ニコラウス・アーノンクールさん死去
(ニコラウス・アーノンクール 公式サイトより)
日本時間3月6日夜、「2016年3月5日の午前、ニコラウス・アーノンクールが亡くなった」と彼の妻アリス、そして家族から公式サイトで発表された。以前当サイトでもお伝えしたとおり、アーノンクールは昨年の12月、自身86歳の誕生日を前に演奏活動からの引退を発表していた。ニコラウス・アーノンクールの”余生”はわずか数ヶ月、彼はその生涯ほぼすべてを音楽家として生きたことになる。
1929年生まれのニコラウス・アーノンクールは、チェロ奏者、指揮者、そして教育者として生涯を通じて活躍した、画期的な音楽家だった。音楽を作品成立の時期に遡ってその本質を描出することに専念し、数多くの作品の価値を再発見し、クラシック音楽へのアプローチを根底から改めて考えさせた偉大な知性、個性であった。
音楽家アーノンクールの前史として、幼少期にマリオネット芝居に熱中したことは彼のファンには知られたエピソードだ。2005年に京都賞を受賞した際に行われた講演では、その”表現者としてのスタート”からキャリアを振り返っている。戦後の混乱期に音楽を学ぶ学生として苦労したこと、「カラヤンのウィーン交響楽団への入団」、「ヒンデミットによるモンテヴェルディの歌劇「オルフェオ」蘇演への参加」、そして意外な形で訪れた”指揮者”デビューなど、数多くの興味深いエピソードが彼自身の言葉で語られているので、ぜひ一読をお薦めしたい。
ルネサンス期、そしてバロック音楽の演奏を研究するため若き日に自ら結成したコンツェントゥス・ムジクス・ウィーン、そしてロイヤル・コンセルトヘボウ管弦楽団、チューリヒ歌劇場、ヨーロッパ室内管弦楽団との数多くの仕事によって、いつもアーノンクールは問いを聴衆に示し、そして自らの回答を示してきた。晩年にはそれらの団体に加えてウィーン、ベルリンの世界を代表するオーケストラに頻繁に招かれて、その音楽をより多くの聴衆に届けた。しかし近年はそれらのオーケストラとの活動も終了させて、2015年12月には上述のとおり音楽活動からの引退を発表したばかりだった。この短い期間に悲しい報せが続いたことは、ただ残念と申し上げるほかない。
世界のメディアが彼の死を報じ、世界の音楽ファンが悼んでいる(オーストリアの新聞Kurier サイトより)
しかし、彼の活動は、キャリア初期から最後のベートーヴェンまでの、数多くのレコーディングとしてその成果が遺された。また『古楽とは何か—言語としての音楽』『音楽は対話である』としてまとめられた著作は今もなお刺激的だ。それらの「遺産」を通じて、ニコラウス・アーノンクールという稀代の音楽家の精神はこれからも生き続けていくことだろう。