喬太郎が語り倒す! 佐山が乱れ弾く! 噺・柳家喬太郎&ピアノ・佐山雅弘にインタビュー

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2016.3.6
柳家喬太郎・佐山雅弘

柳家喬太郎・佐山雅弘

2011年5月に『ぼっちゃま』(作:鈴木聡、演出:河原雅彦、音楽監督&ピアノ:佐山雅弘)という演劇が上演された。そのスピンオフ企画として、『ぼっちゃま』で共演した柳家喬太郎と佐山雅弘が、同年12月に代官山のライブハウスで1日だけライブをおこなったことがある。ジャズピアニストの森田さん(佐山雅弘)の生涯を、日本の戦前から戦後にかけての芸能史に絡め、元太鼓持ちで古物商の榊原さん(柳家喬太郎)が語り倒した。場内、大変な盛り上がりを見せたという。それが『森田さんライブ』だった。

このほど、その幻のライブをさらにヴァージョンアップさせた『ニッポン芸能史を生きた男・森田さんの愉快な一生』が4月に紀伊國屋ホールで上演されることとなった(原案・構成:鈴木聡)。宣伝コピーは 「喬太郎が語り倒す! 佐山が乱れ弾く!戦前から戦後までの日本の芸能史を、人気落語家・柳家喬太郎の噺と、天才ジャズピアニスト・佐山雅弘のピアノで、愉快に綴ります」 …というわけで、さっそく、その二人から話を聞いた。


“森田さん”の謎を解く

--2011年に『ぼっちゃま』のスピンオフとして、お二人で『森田さんライブ』をやったのはどうしてだったのですか?

柳家喬太郎(以下、喬太郎): 最初は佐山さんと鈴木聡さんとですごく盛り上がったんですよね。
佐山雅弘(以下、佐山): そうでしたね。盛り上がりましたね。
喬太郎: 『ぼっちゃま』の時は、お芝居の経験があまりないぼくと、ピアニスト兼音楽担当だった佐山さんは、ある意味、出演者でありながら舞台を客観視できるような立ち位置の役柄だったんです。しかも、ピアニストの森田さんという「芸能の人」と、ぼくは元太鼓持ちで古物商になった榊原さんという「元・芸能の人」。そういう二人だったことから、鈴木さんや佐山さんがあのライブを発想されたのではないかと思いますね。
佐山: ピアニストの森田さんは、『ぼっちゃま』の中で出自が一番はっきりしない役柄だったんですよ。人物の背景があまり描かれていなかった。だから、その森田さんの謎解きをしよう、と鈴木さんと話して。それを語るには、元太鼓持ちという役柄の人がちょうどよかったんですね。

--古物商の榊原さんは『ぼっちゃま』の時、かなり派手に立ち振るまいながら、喋りたおしたとか。

喬太郎: はい。派手に立ち振るまう必要は全然なかったのですが(笑)。稽古の中で自然にそういうふうになってしまって。しまいには、演出の河原さんが「喬太郎さんのコーナー」なんて呼び始めてしまって。

--ライブもそんな感じで喋りたおした?

喬太郎: はい、『ぼっちゃま』の榊原さんがそのままライブにも出て来て喋りました。一方の森田さんはピアノを弾くだけで一言も話さない。

柳家喬太郎

柳家喬太郎

--今回、再演することになったいきさつは?

佐山: ぼくがずっとやりたかったんです。なのに、機会がなくて…。スケジュールが合せられないんですよ。お互い売れっ子ですからね
喬太郎: ここは書き漏れのないようにお願いします(笑)
佐山: そうこうするうちに、鈴木さんと共に関わってきた『恋と音楽』シリーズ(パルコ劇場/稲垣吾郎主演)ファイナルの本番中に「そういやさぁ」と鈴木さんとこの話が再燃したんです。

自分の素養を大手を振って披露できる

--佐山さんがやりたかった理由は?

佐山: 森田さんはジャズが大好きなのね。でも戦時中は敵性文化ということで禁じられていた。戦後になってやっと出来るようになるんだけど、森田さんは売れなくて「ぼっちゃま」の屋敷の隣のアパートで日がな一日ピアノばっかり弾いてるっていう設定だったの。芝居では、その演奏が劇伴にもなっていて、実によく出来ていた。「森田さんライブ」の時に、彼の背景を辿ってゆくと、日本のジャズ史というか、その頃のジャズ史はそのままポピュラー音楽の歴史でもあったから、それがわかりやすく浮かび上がって来るわけです。それを太鼓持ちという芸人が語り出すと、そこに落語史もかぶってくる。昔の色んな噺家の芸が次々に飛び出してきて、それがもう本当に素晴らしいわけ。台本にはちっとも書いていなかったんだけどね。
喬太郎: 時代設定は終戦直後からの数年間。ぼくの師匠の師匠、つまり大師匠にあたる先代の柳家小さんが真打に昇進したのが昭和22年。25年には五代目小さんを襲名してます。榊原さんはその真打昇進の披露興行を観に行ったり、ひょっとすると楽屋にも顔を出したりしてるかもしれないぞ、なんてふと思いましてね。そのとき、榊原さんと柳家喬太郎がスッと近づいた気がしました。
佐山: 喬太郎さんは真打ですよね。
喬太郎: はい、真打です。いちおう。
佐山: そういう人は、もはや高座で他人のマネとかしちゃいけない立場です。自分のスタイル、自分の芸を見せないといけない。ぼくもそう。ぼくは、チック・コリアでもオスカー・ピーターソンでも本当はいろんなスタイルを弾けるんだが、それはあくまで自分の中の“裏地”の部分であって、表立ってはやっちゃいけないわけ。でもね、このライブでは、やってもいいんだ。喬太郎さんもそう。今まで勉強して来た素養を大手を振って見せられる。昔のジャズは良かったよねっていうのを自分で実演できるのが、ファンのかたも喜んでくれるし、何よりも自分が一番喜ぶ(笑)。

