劇作家・演出家 詩森ろばに聞く──MITAKA "Next" Selection 18th 風琴工房『アンネの日』
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MITAKA "Next" Selection 18th 風琴公房公演『アンネの日』(詩森ろば作・演出)の登場人物たち。 撮影/坂攻樹
今年で第18回になるMITAKA "Next" Selectionの第一弾は、風琴工房によるオール・フィメールの舞台『アンネの日』。このセレクションに特徴的なのは、劇場の担当者が、毎晩のように舞台を見にいき、脚本や演出にすぐれている劇団を、自分たちの目で選んでいることだ。芸術の秋、芝居好きな劇場担当者の「今年のとっておき」ばかりが厳選されたセレクションを見に行って欲しい。そして今回は、風琴工房『アンネの日』の作・演出であり劇団主宰者の詩森ろばに話を聞いた。
来年から劇団名が変わります
──劇団名を変えられるのは、いつからですか?
来年ですね。だから、『アンネの日』と12月公演『ちゅらと修羅』は、風琴工房名義でやります。12月のスズナリが風琴工房としては最終公演となります。
──新しい次の劇団名は?
シリアルナンバーといいます。正式には、英語表記でserial number。
──劇団名を変えるにあたり、心境の変化はありますか。
劇団ホームページの「REASON FOR RENAMEING」に書いたとおりなんですけど、ずっと名前は変えたかったんですね。風琴工房は、わりと幻想的なお芝居やダークファンタジーをやっていたころ、そういう作風に合わせて付けた劇団名だったんですが、だんだん作風が変化するに従って、自分のなかでは、かなり長くフィットしていない感じがあったんです。
──昔から拝見していますが、精神世界を書かれたもの、性的マイノリティを取りあげたもの、あるいは、刑務官や死刑囚から人権について書かれたもの、どれもが風琴工房の劇団名で違和感はありません。シリアルナンバーのほうが、慣れるまでにしばらく時間がかかるかも。
たまたまこのタイミングになりましたけど、ずっと……。
──気持ちのうえでは齟齬(そご)を抱えていらっしゃった……。
そうですね、何年も。慣れ親しんだ名前が変わることに対して対世間的な不安はありますが、自分のなかではとてもシックリきています。
──名前は大切だし、活動を重ねていくことも大事ですよね。
はい。ここ10年ぐらいずっと劇団名を変えたかったので、思いきってという感じですね。たぶん、どこの劇団も名前を変えるときは「え?」って言われるけど、変えると、だんだんそっちにフィットしていくような気がします。
女性出演者のみによる上演
──『アンネの日』は女性ばかりが出演する作品ですね。
前回の『penalty killing』は男性ばかりの作品で、その直後の公演になるので、企画を立てるときに、どうしたら楽しめるかな、と考えました。『penalty killing』に出ていた人はわたしの作品のレギュラーの方が多く、男性を出すとなると、俳優として外せない人ばかり。でも、この短いスパンでまたしてもその人たちが出てくるとなると、面白いことにならない気がして。それで、女性ばかりの風琴工房の上演はやったことがないし、企画としても面白いから、それならインターバルが短くても、わたしの気持ちも乗れるし、お客様にも楽しんでもらえるかなと思って。
──2002年に五反田にあるデザインセンターガレリアで上演された『病の記憶』では、ある女性の精神世界、無意識の世界が描かれましたが、登場人物も女性が多かった記憶があります。
女性が多いことは、よくあります。昔は女性中心の劇団だったし。でも、オール・フィメールは初めてです。
──作品を読ませていただいて、最初に思い出したのは、2007年に化粧品開発を描いた『紅(べに)が舞う丘』で、内容的にも重なる要素があると思いました。『アンネの日』では、生理用品を題材にしようとした理由について聞かせていただけますか。
最初から、女性の開発者の話にしようと決めていて、じゃあ何を開発している話にするかをずっと考えていました。女性ならではの研究をしてる人たちじゃない話にしようと思っていたんです。だけど、では、どうして女性ならではじゃないものにしたかったのかなと、ちょっと考えて。
あと、女性だけで研究してることが不自然じゃないものは意外に少なくて、薬学ならそういうことがありますが、物理とか、機械とかになってくると、どうしても男性が入ってこないと不自然ですよね。
──工学系ですね。
そうですね。この人数の工学系の女性科学者が企業内で研究しているというと、いまの時代だとアンリアルになっちゃうかなって。だから、化学とか薬学とかだったら成り立つかなと。あと、女性の研究者は、生活用品とか、自身がエンドユーザーなものに入っていく人が多いので、そうすると生理用品が面白いんじゃないかと思って。生理用品だったら、いろんな社会的な題材も入れ込めると思って、たどりついた感じですね。
