1台のピアノから信じられないほど多彩な音色を引き出す海瀬京子の魔術

2017.3.24
レポート
クラシック

海瀬京子(ピアノ)

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海瀬京子 “サンデー・ブランチ・クラシック” 2017.3.5. ライブレポート

「クラシック音楽を、もっと身近に。」をモットーに、一流アーティストの生演奏を気軽に楽しんでもらおうと毎週日曜の午後に開催されているサンデー・ブランチ・クラシック。3月5日に登場したのは国内外のコンクールで優勝や上位入賞を重ねてきたピアニスト海瀬京子だ。

日本で大学院まで修了したのち、ベルリン芸術大学へ留学。ドイツ国家演奏家資格も取得した実力派である。現在は地元である静岡県伊豆の国市を拠点にしながら演奏活動をはじめ、FMいずのくに海瀬京子ナビゲート~いずのくにクラシック」でパーソナリティを務めるなど、活動は多岐にわたる。

海瀬京子

拍手で迎えられるなか、ピアノの前にむかう海瀬。一呼吸置いてから、彼女が最初の1音を弾きだした瞬間……おもわず息を呑んだ。いつもと同じグランドピアノであるにもかかわらず、普段とはまったく異なる響きが立ち昇ってきたのだ。まるで戦前の古き良きヨーロッパを想起させるような、繊細で雅やかな音色で聴こえてきたのは「春の想い」。シューベルトが作曲した歌曲を、フランツ・リストがピアノソロに編み直した楽曲である。

シューベルトの原曲では異なる音色(ピアノ、歌手)で奏でられる要素を、この編曲版ではピアノ1台で弾き分けていく必要がある。海瀬はその違いを大袈裟に強調することなく、あくまでも自然体なシューベルトの雰囲気を壊さぬようにしながら、繊細なタッチの違いによって立体的に弾き分けてみせた。20世紀前半に活躍した往年の巨匠を思わせるような味わい深い演奏に、出だしから良い意味で完全に予想を裏切られてしまった。客席からは大歓声というのではないが、静かな感動を伝えようとしているかのように力のこもった拍手が鳴り響く。

挨拶する海瀬

マイクを手にした海瀬は挨拶をはじめ、最初に演奏した楽曲について「今の季節にぴったりの、ちょうど新しい息吹きが芽生える春のなかですね、自分も春の新しい命のようにどんどんと前向きに人生を歩んでいきたいというような思いが込められている作品」と紹介していく。その穏やかな口調は、演奏から受けた印象そのままだ。

続いて演奏されたのは広く知られた作品、ドビュッシーの「月の光」。繊細なタッチは前曲からそのままに、そこに少しばかりきらびやかな倍音を加えたかのような音色で、絶妙に雰囲気をかえてみせる。加えて、これまた繊細な配慮のもとテンポを揺らしていくのだが、その速度変化によって、いま演奏している部分が作品全体のなかでどのような役割をもっているのか、聴き手を感覚的に理解させてしまうのだ。そのナラティヴな語り口の巧みさに感服するばかりであった。

スクリャービン:左手のための『前奏曲』(冒頭部分)

今度はロシアの近代音楽が2曲続く。まずは少し珍しい、右手を使わずに左手だけで演奏するスクリャービンの「前奏曲」Op.9。海瀬自身も「私も初めて楽譜を見たとき両手で弾いてしまって、先生に何をやっているの?って言われまして……」と語るほど、「目をつぶって聴いていると、まるで両手で弾いているように聴こえる」作品だ。もう1曲はラフマニノフの「絵画的練習曲」Op.39-6。作曲者自身によれば「狼と赤ずきんちゃん」が追いかけたり逃げ惑ったりする様子をコミカルに描いた音楽である。

この2つのロシア音楽にあわせて、今度は贅肉を剃り落としたかのような硬質で少し暗めの音色をピアノから引き出す海瀬。どうすれば、ここまで異なるサウンドを的確に弾き分けることができるのか。スクリャービンに至っては、左手の5本の指だけで複数の異なるパートを立体的に弾き分けていくのだから、にわかには信じ難いほどだ。

