アニエラ代表・コバヤシリョウによるアニメソングイベント開催哲学 アニメソングの可能性第六回

インタビュー
アニメ/ゲーム
2022.11.24

画像を全て表示(13件)

“アニメソング”とは果たして何なのだろうか? 一つの音楽ジャンルを指し示しているように感じさせるが、しかしそこに音楽的な規則性はない。それでも多くの人の頭の中には“アニメソング”と言われて思い浮かべる楽曲の形がぼんやりとあるだろう。この“アニメソング”という音楽ジャンルの形を探るための連載インタビューがこの『アニメソングの可能性』だ。

話を伺うのは、アニメソングを日々チェックし、時にそれをDJとしてプレイするアニメソングDJの面々。多くのアニメソングを日々観測し続ける彼らが感じる“アニメソング”の形とはどんなものなのかを訊き、アニメソングというものを紐解いていこうと思う。

連載第六回に登場していただいたのは、株式会社アニエラ代表・コバヤシリョウ。2009年には長野県松本市でクラブイベント『超新星』をスタートし、2017年にはアニメソング野外フェス『ナガノアニエラフェスタ』を開催。果たして、氏をこれらのイベント開催に向かわせたきっかけはなんだったのだろうか? イベント開催に向けての哲学から、これからイベント開催をしたいと考えている人へのアドバイスまで訊いた。是非とも最後まで読んでいただきたい。


■雷の音を聴くと幼少期に聴いていたあの曲が蘇る

――コバヤシさんにとってのアニメの原風景とは何か、ということから伺えればと思います。幼少期に見ていたアニメで記憶に残っているものはありますか?

僕は1986年生まれなので、周りの友人は『スラムダンク』や『幽☆遊☆白書』を見ていたような世代なんです。ただ、僕自身が幼少期に見たアニメと言われて思い出すのは『鎧伝サムライトルーパー』ですね。

――『鎧伝サムライトルーパー』は1988年に放送開始された作品で、コバヤシさんは当時2歳ですが、リアルタイム視聴ではないですよね?

見ていたのは保育園か、小学校低学年の頃。レンタルビデオ店でいろいろなアニメのVHSを借りて見るのが習慣づいていて、その時に見た作品の一つとして『鎧伝サムライトルーパー』があったんです。すごく気に入った作品で、各キャラクターの必殺技を覚えてサムライトルーパーごっことかしていましたよ。

――放送ごっこ遊びをするには周りで見ている友達が少なかったのでは?

そうなんですよね、だから弟と二人でやってました(笑)。みんながドラゴンボールごっことかしている中、僕と弟だけずっとサムライトルーパーごっこ。年の近い弟がいて本当によかったですよ。

――なるほど。すると、思い出に残っているアニメソングはやはり『鎧伝サムライトルーパー』の楽曲ですか?

そうですね。「サムライハート」も印象的ですし、「スターダストアイズ」に関しては、アニメと面に流れる雷のSE込みですごく記憶に残っています。今でも雷の音を聴いたらあのイントロが自然と頭の中で再生されます。

――SEと楽曲が結びつくというのはアニメソングならではの現象かもしれませんね。

確かにそうですね。SE込みで何回も何回も繰り返し聴くなんてアニメソング以外ではありえない。アニメソングってただ曲だけを楽しむものじゃないんだ、ということを改めて感じさせられます。

■ダンスに熱中していた高校時代、そこで出会ったクラブカルチャー

――さらのその後、小中学生時代はどんなアニメを見られていたのでしょうか?

高校に入るまでは本当に雑食に色々と見ていました。こういうアニメが好き、とか特にもなく、目についたアニメを片っ端から見ていた感じで。『美味しんぼ』とか『デジモンアドベンチャー』とか。あとは特撮も結構見ていました。

――高校に入るまでは、とのことですけど高校生からはアニメを見なくなったのですか?

僕、高校デビューをしているんですよ。なので中学校時代に見ていた『ポケットモンスター』を最後にアニメ見るのを一時的にやめていて。

――最後に見たアニメの記憶がかなり具体的ですね(笑)。

『ポケットモンスター』は大好きだったので、当時熱中して見ていたのはすごく覚えています。でも高校入学を期にバッサリとアニメを見るのをやめた。あれだけ夢中になっていた『ポケットモンスター』も途中から全く見なくなってしまったんです。入れ替わりにブレイクダンスにどっぷりとハマり、全く見る時間がなかったと言いますか。

――ダンスにハマる、ということはクラブカルチャーに初めて触れるのもちょうどその頃ですか?

