勘九郎×七之助×獅童のアウトローが天下を狙う、コクーン歌舞伎『天日坊』初日観劇レポート!

レポート
舞台
2022.2.3
(左から)中村獅童、中村勘九郎、中村七之助 /(C)松竹

(左から)中村獅童、中村勘九郎、中村七之助 /(C)松竹

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2022年2月1日(火)、渋谷・Bunkamura シアターコクーンにて、コクーン歌舞伎第十八弾『天日坊』が開幕した。脚本は宮藤官九郎、演出・美術は串田和美。出演は、法策(後に天日坊)に中村勘九郎、人丸お六に中村七之助、盗賊の地雷太郎に中村獅童ほか。2012年の初演は、歌舞伎ファン、ストレートプレイファンの分け隔てなく、熱狂的な支持を集めた。そして第20回読売演劇大賞における、勘九郎の最優秀男優賞受賞、七之助の「杉村春子賞」と優秀男優賞受賞につながった。

10年の時を経て、どのような進化をみせるのか。シアターコクーンが笑いと喝采に揺れた、開幕初日の模様をレポートする。

■源頼朝公のご落胤

舞台の上手と下手の幕の外に、それぞれバンドのスペースがある。太鼓の音で開演すると、だだっ広い空っぽの舞台に、2つの舞台がある。どちらも台座の上に作られており、人力で可動する。展開にあわせて台座ごと入れ替わり、物語をつないでいた。

時は鎌倉。発端は、都を騒がす化け猫騒動だ。北条時貞(中村虎之介)、観音院(片岡亀蔵)、そして法策(勘九郎)が集まり、無事に化け猫を退治すると、その褒美として時貞は高窓太夫(中村鶴松)を身請けし、観音院は金三百両を受け取るのだった。そこで法策は、「生き延びよ」との不思議な声を聞く。

(左より)中村七之助、中村獅童 /(C)松竹

(左より)中村七之助、中村獅童 /(C)松竹

みなしごだった法策は、観音院に育てられ、いまは観音院と下男の久助(中村扇雀)とともに暮す。この日は、久助の旧友・平蔵(小松和重)も来訪する。その夜、法策はふとしたことから、飯炊きのお三婆(笹野高史)の過去の話を聞き、お三婆が将軍頼朝公自筆の御書と三条小鍛冶の短刀を所持していると知る。法策はそれらを手に入れ、自分こそが頼朝公のご落胤であると偽り、鎌倉を目指すのだった……。

■法策が繋ぐ、個性的な登場人物たち

扇雀の久助は、立ち姿から人の良さと愛嬌が溢れる。後半はもうひと役をゾッとするほどの切り替えで演じわけ、ドラマの要となる。笹野のお三婆は、生きているのが不思議なくらいのヨボヨボ具合で延々と笑いを起こし続けたのち、法策との祖母と孫のような親密なひとときを描き、その後の展開に眩暈がするほどの落差をつけた。亀蔵もまた、この座組の中での役割をきっちりと勤めながら、爆発力のある笑いを起こす。あて書きかのような安定感で、脇を固めた。コクーン歌舞伎初参加の小松は、不思議と印象にのこる控え目具合で、人畜無害キャラの平蔵を勤める。船着き場の場面は、他のシーンとは異質のスリルで楽しませた。虎之介は時貞を思い切りの良い演技で眩しいほど清新に、鶴松は高窓太夫を丁寧に情深く勤める。2人は限られた登場シーンにおいても、若々しいバカップルぶりとその儚さを滲ませ、芝居に緩急をつけていた。猫間中将光義は、初演につづき市村萬次郎。高貴の内側に何を秘めているのか。圧倒的な弱々しさにもかからわらず、地雷太郎と2人の場面でも、存在感で引けを取ることはなかった。

中村勘九郎 /(C)松竹

中村勘九郎 /(C)松竹

法策が鎌倉を目指す道中で出会うのが、盗賊・地雷太郎(獅童)とお六(七之助)。七之助は、登場するなり色気がダダ漏れ。一瞬もふざけることなく、あっという間に笑いをさらった。法策の腕の痣を見た時の、お六の態度の変化は、本作における「源平の戦い」という枠組みを、今一度明らかにする。例えば「忠義心」は、歌舞伎ではお馴染みの題材だ。その重要性を、歌舞伎を見る機会がなかった方にも、直感的に伝えるにちがいない。獅童は、宮藤作品でしばしばみられる、笑える怒声もお手の物だ。金谷宿の道の場では、唯一無二の憂いのある表情をみせる。地雷太郎とお六に、天日坊が加わると、兄弟のような強い結束を感じさせた。無意識に、獅童、勘九郎、七之助という俳優を重ねてみてしまっていたのかもしれない。

