7人の若い役者と作る新しい『三月の5日間』リクリエーションについて、チェルフィッチュ岡田利規に聞く
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チェルフィッチュ稽古風景
演劇カンパニー「チェルフィッチュ」を主宰する岡田利規の作・演出で、2004年2月に初演された『三月の5日間』。2003年3月、イラク戦争開戦前後の5日間を東京で過ごす若者たちの生態を、リアルなしゃべり言葉と、「役者-役-せりふ-しぐさ」の一体性を崩した革新的なスタイルで切り取り、日本の演劇界に大きな衝撃を与えた。第49回岸田國士戯曲賞を受賞、国内外でも高く評価され、100回以上公演を重ねてきた。その代表作の再創造(リクリエーション)に、岡田は全国オーディションで選んだ若い7人の役者と取り組んでいる。集団的自衛権行使を認める安保法制が施行され、米国と北朝鮮の軍事的緊張も高まりつつある現在。13年前の衝撃作はどんな波紋を投げかけるのだろうか。岡田へのインタビューを、通し稽古のレポートと合わせてお届けする。
公演初日まで10日間を切る中、KAAT神奈川芸術劇場を訪ねると、初めての通し稽古が始まっていた。目に飛び込んできたのは、舞台の床一面の白線。渋谷駅前のスクランブル交差点のように見えた。1人の男が寝そべる傍らで、別の男女3人がしゃべり続ける。静けさが漂う劇場内に、役者の声だけが響いた。
チェルフィッチュ稽古風景
『三月の5日間』は、イラク戦争開戦前後の5日間を、東京・渋谷のラブホテルで連泊して共に過ごした、行きずりの若い男女を中心に描かれる。六本木のライブハウスやブログのアップなど、若者たちの日常を点描。その中に、スクランブル交差点の大型ビジョンに映し出された字幕ニュースや反戦デモのスケッチを通じて、刻々と展開するイラク戦争が差し込まれていく。
チェルフィッチュ稽古風景
渋谷駅周辺の描写に時の流れを感じた。例えば、テキストには「センター街通って、ブックファーストのところで」とあるが、大型旗艦店だったそのブックファーストは2007年に閉店。近くの移転先の店も、今年6月に姿を消した。2012年に渋谷ヒカリエがオープンするなど、街の風景は激変している。たった10数年前のことが遠い昔のように思い出された。
チェルフィッチュ稽古風景
印象的だったのは、せりふとは別に、本音をのぞかせる役者の体の動きだ。反戦デモが話題に上っているシーンで、役者たちは体をゆるゆる動かしながらも静止していた。踏み出そうとして踏み出せない、関わりたいようで関わりたくない。若者たちのためらい、迷い、心の揺れが伝わってきた。
岡田が役者に対して再三再四要求していたのは、「イメージをクリアに出す」「想像力を働かせる」の2点だ。「すべて観客のため。観客に伝わらないと意味がない。だから本当に大切」。「観客と舞台が作り上げるのが演劇。つまり、半分は観客が作っている」と、観客を意識した演出に心血を注いでいた。
チェルフィッチュ稽古風景
岡田利規に話を聞いた。
--岡田さんは、なぜ、若い人たちと『三月の5日間』を新たに作ろうと思ったのですか?
