師との“真剣勝負”で伝えたいこととは ヴァイオリニスト岡本誠司インタビュー

インタビュー
クラシック
2022.10.24

珍しいヴァイオリン・デュオの作品と作曲家たち

ドイツ・クロンベルク/岡本は現在クロンベルク・アカデミーに在学している(岡本提供)

ドイツ・クロンベルク/岡本は現在クロンベルク・アカデミーに在学している(岡本提供)

——プログラムの内容についてお聞かせください。まずはヴァイオリン・デュオ作品の作曲家たちというもののラインナップに関しても予備知識として知る必要がありそうです。

ヴァイオリン・デュオの作品は数が少なく、バロック期に娯楽・余興的な意味合いで作曲されたものや、初期ロマン派の時代=ヴァイオリン・メソッドが確立された頃の作品は、それこそ師匠と弟子で一緒に弾くための半ば教本的な扱いの作品などが多くを占めています。

そして、20世紀に入ってようやくプロコフィエフやバルトーク、そして、イザイなどの作曲家たちが、このジャンルを芸術的な高みへと昇華させた経緯があります。ピアノの鍵盤の右半分くらいの音域しか使えず、低音域のべースラインを保つことが難しい不安定なヴァイオリン・デュオという編成の作品に芸術的な価値が与えられたのもこの時代です。

——プログラムのトップバッターは、ルクレールの作品ですね。

ルクレールはフランス・バロックの大家です。「二つのヴァイオリンのためのソナタ Op.3 第6番 ニ長調」は、流麗な音楽づくりであったり、明るく、シンプルながらも、フランス・バロックらしい華やかな作品になっています。ある意味で、ヴァイオリン・デュオ作品の一つの原点に近いものと言えると思います。

——ルクレール作品では、ピリオド奏法を踏まえた演奏も期待できそうでしょうか。

まさに、そこは毎回、先生とのレッスンでも議論する内容なのですが、バロック期、あるいは、現在と時代がかけ離れた作品を演奏するにあたって、当時のピリオド (時代)楽器 (ガット弦やバロック・ボウなどを用いた作曲年代に即した楽器) で演奏するわけではない場合、どのようなところに目標を置いて演奏するかということがつねに焦点になります。

まず何より作品に関して作曲家が抱いた音楽的なアイディアなどをはじめ、原点の部分をくまなく理解するということが最も大切なことだと考えています。例えば、それはフレージングの作り方やハーモニーをどのように組み立て、運んでいくか、そして、声部をどのように分けて演奏していくか、というようなベーシックな事柄なのですが、これらを最重要事項として捉えていくということです。そして、それらは作品の様式や作曲家によって相応しい方法が異なるものでもあります。

加えて、ピリオド奏法に関しては、当時行われていたとされる奏法について学術的にも正しいとされるものを詳しくリサーチします。ただ、それらの総合的な結果を単純にモダンな楽器に移して演奏するだけでは、むしろモダン楽器の良さを殺してしまいます。要するに、バロック楽器を模倣するだけの演奏であるならば、むしろ、最初からピリオド楽器で演奏したほうがいい、という考えに行き着くのです。これは僕も先生もつねに意見が一致しています。

なので、僕自身もピリオド楽器で演奏する際は当時の演奏習慣というものを最大限に尊重して演奏することに努めていますし、今回のようにモダン楽器で演奏する際には、悪く言えば、妥協ということになってしまうのですが、妥協と言われないレベルにまであらゆる面を昇華させて、上手い具合に解釈と表現の落としどころを見つけられるように心掛けています。こうして俯瞰して考えてみると、作品自体の魅力や芸術性を、ヴァイオリンの奏法、あるいは演奏者の都合によって損なわれてしまうのが最も残念なことだと、改めて感じます。

——作品自体の魅力や芸術性というのは、一体どのような要素から導きだされるものなのでしょうか。

20世紀は、いわゆる “スクール(流派)” と呼ばれる演奏技法とそこから導きだされる演奏表現、そして奏者の“色”が重要視された時代と言われますが、21世紀になって、特にヨーロッパにおりますと、奏法を駆使してヴァイオリンという楽器自体を演奏することの重要性よりも、むしろ作品ごとに対して演奏家各人がどのようにアプローチしていくべきか、ということが最重要視される時代に移りつつあるのかなと感じています。

そのような流れを踏まえた上で、演奏者の好む型に作品を当てはめるのではなく、作品という正解のない、そして途方もなく素晴らしい力と魅力を持つものの本来のあるべき姿に演奏者がいかに自然なかたちで寄り添っていくのが、演奏者としての役割であり、最も重要なチャレンジだということに気づかされます。そして、何よりも一番の醍醐味だと感じています。

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