名古屋で開催中の『Visitors』参加団体4組目、空の驛舎の中村ケンシに聞く
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空の驛舎の主宰・劇作家・演出家の中村ケンシ。「ナビロフト」前にて
自身の経験と“アジール”を通して、生き難い現代を生きる人々の姿を描く
昨年9月から名古屋「ナビロフト」で開催中の『Visitors』。北村想が20年に渡って塾長を務めた(現在、北村は名誉塾長)〈伊丹想流私塾〉の卒塾生による連続公演企画として、これまで光の領地、虚空旅団、極東退屈道場、さらに番外公演でコンブリ団が上演を行ってきたが(過去の上演については関連記事を参照)、いよいよ2月24日(土)・25日(日)にそのラストを飾るのが、中村ケンシ率いる空の驛舎(そらのえき)である。
空の驛舎 第21回公演『どこかの通りを突っ走って』(2017年2月 ウイングフィールド)公演より
中村ケンシは〈伊丹想流私塾〉の第3期生で、2001年~2007年には同塾の師範も務めている。2003年に空の驛舎を結成し、翌年『すばらしいさよなら』で旗揚げ。以来、登場人物の内面に寄り添い、会話を積み重ねて劇世界を構築し、「ヒトとヒトとの関わり」と「矛盾を孕む人間の、それでも生きていこうと不条理な世界に佇む姿」を描き続けてきた。上記団体と同じく関西を拠点に活動し、名古屋での公演は今回が初となる。
その記念すべき名古屋初登場作品『かえりみちの木』はどんな作品なのか、また中村ケンシとはどのような劇作家・演出家なのかを探るべく、「ナビロフト」を訪れた中村に話を聞いた。
── 名古屋初お目見えということで、空の驛舎を初めてご覧になる観客も多いと思いますので、まずは劇団名の由来から教えてください。
空の驛舎を作ったのは2劇団目で、大学の演劇部を卒業して役者をしていたんですよ。ひとつ目の劇団の時は戯曲が書けなかったので書いてなかったんですけど、解散して一人になって、じゃあ自分はどうしようか、何がしたいのかな?と思った時に、やっぱりホンが書きたいと思いまして、『空の驛舎』という戯曲を書いたんです。それが運良く「第3回かながわ戯曲賞」で最優秀賞をいただきまして、この戯曲ができたのでもう一回劇団を作ろうということで、劇団員を集めたんです。知り合いとかではなく、チラシを作って劇場に置いたり手配りして。それできっかけになった戯曲のタイトルを劇団名にしました。
その戯曲がなぜ『空の驛舎』かというと、ある山間の峠道に風化したバス停があったんですね。標高の高いところにあるし、もう使われていないバス停で、標識や建物やベンチもありつつすごく寂れていて。そこを舞台にした作品なので、その場所を“空の驛舎”と名付けたわけです。
── では、お名前つながりで、ご自身のファーストネームを最近カタカナ表記にされたというのは?
以前は「中村賢司」だったんですけど、普通「けんじ」って読むと思いますよね。大阪では皆さん「けんし」と呼んでくれるんですけど、改めて外に出る時に呼んでもらえないんじゃないか、というのがひとつの理由と、ちょっと心機一転したいなと思いまして。今までワンシチュエーションの芝居だったり時空が入り混じったり、いろんなタイプの劇をやってきたんですけど、作品を固めていきたいなということもありまして、その2つの理由で改名をしました。
── 心機一転したい、と思うきっかけが何かあったりしたんですか?
