串田和美にインタビュー、『兵士の物語』を再び!
-
ポスト -
シェア - 送る
串田和美
1918年、第1次世界大戦とロシア革命で混沌極まれる時代に誕生した、ひとつの傑作舞台。イーゴリ―・ストラヴィンスキー作曲による『兵士の物語』は、日本でも数多く上演されている。7人の楽士、語り手、兵士、悪魔が現れ、時間軸を越えた「密約」が取り交わされる。普及の名作を2013、14年に演出した串田和美が、『兵士の物語2018』を手がける。1918年、スイスのローザンヌ劇場で産声を上げた本作品が、松本・東京・大垣・兵庫でツアー上演。演出を務め、悪魔役で出演する串田に話を聞いた――。
◆音楽と演劇が混ざり合う異色の舞台
――『兵士の物語』を手がけるのは、4年ぶりとなります。初演された1918年から100年、アニバーサリーイヤーにまた演出されるわけですが……。
僕が『兵士の物語』を演出するのは2013年と2014年で、今度が3度目です。でも、2011年にサイトウ・キネン・フェスティバル松本(現・セイジ・オザワ 松本フェスティバル)の一環で、フランスのロラン・レヴィが演出した『兵士の物語』にも出演しているんです。(総監督の)小澤征爾さんと話していて、オーケストラや演劇だけでなく、大道芸や路上の音楽など、いろんなものをやっていく話になり、僕が『兵士の物語』を推薦したのがきっかけでしたね。
――音楽劇なのか、あるいはストレートプレイなのか、規定の枠組みでとらえにくい作品ですね。
そうなんですよね。こういうスタイルのものはあまりないと思う。オペラでもないし、音楽を使っているけど語りもある。音楽と演劇が面白く混ざり合う不思議な作品です。そういえば、パルコ劇場が西武劇場と呼ばれていたころ、舞踊家の厚木凡人さんや三上寛さんと一緒に『兵士の物語』に出演したんです。記憶の限りでは、僕が語り役で、凡人さんが悪魔、三上さんは兵士でした。日本でもいろんな方がアレンジして上演しているでしょう。そこが面白いし、作品として多様な様式を取り込める力があります。
ロシア革命に突入する混沌としていた時代で、兵隊にとられて楽団が揃わないという設定だけど、ストラヴィンスキー一流のシャレなんだと思うんです。ヴァイオリンがメイン、ファゴットとクラリネット、トロンボーン、トランペット、コントラバス、パーカッション。楽器の組み合わせも変わっています。いくら混沌の時代でも、偶然に揃った楽団ではなくて、意図的に、わざとそういうふうに設定したんだと思いますね。
『兵士の物語2014』より/撮影:山田穀
◆故郷を懐かしむ思いと裏腹に突き進む時代
――オンシアター自由劇場の代表作『上海バンスキング』や『もっと泣いてよフラッパー』などもひとつの舞台に加わる音楽的な要素、きらびやかさに加え細かい演出の妙、そんなあらゆるファクターが混在するそのあり方が、串田さんのつくる舞台とのつながりを感じます。
やはりそういうのが好きなんですよね。あとは故郷を懐かしむ感じ。ストラヴィンスキーも、ロシアからスイスに移り住んで、どこかで自分の過ごした場所を思っていたはずです。兵士のジョセフは悪魔とのあいだに3日間の契約を結びます。ジョセフは悪魔から相場情報が書かれた本の読み方を教わり、その代わりヴァイオリンの弾き方を悪魔に教えるという……。本を教わるということは、現代の言い方に変えると「経済の知恵をつけられる」ということですね。そして、3日だと思っていた期間は実は3年の月日を経ていて、許嫁も別の人と結婚していた。兵士は感情を捨てて稼ぎまくるわけです。
100年も前の作品だけど、当時の世界も工業化が進んでいき、そのころを過ごした人々も時代の変化に驚いていたでしょう。故郷を懐かしむ思いと裏腹に、時代は突き進んでいくということは、歴史のなかでも普遍的なことだと。
――「経済の知恵」によって、兵士は稼ぐことができるようになります。高度経済成長の時代でも、低成長の時代でも、人はしばしば経済に振り回されかねない現状があるとなると、作品のテーマは普遍的ですね。
そう、どの時代に上演しても、悪魔が兵士に与えたものは観る人にとってリアルに感じられると思う。もしかしたらギリシャ神話の時代から、そういう未来への不安や過去に対する懐かしみを抱えながら生きていたんじゃないかと思う。「最近の若いヤツは!」と怒っていた人は昔からいたんじゃないの(笑)。
――9月19日の松本での公演を皮切りに、ほか3ヶ所をまわるツアー公演ですね。
空間の条件がそれぞれ違うのでけっこう大変なんです(笑)。今は本格的な稽古も始まっていないし、会場によっては図面で確認中のところもあります。ちなみに大垣は市政100周年ということらしいです。稽古開始は9月に入ってからですね(編注:取材は8月9日)。楽士は東京で音合わせを始めていて、そのあと松本の稽古場に入ります。石丸(幹二)君も首藤(康之)君も、過去に経験しているから、稽古期間は短いです。
『兵士の物語2014』より/撮影:山田穀
◆「対等」であることのむずかしさ
――串田さんは今回も悪魔役で出演します。演出しつつ舞台に出演する串田さんですが、稽古段階のどれくらいから舞台に立つのですか?
