こまつ座『円生と志ん生』初日観劇レポート~悲しいことを笑いに変えて
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左から 大森博史 ラサール石井(撮影:谷古宇正彦)
こまつ座第119回公演『円生と志ん生』(作:井上ひさし)が、2017年9月8日(金)に東京・新宿の紀伊國屋サザンシアターTAKASHIMAYAで初日の幕を開けた。主人公は、第二次世界大戦の終戦間際に、関東軍の慰問で旧満州の大連に渡った二人の落語家。後に昭和の三大名人に数えられることとなる五代目古今亭志ん生と、六代目三遊亭円生だ。(※円生は、正しくは圓生)
円生役を大森博史、志ん生役をラサール石井が務め、ふたりを取り巻く20人の女性を、大空ゆうひ、前田亜季、太田緑ロランス、 そして池谷のぶえの4人が5役ずつ演じ分ける。初演(2005年)に続き、演出を手がけるのは鵜山仁。演奏は、2004年にピアニストとして初めて読売演劇大賞優秀スタッフ賞を獲得した朴勝哲。本作の見どころを、開幕初日の公演よりレポートする。
時は、昭和20年夏から昭和22年春までの600日間。舞台は、旧満州国の南端、大連市内。リズムとテンポで軽妙な芸を得意とする兄弟子の志ん生と、心に沁みる人情話を得意とした円生。二人は昭和20年の春に満州に渡った。しかし、まもなく日本は敗戦。軍や満州鉄道の関係者約6万人は先に帰国してしまう。満州に取り残された民間人は、帰国を目指し大連に向かうが、ソ連軍が大連を占領。封鎖されてしまい、中の日本人たちは、故郷日本に帰りたくても帰れなくなる。その中で、円生と志ん生も“居残り”となった。戦争という時代にあって、笑いの芸や日本人の心の情感を忘れなかった二人の命懸けの珍道中が、史実をもとに展開する。
※以下、ネタバレを含みます。
満州に“居残り”になった落語家2人
三味線や笛の演奏はなく、太鼓だけが鳴り、円生(大森博史)が登場する。ステージ中央の低めの台に上がると持参した座布団を敷き、円生は客席に向かい一礼。背景には、旧満州国の地図が描かれている。この舞台のタイトルが『円生と志ん生』であると知る我々は、落語が始まるのだろうと察しがつく。しかし円生の装いは、落語家と聞いて思い浮かべるような着物、羽織姿ではなく、国民服だ。
「B29がバラ撒く爆弾、焼夷弾の中を……」とはじまったマクラによれば、戦時中、避難命令が出たときのために、高座に上がる時も国民服でいるよう通達があったという。ここで披露される小話から、観客は早くも笑いながら「死」が意外と近くにあることを知る。
関東軍の慰問にいけば、おいしいご飯が食べられて、お酒も飲み放題、“ご婦人は生けすの鯉”!
このうまい話をもちかけたのは、お調子者でずぼらな性格、道楽者の志ん生。一方で円生は、几帳面で計画的、女性にはモテる優男として描かれている。二人は「兄さん(あにさん=志ん生)」「松ちゃん(=円生)」と呼びあう仲で、お金の使い方にはじまり、落語の上下(かみしも。顔の向きの、左右の切り替え)のふり方に至るまで、タイプは対照的だが、芸への強い思いは同じだった。
左から 大森博史 ラサール石井(撮影:谷古宇正彦)
思いきり落語を語りたい
二人は、宿屋から花街の娼妓置屋にやっかいになりながら、タバコ売りや富くじ売りをして日銭を稼ぐ。実際に満州で高座に上がれる機会は多くなかったというが、劇中には、落語の演目に絡んだエピソードがちりばめられている。たとえば生活に困窮して行きついたゴミ置き場の場面だ。ゴミをあさり、出てきたガラクタから「火焔太鼓」の道具屋が扱う品のイメージを膨らませる。そして「言葉がわかる人たちの前で思いきり落語を語りたい」と、切実に願う。後の名人となる二人の健気な姿が、笑いと涙を同時に誘う。
