諏訪内晶子(vn)インタビュー~パリ・オペラ座で勅使川原三郎が諏訪内晶子を迎え新作を上演
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諏訪内晶子 撮影:吉田民人/『GRAND MIROIR』マチュー・ガエオ photo Sébastien Mathé OPÉRA NATIONAL DE PARIS /『GRAND MIROIR』リディ・ヴァレイユ photo Agathe Poupeney OPÉRA NATIONAL DE PARIS
■パリ・オペラ座で勅使川原三郎の新作+バランシン『アゴン』+バウシュ『春の祭典』を観た
2017年10月25日から11月16日まで、パリ・オペラ座・ガルニエ宮で、ジョ-ジ・バランシ振付『アゴン』(初演=1957年)、ピナ・バウシュ振付『春の祭典』(初演=1975年)、勅使川原三郎の新作『GRAND MIROIR』の3作品が、ダンスの歴史を追うように、一晩のプログラムに組まれ、「パリ・オペラ座・バレエ団」により上演された。勅使川原三郎の「パリ・オペラ座・バレエ団」への振付は、2003 の『エア-』、2013の『闇は黒い馬を隠す』に続き、3回目となった。
勅使川原の新作では、フィンランドの現代音楽家エサ=ペッカ・サロネンの『ヴァイオリン協奏曲』(初演=2009年)が用いられた。作曲家であるサロネン自身の指揮の下、ヴァイオリン・ソリストを務めたのは諏訪内晶子である。筆者(原田広美)は、26日の上演を見た。また勅使川原が25日の初演後、次の仕事のためにパリを発ったため、27日に諏訪内から企画の経緯やダンスとの関係などについて、貴重な話を聞いた。が、諏訪内のインタビューに先立ち、まずは3作品の公演レポートからお届けしよう。
『アゴン』ジェルマン・ルーヴェ OPÉRA NATIONAL DE PARIS
■パリ・オペラ座とパリのダンス事情
パリ・オペラ座・ガルニエ宮は、パリの中心地に建つ、豪華絢爛で〈世界一美しい〉とされる劇場。その存在感は、圧倒的である。ナポレオン3世の命により、ガルニエの設計で建築を始め、1875年に落成した。内部には、大階段があり、ここかしこに並ぶシャンデリアが光を放ち、まばゆいばかり。壁や天井を覆う大理石や金には装飾的な彫刻が施され、カラフルな天井画にも心が踊る。約2000席ある観覧席の丸天井の、シャガ-ル作の天井画も見所の一つだ。
ちなみに同じパリ市内のバスティ-ユ・オペラ座は、フランス革命200年を記念して計画され、1989年に落成した現代建築。こちらでは大規模のオペラが多く上演される。バレエやダンスはガルニエ宮が主とされる(ただし両者の催しは流動的である)。このクラシックの殿堂でもあるパリ・オペラ座が、「パリ・オペラ座バレエ団」を擁している。同バレエ団は、1968年の5月革命(学生運動に端を発した、社会変革を求めるゼネスト)の後、1970年代から新しい舞踊を取り入れる試みが始まった。特に1990年代半ばから「コンテンポラリ-・ダンス」の上演が多くなり、近年はプログラムの約半分を占めるようになった。
『春の祭典』photo Agathe Poupeney OPÉRA NATIONAL DE PARIS
「コンテンポラリ-・ダンス」のファンであれば、きっと聞いたことがあるだろう、マギ-・マラン、フォ-サイス、「ロ-ザス」のケ-スマイケル、キリアン、マッツ・エック、プレルジョカ-ジュ、シェルカウイ&ジャレなどによる、さまざまなコンテンポラリ-作品が、これまで上演されて来た。この傾向を語るならば、1975年にパリ・オペラ座が、ドイツ表現主義舞踊をアメリカに伝えたハンニャ・ホルム(元は、ドイツのモダン・ダンス「ノイエ・タンツ」の創始者マリー・ウィグマンの弟子)に学んだアルヴィン・ニコライの、弟子から出発したカロリン・カ-ルソンを迎え、「パリ・オペラ座・演劇研究グル-プ(G.R.T.O.P.)」を作ったことに遡(さかのぼ)らなければならない。
