盗作騒ぎはこうして解決した
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エンブレムで大揺れだが、音楽業界では昔から盗作、と言うよりも著作権侵害だという事でしょっちゅうもめた。今でもしょっちゅうもめている。
古くはビーチ・ボーイズの大ヒット曲「サーフィンU.S.A.」。リーダーのブライアン・ウィルソンが書いたことになっていたが、チャック・ベリーから自分の「スウィート・リトル・シックスティーン」に酷似しているとして訴えられた。結果「サーフィンU.S.A.」はブライアンとチャックが2人で共作した事になった。当然著作権印税の半分はチャック・ベリーに支払われる。
サイモン&ガーファンクルのヒット曲「コンドルは飛んでいく」はペルー人作曲家のダニエル・アロミア=ロブレスが南米アンデスの民謡を採譜し、メロディーを整えた。「コンドルは飛んでいく」は大ヒット・アルバム「明日に架ける橋」に収録されているが、当時の作家クレジットはポール・サイモンだけだった。今はダニエル・アロミア=ロブレスとの共作になっている。
普通、曲の盗作騒ぎは決着まで時間がかかる。有名なケースではジョージ・ハリソンの「マイ・スィート・ロード」がある。シフォンズという女性グループが歌って全米で1位になった「イカした彼(He's So Fine)」だ。作曲家ロナルド・マックが書き、音楽出版社ブライト・チューンズが保有していた。ブライト・チューンズはジョージ・ハリソンを著作権侵害で訴えた。裁判は10年間にもおよび、ジョージ・ハリソンが敗訴。約60万ドルもの賠償金を払う事になった。
今年のグラミー賞で作詞作曲家に与えられる「最優秀楽曲賞」を受賞したサム・スミスの「ステイ・ウィズ・ミー」。ロック・ミュージシャンのトム・ペティ側からクレームがついた。ジェフ・リン(エレクトリック・ライト・オーケストラ)と書いた1989年のヒット曲「アイ・ウォント・バック・ダウン」にそっくりだと。「ステイ・ウィズ・ミー」を書いたのは、サムスミスとジェイムス・ネピアとウィリアム・フィリップス。
グラミー賞事務局は、「サム・スミスと作家達が改ざんしたわけで、トム・ペティとジェフ・リンが新たにこの曲に何かをしたわけではない。よって『ステイ・ウィズ・ミー』が受賞したとしても、2人は受賞者にはならない」とコメントしていた。
大人の解決で、トム・ペティとジェフ・リンはこの「ステイ・ウィズ・ミー」の作家にクレジットされ、音楽著作権料の12.5%を受け取る事になった。それにしてもイギリス出身のサム・スミスや作家達が、同じイギリス出身のジェフ・リンを知らぬ訳はないだろうし、「アイ・ウォント・バック・ダウン」の宣伝用音楽ビデオには、ジェフ・リンに加えジョージ・ハリソンとリンゴ・スターが参加している。サム・スミスの生まれる(1992年)3年前のヒット曲とは言え、無理を通すのは難しいと判断したのだろう。
2013年の最大ヒット・シングル「ブラード・ラインズ」の盗作問題。「ブラード・ラインズ」が故マーヴィン・ゲイの大ヒット曲「黒い夜(Got To Give It Up)」に酷似しているとして、マーヴィン・ゲイの遺族が曲を書いたロビン・シックとフィーチャリング・アーティストのファ レル・ウィリアムスとT.I.ことラッパーのクリフォード・ハリスの3人を訴えた。マーヴィン・ゲイの「黒い夜」は1977年にビルボード・シング ル・チャートで1位になった大ヒット曲。パクリ裁判で、裁判所は「ブラード・ラインズ」の作家達に6億3600万円を遺族に支払うよう命じた。また今後「ブラード・ラインズ」から得られる著作権料の50%を遺族に分配するようにも命じた。
盗作(著作権侵害)は長く裁判をやるよりも、共作にする方が簡単な時代だ。
昨年(2014)、レッド・ツェッペリンの「天国への階段」が盗作だとアメリカのロック・バンドのスピリットが訴えた。ジミー・ペイジが書いた名曲。まだ解決していない。