神戸の映画館で新作を上演する、Fの階・久野那美に聞く。「フィクションを越える瞬間を作れるのが、演劇の楽しさです」

インタビュー
舞台
2019.3.18
Fの階『なにごともなかったかのように再び始まるまで』イメージビジュアル。 [撮影]紅たえこ(このページすべて)

Fの階『なにごともなかったかのように再び始まるまで』イメージビジュアル。 [撮影]紅たえこ(このページすべて)

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作品ごとに新しい“劇団”を結成し、公演が終わったら解散する、劇作家・演出家の久野那美の演劇ユニット「階」。「缶の階」や「点の階」など様々な劇団を作ってきたが、今回は「Fの階」という名前で、映画と映画館にまつわる群像劇を上演する。現実世界の人たちと、芝居や小説の登場人物たちが同じ空間に存在し、人間や世界の常識をあやふやにしていくような会話を、耳に心地よい言葉で紡いでいく久野の舞台。しかも今回は、通常はミニシアターとして利用されている空間を使い、映画館の雰囲気を徹底的に作り上げるのも見どころだ。ということで久野本人に、新作『なにごともなかったかのように再び始まるまで』について語ってもらった。


今回の公演会場は、かつて「西の浅草」とも言われた繁華街で、今も映画イベントが盛んな新開地にある公立劇場[神戸アートビレッジセンター(KAVC)]。久野は2017年度に、KAVCで2回公演を行ったが、劇場に通うたびに見かけた光景が、この舞台につながったという。

10時前に劇場に行くと、絶対朝から並んでる方々がいらっしゃるんですよ。その人たちは、地下にある[KAVCシアター]で映画を観るために通っているお客さんなんです。それで[KAVCシアター]で、映画を上映するのではなく、映画の演劇を上演してみたいと思いました。映画を見に来たお客さんが、“今日は演劇をするのか。じゃあ演劇を観ようか”と思ってくださったら素敵だなあと。それをKAVCの方に相談したら“ぜひやりましょう”という話になりました。

KAVCで上演した、匣(はこ)の階『パノラマビールの夜』(2018年)。久野の「第5回OMS戯曲賞」佳作受賞作を20年ぶりに再演した。

KAVCで上演した、匣(はこ)の階『パノラマビールの夜』(2018年)。久野の「第5回OMS戯曲賞」佳作受賞作を20年ぶりに再演した。

私は映画というより映画館が好きで、映画館を通りかかった時に、たまたま上映してる映画を何も調べないまま見たりします。映画館って、喫茶店よりも静かだと思ってるんです。劇中の台詞に“広い空間に一つの時間だけが流れている場所は、とても静かだ”っていうのがあるんですけど、要は思いがけない音があっちこっちから聞こえてくるってことがない場所だと。今回のモチーフは“映画”ですが、私が特に映画に詳しかったり、映画について語りたいことがあるわけではないです。映画とか映画館について、たいていの人は何かしら“自分にとっての映画館のイメージ”を持っている。それを壊すことなく、限定することもなく、そこにひとつ付け加えるような形で、映画館の物語を創りたいと思いました

舞台となるのは、今年で開館10周年を迎えた[新開地オリオン座]。それを記念して、6本の作品をオールナイトで上映するイベントが行われている最中に、映画が途中で切れるというトラブルが発生する。観客とスタッフたちの間で原因が話し合われるが、そこで「映画の途中で死んでしまった主人公は、幽霊となって映画館の客席に現れて、その後のストーリーを見届ける」「“この映画のモデル”を名乗る人から、上映中止を求める怪メールが、あちこちの劇場に届いている」などの、映画にまつわる都市伝説が語られる。

Fの階『なにごともなかったかのように再び始まるまで』イメージビジュアル。会場となる[KAVCシアター]で撮影。

Fの階『なにごともなかったかのように再び始まるまで』イメージビジュアル。会場となる[KAVCシアター]で撮影。

演劇と映画の違いについて考えたんですけど、やっぱり映画が複製芸術だということは重要だと思うんです。演劇だと、その物語の登場人物と、それを演じる俳優は世界に一人、その場所にしかいないけど、映画だとフィルムの数だけ、上演される場所の数だけ、上映された回数だけ、存在することになるじゃないですか? その映画の主人公が、幽霊になって(上映してる)映画館に現れるとしたら、同じ作品の主人公が同時にあっちこっちに出てくることになるわけで。そうしたら彼らは、同じ映画の別の(映画館および上映回の)幽霊に出会った時に“自分とは何か?”について考えざるをえなくなるだろうなあと。なので出演者は、みんな困ってます。“自分以外の自分に出会った時の感情をリアルに表現してほしい”と言われても、そんな経験ないですもんね(笑)。今回、俳優が表現しないといけないのは、そんな感じのことばかりなんです。

たとえば“自分以外の自分に出会った時、人はどのように動揺するか?”というのは、確かに今の人間社会では、すごく意味のない問いです。でも、現実の社会だってどんどん変化していくわけですから、今の社会にすでにある問題ばっかり取り上げて作品にしていたら、未知の事態に間に合わないと思うんです。今自分の身の回りに起きていないからといって、今後どこでも起きないとは言えませんし。現実に起きてない、あるいは起きてないと自分たちが思っていることは、フィクションとしてどんどん描かれた方がいいと思います。いつかどこかで実際に起きた時に、誰かが何かの参考にできるかもしれないから。カズオ・イシグロの『わたしを離さないで』のように、自分の複製がどこかに存在するということが、現実に起こるようになった時、この作品も誰かの役に立つかもしれない(笑)。