その後、1981年からはジャック・ガルニエ(1940~1989)が、「パリ・オペラ座・振付研究グル-プ(G.R.C.O.P.)」を組織し、約10年率いた。ちなみに、この期間には、アメリカの「ポスト・モダン・ダンス」のロ-ラ・ディ-ンの招聘公演もあった。
ガルニエは「パリ・オペラ座バレエ団」の出身者だが、1972年に退団後、「テアトル・シランス(沈黙の劇場)」というグル-プを設立し、活動していた。ちなみに1995年から2015年まで、「パリ・オペラ座・バレエ団」の芸術監督を務めたブリジッド・ルフェ-ブルも、1972年にガルニエと共に退団し、グル-プの発足と活動を共にした人であった。この1972年には、毎年9月から12月にパリで開催される「ド-トンヌ・フェスティバル」も始まった。
『GRAND MIROIR』リディ・ヴァレイユ photo Agathe Poupeney OPÉRA NATIONAL DE PARIS
一方、1983年から1990年までは、ヌレエフが「パリ・オペラ座バレエ団」の芸術監督を務めた。その間、後に「英国ロイヤル・バレエ団」のゲスト・プリンシパルになったシルヴィ・ギエムを見出した。また、従来の「女性ダンサ-中心のバレエ」から、今日に通じる「男性ダンサ-の見所も多いバレエ」への脱皮も図った。そして「クラシック・バレエ」を継承しつつ、「コンテンポラリ-・ダンス」を上演する方針を明確に打ち出したのも、ヌレエフである。なお、ここまでの間に、もちろんモーリス・ベジャ-ルやローラン・プティも招聘されている。
こうして見て来ると、1968年の5月革命からの流れを確実に受け、パリ・オペラ座が変貌を見せた歴史に改めて感じ入る。そして「コンテンポラリ-・ダンス」と呼ばれる潮流の先がけとなったのが、1980年前後に始発したフランスの「ヌ-ヴェル・ダンス」(新しいダンス)なのだが、上記のように、その興隆に「パリ・オペラ座」も一役買ったわけである。また並んで重要だったのが、5月革命の翌1969年に開始された「バニョレ国際振付コンク-ル」(1990年と2002年に名称を変更、コンク-ル形式も終了)であり、勅使川原三郎は1986年の入賞者であった。
また、これらと共に、「ヌ-ヴェル・ダンス」の生成時から国際的な「コンテンポラリ-・ダンス」の潮流を支えて来たのが、すり鉢状で約1500席を要する「パリ市立劇場」で、その国際的なメッカとされる。バウシュや「山海塾」の作品も上演して来たが、折しも現在は、改装中。だが本年も「パリ市立劇場」主催公演は、年間を通して組まれており、ジェロ-ム・ベルの活動を回顧する特集や、日本で2012年に公開したアクラム・カ-ンの『デッシュ』の改作バ-ジョンを上演していた。会場は、コンコルド広場に近い「エスパス・ピエ-ル・カルダン」や、中心部より北側の「アベス劇場」などを用いている。
■パリ・オペラ座・ガルニエ宮での3作品
前述のようにジョ-ジ・バランシン『アゴン』、勅使川原三郎の新作『GRAND MIROIR』、ピナ・バウシュ『春の祭典』の3作品が上演された。バウシュの『春の祭典』では、上演前に床一面に土を敷く。上演は、作品毎にゆっくりと休憩を取りながらの進行だった。東京であれば、プレス席は、観客席の後方半分の最前列などが多いが、ここではオ-ケストラ・ピットに接する最前列が定席である。
また、この日も2015年11月以来6回目の、延長された非常事態宣言下ではあり、劇場入口で簡単な荷物検査があった。
『アゴン』
