ゴッホの作品から強さや生命力を感じてーー『阪神・淡路大震災30年 大ゴッホ展 夜のカフェテラス』 担当学芸員が語る、彼の生き様と作品の魅力
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2025年9月20日(土)〜2026年2月1日(日)の期間、兵庫・神戸市立博物館にて阪神・淡路大震災から30年の取り組みのひとつとして『阪神・淡路大震災30年 大ゴッホ展 夜のカフェテラス』が開催されることが、昨年夏発表された。フィンセント・ファン・ゴッホのコレクションで世界的に名を馳せるオランダのクレラー=ミュラー美術館が所蔵するゴッホの優品約60点が集結し、名作「夜のカフェテラス(フォルム広場)」が、2005年以来、約20年ぶりに来日を果たすという大きなトピックスにも心が躍る。また、本展覧会開幕から2年後の2027年に、こちらも名作と呼ばれる「アルルの跳ね橋(ラングロワ橋)」を含む第2期も予定されるなど、“大”ゴッホ展とのネーミング通りこれまで国内では類を見ないほど大規模な展覧会となる。この開催を前に、『大ゴッホ展 夜のカフェテラス』の神戸展の担当学芸員である神戸市立博物館の塚原晃に、インタビューを敢行。開催までまだ半年以上ある中、今回の展覧会についてはもちろん、ゴッホの生き様や作品への取り組み方、そして阪神・淡路大震災から30年という月日を重ねる神戸でこの大規模展を開催する意義についてじっくりと話を聞いた。
塚原晃学芸員
ゴッホの人生が色濃く映る作品の数々
――今秋、神戸市立博物館でこれまでに類を見ない規模で『大ゴッホ展』が開催されるという公式発表が昨年末にありました。ゴッホ作品の展覧会はこれまでにもありましたが、この『大ゴッホ展』の一番の特色からお聞かせください。
特に21世紀に入ってから日本でもさまざまなゴッホ展が開催されてきましたが、これまでの展示作品数はせいぜい30点ほどでした。それに対して今回は会期をふたつに分け、第1期の展示だけでも約60点がお目見えします。第2期と合わせると100点を超える規模になります。ここまで大きな展覧会はなかなかありませんし、公開作品の中にファン・ゴッホの代表作が含まれますので展覧会のタイトルに“大”と付くのも納得していただけると思います。
――従来の展覧会の倍近いゴッホ作品が日本にやってくることからも、作品を所蔵しているオランダのクレラー=ミュラー美術館のコレクションの充実度の高さがうかがえます。
その通りです。実は世界最大のコレクションを保有するのはアムステルダムのファン・ゴッホ美術館ですが、次点となるのがクレラー=ミュラー美術館です。実はファン・ゴッホ専門の美術館として開館したのは1938年とクレラー=ミュラーの方が先で、その分コレクションも充実しています。ファン・ゴッホの専門美術館としては世界最高のひとつと言って間違いありません。
――そのクレラー=ミュラー美術館のコレクションの魅力と言いますと?
「夜のカフェテラス」も「アルルの跳ね橋」もそうですが、本当に重要な作品を所蔵していることですね。クレラー=ミュラー美術館は夫のアントン・クレラー=ミュラーと妻のヘレーネ・クレラー=ミュラーによるコレクションを基に開館したのですが、妻のヘレーネさんがとても重要な人なのです。この人がファン・ゴッホの遺した手紙を読んで感動したことをキッカケに、作品の収集を始めました。当時はまだファン・ゴッホの作品は今日ほど有名ではありませんでしたが、彼女の夫はオランダを代表する商社の社長を務めていて資産家として名を馳せていたので、その豊富な資金を注ぎ込むように作品を集めたのです。彼女が資金に糸目をつけずに作品を買い集めたことで、ファン・ゴッホの作品は有名になり評価額も上がっていきました。つまり世界に先駆けてファン・ゴッホの価値を決めた人でもあります。
――そのような美術館のコレクションの中から、どういった作品が神戸にやってくるのでしょうか。
まずファン・ゴッホの37年の人生を2期に分けて展開する予定になっています。今年開催する第1期は、彼の前半生にあたります。ところが「前半生」といっても、彼が亡くなる2年前までを「前半生」として展開する予定です。
――後半生が2年! でもその短い期間の作品を第2期として展開できるほどの作品数があるということですよね。
作品数ももちろんですが、後半生の作品は内容がとても濃いのが特長です。そこに繋げるためにも、まず第1期はファン・ゴッホがどういう人かを知るためには欠かせない作品が揃います。
――中でも注目すべき作品というと……。
作品には彼の生い立ちがかなり大きく関わってきます。ファン・ゴッホの生まれは、オランダ南部のズンデルトという小さな村でした。お父さんは優秀な牧師さんでしたが、裕福とはいえない家庭で育ちます。さらに彼は人付き合いが苦手で、不登校を繰り返したり周りから問題児として見られていた人でした。
――生きづらさを抱えていたのですね。
就職してもうまくいかずやめてしまった後、父と同じ道を目指しても思うようにはならず……以前勤めていたのが美術に関わる会社だったので絵は好きでした。「これはもう、絵を描いて身を立てるしかない」という決断をしたのが27歳の頃です。
――37歳で亡くなることを考えると、遅めの決断にも感じます。
そうですね。その決断を機にアントン・マウフェという画家に絵を習い始めるのですが、当時ハーグ派と呼ばれる画家たちの中で非常に有名な人でした。そんなマウフェに教えを請うて一生懸命描いたのが「麦わら帽子のある静物」です。
――これが初期作……!