そうですね。ブレイクダンスを入り口にHIPHOPカルチャーに触れ、そこから自然にクラブには足を運ぶようになっていました。生活習慣自体も、平日はダンスの練習に打ち込み、土日はクラブに出入りするという感じ。そうしたらアニメを見る時間なんて全くなくて……。こと、当時は絶大なヒップホップのムーブメントもありましたから、地方のクラブでも余裕で100人以上の人が集まっていたんです。クラブに行けば誰かに会える、それが楽しくて仕方がなかったですからね。

――当時は「クラブは危険なところ」という風潮もあったかと思います。入りづらさを感じることはなかったのでしょうか?

他の地方のことはあまりわかっていないのですが、松本市のクラブシーンは比較的治安が良かった、あまり危険なところというイメージはありませんでしたね。近くにある信州大学の学生が企画しているクラブイベントなどもあったして、若い人でも入りやすいクリーンなイベントも当時から多くあったと記憶しています。

■学生時代に出会った『E:rror』に現在の“アニメソングDJイベント”の原点を見た

――高校時代でアニメから離れたわけですが、再びアニメを見始めるきっかけはなんだったのでしょうか?

それはすごく明確で。『涼宮ハルヒの憂鬱』(2006年放送)との出会いがきっかけですね。

――なるほど。あれは大きなムーブメントでしたからね。

本当に、あの時のショックはすごかったです。加えて、その当時はニコニコ動画やボーカロイド、『東方Projec』のブームを来ていたじゃないですか。その影響もあって、いわゆるオタクカルチャーにハマるための門戸が広く開かれていて、共通の趣味を持った友達も見つけやすかったんです。

――周りに趣味を共有する仲間がいる、というのは確かに何かにのめりこむための大事な要素ですよね。

加えて当時大学生で暇だった、というのもあった気がしています(笑)。大学の講義サボってアニメ見てました。当時は『涼宮ハルヒの憂鬱』以外にも毎シーズン、面白いアニメがたくさんあった。加えて高校三年間で見れていなかった作品も見始めたものですから、本当にアニメ漬けの日々になっていましたね。

――なるほど。また大学でアニメに戻ってきたと。そこからアニメソングDJとも出会うことになるわけですが、きっかけは何だったのでしょうか?

きっかけは名古屋のCLUB SARUで開催されていた『E:rror』というイベントとの出会いで、あれは確か2007年ごろ、まだ僕は大学生でした。

――『E:rror』と出会ったのはどういったきっかけだったのでしょうか?

当時、名古屋に住んでいた友達から誘ってもらったんですよ。僕がいった時はアニメソングやボカロソングといった、いわゆるオタクカルチャーの中で流行っている楽曲がDJで多く使用されていたんですよね。加えて、クオリティの高いコスプレをした人もたくさんいたのを覚えています。

――いわゆる今の“アニメソングDJイベント”の原型というか、近い空気感を感じますね。

そうですね。“アニメソングDJイベント”とは銘打っていなかったとは思うんですけどね。ただ、中身としては既に今僕らが楽しんでいる“アニメソングDJイベント”そのものを感じていました。

■10人来ればいいと思ってはじめた『超新星』の初回の集客は……

――友人から誘われて行った『E:rror』ですが、お客さんとして参加されていたのでしょうか?

実は出演者としても関わらせていただいているんですよ。以前からクラブでよく遊んでいた友人にDJ SiVAという男がいて、彼と一緒にダンスとDJのショーケースをやらせてもらうことになって。その時はダンス楽曲として『セキレイ』のエンディング「Dear sweet heart」を使用したのを覚えています。加えてDJ SiVAがアニメソングでDJプレイもやったんですよね。

――そんな『E:rror』との出会いを経て、2009年には地元松本で『超新星』がスタート。小林さんもGUNSHI名義でレギュラーDJをつとめています。

『E:rror』への出演にDJ SiVAがすごく衝撃を受けたらしく、「長野でも同じようなイベントを立ち上げたい」と話していたんですよ。それが形になったのが『超新星』。僕は最初期は仕事の都合で参加できなかったのですが、途中からDJとして仲間入りさせていただきました。

――当時だと、長野でオタクカルチャー向けのDJイベントというのはかなり珍しかったのではないでしょうか?

おそらく長野初の試みだったと思いますね。聞いた話ですが、初回開催から60人ものお客さんに来ていただけたらしく。

――初回で60人はかなりすごいですね!

主催者サイドとしては、10人ぐらい来ればいいんじゃないかな程度に考えていたので本当にびっくりしました。そこからどんどん人が増えていって気付けば100人越え。毎回長野県の隅々から松本に向けて人が集まってくださった。本当にありがたかったですね。

――アニメソングDJイベントがまだ市民権を得ていない時代だったかと思いますが、会場側の理解を得るのが難しいということはなかったのでしょうか?

その点で苦労したことはありませんでしたね。というのも、開催させてもらっていたSONIC Matsumotoは高校時代から顔馴染みの会場だった。最初に提案した時も、DJ SiVAのやりたいイベントを快く迎え入れてくれたんです。本当に環境に恵まれたと思いますね。

シェア / 保存先を選択