きっかけは、おととし1月に北京に滞在したことです。北京の劇場で、地元の演出家と役者たちが中国語で『三月の5日間』のリーディング公演をしてくれました。それを見せてもらって、「すごくいいなあ」と思いました。中国語は分からなかったんだけど、劇場の雰囲気がとても良くて。ぼくはそれを若さだと思ったんですよ。東京では感じなかったものでした。北京で『三月の5日間』をやりたいなと思って、作ることにしました。
--24歳以下(応募時)を対象に、全国オーディションを実施。300人近い応募者の中から、現在20~26歳の男女7人が選ばれました。役者のほか、ダンサーやパフォーマーなど多彩な顔ぶれです。オーディションでは「あなたはどんな野心を持っているか」と質問されたそうですね。
野心がある人とじゃないと、ぼくがやりたくないと思ったし、やれないと思った。だから、単刀直入に聞いたんです。ぼくはもう40代半ばで、それなりにキャリアもある。いま、キャリアが浅い若い人たちとやるとなったときに、「教える、教わる」の上下関係ではなくて、一緒に作品を作る関係を結びたかった。では、どういう人たちだったら、そういう関係が結べるかと考えたときに、野心がある人とならできると思ったんです。「野心は?」と聞かれて、きょとんとする人もいました。けど、そういう人じゃなくて、野心について答えられる人とやりたいと思ったんです。
岡田利規
印象的な光景が、通し稽古の後に繰り広げられた。演劇の稽古では、大抵、演出家が演出机を前にして座り、役者を立たせたまま、「ダメ出し」をする。だが、今回は様子が違った。岡田と役者7人、スタッフらが、客席の通路のスペースに設置された机を囲んで座り、話し合いを始めたのだ。
チェルフィッチュ稽古風景
チェルフィッチュ稽古風景
「どうしてそうなったのか、自分ではどう思っているの?」。岡田が、気持ちの乗らない演技をしたある役者に対して問いただした。静かな空気が一瞬、張り詰めた。その役者はしばらく考え込んだ後、声を絞り出して反省点や改善点を語り出した。「今やっている作業に違和感があって…」。岡田は辛抱強く耳を傾け、アドバイスを出していた。若い役者たちを信頼し、同じ地平で共同作業に取り組む岡田の姿が垣間見えた。
チェルフィッチュ稽古風景
--あのやりとりは、緊迫感がありましたね。
大丈夫ですよ、あのメンバーたちは。そう言えるだけのプロセスをここまでたどってきたと思います。ああいう関係を作りたかったから、彼らを選んだんだと思います。
--今回のリクリエーションでテキストを読み直して再発見したことはありますか。
今更それはないですよ。100回以上、上演して、それを見てきているので。ただ、通し稽古で見えてきた発見はあります。それは面白かったです。今回は、こういう上演になるのかなという予測が、少しずつついてきた。
--どういう上演になると?
最たるものは、「これは時代劇になった」。つまり現代劇という感じがしない。(テキストの)言葉の問題ではないですね。ぼくが通し稽古を見て受け取った印象が、「すごく時代劇だなあ」だったんですよ。時代を感じるんですね。それはなぜなのか。時代劇を目指さないつもりだったんだけど。今回のリクリエーションは、「時代劇をやるんだ!」ぐらいのつもりで取りかからないといけないという警戒心を持ってやってたんですけど。今回の上演がどういう意味を持つのかは、見てくれたお客さんが受け取るものなので、ぼくには分からないです。
--「チェルフィッチュ」は今年で活動20周年を迎えました。2013年に出した著書『遡行(そこう) 変形していくための演劇論』では、試行錯誤を重ねながら、新しい試みに取り組んできた変遷が書かれています。
20年続けられたのは、運が良かったとつくづく思います。演劇論が変化していくのは、ぼくにとってごく自然なこと。だって生きていたら、変わるでしょう。経験が人を変えるし。自分が変わる経験との出合いに恵まれていたと思います。そういう経験をぼくにさせてくれた最大のきっかけは、『三月の5日間』です。
--『三月の5日間』で注目され、2007年にベルギーの国際舞台芸術祭『クンステン・フェスティバル・デザール』で初の海外進出を果たしてから、海外との国際共同制作も精力的に取り組んでいますね。その経験によって何が変わりましたか?
