モーツァルトとサリエリの共作曲が発見 16日に現地で記者会見

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クラシック
2016.2.15
チェコ紙『チェスケ・ノビニー』サイトより

チェコ紙『チェスケ・ノビニー』サイトより

オーストリアの作曲家 ヴォルフガング・アマデウス・モーツァルトと、そのライバルとして、また彼を毒殺した疑いのある人物としても有名になってしまったイタリアの作曲家 アントニオ・サリエリの共作曲がチェコの博物館で発見された。

チェコ国立博物館の広報担当者は「これは本当に価値のある作品で、すでに失われたものと長い間考えられていた」とAFPの取材に対して話したという。

この共作曲は『フィガロの結婚』や『ドン・ジョヴァンニ』などの台本を作った人物として有名なイタリアの詩人 ロレンツォ・ダ・ポンテのオペラの台本を曲にした作品だ。16日には、この曲に関する記者会見がプラハで予定されており、演奏される可能性もあるという。

映画『アマデウス』の中では、サリエリがモーツァルトにレクイエムの作曲を依頼し、完成した後にモーツァルトを殺害。それを奪って自らの作品にするよう目論むという内容になっているが、これはフィクションである。サリエリは演奏家や教育者として活躍した人物で、ハイドンのオラトリオ『天地創造』の初演ではチェンバロを担当したり、モーツァルトの『交響曲第40番ト短調』、『レクイエム』、『戴冠式ミサ曲』を指揮したことなどから、多くの音楽家から信頼されていたことがわかる。また、教育者としての活動は更に目覚しいものがあり、門下生にはベートーヴェン、ツェルニー、シューベルト、フンメル、モシェレス、リストといった世界的な音楽家が名を連ねている。若くして両親を失ったサリエリにとって、師である宮廷楽長のガスマンは父親のような存在であり、無償で熱心に音楽を教えてくれた人物であった。そんなガスマンに対する恩義を忘れず、自分も同じように報酬なしで若い人に教えようと心に誓った。また、慈善活動にも熱心で、経済的に困っている音楽家の支援を積極的に行った。そのため、生前は絶大な人気があったが、同時代の多くの作曲家と同様、死後忘れ去られた存在となり、さらには映画の影響であまり良いイメージを持たれなくなってしまった。

ちなみに、サリエリの存命中もモーツァルトとの対立は噂をされていたが、サリエリはそれを否定した。しかし世間では対立の噂が広がってしまったという。噂が広がった理由の一説には、ウィーンの町でドイツ派とイタリア派の対立があり、ドイツ派によるイタリア派駆逐の一環として、長年ウィーン音楽界に君臨してきたサリエリが標的とされたのではないかとされている。

今回の共作曲の発見により、モーツァルトとサリエリの関係に新たな事実がわかるかもしれない。今後の動きに注目したい。

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