佐山雅弘

佐山雅弘

--今回ヴァージョンアップするというのは具体的にはどのような?

喬太郎: 前回やった代官山の「晴れたら空に豆まいて」というライブハウスは空間が異色で。前方のステージで佐山さんがピアノを弾いた。で、客席の後方に一段高い場所があって、そこでぼくが語りをやったんですよ。だから、真ん中のお客さんを音楽と語りで挟み込む形で面白かった。
佐山: あれは、やりやすかったね。
喬太郎: でも今度は紀伊國屋ホールで、舞台はひとつだし、空間は大きいですからね。そこをどう見せるか。その工夫は鈴木聡さんにおまかせして…、まあ、やってくれない気もするんですけどね(笑)
佐山: 丸投げされそうな(笑)
喬太郎: そんな気もするんですよ(笑)。でも丸投げされたら、よけますけどね(笑)

--佐山さんはジャズ落語といったコラボをやられてきていますが、もともと落語とか演芸などがお好きなのでしょうか?

佐山: 普通です。みんなが普通に好きな程度に好き。そこにどっぷり浸かるというほどではありません。ただ、大阪育ちなので、子どもの時分、学校から帰宅すると、テレビで吉本新喜劇を見て笑いながら、ハノンのピアノ練習曲を毎日30分づつ弾いてましたね。それでピアノが随分と上手になったのかもしれない(笑)。
喬太郎: ジャズのかたは、落語好きもけっこういますよね。
佐山:そうですね。北村英治さんもすごく落語好きでしたしね。一方、落語家さんにもジャズ好きの人がいますね。
喬太郎: 林家正蔵師匠とか。
佐山: あの人は特にね。自分でもラッパ(トランペット)やるしね。

柳家喬太郎・佐山雅弘

柳家喬太郎・佐山雅弘

「説明的にではなく」芸能史を伝えるライブ

--今回の森田さんは「ニッポン芸能史を生きた男」ということですが…

佐山: そう。大きく出ましたよね。ニッポン全体の芸能史となるとさすがに手に余る。ただ、ぼくも進駐軍からジャズを習った世代の先輩方から直接教わってますし、そういう方々と親交もあるんでね。そういう面からつなげてゆきやすいと思います。たとえば戦前に服部良一がジャズに目覚めて中国に渡ったみたいなことは音楽史として、しっかり自分の身にしみついている。終戦後には、ハンプトン・ホーズというピアニストが進駐軍の一員で来日するんですが、そこからモダンジャズが日本に伝わったんです。そのあとに守安祥太郎が出てきて日本独自のジャズが生まれる。ジャズが芸術として社会に貢献できるだろうかなんて言い出されるのは60年代に入ってからの話。今回の森田さんは守安になれなくて、町のピアノ弾きで終わった人なんですね。大正から日中戦争、太平洋戦争、そして戦後という、時代時代のスタイルの変遷をピアノの音で表してゆく。説明的でなく、感覚で伝えることができると思ってます。

--喬太郎師匠は、佐山さんより下の世代ですよね。“ウルトラマン”の世代といいますか…

喬太郎: はい、“ウルトラマン”世代です。生まれも(ウルトラマンの街)祖師谷大蔵です。小さい頃は西永福に住んでいた祖父の家を訪ねることが多く、小田急線から井の頭線に乗り換える下北沢でよく降りて母と買い物をしました。その頃は本多劇場もなく、反対側のピーコックに行こうとすると、その右手にあった、あの線路沿いの雑多な市場みたいなところを見て、「これが闇市か」と思ったものでした。
佐山: あそこは闇市っぽい(笑)
喬太郎: ぼくの時代に闇市なんてあるはずないんですけどね。その頃、傷痍軍人のかたも見かけたりしました。だからまだ戦後を引きずっている感覚はあったんです。それから、幸いなことにぼくのいる世界(落語界)には長生きの諸先輩方がたくさんいらっしゃって、そういう方々の話を聞く機会も多い。そして、落語家にはジャズ好きも多いですが、懐メロ好きもけっこう多いんですよね。ぼくの上にも下にもいるんですね。ぼく自身もそうですし。そういったところから嗅ぐ匂いが、昔につながってゆく。だから佐山さんからぼくにつながってゆくところに隙間は全くないと感じてます。

