劇作家はノーベル化学賞受賞者! 演出家・鵜山仁が語る、地人会新社公演『これはあなたのもの 1943-ウクライナ』
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地人会新社公演『これはあなたのもの 1943—ウクライナ』(新国立劇場)左から、吉田栄作、八千草薫。 撮影/谷古宇正彦
地人会新社『これはあなたのもの 1943—ウクライナ』が6月25日まで新国立劇場で上演中だ(出演は、八千草薫・吉田栄作・保坂知寿・かとうかず子・万里紗・田中菜生)。作者のロアルド・ホフマンは、1981年に福井謙一氏と共にノーベル化学賞を受賞している、異色の劇作家だ。1937年、かつてはポーランドであった現在のウクライナに、ユダヤ系ポーランド人として生まれたホフマンは幼少期、第二次世界大戦中のナチスによる迫害の間、母親と共にウクライナ人の家庭の屋根裏部屋にかくまわれていた。その当時の自らの体験と、アメリカに渡り成功を収めた現在が交錯する戯曲が本作だ。今回、演出を手掛けた鵜山仁に話を聞いた。
劇作家はノーベル化学賞受賞者
──ロアルド・ホフマンはコーネル大学教授で、1981年にはノーベル化学賞も受賞されています。そんな化学者の書いた戯曲を上演することになったきっかけは、どういうものだったんですか。
ぼくの大学時代の18世紀フランス文学の先生・鷲見洋一さんのつながりで、科学史を専門にされている川島慶子さんが訳した『これはあなたのもの』を読む機会があった。川島さんは私費で冊子を作り、配布していらっしゃるという話も聞いていました。
一読、これはふつうの戯曲の体(てい)じゃないし、実際、舞台化にあったって、どういう仕掛けができるかについて複数相談してみたり、それから、後輩の演出家に渡して「どうだい?」みたいなことを言ってみたりもした。地人会新社の制作の渡辺さんに見せたら、「やろう」という話になって、ついてはぜひ八千草でとか……そういう流れなんです。
以前にも、世田谷パブリックシアター主催で、先行作品の『酵素』をリーディング上演してるらしいですね。かなり珍しい話だと思いました。独特の魅力があるんだけど、なかなか難しい戯曲で……。
──読んでるだけでは、なかなか内容が頭に入ってこないんですよ。
そうですよね。
──2度、3度戻って読んでいると、あっ、こういうことかとわかってくるところもあって。訳者は文学や戯曲を訳す専門家ではないので、まだいまの段階では舞台で使える台詞になっていないのかとか、それとも化学者が書いた戯曲なので、いつもとちがう感じなのかと思いながら読み進めました。
稽古場で演出をする鵜山仁氏。 撮影/谷古宇正彦
次世代に何を継承するのか
──作者のロアルド・ホフマンは、戯曲では『これはあなたのもの』が第3作目。1937年にポーランドの東部ガリツィア(現在はウクライナのゾーロチウ)でユダヤ人の家庭に生まれ、1941年にはドイツ占領下で強制収容所へ送られています。父親の計らいでそこを脱出して匿われた後、1946年にはポーランドを出国し、その後、アメリカに移住します。ここに書かれた話は、ホフマン自身の体験とぴったり重なりますね。
結局、かなり哲学的な内容ですが、ひとつは何を継承していくかということ。つまり、記憶をどうつないでいくかということが問題なんで、要するに、当事者でない人がどう経験を継承していくかという……。
だから、いま、われわれにとっては……おそらく作家にとってもそうなんでしょうけど……親の世代の体験をどうつなげて、人間の知恵に結びつけていくかみたいなことが書いてある、なかなか1+1=2みたいに数値化できないものを書こうとしている。そこが面白いところじゃないかと思うんです。
──この作品は3世代が登場します。まずは81歳のフリーダ・プレスナーがいちばんの当事者として、そして当時6歳だったエミールが現在は55歳になっていて、その配偶者のタマールがいる。それから、そのふたりの娘と息子である17歳のヘザーと13歳のダニーがいるという設定になっています。
結局、2世代目が1世代目と不充分なコミュニケーションしかしてこなかったということを、3世代目に気づかされる話ですよね。その2世代目の役割というのは何だろうかというのは、とりも直さず、ぼくらの世代の問題でもあって。
と同時に、ちょっと話は変わりますけども、小さな窓から世界を見てるという構造、そういうものの見かたとか考えかたは、実は非常に普遍的で、つまり、劇中の「子供のエミール」の状況はかなり特殊な状況に見えますけど、小さい窓から見るということにおいては、われわれ皆がやっていることと、まったく変わりがないわけですよね。
