ロロ新作公演『はなればなれたち』三浦直之インタビュー~「バラバラのまま、一緒にいられる場所がいい」

インタビュー
舞台
2019.5.15
三浦直之  撮影|三上ナツコ

三浦直之  撮影|三上ナツコ

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多ジャンルのポップカルチャーをサンプリングし、既存の枠組みにとらわれない演劇を打ち出してきたロロ。主宰・三浦直之のフルスケールの新作としては、約1年半ぶりの書きおろしとなる『はなればなれたち』が、2019年6月22日(土)~6月30日(日)に吉祥寺シアターで上演される。

今作は10周年を迎えたロロという集団そのものについて、考えていく作品になるという。これから10年先を見据えて、メンバーたちはロロとどのように向き合っていくのだろうか? 劇作家・演出家の三浦に、作品と本公演にかける想いについてインタビューを行った。

今回は当て書きをせず、戯曲先行でつくる

——4月15日に顔合わせ、読み合わせをされたそうですね。どんな感じでしたか?

今回は一部のキャストを除いて、まだ配役を決めていません。ここ数年は当て書きをすることが多かったので、みんなで回して読むのは久しぶりでした。冒頭の4分の1くらいを読み合わせしましたが、それぞれ違った印象で単純に楽しかったです。

——出演するミュージシャンの曽我部恵一さんと、クリエイターのひらのりょうさんの本読みの印象はいかがでしたか?

二人とも舞台は初めてですが、とても素敵でしたね。

曽我部恵一

曽我部恵一

ひらのりょう

ひらのりょう

——お二人をキャスティングしたきっかけは何ですか?

10周年の作品なので、演劇についての演劇にしようと思いました。その演劇を観る、観客を象徴するキャラクターが必要だと考えた時に、僕がずっと観客として観てきた人にその役を演じて欲しかったんです。それで僕が高校生の頃から曲を聞いていた、曽我部さんが頭に浮かびました。

ひらのさんは僕の友達でもあるし、尊敬しているクリエイターでもあります。ひらのさんは映像やマンガの他に紙芝居もやっていて、その紙芝居が本当に面白いので、パフォーマーとしてもポテンシャルがあるんじゃないかと。

——今回、一部の方を除いて、当て書きをされなかったのはなぜですか?

ここ何年かはフルスケールの作品を作る時、稽古が始まった時には頭の中でプロットの大枠を作っておいて、台本を渡したら俳優が動いたりセリフを言って空間をつくっていき、さらに僕がまた新しい言葉を書いていく、というつくり方をすることが多かったんです。今回は戯曲を先行してつくりたかった。

それにはいくつか理由があるんですけれど、その一つをあげるとロロの10周年のタイミングでつくる作品なので、集団や場を考える機会にしたくて、場所をつくる話にしたかった。僕は、創作のプロセスと出来上がった作品は分けて考えるべきだと思っています。ただ、場所がモチーフとして重要になるなら、今作ではプロセスも作品の一つとして捉えようと。プロセスをつくることに時間を割くなら、戯曲は先にあったほうがいいと思ったんです。

——ロロという集団について考える作品となると、まず気になるのがタイトルなんですが、このタイトルをつけた意図を教えていただけますか?

10周年という節目の年に、自分が演劇を始めてこうしてロロをつくったことを、物語を書きながら自分の中でもう一回見つめ直したくて。その場所はどういう場所がいいかを考えていた時に、なんとなく、ずっと「バラバラのまま一緒にいる」みたいなイメージがありました。そのイメージが「はなればなれたち」という言葉に繋がった、という感じです。

演劇についての演劇にしたいし、物語についての物語にしたい

——「向井川淋しい」という女の子が出てくるんですよね。どのような物語になりますか?

淋しいが演劇と出会い劇団をつくっていく、という流れがメインプロットになります。劇団をつくっていく話として、どういったモチーフを使っていこうかと考えた時に、いくつかの要素が出てきました。

そのモチーフの一つが「見立て」です。僕は固有名詞を使う事がすごく多いです。見立てって、例えば脚立に富士山という固有名詞を貼り付けると、お客さんは脚立を見ながら山を眺めることになります。それは言ってしまえば、脚立という「本物」に富士山という「偽物」のイメージを貼り付けた、本当と嘘の二重写しのようなものをお客さんは見ている状態です。