──今回は、登場する女性社員が、どの人も男の研究者より優秀な感じがしますが、なんらかのこだわりはありましたか。
そんなにこだわりはなかったですね。そんなに優秀な人たちばかり書いたとも思っていませんでした。でも、こういう作品を書くときは、理想の組織論について絵に描いた餅にならない範囲で立体化しようという目論見があるんです。こんなふうに組織を進めていけたらいいよね、という。そうなると、構成する人たちはどうしてもちょっと優秀ということになるのかもしれないですね。自分は組織運営はまったくヘタなので、理想も込めて書いていますね。
MITAKA "Next" Selection 風琴公房公演『アンネの日』(詩森ろば作・演出) 撮影/横田敦史
個人が抱える物語が出発点
──登場人物が8人いますが、8人とも自分の物語を持っていて、そこを起点にして、生理用品の開発に挑戦していきます。そういう構成にされたのは、どうしてですか。
わたしのベーシックな姿勢として、個人的なことは社会的というか政治的なことだし、政治的なことはすごく個人的なことで、だから、すごいささやかな事象は絶対に書かなきゃいけないと思っています。それが生理という、宿命的にひとりひとりに物語があり、人生に関わる事象がベースになっていますから、個とソーシャルがいったりきたりするのは、むしろ必然でした。秘め事的に語られる「初潮」の記憶が、その後の人生と今回の物語にシンクロしていく、そんな構造の物語を思いついた時点で走りだした感じです。
──化粧品のときもそうだったんですけど、顔に塗れば塗るほど、皮膚にはよくないという前提があって、その事実から、すでにびっくりしたんですが、今回の生理用品の場合、高分子吸収シートとか、それからホーリーランド社による遺伝子組み換えのコットンとか……このホーリーランド社は、たぶんアメリカの多国籍バイオ化学メーカーであるM社を連想させますが……。
そうですね。
──M社が開発しているさまざまなものが、たとえば、コットンひとつをとっても、ある問題を抱えていることが明らかになる構造になっている。だから、消費者は知らないで使っているものに、こんな問題もありますよ、こんな危険もないわけではないと教えてくれるのは、ありがたい感じがします。
別に、わたしは自然派とかではぜんぜんないんです。ただ、いま科学をどう生活のなかに置いていくかについては、わたしたちの課題だと思っていて、ひとつの視座として、反石油だったり、反ケミカルだったりするものを通じて描くことで、自分たちはどう考えていくかを問うひとつの物差しになるかな、とは思っています。あと、M社および遺伝子組み換え操作については、用語は知っていても、詳細は知らないかたが多いので、その問題とも絡められたら面白いとは思っていました。
──M社の製品で、最初に知ったのはPCBですね。PCBは絶縁体として安定しており、理想的な物質なんですが、フロンガスと同じように安定しすぎていて分解されないので、処理できない化学物質になってしまった。そのM社が、その後、ベトナム戦争で用いられた枯葉剤を作ったり、最近では、遺伝子組み換え作物の種を開発して、世界中にその種と農薬をセットで売りつけようとしている。
そうですね。そして日本がじつは遺伝子組み換え食品天国のような場所だというのも知らない方が多いです。そして、それはわたしたち女性が使っている「生理用ナプキン」というあんな小さなものとも無関係じゃないわけです。
がんがこれほど飛躍的に増えてるのも、やっぱり、わたしたちの生活の変化が大きい。だって、そもそもがんは、死亡原因の6位とか7位とかだったわけで、それがいまでは日本人の死因のトップじゃないですか。何が原因かははっきりしないけど、高度成長期以降の生活の変化、環境の変化によるものが大きいことは確かですよね。
──平均寿命が延びましたから、70歳前後で亡くなっていた人が、80歳まで生きられるようになる。そのように、寿命が10年延びると、がんで亡くなる確率は高まる気もするんですが……。
でも、若年世代の死因として、がんが増えてますから、化学物質は関係してますよね。自然界にないものの摂取が原因である場合は多いと思います。
便利さと安全性のどちらを選択するか
──死亡原因のがんの増加と化学物質とはなんらかの関係があるのかもしれない。『アンネの日』でも、研究メンバーのなかで闘いになるんですが、ある科学技術を使うことによって、解決できる問題があります。たとえば、吸収率を高めるとか。だけど、その技術の安全性には問題があるかもしれない。その一方で、安全性は確認できても、価格的に高いし、機能的にも劣るものがあったとする。この二者択一というか、どちらを選ぶかが常に問われている。どちらも一長一短を抱えていますが、詩森さんは『アンネの日』を通して、どちらを応援したいと思ってますか?
