星の女子さんが「グリム童話」の一篇を元に“幸せとは何か?”を問う、第13弾『うつくしい生活』を名古屋で

インタビュー
舞台
2018.7.26
 前列左から・まとい、岡本理沙、伊藤文乃、うえだしおみ 後列左から・二宮信也、青木謙樹、中島由紀子、作・演出の渡山博崇

前列左から・まとい、岡本理沙、伊藤文乃、うえだしおみ 後列左から・二宮信也、青木謙樹、中島由紀子、作・演出の渡山博崇

 

渡山博崇が満を持して愛読書の世界に挑んだ、劇団10年の活動の集大成がここに

かつてインタビューで「グリム童話」の初版が愛読書だと語った、劇作家・演出家の渡山博崇。「おとぎ話がこの世で最も自由な物語形式だと思っているんです。何が登場しようと自由で、何の教訓もなさそうな話があったり(笑)。なぜこの話をしようと思ったんだろう? 手掛かりは何だろう? と考えるのが好きで、何度も読み返しています」と。

そんな渡山が主宰し、劇作と演出を務める星の女子さんは、2008年の結成以来【メルヘンな毒と嘘で現代のおとぎ話を作る】というコンセプトを軸に、シニカルな視点で豊かな物語性を発揮した多彩な作品を発表してきた。そして今回、自身の趣向や創作に大きな影響を与えた原点とも言うべき「グリム童話」の世界に挑戦。超短編作「鼠と小鳥とソーセージ」をモチーフにした『うつくしい生活』を、7月27日(金)から3日間にわたって名古屋・大須の「七ツ寺共同スタジオ」で上演する。

原作に登場する鼠、小鳥、ソーセージの三者を軸に、童話の編纂者であるグリム兄弟や謎めいた旅人といった人間も登場させ、原作の〈その後〉を描いたという本作。果たしてどんな作品になるのか、またなぜこのタイミングでグリムへの挑戦を試みたのか、稽古場に伺って話を聞いた。

星の女子さん『うつくしい生活』チラシ表

星の女子さん『うつくしい生活』チラシ表

── 以前お話を伺った際に、今作のモチーフにされている「鼠と小鳥とソーセージ」の物語が好きだと仰っていましたが、今回ようやく戯曲化できた、という感じですか?

そうですね。いよいよというか(笑)。なんか、いける! と思ったんですよね。劇団を始めて今年で10周年で、一回、自分にとってのメルヘンの集大成的なことをやってみよう、という試みは最初の方にあったような気がします。創っていくうちにそんなことは全然忘れてたんですけど。それで前からずっと気になっていたソーセージたちの生活の様子を書こうと。最近、「いつの間にか時代が変わったな」と思う機会がたくさんあって、最初に思ったのはお笑い番組です。とんねるずの保毛尾田保毛男に「あれは差別だから全く笑えない」という批判が殺到したことや、ダウンタウンの年末特番「絶対に笑ってはいけない」で浜田雅功が黒塗りメイクしてたのも「黒人差別だ」とネットが炎上したっていう。差別どうこうの問題は一旦置いておくとして、ああいう笑いで青春を過ごしてきた僕としては、「もうこんなにも時代は変わってしまっていたんだ」と思ったんです。

そういうことを入口に、そういえば僕たちの生活もいつの間にか様変わりしているなと。“普通”という言葉の感覚とか。僕が10代~20代の初め、1990年代頃は「普通になるもんか」とか、「普通の生き方なんて嫌だ」とか、“普通”というものに確固とした強さがあったからそれに対して反抗できたんですけど、今はもう「普通になるのが難しい」みたいな感じになっている。基準もよくわからないまま、とにかく皆が何かしらの“普通”を求めている気がして。

稽古風景より

稽古風景より

── あるのかないのかわからない“普通”に憧れを抱いている、と。

自分たちが作り出した、基準も明確ではないはずの“普通”というものから外れていく人を叩いたり、“差別”にしても、ゲイとか身体障害者を差別しない、というのが普通の感覚に近づいてきていると思うんですね。それ自体は良いことですけど、一旦「あいつ、差別してるんじゃないか」となったら、その正義感を盾にして殴りかかるような。SNSの発達によって簡単に匿名で言葉をバンバン振りかざせるようになったのもあると思うんですけど、「僕たちはいったいどんな生活をしたかったんだ?」「昔したかった生活にちゃんとなっているのか?」ということを考え出して、理想としての『うつくしい生活』というタイトルをとりあえず掲げたんです。