『三月の5日間』を最初に作ったとき、ぼくにとっての重心は日本であり、もっと厳密に言えば首都圏だったんです。ぼくは横浜生まれ、横浜育ちなので、首都圏が≒(ニアイコール)で世界だったわけです。その外に対する想像力は全くなかった。だけどそうやって作った『三月の5日間』によって、それまで自分が持っていたパースペクティブ(遠近)を思い切り相対化することが起きたわけです。つまり、以前のぼくは、例えば、東京が日本の中心で、それ以外の場所はローカルとか、東京の文化が上位で、ローカルの文化は下位にあると思っていたのかもしれない。でも、今は、日本が世界の限られたところで、日本語も限られたところでしか流通していなくて、日本の文化もその一部分にもすぎないと思っているわけです。東京も日本もローカルという視点が、今のぼくには当然なんですよ。それは10数年前のぼくには全くなかったこと。これはものすごく大きな変化で、作る演劇にも、あらゆることに反映していて、その違いは、今回の『三月の5日間』の以前と今回のバージョンの違いにも如実に現れているはずです。かつては、東京の観客を想定していました。でも、今では観客を想定するのに、日本語が分かるとか、日本で暮らしているとかいうことは全く考えていません。「観客の中には、日本語が分かる人もいるかもしれない」。それぐらいしか思っていないんですよ。
岡田利規
--今回、テキストを書き換えていますね。例えば、冒頭、旧バージョンでは「昨年の3月の話」だったのが、新バージョンでは当然ながら「2003年の3月の話」と変更されています。このほかにも、六本木ヒルズの説明が加筆されていたり、旧バージョンではあいまいだった行為者が明示されていたりしていますね。
台本は表面上、いろいろと書き換えていますけど、基本的な構造は変わっていない。逆にいうと、変わっていないのは台本だけとも言えますね。
--チェルフィッチュが今年上演した最新作『部屋に流れる時間の旅』では、東日本大震災の直後に亡くなった妻が幽霊として登場。新生活に踏みだそうとする夫とのやりとりを描いていて、能の構造との共通点を感じました。昨年には、池澤夏樹個人編集の『日本文学全集』(河出書房新社)で能・狂言の現代語訳を担当されました。
世阿弥のすごいところは、主役のシテを幽霊にしたこと。幽霊は何ですごいのかというと、自分がなぜ死んだか、言えるからです。リアルに死ぬわけじゃない。でも、舞台上で再び死んで見せたり、生前に抱いていた悲しみや苦しみを語ったり。今生きている人間が、自分の苦しみや悲しみについて述べるのを演劇的に成立させるのはすごく難しい。だけど、幽霊なら演劇で可能になるんです。
--能のテキスト(詞章)で旅僧が「これは諸国一見の僧にて候」と語るのと、『三月の5日間』で役者が「それじゃ三月の5日間ってのをはじめようと思うんですけど」と言うのは、どこか似ている感じがします。
ぼくと世阿弥が似ているのではなくて、演劇というフォーマットが要請しているものに過ぎません。もちろん、能とブレヒトは似ていますけど。舞台は観客がいたら、普通にしゃべるのが当たり前だと思います。
--「演劇は社会の鏡」を標榜し、現代の社会問題を題材にしてきた岡田さんの目に、今の日本はどう映っていますか?
なぜ国という共同体を維持しなくてはいけないのか。ぼくには分からなくなってきているんです。国家という枠組みが重要だという考え方は、たかだか200~300年前からのもの。当然視されていますけど。そう考えると、今の日本はあとどれだけ続くのだろう?と。数年前に「日本は自殺しかけている」と発言した頃は、日本という国がもう少し国としてもっといい在り方があるはずではないか、と考えていたんですけど。
--最後に、観客へのメッセージを。
だれにでも見に来てほしいです。『三月の5日間』の旧バージョンをリアルタイムで見て知っている人も、知らない人も、いろんな人に。そして、新しく出合ってほしいと思います。
岡田利規
取材・文=鳩羽風子 写真撮影=岩間辰徳
■出演:朝倉千恵子、石倉来輝、板橋優里、渋谷采郁、中間アヤカ、米川幸リオン、渡邊まな実
■舞台美術:トラフ建築設計事務所
■公演日程:2017年12月01日(金)~2017年12月20日(水) ※休演日=12/4(月)、12/8(金)12/14(木)
■会場:神奈川芸術劇場(KAAT)大スタジオ
■公式サイト:http://www.kaat.jp/d/sangatsu_cre
・12月5日(火)19:30 平野啓一郎(小説家)
・12月6日(水)19:30 白井晃(演出家・俳優/KAAT神奈川芸術劇場芸術監督)
・12月7日(木)19:30 奥田愛基(大学院生)
・12月11日(月)19:30 横山太郎(能楽研究者)
・12月12日(火)19:30 七尾旅人(シンガーソングライター)
穂の国とよはし芸術劇場PLAT アートスペース
2018年1月27日(土)〜28日(日)
ロームシアター京都 ノースホール
2018年1月30日(火)〜2月4日(日)
<香川公演>
四国学院大学 ノトススタジオ
2月11日(日)〜12日(月・祝)
愛知県芸術劇場 小ホール
2018年2月16日(金)〜17日(土)
長野市芸術館 アクトスペース
2018年2月24日(土)〜2月25日(日)
山口情報芸術センター[YCAM] スタジオA
3月10日(土)
■チェルフィッチュ20周年特設サイト:https://chelfitsch20th.net/