うーん(しばらく考えて)、今回に関しては、どちらかちょっとわからないですね。
──ご自身でも?
うん。だから、「結局、どちらですか?」というところで終わってる。結局、どちらがよりよいのかについては、わたしも相当調べましたけど、わからないんです。女性として、生理用品を使っている者の実感として、ケミカルなものは、機能性に安心できるというのはものすごく大きいんですね。
──舞台の冒頭で明らかにされますが、使用している延べ時間は約9年。すごい歳月ですよね。そのあいだずっと、その製品と体が直接接触しているわけです。
まあ、子供を産まなければですけどね。少子化が進んだ現代の女性は、昔に比べて生理である期間がものすごく長い。そうすると、多少は体に悪くても、機能と実用性をとりたいという人の気持ちもわかる。だから、選択肢としてはどちらもあるかなと思います。
生理用品に限らず、便利さを、わたしたちの生活のどこに置くべきかについても、いまの社会全体にとっての課題だと思うんです。だから、わたしはどこかで便利さを諦めてないといけないと思ってますけど。じゃあ、どの便利さを諦めるかというと、人それぞれ価値観がちがうから。
たとえば、わたしは原発に反対ですけど、そのせいで夜中に電気が使えなくなったら、原稿をどうやって書いたらいいんだろうって。でも、夜中に電気は必要ないから、もっと安全に暮らしたい人もいるかもしれない。そういう場合、それぞれの価値観を、便利さに対して擦り合わせるのは難しいですね。何を優先し、何を諦めるかのデザインをしなおしていかないといけない。それはあまりにも膨大な作業ですよね。でもそれをなんとか成し遂げないと、ここからの社会がハッピーじゃないと思うから。そういった事柄についても、考え始めるひとつのきっかけになってくれたらいいという感じですね。
──それは、たとえば、『hg』で取りあげた新日本窒素肥料(現在のチッソ)と水俣病の問題もそうだし、昨年末、『4センチメートル』で福祉乗用車を開発する自動車メーカーの特別チームの話も、そういう一連の作品のひとつとして位置づけられると思います。
日本は資本主義社会ですから、企業が素敵になってくれないと、日本が素敵になれない。そういう一面はあると思うんです。演劇の人は企業や政治を批判することはしますが、いい企業とは何かとか、企業にどうあってほしいのかを、あまり考えていないような気がします。芸術ですから、それでいいと言えばいいのですが、わたしはこういうデザインで社会をやっていきたいということを演劇のかたちで提案したいと、ここ最近は思っています。
──ゼネラル・デザインですね。
そうですね。ゼネラル・デザインを考える必要が、演劇の人にもあると思っています。まあ、そんな人ばかりじゃなくてもいいんですが、批判するのは簡単だと思うから、「じゃあ、どういう政治がいいの?」と問われたときに、「あなた、答えられますか?」とすごく思うんですね。だから、いちばん言えることは、企業が自分たちの事業が社会の役に立つという確信を持てるようになれば、企業自体も元気になるし、働いている人も……。
──誇りが生まれるし、やりがいも出てくる。
そういう循環ができれば、企業もハッピーだし、それを使っている消費者もハッピーになれるとは思うんですね。
でも、どれだけゼネラル・デザインを考えても、それは修正していかなくちゃいけない。そのときは、よかれと思ってやっていることでも……。
──時代は変わるし、欠点も見つかりますからね。
たとえば、エコカーなんかも、環境によいものを目指して作ったハズなのに、実際には、人体に対して電磁波が悪いと言われてるんですね。
──ハイブリッド車ですね。でも、すでにハイブリッド車から、次の電気自動車にシフトしつつある。2040年には、フランスでもイギリスでも、ガソリン車とディーゼル車の販売は法律で禁止されるので、その影響はもっと大きくなるかもしれません。
エコカーは電磁波がひどくて。だから、エコと言っていたけど、実は電磁波が体に悪くて……ということがあり、そしたら、また修正しなくちゃいけない。それは、もともと環境によいという志をもって作ったものだから、修正するのにはむしろ力がいるような気がします。『4センチメートル』の福祉車両開発で書いた会社は、水素カーというのを作っていて、エネルギーが水素ですから、環境にも人体にもいちばんいいはずなんですね。そのなかで、いまはあまりない水素ステーション(ガソリンスタンドの代わりになるもの)を、未来への責任だということで採算度外視で事業としておこなっている企業があるんです。たとえば、そういう会社のことは、演劇というかたちで取りあげたいな、なんて思います。
