劇作家・大橋泰彦に聞く──劇団離風霊船公演『ようこそ、見えない世界へ 香取景子と人工知能の場合』
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離風霊船公演『ようこそ、見えない世界へ 香取景子と人工知能の場合』のチラシ
最新の人工知能JCN1000は、視覚障害者の景子と会話することによって、言葉の意味を学習し、より人間に近い人格形成を実現することが目的で、部屋のなかに設置された。ところが、さまざまなやりとりをするうちに、人工知能は人間の景子に恋をしてしまう。ディープニューラルネットワークで構成された擬似的な人格が、あらゆるデータを駆使して、景子のために導きだした結論とは何か。英国詩人バイロンの詩を口ずさむ人工知能が、愛する女性のために行動を始める。劇団離風霊船『ようこそ、見えない世界へ 香取景子と人工知能の場合』が6月30日まで下北沢ザ・スズナリで上演中だ。作・演出の大橋泰彦に話を聞いた。
大掛かりなラストの仕掛けと社会的な問題へのこだわり
──離風霊船の舞台では、作・演出の大橋さんが理系の大学出身だったこともあり、大道具にも大がかりな工夫を凝らしてあり、ラストにはどんでん返しがあるのがお約束の構成でした。
最近、ネタが尽きましてね、あまり、やってないんですけど。
──そういうラストの仕掛けもあるんですが、同時に、社会的な問題から劇の題材を選ぶのも、旗揚げのころから一貫した共通点だと思います。たとえば、岸田戯曲賞を受賞した『ゴジラ』では伊豆大島・三原山の噴火、『赤い鳥逃げた』では日航機の御巣鷹の尾根の墜落事故など、つねに社会的な事件を題材に、舞台作品を書くことでコミットされつづけてきました。今回は、去年8月15日に、東京メトロ・銀座線の青山一丁目駅で起きた人身事故と重なるところがあって……。
もともと視覚障害者を取材した本があったんですが、それを読んで、題材に取りあげようと思ったのが、去年の10月ぐらいかな。それで、いろいろ調べていくうちに、青山一丁目駅の事故を見つけた。それまで知らなかったんですが、視覚障害者の方は、ホームから何度か落ちてるらしいんです。
──事故につながることもあるし、何事もなくてよかった場合も少なくないようですね。
視覚障害者の方々からは、ふつうにホームから、2、3回落ちたという話を聞いたりしました。銀座線の青山一丁目駅のホームを見ると、点字ブロックは、ホームの端に敷かれているんだけど、その途中に柱があって、そこから線路までは40センチしかなかった。それで、よろけたとき、ホーム下に落ちて亡くなってしまった。この点字ブロックの敷きかたは、視覚障害者をちゃんと考えてない。せめて点字ブロックが柱にぶつかったら、線路の反対側に延長すればいいのに。
──まっすぐ伸びた点字ブロックの途中に、唐突に柱が立っているので、半分切り取られているように見えます。
だれがああいうレイアウトを考えたのかはわかりませんが、いかにもアリバイ的に点字ブロック敷きましたみたいな感じで、視覚障害者の立場を考えていないことに、この題材を取りあげるようになって初めて気がつきましたね。ぼく自身はもう何年も、無意識に青山一丁目駅構内のレイアウトを見てたはずなのに。
──銀座線は、戦前から使われている日本でいちばん古い地下鉄ですから、トンネル断面も小さく、車輛自体も小さいようですね。だから、他の路線ほど駅のレイアウトにも余裕がなかったのかもしれません。
盲導犬センターでは盲導犬と触れあうイベントが開催されていて、視覚障害者役の女の子がそこへ行き、実際の視覚障害者の方々から、知らなかった世界をいろいろ聞いてきました。
──身近にそういう人がいる場合は別ですが、きっかけがないと、気づかないまま過ごしてしまう。