なかなか次の展開にいかないなと。それは劇団が大きくなるとか動員が増えるということではなくて、毎年1本、2本書いて発表し続けてきたんですけど、自分の作品世界としてもっと違うものが見たいといいますか。そういうことを思っていた時に名古屋で芝居ができる機会をいただいたので、今変えよう!と。
── 脚本を書かれる時は、構想の元になるものをどのように見つけていらっしゃるんでしょうか。
気になった場所、気になった人、気になった事象というのは戯曲の形になる前にいろいろ持っていまして。生活していく上で思ったことや、喜んだり怒ったり悲しんだりという感情を無視できないなと。気になっているシチュエーションなり演劇の素材になるものと、自分の今やりたい生活感情がピタっと結びついた時に、エイヤって戯曲に立ち上げる、ということですかね。
今回上演する『かえりみちの木』という作品は、私自身が5年前から2年前まで3年間、適応障害という精神疾患で、演劇は細々とやってたんですけど昼間の仕事に行けなくなりまして、引きこもっていたわけですね。その時に都会から離れたある里山へドライブに行っていたんです。そこに日本で第3位か4位だという樹齢1000年のケヤキの木がありまして。でも寂れているんですよね。2~3ヶ月に1回、その大木の下へ行ってぼんやりして、その場所はいいよなぁと思っていたわけです。
で、もうひとつここ最近で伝えたいことは、現代に生きる人にとって、アジールが必要だなと。アジールというのは、“避難所”とか“駆け込み寺”とか、つまり外の権力に影響されない場所。人はそこへ駆け込んで、癒されるというと俗っぽいですけど、そこからまた社会に戻っていく、みたいな場所です。それを形を変えていろいろ作品化していて、例えばトイレの中であったり、夜中の駅の誰もいないホームであったり。そのアジールと大木の下、というのがピタっと合いまして、抽象的な言葉を使わずに現代のアジールを描けるんじゃないかと。
そしてモデルにした実際の場所にアンテナを張ると面白かったんです。例えば、テレビでは今、里山ブームでのどかな番組をやってますけど、自然食カフェや天然酵母のパン屋さんがあったり、「道の駅」では採れたての野菜とかが並んでいて、人里離れたところなのに日曜日にすごい渋滞を作ったりするわけです。そういう郊外の里山には、保護動物施設や精神病患者の施設もあったり。いろいろ調べていくと、北海道に統合失調症の人たちが自給自足をしながら地域の人と関わって生きている場所がありまして、特産物のワカメを作って生計を立てているんですけど、サボってもいいんです。「あなたは何をしててもどうであっても、居るだけでOKですよ」というのが実現できている奇跡の場所で、それと自分の状況などがいろいろ結びついて、芝居になるんじゃないかと。
これは願いでもあるんですが、演劇作品は現代を自分の物の見方で描くことももちろん大事ですけど、それプラス、観た人の救いになるものというか、私が芝居を創って救われることというのは、もしかしたら共鳴してくれる人がいるんじゃないか、と。生き難い世の中で生きて行くためには思想が必要で、それは演劇の大事な役割であると思って最近は書いています。この芝居には、大木がボンとあって、都会から難を逃れた人が訪れるし、保護動物施設で働いている人も出てきますし、統合失調症の人やソーシャルワーカー、天然酵母パン屋の夫婦も出てきます。ひとつの里山の世界を描く中で、現代性も切り取れるんじゃないか、と思ったりしています。
空の驛舎『かえりみちの木』チラシ表
── 今回のモデルになった場所は、自然と惹かれてたどり着かれたんですか?
自然にですね。最初は「ここ、芝居にはならへんな」と思ってたんですよ。「木に人が集まるって、ベタやし」と。北村想さんにも名作『いっぽんのキ』がありますので、「この企画にこれは絶対無理やで」と思ってたんですけど、周りを調べ出して、アジールというのは実際の場所でできるんじゃないかな、っていうところですね。
ある日、その木の下でボーッとしてたら、この芝居にも出てきますけどケヤキ資料館があって、定年退職してそこで働いているおじさんがいるんですよね。その人がやたら話しかけてきて、「パワースポットだから木に触れ」って言うわけですよ。古い大木で根が傷むので柵があって入れないから、「どうやって触るねん」って言ったら、ニョキッと出ている「根を触れ」って。それで触って、「なんかいいっすわ。浄化されますわ」って言ったら、おじさんが笑ってね、「そんなわけあるまい」って(笑)。「来た人来た人がパワースポットって言うから自分も言うけど、そんなことはない。気のせいだ」とか言いだして、面白いなぁと。ということは、パワースポットとか癒しの場所というのは元々そうなんじゃなくて、人々がそうしていくうちにそうなるんだよな、と思って。劇場に似てるんですけど、人が集まって劇場になっていく、みたいな。私はなかなか想像力がないもんですから、そのようなシーンがオープニングです(笑)。それで「かえりみち」というのは道標ですので、このタイトルにしました。
── 劇作だけでなく演出もされていますが、演出をする上で軸にしていることはありますでしょうか。
両方やってるんですけど、実は両立はあまりできないんじゃないかと。劇作が演出を兼ねていると思っているんです。自分は劇作家だと思っているので、人が言葉を発することや、会話でやりとりをするところを丁寧に見ていきたいと思っています。それで、演出手法ではないんですけど、自分はどんな演劇をやるんだ?と問うた時に、やっぱり人間を表現したいと。じゃあ、人間てなんだろう?と思った時に、ひとつ定義づけて、“矛盾を背負ったものが人間だ”と思いまして。
つまり人間というのは、ある人に対して無茶苦茶好きやし無茶苦茶嫌いだし、っていうのが成立すると思うんですね。舞台上でその矛盾に引き裂かれた身体を見る、その中で身体の揺れ、心の揺れを見るっていうところに人間のリアリティが出るんじゃないかと。それで「人間て面白いなぁ」とか、「愛しいな」「哀しいな」という風に人間を知りたいと思っています。だから劇作も演出も、俳優の演技に対する要求も「矛盾」がテーマです。相反すること、100%好き、100%嫌いっていうのを「両方表現しましょう」って。
── 〈伊丹想流私塾〉時代に想さんから得たものは、どんなことでしたか?