まずは、バランシンの『アゴン』だった。バランシンは前世紀初頭のパリ「パレエ・リュス」最後の振付家。ロシア・アヴァンギャルドの構成主義を基盤に、当時としては最前衛の、アブストラクト・バレエを創始した歴史的な振付家である。物語を廃したため、純粋舞踊とも言われ、しだいにレオタ-ドで踊ることが基本となった。『アゴン』の衣装も、男性は、白の半袖に黒いタイツと白のソックス。女性は、黒のレオタ-ドのウエスにベルトをしめ、白いタイツにトウシュ-ズ。『アゴン』は古代ギリシャ語で「競技・コンテスト」の意味。楽曲は、同じロシア出身の、ストラヴィンスキ-による十二音技法(無調)の同名曲である。
『アゴン』中央はジェルマン・ルーヴェ OPÉRA NATIONAL DE PARIS
全3部のうちの第1部をメインで踊ったのは、エトワ-ルのジェルマン・ル-ヴェ。ル-ヴェが女性2人と組み、腕が知恵の輪のように絡むシ-ンもある。ソロ・シ-ンでは、手足や身体全体の可動域を大きく生かした振付を、ダンスのような粘り気も含みながら踊り、作品の出だしで、存在感を示した。やがて女性2人が左右に並び、鏡面的な左右対称で踊り、最後は再び3人になる。第1部は、左右への動きが多い。「股関節」から脚をひねる振付や、「腰」に動きがあるのも、バランシンが渡米後の1940年代に創ったアブストラクト・バレエの初期代表作品からは、かなり遠くに来た感がある。
1950年代のアメリカではロックが台頭したが、エルビス・プレスリ-の腰の動きは下品だと言われた。『アゴン』の初演は1957年で、バランシンが設立したニューヨーク・シティ・バレエの当時の本拠地はブロ-ドウェイと隣接しており、ブロ-ドウェイにも振付けていたから、時代思潮を受けた「身体のこなれ方」を取り入れたのだろう。
このバランシンから多くを得て、1980年代以降に発展を見せたのがフォ-サイスだが、「オフ・バランス」や「動きの意外性」と共に、「独特の腰のひねり」も発展的に受け継がれたように見える。またフォ-サイスと、ドイツ表現主義舞踊の末裔のバウシュが、人気を二分した時代もあったから、今回のプログラムは、その辺りも考慮されているようだ。
『アゴン』オドリック・ベザールとセウン・パク OPÉRA NATIONAL DE PARIS
第1部の「女男女の3人」に対し、第2部は「男女男の3人」が前半のメインである。第2部では回転が始まり、ジャンプも多くなり、しだいに動きは複雑さを増す。女性の1人は、プリミエ-ル・ダンス-ズのオニ-ル八菜(はな)であった。2部の後半が、男女2人で踊る山場となる。そのパ-トを踊ったのは,同じくプレミエ・ダンス―ルとプリミエ-ル・ダンスーズのオドリック・ベザ-ルとセウン・パク。
ここでは、ベザ-ルがセウンの手を握りながら「床上に仰向けになる」、また「脚を大きなV字に開いたリフト」「背合わせでのオフ・バランス」「相手の肩上に足を乗せる」などの振付も、見られる。このパ-トは長い上に、舞台上での移動も多いが、特にセウンの伸び伸びとした身体性と真摯な集中が、光った(初日のこのパ-トは、エトワ-ルのユ-ゴ・マルシャンと、ミリアム・ウルド=ブラ-ムが踊った)。
そして第3部は、皆が出てきて短く終わる。純粋なクラシックからは、ほど遠い振付になった本作に、やはりバランシンの「ロシア・アヴァンギャルド」の精神と、構成主義を見た。
『春の祭典』
1975年のピナ・バウシュによる『春の祭典』。楽曲は、言わずもがなのストラヴィンスキ-。上演は最後であったが、歴史を追う書き方をして来たので、こちらを先に書く。改めて考えるに、ニジンスキ-がパリにおける「バレエ・リュス」で、1913年にストラヴィンスキ-の『春の祭典』に振付けた後、これまでに何人の振付家が『春の祭典』に、新たな振付チャレンジをしたのか、数え上げるのは困難である。ただし『春の祭典』のビッグ3と言えば、本家本元のニジンスキ-、1959年のベジャ-ル、そしてバウシュの本作であることには違いない。もう一つを加えるとすれば、世紀をまたぐが2001年のプレルジョカ-ジュであろう。
『春の祭典』photo Agathe Poupeney OPÉRA NATIONAL DE PARIS