左手だけで演奏してみせる

プログラムの最後にはショパンの「英雄ポロネーズ」、正式には「ポロネーズ第6番 変イ長調」Op.53が登場。ロシア音楽の硬質な音色を引き継ぎつつも、そこにショパンらしいブリリアントな響きが加わることで、コンサートを締めくくるに相応しい、ゴージャスで充実したサウンドが鳴り響いた。白眉となったのは楽曲がコーダ(終結部)に達したとき。音楽が急に前のめりに進み出し、思わずドキリとさせられてしまったのだ。聴き手が予測しているような予定調和的展開に終始しないことで、これまで何度となく聴いてきた名曲であってもこれほど心動かされるのかと思わず唸らされた。そして大きな拍手にこたえて、海瀬は再びマイクを握る。

「実は今日、ご来場いただいている私の友人で、明日お誕生日をむかえる方がいます。最近ご結婚もされたということで今日は彼女へのプレゼントとして、リストの『愛の夢』をアンコールにお聴きいただき、終わりにしようと思います。どうも皆さま、ありがとうございました。」

リラックスできる空間で食事を楽しみながら

この最後の挨拶に続いて演奏されたリストの「愛の夢 第3番」は、1曲目のシューベルトと同じように(原曲「おお、愛しうる限り愛せ」もリスト自身による)歌曲をピアノソロへ編み直したもの。海瀬はどこまでもロマンティックに長い息で主旋律を紡いでゆく。全ての音が見事に溶け合っていくさまは、まさにこの曲が愛の音楽であるということを感覚的にも理解させてくれた。

そして終演後もほとんど休憩をとることなく、自ら来場者のもとへ訪れてコミュニケーションをとっていた海瀬の姿からは、彼女がどのような思いで演奏活動に取り組んでいるのかが伝わってくるかのようだった。その後、落ち着いた頃にゆっくりと話をうかがわせていただいた。

海瀬京子


――本日は素晴らしい演奏を有難うございました! 海瀬さんの奏でるピアノの音色は本当に魅力的で、心の底から引き込まれてしまいました。

ありがとうございます。私は2015年の3月までベルリンに留学していたのですが、その留学の主な目的は音色の研究だったんです。私が師事した先生はロシア人の女性の方だったんですけれども、彼女が本当に音色にうるさい方で、イチから弾き方や手のフォームなどを勉強し直しました。だからどういう音を出すのかということを、やっぱり凄く考えますし、占めるウェイトも大きいと思います。

――音色に加え、テンポの揺らし方も印象的でした。その語り口から、まるで20世紀前半に活躍した往年のピアニストが思い起こされたのですが、海瀬さんはそうした昔の時代の演奏を意識されているのでしょうか?

そうですね。やっぱり私は古いタイプの演奏の方が好きで、どこか惹かれるところがあります。好きなピアニストは沢山いるのですが、例えばディヌ・リパッティ(1917-50)[*ルーマニア出身のピアニスト]とかが好きですね。

ベルリンで師事していたロシア人の先生が亡くなった後、ルーマニア人で80歳を越していたおじいちゃん先生に習っていたんです。その先生との人間的な交流というのも結構大きいものがあります。あと、私は東欧の音楽とか奏法とかに「いいな」と思う傾向があるので、その影響もちょっとあるかなと思いますね。

――その他には、演奏にあたってどのようなことを大事にされているのでしょうか?

