【訃報】ミュージカル『アニー』作詞・ブロードウェイ初演演出のマーティン・チャーニンさん

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2019.7.11
マーティン・チャーニン著「Annie: A theatre memoir」表表紙+裏表紙 (サンディの右でアンドレア・マカードルを膝に乗せているのがチャーニン)

マーティン・チャーニン著「Annie: A theatre memoir」表表紙+裏表紙 (サンディの右でアンドレア・マカードルを膝に乗せているのがチャーニン)


ミュージカル『アニー』の発案者であり、同ミュージカルナンバーの作詞を手掛け、またブロードウェイ初演の演出も手掛けたマーティン・チャーニンさんが、2019年7月6日(アメリカ時間)に84歳で死去した。軽度の心臓発作を起こした3日後に、ニューヨークの病院で亡くなったことが、チャーニンさんの娘であるサーシャ・チャーニン・モリソンさんのインスタグラムによって明らかにされた。

サーシャ・チャーニン・モリソンさんのインスタグラム(画像引用)

サーシャ・チャーニン・モリソンさんのインスタグラム(画像引用)

マーティン・チャーニンさんは、1934年11月24日米国ニューヨークで、METのオペラ歌手の子として生まれた。1957年にブロードウェイ『ウエスト・サイド・ストーリー』のオリジナル・プロダクションに俳優として出演したことが彼の演劇人生の出発点となる。その後、オフブロードウェイやキャバレーのレビューのために多数の音楽と歌詞を書いたり、ナイトクラブのプロデュース業に勤しむ。1963年にはジュディ・ホリデイ 主演のブロードウェイミュージカル『ホットスポット』の作詞を担当。また、1970年代初頭は、テレビ局で数々の番組制作に関わる。1973年にミュージカル『ナッシュ・アット・ナイン』でブロードウェイ演出家としてデビュー。

そして、ハロルド・グレイによるコミック・ストリップ「小さな孤児アニー」のミュージカル舞台化を構想。脚本家トーマス・ミーハン(2017年他界)、作曲家チャールズ・ストラウスに話を持ち掛け、自らは作詞者として、『アニー』ミュージカルナンバー「Tomorrow」「Maybe」「It's the Hard Knock Life」「N.Y.C.」等のオリジナルの作詞を全て手掛ける。1976年8月、コネチカット州のグッドスピード・オペラ・ハウスでミュージカル『アニー』初演が開幕。

「Annie: A theatre memoir」の中には、ストラウス、チャーニン、ミーハンの写真も。

「Annie: A theatre memoir」の中には、ストラウス、チャーニン、ミーハンの写真も。

翌1977年4月21日には、チャーニン自ら演出をも手掛けた『アニー』のブロードウェイ・オリジナル・プロダクションが開幕。同年のトニー賞で11部門ノミネートされ、ミュージカル作品賞、作曲賞、ミュージカル脚本賞など7部門受賞の快挙を果たした。以後大人気を博し、1983年1月2日まで、2,377回を数えるロングラン公演となった。「Tomorrow」をはじめとする劇中ナンバーも親しまれ、多くの人々に歌い継がれるスタンダード曲となった。ちなみに、この『アニー』初演の創作裏話は、チャーニンさんの著作「Annie: A theatre memoir」(1977年発行)に詳しい。

なお、マーティン・チャーニンさんの訃報は、日本テレビのミュージカル『アニー』公式サイトでも報じられ(2015年アニー黒川桃花、前田優奈とマーティン・チャーニンさんとの記念撮影写真も掲載 )、また、同作品日本版の演出を現在手掛けている山田和也氏も自身のブログで哀悼の意を表している。

SPICEで【THE MUSICAL LOVERS】ミュージカル『アニー』 を連載するアニー研究者のヨコウチ会長は、このたびの報に接し、次のコメントを編集部に寄せた。


ミュージカル『アニー』誕生のきっかけは、マーティン・チャーニンがトーマス・ミーハン(脚本)に「小さな孤児アニー」をミュージカル化しないかと誘ったことでした。チャーニンの友人チャールズ・ストラウスも同様の経緯で作曲を担当してくれました。渋る2人を説得して、さまざまな紆余曲折を乗り越えて、ミュージカル『アニー』を世に出してくれたことに感謝します。あなたがいなければ、ミュージカル『アニー』はなかった。あなたがいなければ、こんにちの私はいなかった。あなたとお話してみたかった。「Tomorrow」の曲は、正確にはいったい、いつできたのか……。
ヨコウチ会長


謹んでお悔やみ申し上げます。

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