われわれは開かれた自由な窓からものを見ているように見えるけれども、たとえば、テレビの画面はけっして自由じゃないし、スクリーンだってそうじゃない。直接、人や自然と触れあえる窓というのは、とても小さな窓でしかない。そこから全体を推しはかるということをわれわれはやっているわけで、だから、これは「子供のエミール」がやってることと同じなんです。
地人会新社公演『これはあなたのもの』(新国立劇場)左から、万里紗、保坂知寿、八千草薫、田中菜生、吉田栄作 撮影/谷古宇正彦
小さな窓から覗いた世界
──1943年、当時6歳だったエミールは、技術者だった父親の導きで強制収容所を脱出し、母親とふたりで学校の屋根裏に隠れて生活していた。そこには小さな窓が付いていて、その窓枠から見る世界が、エミールが見ることのできる外界のすべてだった。
たぶん、作者のなかでも、世界を認識する手立てとしての小さな窓が、ある種のシンボリックな入口としてあった。われわれはいかにも開かれているように見えるけど、実はそういう限界を抱えつつ、世界全体を認識しようとしている……時間的にも空間的にも、そういう限界を持っている人間存在というものが、そこから逆にあぶりだされて、じゃあ全体は何なんだろうかとか、そういうふうに認識しようとしている人間はいったい何を目指しているんだろうかとか、考えさせてくれる。
それは、しかも、われわれが舞台でやろうとしていることとシンクロするところがある。舞台という限られた額縁のなかに何を読み込もうとしているのかということと、その小窓とがどこかでつながるような気がするんですね。で、そういうもろもろのシンクロする感触が、化学変化を起こして、舞台に面白く出てこないかなという、かなりリスキーなアドベンチャーだと思っているんです(笑)。
──仕掛けとしては、エミールという少年が、強制収容所から逃れて隠れて生活した6歳から現在までの時間を往復しながら進行していく。
当時6歳だったエミールが経験したことを、55歳になった彼がどう引き受けようとしているのか。つまり、稽古をやっていくと、実は、6歳のエミールが経験したことを、55歳の彼自身が思い出すことにブレーキをかけていた。記憶に蓋をしていたことに気づいて、そこを解放するドラマじゃないかなと思ったり。
それはエミールの妻・タマールにとっても同じなんだろうという気がする。どうやら第2世代は、そのように自分たちの経験の不足を体裁よく繕おうとするところがあり、そこを突き破って経験の核心に入っていかないという、安全第一みたいな体質を持っている。
──そういう傾向は自分のなかにもあるような気がします。たとえば、タマールが、「あの人たちを『ウクライナ人』とか『ドイツ人』とか呼ぶのは止めてちょうだい」といい、「『何人かのドイツ人』『何人かのウクライナ人』があなたたちを殺した」というべきだとエミールに提案する場面がありますが、それも先ほど指摘された、窓のなかから見て、全部を類推して、わかったような気になってるけれど、本当はある一部を自分で増幅して、都合のいいように解釈していただけという態度にもつながってきます。
地人会新社公演『これはあなたのもの 1943—ウクライナ』(新国立劇場)6歳のエミール(田中菜生)と55歳のエミール(吉田栄作)。 撮影/谷古宇正彦
ローカルとグローバルが交錯するところ
──心理学者でもあるタマールは、「ウクライナ人」「ドイツ人」でなく、「何人かのドイツ人」「何人かのウクライナ人」という具体性のなかで、一般論ではなく、厳密にとらえ直そうと試みます。
最近、ローカルとグローバルとよくいわれますが、つまり、個的に体験してるものと俯瞰したある種の価値、あるいは、わたくしと公(おおやけ)……そういう価値観のちがいがいろんなところで問題になりますね。
このふたつは車の両輪みたいなものだと思うんですが、それらを交錯させるのはいいとして、では、全体としてどういう視点を持つべきかという問題があると思うんです。それについて考えるときに、エミールの経験からわれわれが得るところも大きいのではないか。
なんだかローカルとグローバルは、対置しただけでは解決策にならない気がするんで、もっと別のグローバルを視野に入れないと解決しない。では、もっと別のグローバルとは何かというと、要するに、山川草木というか、そういう感じなんですけど(笑)、共生ということですね。人間中心の目線だけではどうやらこの矛盾は解決しない。
──そのように考えると『これはあなたのもの』の冒頭部分には、神様たちの世界が描かれていて、この場面はどこか冗談みたいなんですが、人間以外の目線は、劇構造としては含まれている感じがする。