自分がどうこうということよりも、作曲家の意図をどう表現するかということを考えた上で、それを時間と空間の中で再現できなければ、お客様には一緒に共感して理解していただけないと思っています。色々な演奏の場をいただきながら、「今回はこうだったけれども、次はどうだろう?」と少しずつですけれども、試行錯誤しながらそうしたことが見えてきたかなと。

インタビュー中の様子

――演奏が終わったあと、お客様とゆっくりお話しされている姿が印象的でしたが、それは今回の演奏をお客様がどのように受け取ったのかを聞かれる意味もあったのですね。

皆様がどういう風にとらえてくださったのか……ということが、言葉のなかのニュアンスで分かるので、すごく大事な時間だなと思っています。一緒に共感できたなっていう時もそうだし、不思議なもので自分としては全然駄目だったけれどもお客様は意外と良かったと感じてくださったということもあったりします。そういう反応をうかがいながら「こうした方がいいかな、ああした方がいいな」ということを考えてきましたね。やはり音楽というのは、聴いていただくということも大きな要素だと思っていますし、お客様と繋がりが持てると私自身もすごく嬉しいです。

――現在は地元・静岡を中心に活動をされていますが、6月25日(日)には三島文化会館の大ホールで声楽の方と共演されるコンサートがあるそうですね。海瀬さんはソロ以外の活動にも積極的に取り組まれているのでしょうか?

すごくフィーリングの合う方と共演すると自分も高めてもらえている感じがします。そうした方と一緒に共演した後に自分のソロへ戻ると、なぜか不思議と上手に音楽が流れるようなったりとか、そういう相乗効果を感じられるので積極的に室内楽や伴奏に取り組んでいきたいです。

6月のコンサートでは、ウクライナのソプラノ歌手オクサーナ・ステパニュックさん(藤原歌劇団 正団員)と、今回初めてご一緒させていただくんですけれども、日本の作品も演奏しますし、ウクライナにちなんでニコライ・カプースチン[*ウクライナ出身のロシアの作曲家。ジャズを取り入れた作品で近年日本でも人気が高い。]の作品なども取り入れながら演奏しようかなと思っています。

――そして、演奏以外では地元のFM局で、ラジオパーソナリティとしてもご活躍中ですね。どのようなきっかけで番組をもたれることになったのでしょうか?

私がコンサートで話をしてるのを聞いてくださったラジオ局の方が声をかけてくださり、番組を持たせていただくことになりました。去年の4月に始めたので、まだ1年弱なんですけれども、第2・4火曜日の14時から(4月以降は第2・4月曜日の10時から)1時間の生放送番組をやらせていただいています。時間が余っちゃったり、逆にちょっと足りなくなったり。そして、あんまりマニアックなものばかりでもいけないので、1曲は誰でも知っている曲を……と考えたりしていると、結構大変ではあるのですが、頭のトレーニングにもなっています。

――静岡以外でも聴けるのでしょうか?

インターネット環境があればサイマルラジオで聴けますので、お聞きいただければ嬉しいです。

――私も聴かせていただこうと思います。本日は有難うございました!

海瀬京子(ピアノ)

サンデー・ブランチ・クラシック』は毎週日曜の午後1:00から。事前に出演予定を調べてお目当てのアーティストを聴くのはもちろんのこと、当日誰が出るのか知らずにふらっと立ち寄るのもお薦めである。一流の演奏家が出演するので、常に高いクオリティの演奏が聴けるのは間違いないからだ。意外な発見や出会いも『サンデー・ブランチ・クラシック』の魅力である。


取材・文=小室敬幸 撮影=鈴木久美子

サンデー・ブランチ・クラシック情報
3月26日
ピーノ松谷/バリトン
13:00~13:30
MUSIC CHARGE: 500円
 
4月2日
鈴木舞/ヴァイオリン&實川風/ピアノ
13:00~13:30
MUSIC CHARGE:500円

4月9日
小野明子/ヴァイオリン&益田正洋/クラシックギター
13:00~13:30
MUSIC CHARGE:500円

4月16日

尾崎未空/ピアノ
13:00~13:30
MUSIC CHARGE:500円
 
■会場:eplus LIVING ROOM CAFE & DINING
東京都渋谷区道玄坂2-29-5 渋谷プライム5F
■お問い合わせ:03-6452-5424
■営業時間 11:30~24:00(LO 23:00)、日祝日 11:30~22:00(LO 21:00)
※祝前日は通常営業
■公式サイト:http://eplus.jp/sys/web/s/sbc/index.html​
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