横山大観生誕150周年記念展レポート 山種美術館開館以来初となる、大観コレクション全41点(資料除く)を一挙公開

レポート
アート
2018.1.18

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横山大観(1868~1958年)の生誕150年と没後60年、そして明治元年から数えて150年にあたる2018年。そんな節目の年を記念して、東京・恵比寿の山種美術館で『[企画展]生誕150年記念 横山大観 ―東京画壇の精鋭―』(会期:2018年1月3日〜2月25日)が開催中だ。大観は、同館の創立者で初代館長を務めた山﨑種二が最も親しく交流した画家のひとり。本展では、同館所蔵の大観作品全41点(資料除く)が開館以来初めて一堂にそろうほか、大観と同じように種二と交流をもった東京画壇の精鋭たちの作品を紹介している。

新たな表現に挑戦し続けた明治・大正期

1868(明治元)年に茨城・水戸に生まれた横山大観は、1889(明治22)年に東京藝術大学の前身である東京美術学校に第1期生として入学。下村観山や菱田春草らとともに、岡倉天心、橋本雅邦らに学んだ。その後、東京美術学校を離れた天心のもとで日本美術院の創設に参加。天心の没後、1914(大正3)年には活動が途絶えていた日本美術院を再興し、生涯を通じて日本画の大成に尽力した。

師である橋本雅邦の《深山幽谷図》1899(明治32)年頃

師である橋本雅邦の《深山幽谷図》1899(明治32)年頃

同期の下村観山や盟友だった菱田春草らの作品も 左は下村観山《朧月》1914(大正3)年頃、右は菱田春草《釣帰》1901(明治34)年

同期の下村観山や盟友だった菱田春草らの作品も 左は下村観山《朧月》1914(大正3)年頃、右は菱田春草《釣帰》1901(明治34)年

古画や狩野派、琳派などの諸派を熱心に研究しながらも、独自の表現を模索していた明治・大正期の大観作品は実に多彩だ。

横山大観《楚水の巻》(部分)1910(明治43)年。初の水墨画巻で全長14メートル以上の大作

横山大観《楚水の巻》(部分)1910(明治43)年。初の水墨画巻で全長14メートル以上の大作

横山大観《燕山の巻》(部分)1910(明治43)年。《楚水の巻》ともども1月30日より場面替え

横山大観《燕山の巻》(部分)1910(明治43)年。《楚水の巻》ともども1月30日より場面替え

本展の目玉ともいえる二巻一組の水墨画巻《楚水の巻》《燕山の巻》(ともに1910年)は、大観が中国を2ヶ月間旅した体験をもとに描いたもの。

《楚水の巻》では、揚子江沿岸の風景を朝、昼、雨、夕と4場面にわたり描き、時間の移り変わりと大気の変化を表現した。一方、《燕山の巻》では、同じような表現になることを避け、北京城壁、景山宮、万里の長城などの中国の雄大な景色の移り変わりを描いている。

ここでも、新たな表現を模索する大観の挑戦が垣間見られる。

「おそらく大観は、中国の風景を描くということで、雪舟の《山水長巻》を意識していたはずです。橋や舟の描写には近いものがあります。一方で、西洋の遠近法を意識的に取り入れているのが雪舟との違い。これは伝統的な山水画にはない表現です」と、同館顧問で明治学院大学教授の山下裕二氏。改めて作品を見てみると、両方とも墨の濃淡を駆使して、遠近感を表現しているのがよくわかる。

横山大観《陶淵明》1913(大正2)年頃

横山大観《陶淵明》1913(大正2)年頃

また、中国の故事を画題にした作品にも大観の新たな試みが見られる。《陶淵明》(1913年頃)は、中国・六朝時代の詩人、陶淵明の代表作「帰去来辞」を題材にした作品。山下氏によれば、江戸時代以前の故事を題材にした作品は説明的な表現が多いものの、大観は人物を大きく配置して象徴的に描いているという。こうした大胆な構図は、琳派を意識していたのだろう。

横山大観《作右衛門の家》1916(大正5)年

横山大観《作右衛門の家》1916(大正5)年

今回、唯一、一般観覧でも写真撮影可能な作品が《作右衛門の家》(1916年)。本作で注目してもらいたいのが、大正期に大観がよく使っていた「裏箔」という技法だ。絹地の裏側から金箔を貼り付けることで、ほのかに光り、やわらかい色に仕上がっている。