見立ては演劇ならでの醍醐味の一つだと思いますが、最近は考え方が変わってきてもいますね。演劇の見立ては、お客さんがそれを「嘘である」と織り込み済みで観ることが前提だと思いますが、今その「本当」の力が弱くなっていると感じます。だから、もし脚立を富士山だと言ったとしても、そこに富士山を観ずに脚立のままで観ている人もいます。この時、富士山以外のものが貼り付けられていてもいいし、脚立だって「脚立」という記号が貼り付けられているということですよね。そう考えた時に、「本当」と「嘘」の関係性について考えたいと思ったんです。

その場所として、二つの空間が重なった中で物語を進めることにしました。一つはある大手ECサイトの倉庫です。とても現代的な場所でもあるし、色々な商品があって固有名詞にあふれた場所ですよね。この固有名詞空間と、森という固有名詞とはかけ離れた抽象的な空間とが重なっていて、その空間を淋しいが行き来するというのがモチーフの一つになります。

——見立ては、作中の演劇とどう絡んでくるんですか?

最初に淋しいが演じるのが、木の役です。学芸会でモーリス・メーテルリンクの『青い鳥』をやるところから始まるんですが、「役が足りないから、無理やり木の役をやる」みたいな、学芸会あるあるがありますよね。でも淋しいは、真剣に木の役を演じきろうとするんです。その時の舞台上には本物の木があって、見立てられた木があって、かき割りで擬態している人が演じる木もあって、複数のレイヤーの虚構と現実のグラデーションがある中で、淋しいがどのように演劇をつくるかを考えながら、劇団をつくっていきます。

——なるほど。他のモチーフについても伺えますか?

演劇についての演劇にしたいし、物語についての物語にしたいという気持ちがあったので、いろいろな「語り」を考えたいと思っています。自分がなぜこんなに物語をつくっているのかを考えたい。僕がフルスケールの作品をつくる時は、なぜ演劇をやり、集団をつくっているのかというテーマに向かうことが多いのですが、今回はいろいろな物語方のバリエーションをつくっていきます。

——具体的には、どのように?

一つは、ミュージシャンの曽我部さんとアニメーション作家のひらのさんの力を借りて、聴覚を使った語りと視覚を使った語りをしてみます。物語の伝え方って、歌や音もそうですし、文字や絵、ビジュアルも物語の語り方の一つとしてありますよね。

もう一つは、集団をつくる物語なので、まず人がいて人が誰かに出会い、場になって集団をつくっていき、その集団が観客と出会う、という流れになりますが、観客との出会いがもう一つの大きな場になるという時に、その集団が誰かに眼差されたり、誰かに相槌を打たれることで観客と出会う物語にしたいです。

また、物語の語り方の一つとして、告白についても描いていきます。演劇を大きくダイヤローグとモノローグに分けるとすると、「告白」はモノローグのダイヤローグ化だと僕は考えています。つまりモノローグは独白で、ずっと一人で喋っているわけですが、そこに相槌を打ってくれる誰かがいると、それは独り言ではなく対話に変わる。だから、モノローグがダイヤローグになっていく過程こそが「告白」で、それは、舞台と観客が出会うということとも同じだと思っているんですね。ですから、そういった告白も見せたいです。

——『はなればなれたち』では、どのような告白になるんですか?

僕は、初期の頃はボーイ・ミーツ・ガールというモチーフでつくってきたので、告白するシーンがとても多いです。一時期は、「好きだ」「好きだ」と言い続けているような作品もつくっていましたが、この何年かは意識してストレートに愛を語るようなシーンを、あんまりやらないようにしていました。感情をストレートに言葉にするのでなく、感情の周辺をなぞるような言葉、たとえば景色を語ることで想いを伝えてみたかったんです。

今作ではもう一度、久しぶりにしっかりと愛を語るセリフを書いてみたい。今の自分が昔のような強い言葉を書くとしたら、どんな言葉が書けるのか、試してみたいです。

——曽我部さんとひらのさんに対して、三浦さんが作品を通じてしていきたいことは、何でしょうか?