最終的にどういうふうに社会を運営していくかという理想がしっかりしてれば、修正も効くと思うんだけど、そこで意地になっちゃうから、なかなか難しい。演劇はいろんなかたが見に来ると思うんですが、企業の人が見たときに「あっ、こんなふうに働けたらハッピーだな」と思ってもらえて、ふつうの人が見にきたときには「じゃあ、わたしはどっちのナプキンを使うかな」と考えてもらえればいい。そのくらいしかできないかな、と思いつつ、これがわたしなりの社会との関われり方なんだろうな、と思って、地道に作っていますね。
──問題提起するには、とてもいい題材で、前向きな可能性をさぐった、ひとつの例になっていると思います。
作・演出を手がけた詩森ろば 撮影/大石隼人
未来の女性たちへの贈りもの
──体にやさしいナプキンを開発する理由として、登場人物のひとりが、友人の娘さんへの贈りものにしたいと語る場面がありました。そういう小さな動機のなかにも、想いや物語が込められていると感じます。『アンネの日』を通して、詩森さんがこれから生理を迎える女の人たちに向かって、伝えたいことがありましたら、聞かせてください。
(しばらく考えて)わたしたち女性はみんな、生理のある、産む性としての人生を送っています。無月経という人もいるから簡単には言えないんですが、女性性に生まれながら生理がないということも含めて、そこにはすごくいろんなものが詰まってると思うんですね。それがハンディキャップではなく、可能性になるように……その女性に、女性性に生きることのなかに生理があることが、これからの社会のなかで、もっといいこととして位置づけていけるような作品になればいいなと思っているので、それを彼女は生理用ナプキンを作るというかたちで実現しようとするけど、わたしは年配の女性として、その価値観をひとつプレゼントできたらいいなと思いますね。
いま女性が置かれている現状は、男の人もこの舞台を見ることで、ちょっとは変わってくれるかもしれないし、これから迎える子も、生理がいいものだなと思ったり。これから生理のある人生を生きていくことに対して、肯定的な気持ちになってもらえたらなと。
女性性は、人口の約50パーセントなはずなのに、マイノリティな性だとわたしは思います。よくも悪くも男性主体でデザインされた世界が前提としてあって、社会的には大変なことも面倒くさいこともいっぱいあると思うんです。でも、わたしの場合、劇作家をやっていくうえで、女性性に生まれてきたことは、すごいよかったことと思っているんです。
──マイノリティな性で生まれたことに、アドバンテージを考えている。
わたしはそう思います。やっぱり、書く、クリエイトすることは、マイノリティの側に立たなければならないことだと思っているので、女性に生まれたことは、強制的にその視野が与えられるという意味で、アドバンテージだったと思っています。
だからといって、次の世代も、その次の世代も、女性性がこの社会のなかでマイノリティでいいとは思わない。そういう生理のことだけではなく、いろんな社会の仕組みとかデザインについて、男性にも女性にも考えてもらえる作品になればいいなと思っています。
──最後に、観客のみなさんに向けて、見どころを教えてもらえますか?
見どころは、やっぱり俳優さんかな。女優さんがみんな本当に生き生きとしてて、すごく素敵で。わたしは俳優が生きる姿を見せることでしか物語を見せられないと思っているので、それがちゃんと見せられる作品になっているんじゃないかなと。
脚本がどんなにがんばって書いても、俳優の体を通してしか、お客様は見られないので。だから、今回はわたしが書いた以上のことが、舞台の上で起こってくれるんじゃないかなと思っています。
──楽しみにしています。どうもありがとうございました。
取材・文/野中広樹
■三鷹市芸術文化センター 星のホール
■出演:林田麻里、伊藤弘子(流山児★事務所)、石村みか(てがみ座)、
ザンヨウコ、葛木 英(クロムモリブデン)、笹野鈴々音、
熊坂理恵子、ししどともこ
■公式サイト:
三鷹市芸術文化センター http://mitaka-sportsandculture.or.jp/geibun/star/event/20170908/
風琴工房 http://windyharp.org/next.html