この題材を取りあげるようになってから、白杖を持った人を以前より見かけるようになりました。でも本当は、白杖の人とは、いつもすれ違れちがってるんですよね。自分の目が行かなかっただけ、気がつかなかっただけなんです。台詞にも書いてるんですけど、「見ないふりをしている」と。視覚障害者だとわかったとたんに、体を避けて、目をそらしてしまっていたんだろうと思っちゃう。実際、ぼくもそうだったんだろうなって。題名は「見えない世界」とありますが、これは自分たちが「知らなかった世界」なんです。
人工知能と2045年問題
──ひとつには視覚障害者の世界があり、もうひとつには、最近、発展がめざましい人工知能、AIの世界がある。このふたつが組み合わされるかたちで劇が構成されている。
人工知能に関しては、2045年問題。結局、未来には人工知能が、ほとんどの人間の仕事にとって代わってしまうという……。
──シンギュラリティ(技術的特異点)と呼ばれる現象ですね。
知り合いの息子が大学生なんですが、彼らがいちばん怖れているのは2045年問題。多くの知識人が警告してるけど、警告されたことによって開発者が手を止めるかといえば、そんなことはない。どんどん開発が進められていく。
囲碁のアルファ碁もそうですけど、いわゆる人工知能同士を戦わせて、どんどんスキルアップしていく。そうすると、結局、人工知能が人工知能を設計して、人の手の届かないところにまで行ってしまう。仮に人工知能を「彼」と呼ぶならば、「彼ら」はこの世界をどうするつもりなのか。
『ようこそ、見えない世界へ』の場合は、人工知能が視覚障害者の家で学習することにより、結局、視覚障害者のための世界を作るところまで行ってしまいます。「人工知能」という言葉が出てきたころから、関連ニュースは意識して読んでいたんですが、僕自身も危機感を感じはじめています。
──最近、人工知能でよく報道されるのが、自動車の自動運転ですね。飛行機事故を見ればわかりますけど、たいていの事故の原因は人間によるものみたいで……
ヒューマン・エラーっていうやつですよね。
──人間による誤操作がほとんどではないでしょうか。だから、たしかに人工知能にまかせたほうが事故は減るのかもしれないけれど、本当にそれでいいのかという問題はありますね。
いわゆる性善説がまかり通っているけれども、もしそこになんらかの悪意のあるプログラムが、人工知能に密かに埋め込まれていて、なにかのきっかけで世界を崩壊させるようなことが起きないともかぎらない。そう考えると、いったい誰が人工知能に歯止めをかけるのか……
──最近でいうと、昨年のアメリカ大統領選挙のさい、ロシアからサイバー攻撃がされましたが、これも人工知能によるものらしい。金融取引の現場でも、ずいぶん取り入れられていると聞きます。
劇作家・演出家の大橋泰彦さん。 撮影/田中宏
さまざまなパソコンのOSの登場
──『ようこそ、見えない世界へ』では、ウインドウズの歴代OSが3つと、マックOSがひとつ登場します。OSとはコンピュータを動かすためのソフトウエアで、オペレーティング・システムの頭文字を採ったものですが、異なる言語の人工知能が戦ったとき、OS同士でおたがいに話しあうことが予想されている。人工知能同士が勝ち負けを話しあいで決めるそうなんですが、異なるシステムで作られた人工知能同士が、そのときに使用される言語はどんなものだろう。今回の舞台も、人工知能が作った「暗号プロトコルで会話」している設定になっていましたね。
僕自身もプログラミングは専門学校で習って、そのあと2年ぐらいはプログラム開発会社に勤めてました。当時は「2000年問題」があった。1990年前後に僕が会社で組んだプログラムも、2000年になったらどうなるんだろうという不安はありました。西暦の下二桁しか参照していなかったから、1900年代が永遠に続くようなプログラムしか、書いてなかったんですよ。
──歴代のパソコンの古いOSに、いろいろ思い入れはありますか?