■俺は誰だ、を巡る物語

10年前の初演の感動を、大切な思い出にしている方の中には、今回の“待望の再演”に期待だけでなく不安を感じた方もいたはず。前回を越えてくれるだろうか、と。初日の時点で、すでに芝居は大きな成長をみせていた。どこにそんなに伸びしろがあったのかと思えば、勘九郎、七之助、獅童たちそれぞれの歌舞伎俳優としての変化が、作品の大きさに直結しているようだった。

勘九郎は、より骨太な法策となっていた。天日坊を名乗ってからは、次元の違う緊張感を漲らせる。古典の名作に由来するアクションに、息をのむ瞬間もあった。法策は、時には自ら手を汚し、時には「まじか」と思うような偶然性により、またある時は他者から決めつけられた「俺」を渡り歩いた。めくるめく「俺」がいながら、いずれの「俺」とも言い切れない瞬間の法策は、深い闇にひとり漂うような孤立感に襲われる。心の闇は、シアターコクーンの無機質な素舞台そのものに投影されているようだった。

■歌舞伎なしには成立しないコクーン歌舞伎

一般的に、歌舞伎にとって音楽は、とても重要な要素のひとつだと言われる。本作では、通常の歌舞伎公演のような邦楽器は使われていない。その代わりに、トランペットをメインに、キーボード、ギター、ベース、パーカッションのバンドの楽曲が鳴り響く。音楽監督は、平田直樹とDr.kyOn。刻むリズムは、邦楽のそれと違うのだが、勘九郎たちは、ブルースでもジャズでも、時にはサンバでも、音にのり台詞を聞かせ、身体を動かした。ミュージカルのように歌いあげるのとは別物の、あくまで歌舞伎役者が黒御簾音楽とみせる掛け合いや一体感だった。

また、詮議の場では、歌舞伎らしい場面の歌舞伎らしい台詞の掛け合いを、“あえて”の演出でみせることで、かえって「歌舞伎」を意識させた。現代語の台詞で語り、「俺は誰だ」という現代的で根源的なテーマを巡る、コクーン歌舞伎『天日坊』。たしかに歌舞伎であり、歌舞伎俳優なしには成立しえない舞台となっていた。

クライマックスでは、捕り手たちに囲まれた勘九郎、七之助、獅童が、ツケ打ちとビッグバンドジャズにのり、エネルギーを最大限に出力し、圧巻の大立廻りを披露する。無機質な素舞台に、着物、長袴の俳優たちの身体が躍動し、輝きを放った。幕切れでは、ふたたび空っぽの舞台にただ1人で立つ勘九郎。客席には、呼吸ひとつ見逃すまいという異様な高揚感があった。幕切れは、誰だか定かではないただの「俺」に、拍手が湧きおこった。拍手は喝采となり、スタンディングオベーションとなった。幕が降りてからも総立ちの客席は、興奮の余韻を惜しむように、バンドの演奏に最後まで身を委ねていた。

コクーン歌舞伎 第十八弾『天日坊』は、2月1日(火)~2月26日(土)までの公演。

取材・文=塚田史香

公演情報

コクーン歌舞伎 第十八弾『天日坊』
日程:2022年2月1日(火)~2月26日(土)
会場:Bunkamura シアター・コクーン
 
原作:河竹黙阿弥「五十三次天日坊」
演出・美術:串田和美 
脚本:宮藤官九郎 
 
出演:
中村勘九郎、中村七之助、中村獅童
市村萬次郎、片岡亀蔵、中村虎之介、中村鶴松、小松和重、笹野高史、中村扇雀
 
歌舞伎美人:https://www.kabuki-bito.jp/theaters/other/play/735
■松竹ホームページ:https://www.shochiku.co.jp
■公式Twitter:@cocoonkabuki201
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