ちなみにニジンスキ-の、スラブ民話に想を得て、神に犠牲の乙女を捧げる『春の祭典』は、大地に突き刺さるようなジャンプや内股の足元など、既にどう見てもバレエではなかったが、分類するとすれば「前衛バレエ」。ベジャ-ルが、鹿の交尾に想を得たと言う、レオタ-ド姿で男女が性を謳歌する振付の『春の祭典』は、「モダン・バレエ」。
そしてバウシュの本作は、バウシュが「タンツ・テアタ-」に移行する直前の、「モダン・ダンス」の最後の作品とされる。いじめによる若者の自死のニュ-スに心が痛む昨今だが、そこへ通じる所がある。いわば共同体の中で、一人の女性がスケ-プゴ-ドに選ばれ、追い詰められて命を落とす所までが描かれる。
舞台上の土の演出は、バウシュの始めの夫で、1980年に白血病で急逝した舞台美術家ロルフ・ボルツィクによる。そのお陰で、ダンサ-達は最後には皆、泥だらけになってしまう。だがそれが、日常に潜む「生き死に」にも通じる人間関係の攻防を、文字通り「泥くさい」肉体的なものにする効果を生んだ。
踊ったのは、男女各17人のダンサ-達。男性は半裸に黒いロング・パンツ、女性はべ-ジュのスリップ、全員が裸足である。この日、最後の一人に選ばれ、赤いドレスに着替え、胸を肌けながら命尽きるまでを踊ったのは、エトワ-ルのアリス・ルナヴァン。初日に本役を踊った、エトワ-ルのエオノ-ラ・アバニャ-トも、コンテンポラリ-作品の踊りに定評がある人だが、ルナヴァンの苦悩の重い表現や、迅速で激しい動きも素晴らしかった。
バウシュはドイツ表現主義舞踊の末裔だから、ニジンスキ-版の鋭利なジャンプの面影を土と密接な独自のニュアンスの動きに変容させて残し、身体の重厚さや重量を存在感に変換させたように見える。加えて堅固に構えた足腰に重心を下ろし、腕を上腕から頭上に大きく湾曲させつつ、男女別のユニゾンで踊る場面が多いのも、「モダン」的である。また男女別のユニゾンは、社会に内在する根深い性差別の構造をも思わせる。
しかし、はじめに一人の女性が赤い布の上に突っ伏し、次々と女性達が出現し、最後に赤いドレスに着替えた女性が、自分の身を打ちすえながらノタウチ回る動きなども、すでに様式的な「モダン」の感覚を超えていると言えよう。藤井美帆、エトワ-ルのレオノ-ル・ポラック、カ-ル・パケットも出演した。
『春の祭典』エオノーラ・アバニャート photo Agathe Poupeney OPÉRA NATIONAL DE PARIS
『GRAND MIROIR』(作・演出・振付=勅使川原三郎/アシスタント=佐東利穂子)
タイトルはフランス語で、「大きな鏡」という意味。舞台装置・照明・衣装も、勅使川原による。この総合的な創作姿勢は、いつものことである。冒頭で述べたように、エサ=ペッカ・サロネン作曲・無調の『ヴァイオリン協奏曲』(2009年/約28分)に振付け、諏訪内晶子がソリストを務めた。本曲は、4楽章に分かれ、「ミラ-ジュ(蜃気楼・幻想)」「パルス(電波)Ⅰ」「パルスⅡ」「アデュ-(さようなら)」と続く。この「空気の層を感じさせるような音楽」を土台に、身体に何が生まれるのかを問おうとした今回の勅使川原の「パリ・オペラ座・バレエ団」への振付は、新境地を開き得たように思う。
『GRAND MIROIR』マチュー・ガエオ photo Sébastien Mathé OPÉRA NATIONAL DE PARIS
今回新たに圧倒されたのは、「背景と衣装」に現れた「色」である。淡いブル-、パ-プル、イエロ-、オレンジ、グリ-ンなど、それらの色は、巧みなライティングに支えられていたが、ダンサ-達の「顔や手足」にも塗りたくられているように見えた。また体に密着はしているものの、横シワがいくつも寄ることで、造形的にさえ見えた衣装も含め、まずこれが成功の源であったかもしれない。
