坂東玉三郎×鼓童 特別公演『幽玄』を9月に福岡、京都で上演決定、記者会見レポート

2017.6.28
レポート
舞台

左:石塚充 右:坂東玉三郎 『幽玄』記者会見より

新潟・佐渡島を拠点に活動する太鼓芸能集団 鼓童が、2000年に演出家、2012年から16年までは芸術監督として迎えた歌舞伎俳優・坂東玉三郎と待望の最新作『幽玄』を上演する。力強さと繊細さを併せ持つ和太鼓の音色に、不世出の女方、玉三郎が優雅に舞う。伝統と挑戦に満ちた“新芸術”で沸かせた第1弾『アマテラス』に次ぐ、実に11年ぶりとなる共演作第2弾だ。すでに5、6月の東京、新潟、名古屋での先行公演で大絶賛を浴びている本作が、9月に博多、京都で幕を開ける。大阪で開かれた記者会見では演出・出演の坂東玉三郎と鼓童を代表し出席した石塚充が、ざっくばらんに作品への思いを語った。

能楽✖︎歌舞伎✖︎鼓童が融合した“新芸術”第2弾がお目見え!

今回の『幽玄』は能の大成者、世阿弥が見た”幽玄”の世界を、能の代表的な演目を用いて表現するもの。一幕は『羽衣』、二幕で『道成寺』『石橋』を披露する。ちなみに同じ古典芸能のなかでも、狂言が日常に起こるリアルな出来事を題材としたせりふ劇であるのに対し、能は超自然的な題材を重視する。例えば、亡くなった武士の亡霊や神、鬼、天狗など“この世ならざる存在”が主として登場する。観点的で抽象的な、より芸術性を帯びた世界観が特徴のひとつと言えるだろう。その表現方法は様式化され、舞と謡を担うシテ方(主人公)と、能管(笛)・小鼓・大鼓・太鼓を奏する囃子方などで構成される。

……と、ここまでがおおまかな能の説明だが、今作『幽玄』では、鼓童が自分たちの太鼓で囃子方を担い、演奏しながら謡にも初挑戦する(!)という。これは能を歌舞伎化し、数々の舞踊作を演じてきた玉三郎にとっても初めての挑戦になる。能楽的な構成で歌舞伎の扮装をした役者が、鼓童の演奏で舞う。一体どんな世界が立ち上るのか。出会いから17年の歳月をかけて関係を築いてきた両者だからこそ、切り拓けた境地だと二人は語る。

『幽玄』会見にて

 「16台の締太鼓を50分間ひたすら打ち鳴らす1幕を、僕らは“修行”と呼んでいます(笑)」(石塚)

石塚充(以下、石塚):そもそも鼓童は「日本の芸能を世界に発信するグループです」と言いながらも能や歌舞伎の世界は敷居が高いと思っており、長らく触れられずにいました。自力では知識もなく着手できずにいたところ、玉三郎さんにご相談したのが始まりです。最初はお互いに未知なことが多く、相手の意思を汲み取りながら、手探りの状態が何年か続きました。それがだんだんと共通言語が増えてきて、言葉が“通じる”ようになってきた。同時に、それまで鼓童とはこいう団体で、太鼓とはこういうものだという、ひとつの方向性しかありませんでしたが、そこを玉三郎さんに解きほぐしていただき、自由な発想ができるようになって来たのがこの十数年での変化です。

石塚充

坂東玉三郎(以下、玉三郎):僕の性格上、ものごとを作るときに1~10まで順序立てて作らず、1をやりながら10のアイデアが思いつくこともあるので、やってみて考えてます。演奏家からすると2~9を飛ばしていきなり10をやれと言われても困ると思うのね。僕も10とはどんなものかと聞かれても、まだ何の裏付けもない段階だからどうにか絞り出して「こういう感じ」と伝えています。ただ、そういうことを繰り返していくうちに、だんだんとお互いにどこを見て作っているのかが分かるようになってくるんです。次第に2をやりながら次は6、7はやめて8と入れ替えます、なんてパズルのような要望にも応えられるようになってくる。これが石塚さんが言う共通言語が増えたということだと思います。今では「あそこの演奏がさ……」と言い終わる前に、「荒いんですよね」と分かってくれる。「あのそれをそれして」で通じます(笑)。出会った当初は入団したての新人だった石塚さんと、彼ら以降の若い世代のメンバーたちとは最初からずっと一緒に仕事をしてきました。そんな共通言語を持つ彼らとだからこそ入り込めた『幽玄』という世界なんだと思います。

坂東玉三郎

今回、玉三郎から石塚らに出された課題が、能の囃子方と謡のパートを担うこと。さらに1幕『羽衣』では、16台の締太鼓を使い「ひとつの楽器だけでどこまで音の表現の幅を広げられるのか」に挑み、終始「座った体勢で一糸乱れぬ演奏をすること」であった。

石塚:それぞれが椅子に座った体勢で小さな締太鼓をひたすら50分間叩いて、そのまま謡に入る。そんな一幕を、僕らは“修行”と呼んでいます(笑)。それほど今までにないくらい難易度が高く、ある意味苦しい時間です。