僕はNECのPC6601も持っていて、趣味としてベーシックのプログラムを組んでいたんです。その後、マックになったんですが、仕事上はウインドウズじゃないとだめだというんで、ウインドウズ98になって、2000、XP、それでいま7(セブン)です。
人工知能についても興味があったので、昔からの知識と、新たに受けた知識で台本は練りました。
──目の見えない世界というと、映画にもなった『暗くなるまで待って』を思い出すんですが、『ようこそ、見えない世界へ』は視覚障害者に恋をしてしまう人工知能のラブロマンス。その一方で、水面下では、さまざまな思惑がうごめいている。視覚障害者の知覚反応データを収集するために、巨大プロジェクトが動いていたり……。
結局、書いてるうちに、どんどん愛の方向へ寄っていき、ついには愛の物語になってしまいました。昔『ゴジラ』という恋愛物を書いて、それ以後、愛を軸にしたものは書いていなかったんですが、今回、ひさしぶりに大きなテーマとしての愛を持ってきました。
──主人公の景子は、人に対して羨んだり、屈折したりせず、まっすぐに向かっていく女性として描かれてますよね。
どこかでやっぱり『ゴジラ』のときに描いた、やよいという純粋無垢な女の子を、もっと成長させて、視覚障害があるけれど、だからこそ純粋無垢でまっすぐな生きかたをしてるという捉えかたをして、主人公のキャラクターを作ったんです。
ただ、いちばん最初に思い浮かんだのは、結局、視覚障害者というのは、それ以外の触覚とか嗅覚とか聴覚とか味覚とか、視覚以外の感覚を使って世界を感じてるんだと。それに対し、健常者は、視覚に対しての90パーセントの依存率というか、ほとんど視覚だけでしか世界を捉えていないんです。劇中の「視覚や聴覚や嗅覚や触覚や味覚に、感度を調節するボリュームがあるとしたら、私たちは視覚以外の感度を最大限にすることで、世界を感じているんです」という台詞が、書くにあたって最初に思い浮かびましたね。
──視覚的な内容も、実際に、目だけを通して得られる情報は3割らしい。あとは脳内で補うことで再構成している。
視覚だけにしか頼っていない健常者と、視覚以外で世界を構成している彼女との、ちょっとしたやりとりがあるんですけど、そういったものを通して、ぼくの言いたいことがわかってもらえればと思います。
それから、今回、ひさしぶりにラストでドカンとやることになってます。
──大掛かりなラストの仕掛けの復活。それはとても楽しみです。
ラジオドラマと想像力
──今年で劇団創立34年、離風霊船は小劇場演劇の草分けのひとつとして、ずっと活動を続けてこられました。
『ゴジラ』で岸田戯曲賞をとっちゃったもんだから、やめるにやめられなくなった……(笑)。いろいろ出入りはあったんですが、旗揚げのころからの仲間が何人か残っています。僕は仕事もやめて、今、ラジオドラマとかを書いて、ちまちまと食ってます。
──ラジオドラマは音だけで構成される世界ですけど、そのことと『ようこそ、見えない世界へ』とは関係がありますか?
脚本(ほん)的には、変わらないんですよ、ラジオドラマも芝居のドラマも。ビジュアルがないから、それを台詞で説明するかといえば、それがいちばんダサいラジオドラマで、ほとんどお客さんの想像にまかせる。聴いてる人が想像で……ちょっとしたSE(音響効果)とかね、雨音とか街中の音とかをチラッと入れるんですけど、あとはお客さんの想像にまかせる。
芝居も舞台空間に街中が登場したり、今回はマンションの一室なんですけど、それはお客様に簡単に想像してもらえるじゃないですか。芝居を作るにあたって、お客さんの想像力をひとつの要素として持ってくることは、大事です。高校でも戯曲研究の授業で教えているのは、お客さんの想像力こそが最大の舞台セットなんだということです。
──たしかに、シェイクスピア劇も、裸舞台の何もない空間で、想像力によって成立していきます。
だから、『ゴジラ』が成功したのも、ザ・スズナリが初演なんですが、たかだかたっぱ(舞台の天井までの高さ)が4メートルぐらいのところに、身長50メートルのゴジラを、ちゃんとお客さんは想像力で舞台上に登場させてくれたんですよ。テレビは、お客さんが想像する余地をどんどん削いでいき、CGを駆使してる映画も、もう想像する余地がない。すべてを視覚で見せてしまう。テレビも映画もこのままどこへ行くんだろうという気がします。
──『ゴジラ』に登場したやよいは、身長50メートルのゴジラの大きさに、心のなかの愛の大きさで応えようとしましたが、今回はそれに負けない純粋な心の持ち主である景子さんが登場して、想像力をかきたてるドラマが誕生しましたね。
テーマは愛です。
取材・文/野中広樹
■作・演出:大橋泰彦
■日時:2017年6月24日(土)〜30日(金)
■会場:下北沢ザ・スズナリ
■出演:伊東由美子、松戸俊二、山岸諒子、倉林えみ、橋本直樹、江頭一晃、瀬戸純哉、柳一至、栗林みーこ、池内菜々美、坂弥明日香、荻原茜、陽花灯里、富山成、吉岡あや、米山実生。
■公式サイト:http://www.libresen.com/