ここでようやくグリムに戻ってくるんですけど、『鼠と小鳥…』で一番素敵だなと思ったのが、三人が仲良く暮らしていて、冒頭で「ちょっと財産を築いた」みたいなことが書いてあるんです。彼らの財産って(笑)。薪拾って水汲んで料理して…という生活だから、お金じゃなさそうだなと。食料をたくさん作ってそれが貯まったとか、薪や水のストックがある、それが財産なのかなと。なぜかそういう生活ってすごくいいなと思ってしまって、決して「お金を稼ぎたい」「より良い生活をしたい」じゃなくて、「とにかく三人で成立してます、何も困ってません」って、その感じが慎ましいですよね。でも、原作では三人とも死んでしまって終わりなので壊れちゃうんですね、この生活があっという間に。

それで、彼らの生活が壊れたところからもう1回始めよう、もし壊れなかったとしたら今度はどういう生活を送るだろうか、と思ってグリムさんに登場していただいて。「グリム童話」はグリム兄弟が創作したわけじゃないけど、責任編集者ということで書き直してもらう、という流れなんですけど、彼は三人の生活の様子を記録するしかない。手を加えることはできない、というジレンマを抱えながら「この三人になんとかなってほしい」と思っているお話なんです。

三人は三人で、それぞれ失敗したことや衝突したことに忸怩たる思いもあって、なんとか上手く生活していこうとするんだけど、生まれてしまった問題はなかなか元には戻らず、いくら創作上の人物で復活したからといって全てが変わるわけでもない。それで巻き起こる問題に、今度はグリムさんがアドバイスみたいな感じで介入して、いらんことを言うわけです。それによって三人の生活がどんどん変わっていって、揉めたり和解したりを繰り返していくうちに周りの様子も時代も変わっていく。確かに最初は19世紀のグリムの時代で薪を拾ったりしていたはずなのに、次のシーンではガスレンジはあるし水道もトイレもある文化的な生活になるんですね。次のシーンではさらに発展して都市になって、スタバもあるしスマホもあるし、数百年単位でバンバン時間が過ぎ去っていっている。

── 三人が世代交代したわけではなく、時代だけが進んでいくんですね。

そうです。最初にグリムが信じていた“うつくしい生活”である、薪を拾って水を汲んで、ソーセージが鍋に入って自分の脂でダシを取って料理する…というささやかで簡潔な生活がもう無理なんです。グリムはどんどん時代遅れになっていくし、三人はとにかく後ろにはもう戻れない、前に進んで行くしかない。で、彼らは人に押し付けられたものではない、自分たちの“うつくしい生活”とは何か? ということを、きっとずっと探している…というのが大筋の話です。その中で、キーキャラクターとなる神谷(尚吾)さん演じる〈旅人〉が三人の家へトイレを借りに来るんです。最初は人間じゃないキャラクターが圧倒的な勢力を持っているんだけど、〈旅人〉という人間のキャラクターが出てきて、「これから人間が増えてきますよ。あっという間に森を切り拓いたりするでしょうね」と言ったら本当にその通りになっていく。彼が何か喋るたびに時代が進んでいくんですね。

稽古風景より

稽古風景より

── そういう設定やキャラクターなどは、どのように浮かんできたんですか?

話の内容は二転三転してるんですけど、時代背景が変わるという構造だけがあって、最初はグリムさんが時代を書き換えてたんですけど、やっぱり自分で物を創造して書き足した人ではないな、と。じゃあ誰だろう?と考えて出てきたのが、全く無関係な〈旅人〉。〈旅人〉というのは愚か者なんですね。つまりタロットカードでいう愚者。「グリム童話」の時代に愚者というのはとても重要で、要は道化なんですよね。道化は民衆の代弁者でもあって、それが三人のところに時折やって来る。そして時代をあっという間に進めてしまう、という役割を持っているんです。

