大谷康子、笑顔で東京交響楽団を「卒業」

2016.3.30
レポート
クラシック

3月26日に開催されたサントリーホール公演より (c)池上直哉/東京交響楽団

1995年のコンサートマスター就任以来、東京交響楽団の顔として活躍してきた大谷康子が任期満了を迎えた。彼女のコンサートマスターとして最後の舞台となったのは、過去にも共演を重ねてきたドミトリー・キタエンコの指揮、独奏には若きヴァイオリニスト成田達輝を迎えて開催された二回の定期演奏会だ。その二日目となった3月27日の演奏会でも彼女はこれまでと変わらぬ見事な演奏を聴かせ、終演後には笑顔で聴衆にそして同僚たちに大きく手を振って、彼女らしく爽やかに東京交響楽団での最後のステージをしめくくった。その姿に、場内からはこの日一番の、大きく長い、そして暖かい拍手が贈られた。

東京交響楽団は「彼女の功績をたたえて団としては初の「名誉コンサートマスター」の称号を彼女に贈る」と発表している。秋山和慶&大友直人、そして飯森範親が競い合うようにそれぞれの個性を発揮した時代から、ユベール・スダーンとの蜜月を経て現在のジョナサン・ノットとの飛躍を迎えた現在にいたる東京交響楽団の充実に彼女が寄与した功績は忘れられることはないだろう。

東京交響楽団の退団をもって、東京シティ・フィルハーモニック管弦楽団時代から続いた大谷康子のコンサートマスターとしての活動はひと区切りとなる。昨年の演奏活動40年を記念して東京交響楽団と披露した「一つのコンサートで四曲のヴァイオリン協奏曲を演奏」してみせた離れ業の記憶も新しいところだが、彼女は今後ソリストとして、また室内楽の演奏や後進の指導に注力する他、4月からは「おんがく交差点」(BSジャパン)で旧知の仲である春風亭小朝と共に司会者を務めることも決まっている。

東京交響楽団のファンであれば、演奏の後にマエストロを称える彼女の笑顔を印象深くご記憶だろうと思う。いい演奏を聴かせてもらった我々聴き手以上にうれしそうなその姿に出会えなくなることには若干の寂しさもあるけれど、また別の「舞台」で活躍してくれるだろう大谷康子の今後に期待し、長年の活躍に御礼申し上げたい。

この笑顔ともとお別れとなる(3月26日公演より) (c)池上直哉/東京交響楽団

さて、その区切りの舞台となったミューザ川崎シンフォニーホールでのコンサート・レポートもあわせてお届けしよう。この日のプログラムは、チャイコフスキーとショスタコーヴィチのよく知られた作品からなる、いわば名曲プログラムだ。だがしかし、ドミトリー・キタエンコというマエストロの手にかかればありふれた曲目が並ぶありがちなコンサートとはならず、それどころか随所で新鮮な響きが聴かれる、刺激的な演奏会となった。

冒頭に置かれたチャイコフスキーの歌劇「エフゲニー・オネーギン」のポロネーズから、キタエンコ特有の型くずれしない大柄で明確なリズム、ていねいな音の扱いは印象的だ。民族的舞曲というよりはある種の交響詩のようにも感じられる、スケールの大きい音楽でコンサートは始められた。

二曲目の、同じくチャイコフスキーのヴァイオリン協奏曲には、この日の朝放送された「題名のない音楽会」にも登場したばかりの成田達輝が登場した。キタエンコ&東響の堂々たるサポートに対して、成田が「彼の現在のベスト」で挑みかかるような熱演は、場内を大いに沸かせた。20代前半の若さながら技術的には相当に高いレヴェルにある成田達輝は、聴くたびその音楽になにかしらの変化が感じられる伸び盛りのヴァイオリニストなので、ぜひ皆さまも機会を見つけてその演奏に触れてみてほしい。

若き才能の熱演は大先輩の門出に花を添えた(3月26日公演より) (c)池上直哉/東京交響楽団

メインに置かれたショスタコーヴィチの交響曲第五番、「革命」の愛称で親しまれるおそらくは最も有名な彼の交響曲が、これほど新鮮に響くことはそうないだろう。キタエンコの指揮だから、そして彼と東京交響楽団との顔合わせだからできただろう、個性的な名演が生まれた。

