自転車と有能なマネージャーと意味のない教訓について

2016.11.7
コラム
イベント/レジャー
アート

 拝啓

 

 倒れないためにはひたすら漕ぎ続けることである。

 僕がここ最近、自転車から学んだ教訓です。つまり、何事も前へとにかく進もうとすることが失敗しないコツであるという教えです。まあ、足をつけばいいんですけど。

 

 実は自転車を買ったんです。はじめは近所のスーパーに買い物へ行く時くらいに使えればいいかと思って安い自転車を探していたんですが、自転車屋さんの話を聞いているとだんだんいいものがほしくなってきて、しまいには高いものを買わなければいけないような気がしてきて、結果的には中くらいの価格のものを買いました。実に商売上手な自転車屋さんでした。国際取引の秘密兵器として日本政府は彼を雇うべきです。

 

 しかし僕が買った自転車は中くらいに高いだけあって、よく走ります。スピードはビュンビュンでるし、路面を滑るようにしてなめらかに走るし、僕が住んでいる街はずいぶん坂道が多いですが多少の勾配なら気にせずにスイスイ上っていっちゃいます。おまけにタフです。

 あなたはよくご存知かもしれませんが僕は少々運動神経に難があるというか、まあ本来今は冬眠の時期なので仕方なく動きが鈍いこともありまして、自転車を買った次の日に早速派手に転んだんですね。坂道を下っている時に段差に引っかかって漫画みたいに転びました。僕自身は膝や腰を打ってべそべそしていたんですが、僕の自転車には傷ひとつ付かずまったくもって平気な顔をしていました。頼りになります。僕は腰をさすりながら自転車の鉄のごとき(というか鉄そのものですね)丈夫さに感心し、「今後ともよろしく頼むよ、きみ」と無表情な相方のサドルを何度か叩きました。

 いやあ、こういう人にマネージャーになってほしいですね。仕事は早く、丁寧で、多少の困難もものともせず、簡単にはくじけないタフさを持っている。愚痴ひとつこぼすこともありませんしね。コーヒーを淹れてくれたりはしないですが。

 あ、僕のケガは大したことありませんので、ご心配なく。もうマネージャーを伴って元気に街中を走り回っています。

 

 自転車を買って得た利点といえば、もちろん行動範囲が広くなったとか、移動時間の短縮につながったとか、延滞ギリギリの時間でもTSUTAYAへレンタル品の返却に行けるようになったとか様々ありますが、僕にとって最もよかったことは一人で過ごす時間を大切にするようになったことです。

 

 僕は他人と過ごす時間がとにかく好きです。休暇は誰かに会っていることが多く、ひとりで過ごす時間は野菜の切れ端みたいに思っていました。他人と会っている時間の余りもののような、せいぜい家で映画を見るくらいでこれまでずいぶん無頓着に扱ってきたんですね。

 

 例外はあるでしょうが、基本的に自転車は孤独な乗り物です。座席はひとつだし、個人の力によって動く。行き先を決めるのは僕で、運転をするのも当然僕です。つまり自転車に乗る機会が増えると、必然的に単独行動が増えるわけです。そしてこれが、案外楽しかったりするんですね。

 ひとりでいる時間を積極的に楽しむようになりました。少し遠くにあるカフェで読書をしたり、仕事をサボって美術館へ行ったり。うなぎパイ工場の見学もいいかもしれませんが、それはまだ実現していません。とにかく個人的な時間を大切にするようになりました。いい匂いの柔軟剤をたっぷり使って洗濯をしたみたいに心がリフレッシュされて気持ちがいいですね。

 また、そういう心持ちでいると、不思議と他人と過ごす時間もこれまで以上に楽しくなりました。気持ちの振れ幅が大きくなったのかもしれません。泥遊びは真っ白なTシャツで思い切りやったほうが楽しいということです。

 あなたとお会いする時間も、きっとこれまで以上に素敵なものとなるに違いありません。今から、ひどく、楽しみです。

 

 

 しかし、教訓から始まる手紙というものはなにか説教くさくてよくないですね。だいたいペダルをこぎ続けても他の要因で倒れることがあるわけだから(例えば坂道の段差)、あまり意味のない教訓だし。気をつけます。

 今度はパッヘルベルのカノンの出だしみたいに静かで美しい書き出しの手紙を書きますよ。期待していてください。

 

それでは。

いつかまた宇宙のどこかで。

 

敬具


チープアーティスト・しおひがりによる連載『メッセージ・イン・ア・ペットボトル』。毎回、この世にいる"だれか"へ向けた恋文のような、そうでないような手紙を綴っていきます。添えられるイラストは、しおひがり本人による描き下ろし作品です。