吉田孝夫さんという大学教授が書いた「近世ドイツの民衆と復活祭説教における愚の意味について」という論文を参考資料として読んだんですが、三人が復活することや、設定が春のキリストの復活祭の季節だからというのも絡めて、復活祭の時に神父が言う「さあ、悲しみはしばし忘れ、笑うべき時には笑わなくてはならない」という文言をグリムに引用させました。グリムは勝手に三人を復活させちゃうから、神の側面があるわけです。日本では馴染みがないけど、ヨーロッパでは創作というのは禁忌なところがあるらしくて、グリムさんはそういうところで無理をしている。本来記録するだけでよかったのに、復活させるという意志を持ってしまったが故に、ある種グリムも悲劇的な要素を背負う。それでどんどんどん間違えた方向に行ってしまう、というのもあるんですけど。

── かなりいろいろな要素を含んでいますが、文献もいつもよりたくさん読んだりされたんですか?

いや、これは「グリム童話」とさっきの論文ぐらいで、あとはグリム兄弟の来歴を調べたぐらいですね。たくさん資料を読むということは普段からあまりしないんですけど、今回は少ない資料を読み込んで、そこからどんどん想像を巡らせて、という作業をしました。

── 今作は渡山さんの根本にあるものと、グリムに対する興味とを掘り起こして形にした、という感じなんですね。

だと思います。多分に僕の無意識から出ているところが多いと思うんですね。書きたいものははっきりしてるんです。想像通りのものをだいたい書けたと思うんですけど、「これを書くんだ」という衝動が強いわりに、なぜこれを書いたのか? 書かなきゃならなかったのか、という理由みたいなことについてはわからなくて、まだ自分でも把握しきれていないところがある。〈旅人〉も最初は愚者という意識では書いていなくて、こういうキャラクターが都合でいるかな、ぐらいのことだったんです。稽古しながら役者が演じてるのを見て、少しずつ「あぁ、こういう意味あるなぁ」と気づいたり。

── 幕が開いてからも、気づくことが出てきたりするかもしれませんね。

そうかもしれない。結構、意味みたいなことは盛り込んではいるんですけど、短い時間でサクッと見せたくて。1時間40分は絶対超えないように、と思ってやってます。情報量がすごく多いんだけど流れるように見られたらな、と思って。そこで参考にしたのが、僕の大好きなアキ・カウリスマキ監督の『ラヴィ・ド・ボエーム』(1992年)という映画です。芸術家が三人出てくるんですけど、その関係性みたいなのをちょっと参考にして。セリフのやり取りだとか佇まいとかイメージをそこからスタートしようと思って、稽古でも一番最初にその映画を皆に観てもらって、ここを目指します、じゃなくて「ここからスタートします」って(笑)。

── 独特の雰囲気がありますよね。静かなのにどんどん引き込まれていくような。

絶妙な間合いとか、セリフの少なさとか。さすがに演劇であんなに説明しないのは難しかったのでセリフは多いんですけど、その感じに。役者たちはなんかしっくりこないようで、「なんでこんなに難しいんだろう」って。思考パターンがすごく論理的で、言ってみれば男性的な感じだと言うんですね。メインキャストは三人とも女性ですから、女性だったらもっと感覚的だったり気持ちでいくようなシーンでも、あくまで冷静に議論を重ねていくところがやっぱり男っぽいのかなぁ、という話になって。なんせ参考元のキャラクターが三人ともおっさんですから、自然とそうなるだろなと。でも、男性がやると救いのなくなるようなお話なんですけど、女性がやることでだいぶまろやかというか、見やすくなるんです。男性は結構理想的なことを言ったりするので、間違える時は大きく間違えるんですよね(笑)。女性はそれを現実的な感覚でバランスをとって修正できるのかもしれません。

稽古風景より

稽古風景より

── 今回も6人と客演の方が多いですけど、キャスティングはホンが出来る前ですよね?

できる前です。これはもう考えに考えて。他に交渉した人もいるので結果的にこの形になったんですけど、確定してから役柄自体を変えたり、この組み合わせだったらこういうキャラクターの方がいい、という風に考えてベストキャスティングになったと思います。メインの三人とグリム、旅人はほとんど同じ役をやるんですけど、他の人たちは4役とか5役とか。中島(由紀子)さんなんか10回ぐらい着替えるので、無茶をさせるなよっていう感じなんですけど(笑)。でも、同じ人が別のキャラクターを演じるというのを、こういう関わり方をしていくとちょっと面白いな、という見え方にはしてあります。

── 今作にあたって、演出面で工夫されたことなどはありますか?