想さんはあまり教える気はなくて、興味のあることを喋っていたと思うんですね(笑)。でもそれは題材の先を見ていたというのか。私が勝手に学んだのは、「思想がないといけない」ということです。自分はこの世界と人間をどう見ているか、それを言葉で劇にする。思想というのは書こうと思って書けるのではなく、にじむものだと。そのためにちゃんと生活する、人も自分も大事にする。その中で憤ったり引っかかったりしたことが演劇で立ち上げたいことになる、ということですね。
上演作や自身の創作について、さまざまなエピソードを交えながら饒舌に語ってくれた中村。今回の企画参加については、「ずっと引きこもりがちな劇団であまり野望もなかったんですが、師匠の想さんがやるというのであれば、理由はどうであれやらなければいけないと(笑)。やらなかったらやらなかったですごく悔しい思いをしますので、とても良い機会をいただいたと思っています。「ナビロフト」は私にとって聖地ですし、天井が高いのが好きです。周りの環境も気持ちいいですね」とも。自身にとっても劇団にとっても分岐点となり得る、重要な作品であることが伝わって来る本作。「ナビロフト」に出現する“アジール”の下、繰り広げられる人間模様を前に私たちは何を受け取り、何を思うのか、今からとても楽しみだ。
そして「ナビロフト」から耳寄りな情報がひとつ。同時期に公演する、avecビーズ evolution13『さよならの霧が流れる港町』及び、名古屋市芸術創造センター 演劇アカデミー終了公演『科学する探偵』、いずれかの
また、本作は3月16日(金)~18日(日)に空の驛舎のホームグラウンドのひとつ、伊丹「AI・HALL」での公演も予定されている。
さて、昨秋から半年に渡って開催されてきた『Visitors』。師である北村自身も驚くほどバラエティに富んだ個性を輩出し、いずれも第一線で活躍し続ける関西圏の劇作家たちの作品に触れることができたこの企画もひとまずこれで終了するが、今後もまた新たな“訪問者たち”が「ナビロフト」にやって来てくれることを願いたい。
取材・文=望月勝美
空の驛舎 第22回公演『かえりみちの木』
■作・演出:中村ケンシ
■出演:石塚博章、三田村啓示、津久間泉、中村京子、河本久和、イトウエリ、金子順子(コズミックシアター)、北村守(スクエア)、コタカトモ子
■日時:2018年2月24日(土)19:30、25日(日)15:00 ※24日(土)はゲストに小堀純(編集者)を招き、アフタートークを開催予定
■会場:ナビロフト(名古屋市天白区井口2-902)
■料金:前売3,000円 当日3,300円 ユース(22歳以下)2,000円 高校生以下1,000円
■アクセス:名古屋駅から地下鉄東山線「伏見」駅下車、鶴舞線に乗り換え「原」駅下車、1番出口から徒歩8分
■問い合わせ:尾崎商店 090-3944-9902 ozy51masy@gmail.com
■公式サイト:
空の驛舎 https://plaza.rakuten.co.jp/soranoeki/
ナビロフト http://naviloft1994.wixsite.com/navi-loft