石塚充

石塚:そもそも鼓童が扱ってきたリズムは、昔から人々が暮らしの中で泣いたり笑ったりするのに寄り添うように、呼吸や汗が混ざりあったような民俗音楽が主で、演奏するときも自分たちを解放して発散して、より人間らしい方向へ向かうものが多かった。逆に今回のようなお能の音楽は、今まで自分たちが肉付けしてきた部分を削ぎ落としていく作業だったので、そこが1番難しかったですね。「ほぅー」というお能の掛け声ひとつとっても、その一言で人間界ではないところへ一気に誘っていく、今までにないエネルギーを実感しました。5月の舞台を経てなんとなく、幽玄というものは時間や空間が過ぎていった、その状況のことを指すのかなという気がしています。でも、正直分かっていない部分も多く、本番ではとにかく決まったものをやりとげることに集中していました。

『幽玄』会見にて

玉三郎:世阿弥って哲学的な人で、ひとつの言葉を定義するのでも、その言葉が色んな意味を持つことを言った人なんですね。幽玄とは、とてもつかみにくいものだと思います。笛やお琴のように音階を奏でられる楽器だと、まだ演奏者も音の返りによって幽玄のような美しさを感じられるかもしれません。でも、太鼓はそういうものでもない。その上で表現するということは、様々に打つ音色を変えていかなければならない。とくに16人が一斉に並んで叩いても、音色が聞こえるのは自分の両隣かその隣ぐらいまで。果たして演奏者は、16人がいま揃って美しく演奏できているのかも分からないうちに修行(一幕)が終わりとなるんです。

坂東玉三郎

「幽玄とは観ていただいた方、それぞれの胸に去来する思いだと思います」(玉三郎)

もちろん一幕『羽衣』は天人、二幕の『道成寺』は大蛇、『石橋』では獅子が出現し、それぞれの筋書きや表現したい幽玄の世界は、観念としては頭にある。しかし、いざ本番となれば「技術者としての時間が過ぎていくだけ」と、玉三郎が演じ手の極意ともいうべき、舞台上での貴重な心境を明かしてくれた。

玉三郎:お能の舞台でも能楽師が具体的に幽玄を演じてみせるというよりは、それを客観的にご覧になったお客様方の心に去来するものが幽玄なんだろうなと思います。僕だって正直「これが幽玄でございます」と思って『羽衣』を演じているわけではないんですね。この演奏内に収めるにはこのくらいの早さで動いてとか、『石橋』での毛振りでは、苦しくて目が回るなとか考えたり(笑)。そんなことおくびにも出しませんが、舞台上において演じ手というのものは、非常に技術者であることが求められるものだと思うんです。そういう肉体的なエネルギーを駆使しながら滞りなく場が過ぎたことによって、観てくださった方のなかに何か持って帰って頂けるものがあったとしたら、それが幽玄だということになるんでしょうね。

坂東玉三郎

玉三郎:例えば織物なんかもそうで、糸を染めて機織り機にかけて織り上がった段階ではまだ何ものでもなくて。それを仕立てて着て、動いてみたときに、初めてその良さが分かってくる。それも着ている本人には分からなくて、離れて見た人がどう感じるのかという世界。この作品に限らず、表現とはそういうものだと思いますね。彫金師がひたすらコンコンと彫り続けるように非常に苦しい作業を経て、作品が自分の身から離れたときに、初めてお客様が喜んでくださる世界になる。そういう意味で、鼓童の人たちにはずっと「演奏することが楽しいという所だけでは、お客様が楽しめる表現にはならない」と話してきました。だから僕もなるべく、楽しまないようにやってきたんですけど(笑)。

坂東玉三郎

ユーモアを交えつつ驚くほど正直に手の内を明かす。その上で、観客を新境地へと誘える、それは決意と自負の表れかもしれない。

玉三郎:これが自分にとっての幽玄だと言葉にすることはできませんが、皆様が思い描く幽玄というものが何となく去来する劇空間であればいいなと思い、作らせていただきました。ただひとつ、気持ちの良い世界というか「ああ、良い時間を過ごしたな」と思って頂ければ幸いです。

坂東玉三郎

石塚:玉三郎さんとの共演に際し、鼓童としても身の引き締まる思いでここまでやってきました。改めて『幽玄』は挑戦しがいのある素晴らしい作品です。5月の公演を経まして、9月には博多と京都でよりパワーアップした舞台がお届けできるよう、さらに精進して参ります。

『幽玄』会見にて

取材・文・撮影=石橋法子

イベント情報
坂東玉三郎×鼓童特別公演『幽玄』
 
■演出・出演:坂東玉三郎
■出演:太鼓芸能集団 鼓童、花柳壽輔、花柳流舞踊家
 
<福岡公演>
2017年9月2日(土)〜18日(月)
■会場:博多座
 
<京都公演>
2017年9月21日(木)〜23日(土・祝)
■会場:ロームシアター京都メインホール


 

 

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