市川海老蔵×黒木瞳×森山未來『オイディプス』が開幕~世界と人間の歪みを古典の名作を介して突きつける舞台
DISCOVER WORLD THEATRE vol.7『オイディプス』
「シアターコクーンが海外の才能と出会い、新たな視点で挑む演劇シリーズ」として、2016年秋から始動した「DISCOVER WORLD THEATRE」。その最新第7弾である『オイディプス』が2019年10月7日(月)Bunkamuraシアターコクーンにて開幕し、前日の10月6日(日)ゲネプロが行われた。
翻案・演出を手掛けるのは、これが日本での初演出作となる英国演劇界屈指の実力派マシュー・ダンスター。美術・衣裳は今シリーズの『危険な関係』(17年)など、日本でも実績を積んでいるジョン・ボウサー、振付にマシュー・ボーン『白鳥の湖』への出演経験もあるシャーロット・ブルームら、ロンドンの演劇シーンをけん引する才能が当たり、迎え撃つ日本の出演陣にはオイディプス役に市川海老蔵、イオカステ役に黒木瞳、舞台となるテーバイの市民(コロス)たちを率いるリーダーに森山未來という、ジャンルを超えた表現者が集い、華やかに競演を繰り広げるという画期的なボーダレス企画と言えるだろう。
劇場に入った途端、舞台上に屹立した灰色の空間が目に飛び込んで来る。細く薄い光しか射さないそこには、現代の兵装をした男が二人、それぞれの任務に就いている。機械が唸るような音が低く響くそこは、基地か砦、あるいは石棺のようにも見え、この劇世界を覆う閉塞感が如実に伝わって来る。
客席の明かりが落ち始めると、交差するように機械音が上がり、大きな警戒音と赤い回転灯の光とともに舞台下手の大きな扉が開いて、白い防護服とガスマスクで身を守るコロスたちが現れる。それが時空を超え、偉大なる古典の中に私たち人間の未来を映じるマシューの新解釈版『オイディプス』の始まりだ。
マシューは原作の人名や地名はそのままに、衣裳や空間などを現代、あるいは近未来ともとれるビジュアルとし、疫病に襲われて生あるもの皆が危機に瀕する都市テーバイを、気候変動や自然災害に苦しむ私たちの日常に直結する場として描き出す。
冒頭から悲劇の予感をまとうような造形が多いオイディプス像だが、海老蔵のそれは真逆と言って良いほどに強くエネルギッシュだ。「父を殺し、母を娶るであろう」というかつての神託にこそ悩まされているが、テーバイを統治する自身の地位と権力に絶対の自信を持つ姿は、同時代の大国の指導者を思わせる。高貴ながら神への不信を隠さないイオカステの振る舞いや、その弟で軍装で公務に当たるクレオン(高橋和也)の様子も共に、報道などで見聞きする権力階級のそれに重なるほど生々しくリアルだ。
リーダーに率いられ、オイディプスに救いを求めるテーバイ市民たちの疲弊しきった姿は、今も世界各地で苦しみの声を挙げている難民のよう。彼らは上手奥の光があふれる場所に祀られているらしい、預言を司る「あの神」を信じ、オイディプスへの請願に重ねて折々に舞い、祈りを捧げる。
今作では、コロスが実に重要かつ大きな役割を果たす。森山はもちろん、メンバーには俳優だけでなく湯浅永麻、柳本雅寛、平原慎太郎ら海外でも活躍する振付家・ダンサーがおり、シャーロットの振付を十全に体現。神への舞のしなやかな美しさはもちろん、その高い身体性は少しの動きで時にセットのように空間や空気を変質させ、言葉では表現できず、目にも見えない神聖さや恐怖など、複雑なニュアンスを視覚化していた。
もちろん、歌舞伎の女方として預言者テイレシアスを演じた中村京蔵の型と現代演劇の表現を自在に往還する演技、コリントスからの使者である操縦士を演じた谷村美月の一途でピュアな佇まい、長く重い秘密を抱えて生きてきた老羊飼いを圧倒的な存在感と哀しみで体現する笈田ヨシら、俳優陣も場ごとに鮮やかな印象を残す。
国を襲う災いを除き、民の平安を取り除くべく強い意志で臨むオイディプスが、自らの行動と、追い打ちをかけて迫り来る「真実」の開示に追い詰められていく姿は、原作にも描かれるところ。だがマシューの演出はそこに、権力の変遷の無常、そこに介在する名もなき人々の力、にも関わらず繰り返されてしまう暴力的支配の連鎖など、私たちが日々直面する世界の歪みを重ねる。
権力の高みから失墜し、自らの目を潰し、我が身を荒野へと放逐するオイディプス。すべてを与えられたうえで奪われた一人の男が去った後、テーバイは、いや世界は変わり得るのだろうか。劇場の外へ出た時に目に入る情景、世界のありようにふと違和や疑問が生じる、私たちが今考えるべき多くのことに目を向けさせる、そんな作品が生まれたと感じた。
開幕にあたり、オイディプス役の市川海老蔵、王妃イオカステ役の黒木瞳、コロスのリーダー役の森山未來からコメントが届いた。
市川海老蔵
英国からのクリエイティブ・チームに加え、演者は歌舞伎俳優と現代劇の俳優、そしてダンサーの方々を含む日英異種混成というカンパニー編成で、多様な意見をぶつけ合いながら、賑やかに、かつ繊細に作品を創り上げてきました。私自身にも大変刺激的な経験となっておりますが、観劇されるお客様にとっても心を動かされる2時間となると思います。
黒木瞳
この作品はオイディプスの悲劇的な人生を描いていますが、私が演じるイオカステも妻であり、且つ母であったという衝撃的な運命を突きつけられます。今回、オイディプスを演じる海老蔵さんは、威厳があり狂気があり、その熱量に圧倒されます。悲劇に落ちていく姿は本当にオイディプスが現代に甦ったのではないかと感じさせてくれます。2000年以上前のギリシャ悲劇ですが、現代にも通じる普遍的な要素を、マシューを筆頭に英国からのクリエイティブスタッフによって、2019年版のオイディプスとしてどのように完成するのか、私も客席から観てみたいものです。
森山未來
海老蔵さん演じるオイディプスや黒木さん演じるイオカステを始め、一人ひとりの役者の方々が魅力的なのはもちろん、荒唐無稽な物語の中で、マシューのロジカルな演出、ジョンの近未来の世界観を写した舞台セット、そして僕たちが演じるコロスの存在感がどうマッチングしていくのか。今までに観たことのない世界観になっているのでは、と感じます。
取材・文=尾上そら 撮影=細野晋司