というのは、とにかく既成のダンス観に対抗的な身体性を打ち立てる勅使川原だが、特にバレエとは対極的に、体に塗られた色(塗料)が、ダンサ-達の空気に対する皮膚感覚を開き、シワの寄った衣装が、ダンサ-達が空気に接する皮膚面積を増大させるイメ-ジ作りに一役買ったのではないか、と思ったからだ。
とにかく、このような多様な色合いが勅使川原の作品に現れたのも、珍しい。肩をすぼめたような姿勢に始まり、やがては風の中で身を素早く翻すような動きなどを含み、動き自体の多様さと遅速の幅も大きかった。また出演ダンサ-が、エトワ-ルのエミリ-・コゼット、マチュ-・ガニオ、ジェルマン・ル-ヴェを含む10人に及んだのも、「パリ・オペラ座・バレエ団」への振付では初めてだった。言うまでもなく、ユニゾンを超えた自在で推移の多い構成だが、今回は実力者が集結した分だけ、ダンサ-達が、異郷的とも言える勅使川原の振付を自らのものにした感があった。
『GRAND MIROIR』リディ・ヴァレイユ photo Agathe Poupeney OPÉRA NATIONAL DE PARIS
前回の『闇は黒い馬を隠す』に出演したオ-レリ-・デュポン(現在の芸術監督)が、2014年に「東京芸術劇場」で勅使川原が振付・出演した『睡眠-sleep-』に、佐東利穂子らと共に出演したことも思い起こされるが、今回の快挙は、そのデュポンが関与したであろう、複数のエトワ-ルの出演を可能にした体制にもあったかもしれない。色と自在な動きに圧倒されているうち、身を震わせる動きも始まった。
また前半の最後とも言える第3楽章の辺りでは多数のダンサ-達が動きを増し、悲愴感が漂うような第4楽章の始まりでは、9人のダンサ-達が舞台奥の暗闇から現れ、残る一人を引き立てる。リディ・ヴァレイユのしなやかで溶け込むような動きが、舞台を引き立てた。
全体に色鮮やかな夢を見るようなタッチで舞台は進んだが、それは今回、勅使川原が目指した「サロネンの音楽からダンスを創る試み」の成功を意味するものであったと思う。勅使川原は、今回の試みで「身体で接する空気の質感」を問うたのではないだろうか。それは依然として、従来の舞踊に対するアンチテ-ゼである。(10月26日)
『GRAND MIROIR』マチュー・ガニオ photo Agathe Poupeney OPÉRA NATIONAL DE PARIS
■諏訪内晶子特別インタビュ-(パリ・オペラ座ガルニエ宮にて、10月27日)
諏訪内晶子 撮影:吉田民人
--今回、勅使川原三郎が「パリ・オペラ座バレエ団」に振付けた新作『Grand Miroir』の楽曲として、エサ=ペッカ・サロネン作曲『ヴァイオリン協奏曲』(2009年初演)を、ソリストでいらっしゃる諏訪内さんが、サロネンさん御本人の指揮で、「パリ国立歌劇場管弦楽団」と共に、初演の25日から来月の16日まで、全13回の演奏をなさっています。この贅沢な企画は、どこから生まれたのでしょうか。
私が、サロネンさん御本人の指揮で、この『ヴァイオリン協奏曲』を初めて演奏したのは、私が芸術監督を務める「国際音楽祭NIPPON」の初年(2013年)のことでした。この音楽祭では、チャリティ-や、教育、通常のクラシックプログラムと共に、コンテンポラリ-(現代曲)を重視しています。90年代に私がニュ-ヨ-クに在住していた頃から、サロネンさんの作品に注目していましたが、2013年が最初の出会いになりました。その後、2015年の夏に「フィンランド・ヘルシンキ・フェスティバル」で、テロ・サリネン振付のダンス作品の上演時にも、ご一緒しました。
今回は、まず勅使川原さんが、サロネンさんの楽曲の中から『ヴァイオリン協奏曲』を選ばれましたのだそうです。それで「サロネンさんがパリ・オペラ座で指揮をされますが、その演奏に関心がありますか」と、私に連絡がありました。
--どなたが、諏訪内さんをご推薦されたのでしょうか?