ラサール石井は、芸人ではなく役者として、物まねではなく演技により、志ん生の愛嬌と可笑しみを作り出していた。大森は、ダンスや物腰で円生をスマートに体現する。紀伊國屋サザンシアターTAKASHIMAYAの舞台の円生と志ん生は国民服で歌って踊る。今までに見たことのない名人たちの姿だが、CDや映像、写真でイメージしてきた円生と志ん生像を壊すことはなく、むしろ「ちょっとこわい!」と思うほどイメージどおりだった。
左から ラサール石井 池谷のぶえ 大森博史(撮影:谷古宇正彦)
2人をとりまく、20人の女
舞台『円生と志ん生』は、大きく分けて5つの章で構成される。5つの物語それぞれに各1役、女優4人で合計20人の女性を演じる。女学生もいれば、廓の女性も修道女もいる。大空、前田、太田、そして池谷の全員が、コメディエンヌとして場をさらう。奪い合うのではなく、軽快に見事に台詞をつないでいく。美しい旋律と歌声、息の合ったダンスも見どころで、ケレン味の利いた電飾の演出が盛り上げる。表向きは明るくたくましく、不幸な境遇は歌詞の中に閉じ込められている。舞台『円生と志ん生』は、噺家ふたりの目を借りて、大連で生きた女性たちの姿を観る物語、つまり主人公は彼女たちの方なのかもしれない。
左から 池谷のぶえ 太田緑ロランス ラサール石井 大森博史 大空ゆうひ 前田亜季(撮影:谷古宇正彦)
悲しいことを笑いに変えて
あるシーンで、円生と志ん生は修道女たちと出会う。洒落が通じないし落語も知らない。「“生きる”と“辛い”は同じ意味」と悟るそんな彼女たちに、円生と志ん生が「噺家」の仕事を説明するシーンがある。円生と志ん生は、落語の世界では、貧乏もトラブルも人の死さえも、不幸が洒落になることを説明し、その「笑い」を作り出すことが噺家の仕事だと言った。すると修道院長は、「笑い」を作る目的を問う。
貧乏を笑いに変えて、素敵な貧乏に。悲しいことを笑いに変えて、素敵な悲しいことに。
舞台『円生と志ん生』で描かれる人物たちは、その境遇を過剰には悲嘆していなかった。家族を失った悲しみ、絶望、シベリアへの強制送還の恐怖など、貧乏も悲しいことも避けようのない状況だったからこそ、目を背けるのではなく権力や宗教、そして「笑い」に寄り添い、不幸と共に生きようとする。
左から 大森博史 大空ゆうひ(撮影:谷古宇正彦)
大事なことは笑いに包んで
観劇中の客席は、終始笑いに包まれていた。志ん生と圓生と女優陣のおおらかな掛け合いや、レビューのような歌とダンスを満喫した。しかし観劇後、来年の公演案内のチラシを見た時に、ごく自然に「この舞台は観たいから、この時まで生きていないといけない」と思わされた。これまで、生きていて当然という意識で過ごしてきたため、「生きていないと」という発想をした自分にとても驚かされた。
舞台『円生と志ん生』は、9月8日から24日まで上演される。ぜひ紀伊國屋サザンシアターTAKASHIMAYAに足を運び、めいっぱい笑いながら大事な何かを受け取ってほしい。
左から 太田緑ロランス 前田亜季 ラサール石井 池谷のぶえ 大森博史 大空ゆうひ(撮影:谷古宇正彦)
取材・文=塚田史香
2017年9月30日(土)・10月1日(日)兵庫県 兵庫県立芸術文化センター
■演出:鵜山仁
■出演:大森博史、大空ゆうひ、前田亜季、太田緑ロランス、池谷のぶえ、ラサール石井 / 朴勝哲(ピアノ演奏)
★9月11日(月)1:30公演後 樋口陽一(比較憲法学者)― 井上ひさしにとっての笑い ―
★9月14日(木)1:30公演後 大空ゆうひ・前田亜季・太田緑ロランス・池谷のぶえ
★9月17日(日)1:30公演後 大森博史・ラサール石井
★9月21日(木)1:30公演後 雲田はるこ(漫画家)―『昭和元禄落語心中』ができるまで ―
※アフタートークショーは、開催日以外の『円生と志ん生』の
※出演者は都合により変更の可能性がございます。