ニコラウス・アーノンクール、引退!
86歳の誕生日を前に、演奏活動を終了
12月5日、「ニコラウス・アーノンクールが86歳の誕生日を前に演奏活動からの引退を発表した」とドイツの新聞「Kurier」が報じた。同サイトには彼からの自筆の手紙も掲載されている。この記事を書いているいま現在、同紙のサイトではトップ記事としてこの報を扱っていることからもおわかりいただけるとおり、まさに「時代を画した」マエストロの引退を大きな衝撃として世界は受け取ることだろう。
1929年にオーストリアのグラーツに生まれ、チェロ奏者としてキャリアを始めウィーン交響楽団に所属、のち自らの理想を実現するための楽団としてコンツェントゥス・ムジクス・ウィーンを設立、指揮者としての活躍は世紀の変わり目をまたぐ頃にはコンセルトヘボウ、ベルリン、そしてウィーンと名門オーケストラに招かれるまでになる。きっと一般的には「ウィーン・フィルハーモニーのニューイヤー・コンサートに登場したことで知られている指揮者」(2001年と2003年の二回)、と紹介されることになるのだろう。しかし彼の活動はそういった単独のイヴェントだけでくくられるようなものではなく、いつでも話題となり議論を呼び、音楽の演奏にも受容にも大きく影響を与えるものだった。初期の自らチェロやヴィオラ・ダ・ガンバを演奏する形でアンサンブルを率いたバロック音楽での新鮮な演奏、専業の指揮者として活動をはじめた時期のバロック・オペラ、アムステルダム・コンセルトヘボウ管弦楽団などのオーケストラに招かれるようになって聴かせた1980年代以降の数多くの演奏、そして1990年から録音された数々のベートーヴェン。そして現在に至るまで、その活動全域を通じて書かれた文章や、演奏会や録音のためのリハーサルの映像、そのどれもがいまでも充分以上に刺激的なものだ。
(アーノンクールが設立したシュティリアルテ音楽祭のイメージフィルム/シュティリアルテ音楽祭のYouTubeチャンネルより。ヨーロッパ室内管弦楽団、コンツェントゥス・ムジクス・ウィーンとの演奏や、オペラ上演の一部などが視聴できる)
彼が1929年(昭和なら4年である)の生まれであり、2010年に行われたコンツェントゥス・ムジクス・ウィーンを率いての来日公演が「最後の」と銘打たれていたことを思い起こせば、日本のクラシック音楽ファンもこの日は早晩来るものとわかってはいた、と言えなくもない。しかし、一般にオーケストラ録音がCDとしてはなかなかリリースされない現在であっても多くのディスクをリリースし、また彼が設立したシュティリアルテ音楽祭のニュースなどを通じてその活躍は我々聴き手にも届き続けてものだから、「今がその時なのか」と若干当惑してしまう気持ちがある。
近年の目立った活動を振り返ってみよう。2014年にはいまや世界的に人気の若きピアニスト、ラン・ランとモーツァルトのピアノ協奏曲を録音、リリースした。同年、シュティリアルテ音楽祭ではモーツァルトのいわゆる後期三大交響曲、第39番から第41番までの三曲を以前からの持論どおり「ひとつながりの作品」として休憩を入れずに連続して演奏するという離れ業を成し遂げた。今年リリースした交響曲第4番&第5番から、今度はコンツェントゥス・ムジクスとの新たなベートーヴェンの交響曲全集のレコーディングが始められ、2016年に集中して残りの交響曲を演奏、録音する予定があった。また、ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団を指揮して録音された交響曲全集を含むシューベルト・エディションは今年のレコード・アカデミー賞で大賞を受賞した、ばかりだった(同賞は受賞は12月1日に発表された)。
(ラン・ランとのレコーディング風景/ドイチュ・ヴェレ(DW)のYouTubeチャンネルより)
最近のニュースだけでもでもこれだけの存在感を示していたマエストロの引退には、正直なところなんと申し上げるべきか迷いがある。「もう一度聴きたかった」とも、「この年齢であればやむなし」とも心情的には思ってしまうのだが、この11月からいくつかのキャンセルの報もあってその体調が案じられていたところでこのような発表となったわけである。まずはそのご快癒をお祈りし、そしてこれまで長年のご活躍に御礼申し上げたい。
(シュティリアルテ音楽祭でのリハーサル映像、2007年)