ただこれは一見うまく描いているように見えますが、実は先生が手取り足取り教えた結果、出来上がった作品でした。そしてその後、彼が起こした唐突な行動が原因で破門されてしまうんです。
――なんだか令和を生きる人にも通じるものがあるエピソードですね。
本当に今度こそ天職を、と思っていたのに自ら苦難を呼び寄せていますね。この頃のファン・ゴッホの苦難を象徴するのが、「ストーブのそばに座る女性(シーン)」という作品です。ここに描かれているのはシーンさんという、ファン・ゴッホがハーグで絵の勉強に励んでいた頃に偶然出会った女性です。実はこの方、お子さんがいる上に妊娠していて、お腹の子の父親が誰かわからないのですが、ファン・ゴッホは彼女を守りたいと考えるようになって同棲まで始めてしまいます。
――情熱的というか、激情型というか!
本人の性格もそうですが、お父さんが宗教家だったこともあって人を救うことについてずっと考えていたのも根本にあると思います。でもさすがにこの行動は家族には理解されず「別れなさい」と言われ続けるのですが、頑としてファン・ゴッホは絶対彼女を守り抜くと譲りませんでした。けれども彼女はファン・ゴッホの許を去って水商売の仕事に戻っていってしまい、裏切られる形で同棲生活も終わりを告げます。これは彼が人生で唯一家庭を持とうとする出来事だったのですが、それも泡と消えてしまうのです。
――失意のどん底に落ちてしまうわけですね。
そうなんです。絵の先生からも恋人からも見限られて、絵も何を描けばいいのかわからなくなってしまう。けれど独学でなんとかしていこうと考えるようになるんです。というのもバルビゾン派の巨匠で(ジャン=フランソワ・)ミレーという農民や彼らの日々を描いて一世を風靡した画家がかつていまして、彼の絵はとにかく有名で複製されて、モノクロの版画として流布されました。以前よりファン・ゴッホはこれにいたく感激し、自分もこういうふうになりたいと憧れていて、試行錯誤しながらも農作業に従事する人たちの姿を描くようになりました。その集大成が「じゃがいもを食べる人々」という作品です。今回はこの複製版画――複製版画といっても、これはファン・ゴッホ自身が版画のやり方を勉強して自分で刷ったものが神戸にやってきます。実は彼はこの作品を仕上げるのに、大きな苦労をしたんです。モデルである農民たちと寝起きを共にしながら、彼らの姿をスケッチしつつ膨大な準備期間をかけて作品を作り上げたのですが、これも全く評価されないどころか画家仲間に酷評されて大喧嘩になってしまうんです。
――なかなか報われないのは、辛いものがあります。
そういうこともあってか、ファン・ゴッホは村で悪い噂を流された挙げ句、「あいつのモデルをしてはいけない」と言われて、制作を断念せざるを得なくなります。とにかく人や社会との距離が上手に取れないし、素晴らしい絵が描けたと思っても報われない、そういうことを繰り返す日々が続きました。でも彼は決してめげることはなかった。絵をやめようとは生涯にわたって思うことはありませんでした。
――やりたいことを諦めない強さのある人なのですね。
農民の絵を描いている間は、自分は色使いが上手ではないと能力の限界を理解していたんです。その間はモノクロームを基調にした絵や素描に取り組んで、デッサン力や構図の力を磨こうと努力しました。努力の甲斐あって色の使い方も少しずつ上達し風景画も描くようになってきた頃に、弟のテオが住むパリに移って鮮やかな色彩を用いた表現への挑戦を考えるんです。