キタエンコはこの有名な作品を、流れに任せることなく要所で明確な指示をオーケストラに送り、折り目正しく紡いでいく。大音量の迫力で圧倒する、いわゆる爆音とは一線を画した美しい音がコンサートホールに立体的に配置されていくような感触は彼独自のものだ。形を描き出すために動きの鈍い音楽には決してならず、たとえば巨大な音の塊が俊敏に駆け出すような終楽章冒頭の加速していく部分はそうとうにエキサイティングなものとなる。

音響的な味付けだけが彼の音楽の特徴ではない。音楽は場面ごとにきっちり性格付けされるため、オーケストラが台詞のない仮面劇を演じているかのような不思議な感覚にしばしば陥る。一つだけ例を挙げるなら木管セクションがあたかも機械仕掛けであるかのように振る舞うスケルツォと、切実に歌うアダージョ楽章との対比はあまりに鮮明なものだが、そのどちらが「本心」であるかは明示されることはない。キタエンコのアプローチはレッテルを貼って容易にくくることを許さないのだ。

ほかにも演奏全体を通じて細部まで作りこまれ、しかし同時に巨大な音楽として描きだされるこの交響曲は、「革命」という愛称からイメージされる激しく動的・感情的なものではない、叙事詩的スケールで描き出されるなにものか、として演奏された。すでに残されているケルン・ギュルツェヒニ管弦楽団との全集でも彼のショスタコーヴィチの緻密さ、スケールの大きさは十分伝わっていたが、この日の東響との演奏は立体的な存在感、そして澄んだ美しさをも併せ持つものとなった。そしてそれはこの作品の一般的なイメージとはまた別の可能性を示す、魅力的なものだった。

ドミトリー・キタエンコは独自の音楽を創りだす (c)池上直哉/東京交響楽団

演奏後場内からの喝采に応え、指揮者は随所でソロを聴かせた大谷康子をはじめとする団員たちを立たせて賞賛したが、私からは低音セクションの見事な仕事を賞賛させていただきたい。チェロ、コントラバス、そしてファゴットのアンサンブルの安定感あればこそ、この日の澄んだサウンドは実現していた。

新国立劇場での「イェヌーファ」、「サロメ」での名演でも東京交響楽団を絶賛させていただいたが、改めてここでももう一度申し上げよう。4月には記念すべき創設70周年、そしてジョナサン・ノットとの第三シーズンを迎える東京交響楽団はいま、最高に充実している。

そして最後にこの美しい「革命」交響曲を実現させたのが、ミューザ川崎シンフォニーホールの素晴らしい音響であることも申し添えよう。たとえば交響曲の最後にバスドラムが周囲を圧するだろう音量で割って入ろうとも、このホールでならオーケストラの美音は損なわれない。ここでなら、クレッシェンドするニ音のユニゾンと暴力的なまでに大きい打撃音が互いに邪魔しあうことなく、同時に独立して聴き手に届いてしまうのだ。このホールの特別に明晰な響きあればこそ、この幕切れ以外にも随所に含みのあるオーケストレーションが施されたショスタコーヴィチ作品にふさわしい、多義的な演奏が実現したといえよう。

ドミトリー・キタエンコの成熟、東京交響楽団の充実、若き才能の現在、そして世界の音楽家から愛されるミューザ川崎シンフォニーホール、それぞれのポテンシャルを再認識できるいい演奏会だった。この素晴らしい演奏会そのものが大谷康子へ贈られた花束だったかのように思われて、しばし会場を去りがたく感じた日曜の午後であった。

(会場にて筆者撮影)

公演データ
東京交響楽団 第638回定期演奏会/第54回川崎定期演奏会
 
■日時
・2016年3月26日(土) 18:00開演 会場:サントリーホール 大ホール(定期演奏会)
・2016年3月27日(日) 14:00開演 会場:ミューザ川崎シンフォニーホール(川崎定期演奏会)

出演:
指揮:ドミトリー・キタエンコ
ヴァイオリン:成田達輝
管弦楽:東京交響楽団(コンサートマスター:大谷康子)

曲目:
チャイコフスキー:
・歌劇「エフゲニ・オネーギン」より ポロネーズ
・ヴァイオリン協奏曲 ニ長調 作品35
・ヴァイオリン独奏:成田達輝
ショスタコーヴィチ:
・交響曲第五番 ニ短調 作品47