微妙に聖書からの引用みたいな部分があり、要するに、創世記とか、どう世界を創造し、イメージするかということと、どこかでつながるんですね、まあこの台本の場合は、どこまでも人間中心だと思うんですけど……。
──神様の世界の場面は、本筋には入ってこない。完全に分かれています。
神様の世界は、くだらないギャグのようにも見えますが、まともなふつうの芝居としてもやれるんです。でも、強制収容所を逃れて隠れていたという過酷な体験との対比で、一時はこの場面を止めちゃおうかとも考えたんですが、むしろ、そのコントラストが芝居としては大事な仕掛けなんじゃないかと思い直して。
この舞台の直前に、ギリシア悲劇の『エレクトラ』を演出したんですが……そこでの神様は多神教だからちょっと様子がちがうんですけど……結局、人間の価値観だけでものを考えてはいけない、自然とどう共生するかが大切なんだとちょっと考えが飛躍するんですが、動物も、植物も、ひょっとすると無生物も演じたがってる、つまりある種の表現を志向しているんじゃないかと。
──それらの表現から、わたしたちもなんらかのかたちで影響を受けてると思います。
それはわれわれの心のなかの、ものの見かたの反映だという考えかたもあるけど、もっと大きなそういうパフォーマンス、神様とか、宇宙みたいなものが存在するという感覚が想定できると、芝居作りそのものが面白くなるということもあって……(笑)。
──本当にそう思います。あまりにつらい現実ばかりが描かれると、やっぱりそうではない異空間があるだけで、気分的にもちょっと切り替えができるというか、なごめるといいますか……。
作者自身はどこまでそういった問題意識があるのかわかりませんが、ここに描かれているのはどこかでそこにつながる路線を持ってるからこその個人的体験ではないかと思うんです。
地人会新社公演『これはあなたのもの 1943—ウクライナ』(新国立劇場)天国のどこかで、神と天使たちが会話している場面。 撮影/谷古宇正彦
ベテランの役者たちの競演
──かなり重い歴史を上演されるんですが、ベテランの役者さんが集まりました。
みなさん、前向きに取り組んでくださっていて、この芝居の難しさも、ややこしさも、それぞれわかったうえで、どう表現すべきかみたいな……。冒険ができるので、すごくいい感じで稽古をやらせてもらってるんですよ。
この芝居を通して何が表現できるかというと、きっとなんらかのユニークな空気というか、表情というか、音みたいなものが聞こえてくるんじゃないかと思っています。それがためにやっているみたいな企画なんですけど……。
──タイトルの『これはあなたのもの』には、かつてフリーダとエミールを匿ったオレスコの娘・アーラが、何を携え、何をするためにはるばるアメリカまでやってきたのかという問いが集約されていると思います。まず第一に、彼女は指輪を返しにきたんですが、それだけでなく、いろんなものを返しにきた感じがします。
昨日あたり、稽古してると、アーラ自身も、父親世代の経験をどう引き継ぐかという問題意識で、アメリカに現れたんじゃないかと思うんですね。
──指輪を見て、初めて気がついたみたいですね。
アーラがアメリカへ来てみると、父親が助けたおかげで、孫まで生まれている家庭を発見して……たぶん、父親についても複雑な思いを抱えているにちがいないんだけれど、それらを次の世代にどうつないでいくかという……そのシンボルが指輪という……これはひとつの解釈にすぎないんですが、母親にとっては、自分たちの夫か息子かという二者択一を迫られたときに、極端に言えば、夫を捨てて息子を採ったというシンボルだったりするんじゃないかと思うんです。
だから、そんなことがあると、つい「父殺し」とか言いたくなるんだけど、先行世代を切り捨てないと、次の世代が生きていけないというような、継承というなかでおこなわれる生生流転(しょうじょうるてん)のつながりも、どこか含んでいる気がするんですよね。
アーラとタマールとエミールの抱えている問題は、次の世代にどう橋渡しするかという意味では、共通点がすごくある。そこのところをうまく拾っていくと、割とふつうの読みかたでドラマになるのかなという気がやっとしはじめたところなんです。
地人会新社公演『これはあなたのもの 1943-ウクライナ』のチラシ
構成・文=野中広樹
■作:ロアルド・ホフマン
■訳:川島慶子
■演出:鵜山仁
■日時:2017年6月15日(木)~25日(日)
■会場:新国立劇場小劇場
■出演:八千草薫、吉田栄作、保坂知寿、かとうかず子、万里紗、田中菜生
■公式サイト:http://www.chijinkaishinsya.com/