それがフィクションの役割の一つだと思うし、せっかくフィクションなんだから、別に時代の後追いをしなくてもいいと思うんです。それに未来のことだけでなく、今現在でも、自分の生活している環境から見たらナンセンスに思える問題が、違う場所では“現実の深刻な問題”であるようなケースって、いっぱいあるはずなんですよ。“自分以外の自分に出会う”という、今はバカみたいに見えるこの状況も、それと同じこと。もしかしたら未来では本当に起こるかもしれないし、あるいは他の星ではすでに問題になっているかもしれないし

Fの階『なにごともなかったかのように再び始まるまで』イメージビジュアル。

Fの階『なにごともなかったかのように再び始まるまで』イメージビジュアル。

これはフィクションの中の現実なのか、あるいはフィクションの中のフィクションなのか。時間軸ならぬ「空間軸」も曖昧にしながら物語を進めるのは、最近の久野作品の特徴。この作風は、劇世界のすべてをシームレスな状態にしたいという、久野のこだわりでできている。

いわゆる“現代社会を描いた作品”には、自分たちがいる社会以外の国や文化、あるいは身体特徴などが違う人たちを、それだけでイレギュラーとして別物扱いしている気がして、それが気持ちが悪くて。自分にとってはイレギュラーなものも、単に自分が知らなかったりなじみがなかったりするだけのことで、何かが絶対的に“常”とか“異常”とかなわけではないですよね。違うものをそれぞれ別次元において許容するのではなくて、絶対に全部が地続きの状態にしたいんです。それはフィクションと現実も一緒。フィクションと思っているものは、たまたま私の現実と違うものであって、向こうからしたらそっちの方が現実だし、別の場所から見たら“どっちもフィクション”と思われるかもしれない。

私の作品に、幽霊とか宇宙人が出てくることが多いのは、特にオカルトが好きというような理由ではなくて、“現実にいるかどうかわからないけど、どこかにいるかもしれない”という存在が、何だかいいなあと思うからじゃないかと。フィクションの登場人物も(現実に)存在しているかもしれない、いたらいいなあ……ということを、小説だと言葉でしか表現できないけど、演劇だと眼の前に登場させることができるんですよ。もし俳優が“私は本です”と言ったとしても、それで怒る人がいたって劇を止めることはできないし、言ったもん勝ちです(笑)。そうやってライブで、フィクションを越える瞬間を作ることができる演劇って、本当に楽しいなあと思います

点の階『・・・』(2017年)。ある作家が小説で描いた架空のゲームが、現実世界に影響を与えていく様が語られる。

点の階『・・・』(2017年)。ある作家が小説で描いた架空のゲームが、現実世界に影響を与えていく様が語られる。

フィクションと現実を越えるという点では、今回は劇場の外側を丸ごと、芝居の舞台となるフィクションの映画館[新開地オリオン座]仕様にするのも楽しみの一つ。そして芝居の最後にも、映画館ならではの趣向を計画しているとか?

中(劇場内)は映画館のまま、ほぼ手を加えずに舞台美術として使用します。ただ劇の外側は、公演期間だけ[新開地オリオン座]の看板を掲げたり、ロビーでポップコーンを販売したり、劇中の映画祭のポスターを貼ったりと、“物語の中の映画館”にします。映画祭のリーフレットも、ご来場のお客様全員に配布しますので、劇の内容と照らし合わせて楽しんでいただければと思っています

最後に「今回、宣伝の時にいつも言ってるんですけど」と前置きをしつつ「何が本当で何が嘘なのか、わからない状況を楽しんでください。誰が言ってることを本当と思うかで、話の内容が全然違って見えてくると思います」と語った久野。現代社会とはかけ離れてるように見えても、“未来”社会や“異星”社会とは深くつながってるかもしれない……と言われたら結構納得してしまう、不思議だけど妙にリアルな空間。今回も、観客一人ひとりが違う解釈をするような舞台になると同時に、誰もが「映画館」という空間について、思いを馳せることとなるに違いない。

Fの階『なにごともなかったかのように再び始まるまで』公演チラシ。

Fの階『なにごともなかったかのように再び始まるまで』公演チラシ。

取材・文=吉永美和子

公演情報

Fの階『なにごともなかったかのように再び始まるまで』
 
■脚本・演出:久野那美
■出演:七井悠(劇団飛び道具)、三田村啓示、佐々木峻一(努力クラブ)、練間沙、藤谷以優、イトウエリ(空の驛舎)、プリン松
■日時:2019年3月22日(金)~25日(月) 22日…20:00~、23日…11:00~/15:00~/19:00~、24日…15:00~/19:00~、25日……11:00~/15:00~
※上演時間は約80分を予定。
■会場:神戸アートビレッジセンター KAVCシアター及び地下フロア
■料金:一般3,000円、学生2,000円、高校生以下1,000円
※当日券は空席がある回のみ発売。
※事前に予約されたお客様には、「Fの階」新開地のお勧め飲食店のサービス券のついたMAPをプレゼント
 
■問い合わせ:090-9657-2437(Fの階)
■公式サイト:http://floor.d.dooo.jp/f/
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