幼年時代への忠誠心:杉本克哉「MIRROR」展
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プラモデルの部品、塩ビ製の人形、ラメ入りカード、ミニカー、昆虫の死骸、鳥の羽根、LEGO、水晶、お菓子の包装紙、壊れた腕時計、プラスチックの指輪、匂いつき消しゴム、アンモナイトの化石……これらは一見するとバラバラに思えるかもしれないが、ある年代までの子供たちにとっては、ひとつのジャンルに属している。〈たからもの〉というジャンルだ。
杉本克哉はこれまで、こうした〈たからもの〉をモチーフにした絵画作品を制作してきた。遠目からは本物に見えるほど緻密に描き込まれた緑色のプラスチックの兵士や、おもちゃの自動車、動物のミニチュア、さらには滴り落ちるゼリー状の液体がキャンバスを鮮やかに彩り、観賞者を大いに楽しませてくれる。
もちろん、杉本の作品は、だまし絵的なイリュージョンによって視覚的な快楽を与えてくれるだけではない。混沌とした引出しの中身とは対照的に、彼の描き出すキャンバスの上には秩序がある。絵筆で再現された〈たからもの〉は、それぞれの位置と役割を厳密に指定され、生と死、資本主義、戦争、正義と悪といった普遍的なテーマを暗示する寓話の登場人物となる。人間社会の抜き差しならない悲惨や理不尽を、子供時代の〈たからもの〉に演じさせること――ここにはおそらく、ひとりのアーティストによる遠回しな社会批判が込められているのだろう。
ところが、それにもかかわらず、杉本の作品はまったく皮肉っぽくない。彼の作品には、皮肉屋にありがちな無責任な身軽さや、対象からの距離感といったものが感じられない。むしろ私たちの心を打つのは、個々のモチーフから透けて見える、彼の悲壮なほどの忠誠心だ。
杉本は私たちの社会に対してではなく、〈たからもの〉に対して忠誠を誓っている。
そうでなければ、どうしてこれほどの労力と時間を費やし、自分の筆触を消してまで、それらを忠実に再現しようとするだろうか。社会批判めいた寓話は、この忠誠心を世間の目から逸らし、生き延びさせるためのアリバイでしかない。観賞者を喜ばせるイリュージョンは、〈たからもの〉を永遠に顕彰しようとする、宗教的情熱の副産物にすぎない。
かつて私たちの机の引出しの奥深くには、自分だけの〈たからもの〉があった。やがてポルノに場を譲るまで、そこには人工物と自然物、生物と無生物、有用品と不用品の区別はなかった。この小さなヴンダー・カマーに保存されていたのは、私たちが最初の性衝動に襲われる以前の、世界との多形倒錯的な出会いの記録だった。杉本の絵画作品には、あの頃の遠い思い出が、まるでマリア観音像のように描き込まれている。
さて今回、画家の地元である栃木県で開催中の個展では、新作の《MIRROR》シリーズが展示されている。このシリーズは、左右に分割されたキャンバスの左側にコラージュを施し、右側にはコラージュを反転・再現したペインティングを施すという変則的な試みだ。これまでの作品と同様、生と死をはじめとする普遍的なテーマを扱いつつ、花柄の壁紙の切れ端やお菓子の包み紙などの〈たからもの〉がひとつの寓意像を作り上げている。これらの抽象的な観念が、いかにして幼年時代の具体的な手触りのなかから立ち上がってきたか――そんなことに思いを馳せながら、作品を眺めてみるのもいいだろう。
日時:2015年9月12日(土)〜10月4日(日)
会場:喫茶店ホリデーNPO法人那須フロンティア