サロネンさんとは、以前に同じ楽曲でご一緒していましたので、その辺りからではないでしょうか。この曲は超難曲と言われ、第3楽章でドラムセットが入り特殊な編成のため、挑戦するヴァイオリン奏者が多くないのかもしれません。また私にとっては、やはり作曲家御自身と作品にかかわるということは、意図が明確で伝わって来るものが多く、よい体験です。
--リハ-サルは、どのようになさったのですか?
勅使川原さんは、オペラ座のダンサ-達と2カ月をかけて入念に作品を創り上げたようですが、その間は録音を用いていたそうです。私自身はソリストですので、個人で演奏を仕上げる部分が多く、オ-ケストラやダンスと合わせたのは最後の2回です。最後の全体通し稽古終了後、上演直前に録音でリハ-サルされたダンスを拝見しました。動きを持つ肉体を見て「肉体とはこういうものか」と感じ、色やライティングという視覚にも刺激を受け、振付けに哲学も感じました。勅使川原さんは、最後の最後まで熱心に振付指導をされていました。
マチュ-・ガニオさんが、他のメンバ-達と同様に体に色を塗って踊っていたことに驚きましたが、芸術的な動きに感銘を受けました。
--上演時には、諏訪内さんはサロネンさんとコンタクトを密に持たれ、舞台を背にされるわけですが、ダンスの演奏は、いつもの演奏と違いますか?
ダンサ-たちは既に録音でリハ-サルをされていましたし、ダンスにはテンポが大事だということもありますので、何か所かをダンスに合わせ調節しました。
ダンスに関しては、かつて私が学んだ「ジュリア-ド音楽院(The Juilliard School)」にも舞踊科がありましたし、当時、まだ16才でボルド-からニュ-ヨ-クに出てきたばかりのバンジャマン・ミルピエ(前「パリ・オペラ座バレエ団」芸術監督)が、「SAB」(School of American Ballet)で学んでいらして、学校の寮が一緒でした。また、キリアンが実際に来校し、ご自身の作品を指導されていたところを何度も見学しましたし、「ネザ-ランド・ダンス・シアタ-」や、「ポ-ル・テイラ-舞踊団」に入団した友人もいました。そして「ジュリア-ド音楽院」には、倍率が1000倍と言われる演劇科もありましたので、芸術を総合的に考えるという習慣は自然なことでした。
--今回、「パリ・オペラ座・ガルニエ宮」での演奏は、いかがでしょうか?
建物が大変素晴らしく、歴史の重みと、その空気を感じます。また、あの豪華なシャンデリアや鏡のあるホワイエで、ダンサ-達が出番前にウォ-ミング・アップをしていました。私もそこを通ってオ-ケストラ・ピットに入るのですが、最後まで調整に余念がないダンサ-達に自分までエネルギ-をもらい、改めて「伸び伸びと弾こう」と思いました。
それから、本当に一流のア-ティストが集まっての上演で、素晴らしい特別な企画に参加でき光栄です。
--10月中はサロネンさんの指揮ですが、11月は別の指揮者に代わりますね。
実はサロネンさんは、11月にはパリ・バスティ-ユ・オペラ座のオペラで、ヤナ-チェク(チェコの作曲家)の楽曲の指揮をされます。それで、こちらのガルニエ宮では、最初の5回はサロネンさん、残りの8回は若手のベンジャミン・シュワルツさんがなさることになったようです。
取材・文=原田広美
BALANCHIN,TESHIGAWARA,BAUSCH(バランシン、勅使川原、バウシュ)
■日時:2017年10月25・26・27・28・31日、11月2・3・4・7・11・12・14・16日
■会場:パリ・オペラ座ガルニエ宮
■演目:ジョ-ジ・バランシ振付『アゴン』、ピナ・バウシュ振付『春の祭典』、勅使川原三郎振付『GRAND MIROIR』
■出演:ジェルマン・ルーヴェ、ユーゴ・マルシャン、アリス・ルナヴァン、エオノーラ・アバニャート、マチュー・ガニオ、エミリー・コゼット、レオノール・ポラック、カール・パケット、ミリアム・ウルド=ブラーム、オドリック・ベザール、セウン・パク、オニール八菜、藤井美帆・他、「パリ・オペラ座バレエ団」
■公式サイト:https://www.operadeparis.fr/saison-17-18/ballet/balanchine-teshigawara-bausch