですが、それも、多少ブラックが入っていて、センスがあるんです。そういう、彼の作っていない魅力が、お芝居で自然と出てくる感じがあります。

近藤 最後の裁判のシーンは、ずっと思っていたものを全部さらけ出すので、一回通して稽古しただけでも脱力するくらい疲れますが、それだけすごい決断をするので、自分の中でも大事にしています。もう一つ気に入っているシーンが、死と直面している早田の病室に、若い看護学生と看護助手がいい感じになって入ってくるところ。この作品を客席で観ていたときも、そのシーンが華やかな感じで、ほっと一瞬身体の力が抜けて好きな場面でした。そこから最後の裁判のシーンにつながっていくという流れなのですが、自分で演じていても、やはりそこでふっと力が抜けて、明るいものが出てくる感じなので、リラックスできますし、ここは集中して早田として楽しみたいなと思いますね。

――最後に意気込みをお願いいたします。

近藤 いろいろな方に観ていただきたいですね。登場人物の誰に感情移入しても、何か感じるところのある作品だと思います。僕くらいの年齢の方だったら、早田さんを通じて、自分だったらどういう選択をするだろうということを考えていただいたり。僕の親くらいの世代の方だったら、自分の子供がこういう状況になったらどうするだろうと考えていただいたり。一人一人の登場人物にフォーカスしていくことで、観た方それぞれきっと考えるところがあると思うので、それをきちっと感じていただけるように作品を伝えていきたいと思います。

野村 生命の尊厳は、実際、身近に起き得る問題ですよね。さまざまな立場でさまざまな選択があり得る。さきほどは早田さんと同じ選択をするだろうと言いましたが、その一方で、今生かされているという感謝もあって。そこで自分で選択することが、大いなるものから命を与えられた者として正しいのかどうか、毎回本当に考えながら取り組んでいます。劇の中では早田さんはこういう選択をするけれど、自分だったらどういう選択をするだろうか……。そこをお客様にも一緒に考えていただけたらと思います。あ、ドラマなのね、物語なのねと思われないようなスーパーリアルな芝居を観ていただきたいと、日々お稽古しています。

取材・文=藤本真由(舞台評論家)

公演情報
浅利慶太プロデュース公演 『この生命誰のもの』
 
■日程:2017/12/6(水)~2017/12/10(日)
■会場:自由劇場(JR東日本アートセンター 東京・浜松町)

 
■作:ブライアン・クラーク
■訳:新庄 哲夫
■潤色・演出:浅利 慶太
■キャスト:
(役名) 
早田 健 役:近藤真行
朝田婦長 役:坂本里咲
里村 恵子 役:吉田 藍
田原 洋介 役:桑島ダンテ
北原 まゆ 役:野村玲子
江間 隆 役:下村 青
権堂 令子 役:高城信江
森山 啓司 役:宮川智之
土屋 弘 役:斎藤 譲
川路 明彦 役:中村 伝
馬場 晃 役:劉 毅
安藤 一郎 役:成松慶彦
三村判事 役:坂本岳大
※出演者は都合により変更となる場合がございます。予めご了承下さい。

 
■あらすじ:
とある総合病院の一室。彫刻家の早田健は、半年前の交通事故で脊髄を損傷し、全身麻痺で寝たきりの状態。彼にとって、彫刻家としての創作活動を奪われた今後の人生は耐えがたいものだった。話すことしかできない余生を送るよりは、自ら死を選ぶ方が正しいと考えるようになる。早田は「人間には自分の意志で行動を決定する権利がある。人間の尊厳は当人の選択から生じるものである。」と、退院を希望。病院を出れば残りわずかの生命と覚悟の上で、「死ぬ権利」を主張するのだった。一方主治医の江間は「生命を維持するのが医師の義務」と、早田の希望を退ける。自らの意志が主治医に受け入れられないと分かった早田は、弁護士を雇い病院との交渉を試みる。しかし精神衛生法を根拠に、早田を強制的に留め置き延命治療を継続しようとする病院側。それに対して、早田は人身保護法に訴え出る。ついに、早田の「死ぬ権利」を巡って病室を舞台に異例の裁判が幕を開ける。

 
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