――挑戦を決めたキッカケはあったのでしょうか。
当時パリでは印象派の絵画が流行していて、ファン・ゴッホの耳にもそれは届いていました。けれども目にしてみないとどんな絵画かは知る由もありません。とにかく直接観たいというのがキッカケだったのでしょうね。当初は印象派の絵画によい印象を抱かなかったようですが、作品がどんどんカラフルになっていったのは影響を受けたからでしょう。
――なるほど。そして『大ゴッホ展』の第1期でサブタイトルにもなっている「夜のカフェテラス」のような作品を描くのですね。今回の展覧会の目玉の作品でもあります。
実は「夜のカフェテラス」に至るまでにも、ファン・ゴッホにはいろいろな出来事がありました。印象派・新印象派にも影響され色彩表現にも目覚めていきますが、同じような絵を描いていても意味がない、もっと他のやり方があるはずだと模索する中でたどり着いたのが筆の動きを速くして描くブラッシュワークと色彩の対比でした。特に黄色と青の対比、オレンジ色と青、紺色の対比に目覚めていきます。ただ色彩の実験を重ねていく中でも、彼はモデルを雇うお金もなく花ばかり描いたり、自分の顔を描いたりすることを重ねて独自の作風を確立していきます。実はその間もパリでは弟のテオとの同居生活が続いていたのですが、ふたりの関係は悪化していました。これまで合わない人とはすぐに関係を断ってきたファン・ゴッホでしたが、金銭的援助もしてくれていたテオを切ることはできないと彼の許を離れて生活することを模索するんです。
――弟だけは、と。
はい。そしてマルセイユを目指して旅立つのですが、その途中に立ち寄ったアルルの街を気に入ってそのまま居ついてしまいます。「夕暮時の刈り込まれた柳」と「夜のカフェテラス」は今回展示するアルル時代の作品です。
――アルル時代というのは、精神状態も少し落ち着いた頃だったのでしょうか。
落ち着いたというより、なんとなく希望が見えてきたという感じだったかもしれません。明らかに他の誰もやっていない表現を見つけて作品を作るようになっていたので、ある意味ファン・ゴッホにとって一番幸せな時代ですよね。相変わらず貧乏で評価もされていないけれど、なんとなく光が見えていた時代だと思います。
――そのような時期に描かれたのが「夜のカフェテラス」なのですね。
この作品は色彩の素晴らしさもありますが、彼の内面性が表れている素晴らしさにも注目していただきたいですね。そしてこの作品をはじめアルル時代の作品には「日本」を意識したものも多くなります。
――日本!
ファン・ゴッホはパリに移る前から、浮世絵に興味を持っていました。浮世絵はもちろん、日本とはなんと素晴らしい国なんだ! と妄想にも似た憧れを抱くようになるんです。
――よほど浮世絵が大きなインパクトだったのですね。
そしてアルルに着いてから、ここが日本そのもののような街ではないかと考えるようになります。パリよりも暖かくて太陽が燦々としていて、空気が澄んでいる。これこそ日本ではないかと。そういう日本的な美しさや柔らかさの中に、少しトゲトゲした彼の哲学観を包み込むような美しさを追求したのが、「夜のカフェテラス」なのです。
――日本人である私たちにもどこか通じるところがある作品だなんて!