他の俳優たちは役を決めていないですが、曽我部さんとひらのさんは当て書きです。当て書く時のイメージって、その人に似合う服をつくるみたいなイメージで、僕が似合うと思う服を渡すので俳優はそれをどう着こなしていくか、みたいなところがあります。お二人には自分の着こなし方で着こなしてほしいです。僕が思っている二人の魅力を、役によって引き出せたらいいですね。

感動すると同時に嫉妬した 「対抗できる演劇をつくりたい」

——今作で、演劇とは違う分野で影響を受けているカルチャーについて教えてください

たくさんありますけど、たとえばSF作家の飛浩隆さんが書いた小説『零號琴』も、一つの出発点になっています。VR的な要素が巧みに混ざり合った演劇小説としても読めます。読んでとても感動したのと同時に嫉妬して、小説でこんなに面白い演劇をやられたなら、演劇をつくっている自分もこれに対抗できる演劇をつくりたいと思いました。だから、飛浩さんの『零號琴』の影響は大きいですね。

また僕が物語を書くようになった大きな原点とも言える作家の舞城王太郎さんの作品には、やはり影響を受けていますね。

——三浦さんが摂取しているカルチャーって、10年で変わりましたか?

どうなんだろう……。でも変わってきたと思います。映画は高校大学時代にけっこう見ていましたが、最近は全然見なくなりましたね。波があって。演劇も全然見ない時期があったりします。そういうバイオリズムがある中で、小説だけはずっと読み続けています。

——趣味嗜好が変わったということはないですか?

根っこは変わらないと思います。ただ、今までなら自分が手に取らなかったような本を、昔よりも積極的に読むようになりましたね。

——それは意識的に?

意識的にです。自分の好きな世界だけで書いていくには限界があって、自分の知らないものにも手を伸ばしていかないと、同じことの繰り返しになってしまうんですよね。ですから、意識的に自分の知らない本を手に取るようにしています。

これから先のロロと向かい合う

——ロロという集団に対して、作品ではその劇団をどのように見せていくのでしょうか?

それは、僕も考えながらだなと思っています。

演劇って映画などと比べて、バラバラだけど一緒にいるという事がすごく見せやすいジャンル。例えば、舞台上の上手側が宇宙で、下手側が渋谷だったとします。そして宇宙に男がいて渋谷に女がいるとしたら、この2人は離れ離れじゃないですか。でも観ているお客さんにとっては舞台上としておなじ場所に存在しています。

これは演劇の一つの面白さでもありますが、それぞれのキャラクターが離れた場所にいて、それぞれが孤独を持っているのだけれど、でも舞台に立っていることで一緒にいる、みたいなことがロロという集団にも置き換えられないかな、ということを思っています。

——実際のロロは今、集団としてどんな感じですか?

一緒にいるメンバーは、大学の頃からの付き合いで、友達であったり、先輩・後輩であったりという関係で始まっていて。だからいまだに仲がいいんですけど、10年続けてくると、少しずつみんなが変わってきて、友達や先輩・後輩という関係性だけではいられなくなってきました。今、僕だけじゃなく、それぞれが新しい関係を考えている時期だと思います。

——ちなみに、ロロという集団の関係を、三浦さんは今までどのように繋げていたんですか?

僕だけが繋げているわけじゃなくて。メンバーそれぞれが、この場所をつくろうと努力していると思いますね。だから、僕がこうしたいと思ってできている集団ではなく、いい場所で楽しい場所にしようと、みんながきっと思っていて、そうやってロロは続けてこれたんだと思います。

——最後に、これから先の10年、ロロはどういう形を目指していきたいかをお聞かせください。

一番理想なのが、僕が消えるということですね。

——ど、どういうことですか?

母がSMAPのファンで、僕もそういった男性アイドルグループに影響を受けています。こういったインタビューの時には、僕が話す機会が多いですけれど、アイドルの作詞作曲家が代表して語ることは、あまりないですよね。僕は脚本・演出をやっていますが、メンバー6人が前に出るようにして、僕の存在は消えるようにしたいなと。これはとても難しいことですが、ロロは僕だけがつくっている集団ではないので、メンバーがそれぞれいろいろな場所で、集団について語るようになっていけたらと思います。

僕はありがたいことに、旗揚げから関わってきているメンバーの退団を経験せずにやってこられました。ただ、今後はそうしていられるかは分かりません。結婚や出産のような人生の岐路があっても、一緒に居られるような場所をつくっていきたいですね。

取材・文=石水典子

公演情報

ロロ『はなればなれたち』
 
■脚本・演出:三浦直之
■日時:2019年6月22日(土)〜30日(日)
■会場:吉祥寺シアター
■出演:
板橋駿谷 篠崎大悟 島田桃子 望月綾乃 森本華(以上ロロ)
大石将弘(ままごと/ナイロン100°C) 多賀麻美(青年団) 油井文寧 ひらのりょう 曽我部恵一
■公式サイト:http://loloweb.jp/hanarebanaretachi/

 

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