最初からですね。演出席にはほとんどいなくて、俳優たちの輪に入って稽古します。そのほうが座っているより気づくことが多いんです。歌舞伎の演出のとき、僕は出演しないのだけど、まわりをウロウロしながら見ていることがあります。だって、正面の演出席の角度から見るお客さんは限られていますし、もっと別の場所から見るとどうなるか気になるから。代役も立てませんからね。今回は楽士が来るのが遅いから、パーツで進めてあとで合わせることになると思いますけど。
――演出家としてのアイデンティティよりも、まずは役者ありきの発想で芝居づくりに関わっているというか……。
自分をあんまり演出家と思っていないフシがあってね……。そんな立派な演出家でもないのになあという(笑)、思いもありますね。たとえば足が使えなくなったり、声が出なくなったりしたら、演出家だけに専念するかなあ。そしたら俳優も演出もやめると思いますね。あるいは、歩かないでいい役、黙っていていい役をやるか(笑)。歌舞伎の演出や、演出だけを引き受ける仕事もあるんだけど「役者の僕が演出していて、たまたま出ないだけ」という気持ちなんです。
――串田さんは俳優としても演出家としても、現場では周囲と対等であることを意識しておられるそうですね。
うん。稽古場でみんなには「俳優たちも演出の目を持っているべきで、意見はどんどん言ってくれ」と頼んでいるんです。
対等であろうとすることは、すごくむずかしいです。若いころ、年上の人たちと議論するとき、たまにムキになって「それは違う!」とよく言ったりしてました。それが対等な関係だと思っていたけれど、自分が歳をとると、ちょっと違ってくる。若い子に向かって、「違うよ!」と自分が思ったことを素直に言うのが対等のはずなのに、やはり若い人たちは先輩の僕に気を遣うから、伝え方を考えたりして若者と接する時点で、それはもう対等な関係ではないということになってしまうでしょう。
役者として年下の演出家や監督と仕事するとき、なるべく従順にしています。意見を聞かれれば言うけれど、頭ごなしには言えないですね。
でも、これはジレンマですね。気になったのに何も言わないのは絶対によくない。怒るときは「嫌だ!」と単刀直入に言ってしまおうと腹をくくります。なんかね、あえて「困った人になってみる」なんてことをやったりもするんです(笑)。
――1918年ごろは、ヨーロッパも近代化し大劇場になっていきます。そこに対するカウンターとして『兵士の物語』があると考えると、それも面白いですね。
まさにそうなんですね。劇場に対する批評精神がある。大劇場があれば、また違う小さな公演や見世物小屋もある。時期はずれるけど、欧州のキャバレーに軍人や文化人が集まって運動が起きるなど、そういうことがあり得る時代でした。そういった視点から考えると『兵士の物語』が当時において攻めた作品だと分かります。
串田和美
◆新鮮でダイレクトな観客の反応
――近年は青山円形劇場やパルコ劇場が閉鎖・休館するなど演劇をとりまく環境に変化が見られます。演劇がもっと一般に浸透するには、何が必要だと思いますか。
「演劇がもっとこうなるといいな」ということはいつも考えています。僕はまつもと市民芸術館の芸術監督をやっていて、常に税金や助成金のことがつきまとうけど、一般的なイメージとして助成金は“芝居をつくっている人間”に入るお金だと思われているでしょう。そうじゃなくて、本当は観に来る人を助成しているわけです。1万円の料金がかかるものを誰でも観られるように3000円にするためには、工夫と税金が必要。それがお客さんへの助成だと思うんです。健康保険と同じで、お金のない人は病気を治せないというのはいかんでしょう。税金を投入して、多くの市民に向けて、芸術に触れてもらうというのが助成金のあり方ですね。
僕が今やっているトランクシアター『或いは、テネシーワルツ』では、また違った視点で演劇の可能性を探っています。旅行鞄ひとつでどこでも上演できる。それこそ、音響や照明だって役者が操作する手作りの芝居です。小さな町の公民館、お寺、保育園などで公演を打ちます。料金は2000円くらいで、県の税金も入っています。
くたびれるけど、すごく楽しい。あるときは寺のお堂が会場で、狭いスペースに100人も入ったんです。お坊さんのいる場所でテネシーワルツという(笑)。お客さんの反応が新鮮で、役者の演技に対して、「あっ、怒ってる」「この人笑ってる!」と筋を理解するよりも、瞬間瞬間を一つひとつ感じてくれる新鮮な客席でした。
――ダイレクトで生々しいリアクションがあるのは、すばらしいですね。
そうやって舞台と向き合うお客さんとの時間は、とても贅沢なものだと思うんです。話の筋を理解できた、分からなかったという軸では感じられない受け取り方ですよね。起承転結が分かりやすいだけの無難な演劇が増えていく傾向にありますけど、僕たちつくり手の意図なんて関係なくて、自由に見てくれていいんです。だいたい、人生に起承転結も、正解、不正解もなんてないんですから(笑)。
撮影・取材・文/田中大介
公演情報
■台本:シャルル・フェルディナン・ラミューズ
■演出・美術:串田和美
■出演:石丸幹二、首藤康之、渡辺理恵、串田和美、武居卓、下地尚子
■音楽:郷古廉(ヴァイオリン)、谷口拓史(コントラバス)、カルメン・イゾ(クラリネット)、長哲也(ファゴット)、多田将太郎(トランペット)、三田博基(トロンボーン)、大場章裕(パーカッション)
2018年09月19日(水)~23日(日)◎<松本>まつもと市民芸術館 実験劇場
2018年09月27日(木)~10月01日(月)◎<東京>スパイラルホール
2018年10月04日(木)◎<大垣>大垣市民会館 大ホール
2018年10月06日(土)~07日(日)◎<兵庫>兵庫県立芸術文化センター阪急 中ホール
松本/一般6,000円 18歳以下3,000円
東京/一般8,500円 18歳以下5,000円
大垣/(一般)S席5,000円 A席3,500円 B席2,000円
(大学生以下)S席3,500円 A席2,000円 B席1,000円
兵庫/A6,000円 B4,000円
(※すべて全席指定、税込み)