柳家喬太郎

柳家喬太郎

--いただいた企画書によると喬太郎師匠については「歌あり語りあり落語あり」とのことですが…

喬太郎: 「歌あり」って書いてあるんですか? うわーっ、だまされましたなあ(笑)。前回のライブでは歌ってませんでしたから。
佐山: そうですね。
喬太郎: 打ち上げでは歌いましたけどね(笑)。いやぁ、いま初めて知りました。また何か、陥れられた感じがします(笑)

--企画書に書いてある「佐山が乱れ弾く」というのは、どういった状態ですか(笑)

佐山: ああ、ぼくは行儀が悪いんですよ(笑)。演奏しながら、(体躯を左右に捻じ曲げ)あんななったり、こんななったりと…(笑)

佐山雅弘

佐山雅弘

--最後に読者の皆様にメッセージを。

喬太郎: ニッポン芸能史なんてタイトルで、テーマ性のあるライブと思われがちですが、けっしてそういうつもりで来られませんよう。ぼくら、そういうつもりでやりませんからね。好きなことを演奏して、好きなことを喋っているだけですから。…まあ、東京の桜が散り始める時分に、春の最期を楽しみに寄っていただけばよろしいんじゃないでしょうか。
佐山: さすが!うまいですねえ。
喬太郎: 親がコピーライターだったもので(笑)
佐山: ジャズファンの人も落語ファンの人も色んなスタイルを楽しく見ていただけます。その中から透けて見えてくる、あるいは浮かび上がってくる何かを感じていただければ…。お客様もライブの参加者ということで、ぼくらと一緒に作ってゆけるライブだと思ってくださるといいですね。

柳家喬太郎・佐山雅弘

柳家喬太郎・佐山雅弘


構成・文:安藤光夫  撮影:大野要介

公演情報
噺・柳家喬太郎 × ピアノ・佐山雅弘
「ニッポン芸能史を生きた男・森田さんの愉快な一生」

■出演:柳家喬太郎 佐山雅弘
原案・構成:鈴木聡
日時:2016年4月11日(月)19:00開演
会場:紀伊國屋ホール
料金:4,300円(全席指定・税込)
問い合わせ:㈱ミーアンドハーコーポレーション TEL.03-5466-2185(平日12:00-18:00) 
moritasan@me-her.co.jp
企画・製作:㈱ミーアンドハーコーポレーション
■公式サイト:http://www.me-her.co.jp/produce/



プレオーダー受付=3/5(土)12:00~3/7(月)23:59
一般発売=3/12(土)10:00~
 
【プロフィール】
 
柳家喬太郎(やなぎや きょうたろう)
落語家。1963年、東京都生まれ。日本大学在学中から落語研究会で頭角を現す。卒業後に入社した大手書店を辞め、‘89年に柳家さん喬に入門、前座名「さん坊」。‘93年、二つ目昇進「喬太郎」となる。2000年に12人抜きで真打昇進。古典、新作の両方を手掛け、どちらも高評価を得ている。俳優としても、舞台『斎藤幸子』(09)『ぼっちゃま』(11/ともにパルコ・プロデュース)、ペテカン20周年記念公演『この素晴らしき世界』(15)に出演。『スプリング、ハズ、カム』(吉野竜平監督)では映画初主演を果たす。

佐山雅弘(さやま まさひろ)
ピアニスト・作曲家・編曲家。国立音楽大学出身。「モントルー・ジャズフェスティバル」への出演などで日本を代表するピアニストとしての地位を確立。ピアノトリオによるスタンダード集『Vintage』が発売中。近年の主な参加舞台に、『月猫えほん音楽会』(99~)、『林家正蔵と佐山雅弘のジャズ落語』(08~)、『ぼっちゃま』(11)、『恋と音楽』シリーズ(12・14・16)、『鴎外の恋 舞姫エリスの真実』(12)、『右近健一一人芝居 with Jazz band featuring 佐山雅弘「いとしのエウリディーチェ。」』(15)など。ミューザ川崎シンフォニーホールアドバイザー、昭和音楽大学特任教授、名古屋音楽大学客員教授。

鈴木聡(すずき さとし)
1959年東京都生まれ。早稲田大学卒業後、広告会社・博報堂に入社、コピーライターとしてヒット作を多数生み出す。83年、劇団「サラリーマン新劇喇叭屋(現ラッパ屋)」を結成。現在は、脚本家として幅広く活躍。代表作は、ミュージカル『阿OKUNI国』(木の実ナナ主演)、松竹『寝坊な豆腐屋』(森光子・中村勘三郎主演)、劇団青年座『をんな善哉』(高畑淳子主演)、パルコ『恋と音楽』シリーズ(稲垣吾郎主演)、NHK連続テレビ小説『あすか』『瞳』など。

 

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