横山大観《竹》1918(大正7)年。本作も裏箔を用いた一作。光に包まれた竹林を幻想的に表現している

横山大観《竹》1918(大正7)年。本作も裏箔を用いた一作。光に包まれた竹林を幻想的に表現している

大観といえば、富士山

昭和になって大観が繰り返し描いたのが、日本を象徴する富士山や桜。一説によれば、富士山の絵は生涯に2000点以上も描いたのだとか。

本展でも、大観が描いた富士と桜がたっぷりと堪能できる。

富士や桜は日本人の精神を表すものとして、戦前や戦中には特に需要が高まったとのこと。

横山大観《霊峰不二》1937(昭和12)年。展示室で私たちを最初に出迎えてくれる

横山大観《霊峰不二》1937(昭和12)年。展示室で私たちを最初に出迎えてくれる

横山大観《春朝》1939(昭和14)年頃。山桜と太陽を日本の象徴として描いた

横山大観《春朝》1939(昭和14)年頃。山桜と太陽を日本の象徴として描いた

富士を画題にした作品のコーナーも 左は横山大観《富士》1935(昭和10)年頃、中央は横山大観《心神》1952(昭和27)年、右は横山大観《富士山》1933(昭和8)年

富士を画題にした作品のコーナーも 左は横山大観《富士》1935(昭和10)年頃、中央は横山大観《心神》1952(昭和27)年、右は横山大観《富士山》1933(昭和8)年

戦後も大観は富士と桜を描き続け、中でも富士の絵は晩年まで手掛けた。「富士を描くということは、富士にうつる自分の心を描くことだ」という言葉を残した大観。戦後は特に、精神性を重んじた作品を描くようになったという。

横山大観《心神》1952(昭和27)年

横山大観《心神》1952(昭和27)年

数ある富士の絵の中でも、《心神(しんしん)》(1952年)はまさに大観の富士に対する思いを表現した一作。「心神」とは魂を指す言葉で、大観によれば古い書物に富士を「心神」と呼ぶ例があったのだという。雲海の中から山頂をのぞかせる富士は、まわりに金泥が施され、まさに神のように神々しい姿だ。本作は、「美術館をつくるなら」という条件で種二が大観から直接譲り受けたものだという。山種美術館創立のきっかけとなった縁のある作品なだけに、ぜひともこの場所で見てもらいたい。

大観がリードした東京画壇

大観が牽引していった東京画壇の画家たちは、大観と同じように種二と交流を深めた。大観の作品だけでなく、大観と同時代に活躍した川合玉堂、小林古径や前田青邨ら大観に続く次世代の画家たちの作品もあわせて展示しているのも本展の見どころのひとつ。大観が育んだ近代日本画の潮流を感じられるはずだ。

川合玉堂《鵜飼》1948(昭和23)年頃

川合玉堂《鵜飼》1948(昭和23)年頃

左は小林古径《牛》1943(昭和18)年、右は川合玉堂《松竹朝陽》1956(昭和31)年頃

左は小林古径《牛》1943(昭和18)年、右は川合玉堂《松竹朝陽》1956(昭和31)年頃

山種美術館のお楽しみのひとつが、企画展にちなんだオリジナル和菓子。今回も大観の名作5作をモチーフに用意

山種美術館のお楽しみのひとつが、企画展にちなんだオリジナル和菓子。今回も大観の名作5作をモチーフに用意

明治、大正、昭和を生き、近代日本画の象徴的存在でもある横山大観。大観イヤーとなる今年は大なり小なり各地で大観展が予定されているが、まずは大観ゆかりの美術館からスタートさせてみてはいかが?

※掲載作品は、全て山種美術館所蔵のものとなります。

イベント情報
[企画展]生誕150年記念 横山大観 ―東京画壇の精鋭―

会期:2018年1月3日(水)~2月25日(日)
会場:山種美術館
休館日:月曜日(ただし、2月12日(月)は開館、2月13日(火)は休館)
開館時間:午前10時~午後5時(入館は閉館の30分前まで)
入館料:一般1000円(800円)、大高生800円(700円)、中学生以下無料
※( )内は20名以上の団体料金
※障がい者手帳、被爆者健康手帳をご提示の方、およびその介助者(1名)は無料
※きもの割引:会期中、きものでご来館のお客様は、団体割引料金となります
※リピーター割引:本展使用済み入場券(有料)のご提出で、会期中の入館料が団体割引料金となります(1枚につき1名様1回限り有効)
問い合わせ先:ハローダイヤル 03-5777-8600
http://www.yamatane-museum.jp/exh/2018/taikan.html
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