実際にファン・ゴッホの作品の研究者は、この絵を語る上で広重の作品の中に江戸の夜景を描いたもの……その絵も空に青みがかっていることもあって何か関係しているのでは? と唱える人もいるほどです。
――「夜のカフェテラス」に関して、ゴッホ自身何かメモなど書き残していたのでしょうか。
明確に広重の名前などは書き残していませんが、たしかに類似した構図を持つ広重の浮世絵版画がありますので、その関連性は否定できないでしょう。またファン・ゴッホはこの夜のカフェ・テラスの情景を実際見ながら描いたのですが、その体験がかなり楽しかったことを妹あての手紙で記しています。「手紙あってのファン・ゴッホ」だと思います。クレラー=ミュラー美術館のへレーネも、手紙を読まなかったら作品を欲しいとは思わなかったでしょう。ファン・ゴッホの手紙は、全体として読んでいると辛くなるような内容が多いのですが、でもこんな手紙をしたためた人が描いた絵はどんな作品なのだろうと思わずにはいられませんよね。
――そんな彼の前半生――迷ったり、葛藤したり、少し未来が見えた頃の膨大な作品を展示するにあたって、見せ方として工夫される点をお聞かせください。
見せ方としては単純で、時系列で並べることです。ただそれだけだとお客さんも混乱するでしょうから、ある程度主題ごとに展示することもしますが、例えば油彩画との素描を分けるのではなく、同時期のものは隣り合って展示するという構成を予定しています。そしてそれぞれの作品との関連性みたいなものも表現したいですね。
――塚原さんのお話を伺っていると、ゴッホの時系列に沿った生き様が理解できると、なぜこのような作品・作風になったのかということへの理解が深まるので、それこそ作品を時系列に追って行けるのは貴重な機会ですね。そして今回の展覧会には、阪神・淡路大震災から30年という節目の年に開催されるという大きな意義もあります。震災から30年が経つ2025年に神戸でゴッホの展覧会を開催することで、提示したいこととはどんなことでしょうか。
ファン・ゴッホは「諦めない人」だった、それは大きなことだと思います。自分がいくら批判されても自分がとんでもない失敗をして傷ついたとしても、絵を描くこと自体は絶対にやめようとはしなかった。自分が絵を描くことで自分自身が救われるはずだと考えていました。そういうファン・ゴッホの強さや生命力が展覧会を通して伝わってくれるのではないかと思います。そしてタイトルにも入っている「夜のカフェテラス」ですが、私は青と黄色の対比の美しさだけでも非常に人を癒す力があると思うのです。ただファン・ゴッホ自身は私と少し考えが違っているようです。
――考えが違うというと?
実はファン・ゴッホにとって夜のカフェテラスという場所やここに灯る光は決してポジティブなものではないんです。同棲していたシーンさんは、どんなに自分が尽くしても夜の世界に戻っていってしまった。当時夜のカフェは繁華街や風俗街の象徴で、決してよいイメージではない場所でした。要するに人間の弱さや儚さを象徴する場所であると。それに対して夜空というのは、永遠に変わらない大自然でこの世界そのものの存在ということで、その対比なんですね。
――なるほど。「夜のカフェテラス」も当時のことやゴッホの考え方を知ると、全く違う視点で見えてきますね。ちなみに先に行われた展覧会の記者発表会では、登壇されたみなさんが「若い世代の方に芸術、そしてゴッホの作品に触れてほしい」と願われていたのがとても印象的でした。若い方々に作品のどんなところに注目してほしいと思われていますか?
とにかく貧しくて人や社会と繋がりを持てず、彼は本当に孤独な人でした。ただその生涯の間……たかだか10年ほどの年月で、2,000枚の絵を描いたといわれています。時間でいうと、45時間たらずでひとつの作品を描いていた。同じように手紙も900通近く書いているんです。それもとんでもなく長い手紙を。
――伝えたいことがとにかくたくさんある人だったのですね。
絵でも言葉でも表現する人でした。その人が社会的に評価されず、人とも繋がりが持てない。これをどう考えるかなのですが、我々もいろいろな失敗や人間関係のいざこざで悩んだりしますけれど、ファン・ゴッホはそういう次元の人ではない。こういう人もいるのだということをわかってもらえたら嬉しいです。
――作品を見て彼の人となりも知ることで、自分にフィードバックできることもたくさんありそうです。この展覧会自体は今年9月のお話ですが、さらにその後に控える第2期も構想が始まっていると伺っています。
決まっているのは「アルルの跳ね橋」という代表作がやってくることです。彼の後半生には、さらなる苦難が襲いかかることになりますが、絵の方はどんどん研ぎ澄まされて素晴らしい作品になっていきます。こちらもぜひお楽しみにしてください。
取材・文=桃井麻依子
イベント情報
火~木・日・祝 9:30~17:30
金・土 9:30~20:00
休館日:月曜日、12月30日(火)~1月1日(木)
※ただし、月曜日が祝日または休日の場合は開館し、翌平日に休館
・神戸市立博物館 2025年9月20日(土)~2026年2月1日(日)
・福島県立美術館 2026年2月21日(土)~5月10日(日)
・上野の森美術館(東京)2026年5月29日(金)~8月12日(水)
・神戸市立博物館 2027年2月~5月頃(開催確定後に公表)
・福島県立美術館 2027年6月19日(土)~9月26日(日)
・上野の森美術館(東京) 2027年10月~2028年1月(期間確定後に公表)
特別協力:クレラー=ミュラー美術館
企画:ハタインターナショナル