元が「グリム童話」ですしメルヘンな感じが強いんですね。だから下手をすると児童劇みたいな感じになっちゃう。可愛い芝居になるのが嫌だったのと、内容的にも厳しい人生の話なので、そのそぐわなさを埋めるためにアキ・カウリスマキの映画のような淡々とした芝居を欲していたところがあって、それについてはかなり矯正してますね。「もっとトーンを下げて」とか、「もっと何もしなくていい」とか。

── 舞台美術や音楽などはどんな感じに?

三人の暮らす家の中が中心なので、美術は結構作り込みます。音楽は冒頭で、「手のひらを太陽に」を無茶苦茶に替え歌した歌を歌うんですね。「僕らはみんな 死んでないなら 生きている♪」って。すごく虚しいことを歌っているんですけど元気が良くて、余計なことが入ってる(笑)。これを挟んで本編に入っていくので、なかなか愉快なオープニングだと思います。それと、オープニング映像は劇団「放電家族」の天野順一朗君が創ってくれるんです。「エドワード・ゴーリーみたいな気持ち悪いイラストで、ちょと不気味な感じのものでいいですか?」って言ったら、「じゃあそれでいきましょう」って(笑)。何をやってくれるかわからないですけど楽しみですね。


劇団として10年の節目はそれほど意識はしていない、とのことだが、インタビューの語り口から、渡山自身がかなり楽しんで執筆に取り組んだことや自信作であることが伺える本作。一歩先のステージへのターニングポイントともなり得る上演を、ぜひお見逃しなく!

尚、今回は同じく名古屋を拠点に活動し、同時期に公演を行う廃墟文藝部とのコラボ企画も実施。下記を参照の上、両公演とも楽しんでみては?

【星の女子さん×廃墟文藝部コラボ企画】
 
<廃墟文藝部 公演情報>
第伍回本公演『ミナソコ』
■作・演出/斜田章大

日程/2018年7月28日(土)19:00、29日(日)11:00・15:00
会場/愛知芸術文化センター 小ホール(名古屋市東区東桜1-13-2)
公式サイト/https://haikyobungeibu.jimdo.com
★29日(日)15:00の回終演後に、脚本・渡山博崇、演出・斜田章大による短編芝居『怪盗パン』を上演
★各会場で「割符小説」を無料配布。渡山博崇と斜田章大それぞれによる短編小説(各前編・後編の2作)が両公演を観ると揃う
★この他、コラボ特設サイト(https://hoshinojoshisan.wixsite.com/haikyobungeibu)にて、両作家の対談や、お互いの台本の感想を綴る交換書評などの掲載も
 

取材・文=望月勝美

公演情報

星の女子さん ⑬『うつくしい生活』

■作・演出:渡山博崇
■出演:岡本理沙(星の女子さん)、二宮信也(星の女子さん/スクイジーズ)、伊藤文乃(オレンヂスタ)、まとい(蒼天の猫標識)、うえだしおみ(てんぷくプロ)、中島由紀子(avecビーズ)、青木謙樹(劇団んいい)、神谷尚吾(劇団B級遊撃隊)

■日時:2018年7月27日(金)19:30、28日(土)11:00・15:00・19:30、29日(日)11:00・15:00 ※アフターイベントとして、28日(土)19:30の回終演後はコラボイベント短編劇『ななめ君はななめ』脚本:斜田章大(廃墟文芸部) 演出:渡山博崇を上演、29日(日)15:00の回終演後は『次回作、予告編』(5分程度)を上演予定
■会場:七ツ寺共同スタジオ(名古屋市中区大須2-27-20)
■料金:一般2,500円 U-25 1,800円 高校生以下1,000円 ※当日券は各300円増し
■アクセス:名古屋駅から地下鉄東山線で「伏見」駅下車、鶴舞線に乗り換え「大須観音」駅下車、2番出口から南東へ徒歩5分
■問い合わせ:星の女子さん 090-9926-0091 hoshinojyoshisan@yahoo.co.jp
■公式サイト:
http://hoshinojoshisan.wixsite.com/hoshinojoshisan​
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