遊園地再生事業団・宮沢章夫インタビュー~20年越しの『14歳の国』
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劇作家、演出家として1990年代から日本の演劇シーンを牽引してきた遊園地再生事業団・宮沢章夫。1998年に上演された『14歳の国』が、キャスト・台本・演出を大幅に変え上演される。とある中学校の教室。生徒たちのいないあいだ、こっそりと持ち物検査をする5人の教師たちの不穏なストーリーが、20年ぶりによみがえる。早稲田大学教授であり、会場の早稲田小劇場どらま館・芸術監督としても多忙な日々を送る宮沢が手がける『14歳の国』は、どのようにして舞台上に立ち上がるのだろうか。
◆再演ではないと思って上演
――1998年に男性のみのキャストで上演された『14歳の国』が、女性中心のキャスト陣に変わり、再演されます。この時期に再び手がけようと思われたきっかけはなんだったのですか?
僕もね、それがよくわからない(笑)。(早稲田小劇場)どらま館で上演するラインアップに『14歳の国』を見つけて驚いたんだよね。俺は『14歳の国』をやりたいなんて言った記憶は全然ない。そもそも、どらま館でどう演出するか、まったくイメージしていませんでしたからね。だから、新作にするか、イェリネクの作品をやるか、そんなことを考えていたんだけど(編注:2013年、宮沢はフェスティバル/トーキョーで『光のない。(プロローグ?)』を演出している)。ま、まじめな話、ほかにもいろんな意味があるんだけど、今回『14歳の国』を上演することを決意した。だけどとりあえず自分でも驚いたってことにしとこう(笑)。
――今回は宮沢さんご自身も寝耳に水だったわけですね。
これまで再演をやりたいと思ったことがないんです。遊園地再生事業団の作品で再演したのは『ヒネミの商人』くらいじゃないかな。再演に興味がないのは、常に新しいことをやりたいと思うからです。同じことを繰り返すのは飽きちゃうしね。だから今度の『14歳の国』は、再演ではないと思って取り組んでいます。登場人物のうち、ひとりはすごく書き直したし、女性キャスト中心だし、そもそも劇場が違う。98年は青山円形劇場だったわけですよ。それと比べたら、どらま館の狭さはなにごとなんだと(笑)。教室の勉強机をステージにびっしりと置くような装置だから、役者たちの動きもすごく細かく演出しています。
――ここ10年くらい、ポストドラマのテクスチャーが強い作品を手がけられてきました。『ヒネミの商人』や『14歳の国』は、いわゆるダイアローグが際立った、会話の応酬を楽しめる作品群です。たとえば『ジャパニーズ・スリーピング/世界でいちばん眠い場所』のような作品を知っている若いお客さんにとっては、『14歳の国』の上演は新鮮に映ると思います。
今度のキャストのなかで、90年代にやっていた僕の芝居を知っている役者は笠木(泉)くらいだからね。「え?」という台詞にしても、それをいかに発するか、当時はしつこいくらいに稽古してきましたから。音として台詞を出すこと、感情を入れないでやっていくことを徹底していた時期があって、ちょうど笠木が遊園地に参加したころだったわけです。だけど、今は僕も当時の音として台詞を発するやり方をつまらないと感じるようになっていて、もうちょっと芝居に人間味を出す方向になると思う。そういう意味でも、98年の『14歳の国』とは違うものになりますね。
◆アルバート・アイラーと天才性
――白水社で刊行された戯曲には高校演劇に向けた上演の手引きが、巻末に記載されていますね。
もう20年前の戯曲だけど今でも上演許可の連絡がくるんですね。さっき、まじめに話すと言ったのはそのことで、お手本のようなことを示したかった。あと、高校演劇では上演時間が60分程度でしょ。1場と2場がそれぞれ50分ずつだけど、それをどう短くするかを手引きに書いた。今回はそういうわけにもいかないけど少し短縮したし、あと、高校の演劇部は女子が多いんだよね。だから、大半が女性教師の芝居でもかまわない。実際にそうして上演した演劇部もあったと思うけど、遊園地でも女性キャストでやっていいわけだし、それを自分たちで実際に試してみたかったんですね。
先日、熊野大学の講義で新宮に行ったんだけど、それからアルバート・アイラーを集中的に聴いているんですよ。講義のテーマは中上健次にとっての「新宿」と「1960年代」。たとえば、「灰色のコカコーラ」という、まさに60年代末の新宿を舞台にした短編があります。『鳩どもの家』という単行本に入ってるけど、『路上のジャズ』というエッセイ集にも収録されていて、要は1960年代の新宿のジャズ喫茶に出入りするまだ若い男女の姿が描かれている。そこでかかっていたジャズはジョン・コルトレーンであり、アイラーだった。菊地成孔さんの『東京大学のアルバート・アイラー』を読むと、これ、僕の解釈だけど、「アイラーは、ジャズの形式を壊していたわけじゃなくて、そういうふうにしか吹けなかったんだ」という意味のことを言ってるんです。もっとざっくり精神的な病を抱えた人の演奏であると。それはつまり、ある種の天才性なんだよね。『路上のジャズ』に入っている「ねじ曲がった魂」ってエッセイで、中上健次はこう書いてる。
「ジョン・コルトレーンを仲間の中で嫌いな者はなかった。/アルバート・アイラーはクセがありすぎる、鈍いという者と、そうではなくこれはこれでカッコイイとする者の二派がいた。私はアイラーを力ッコイイと思った。」「確か二枚組のアルバムで『死後硬直』という言葉の入った長いタイトルだったが、クスリでラリつて、モダン・ジャズ喫茶店に行ってリクエストする曲は、そのアイラーだった。スウィングなど無縁なアイラーだった。アイラーはブロークンだった。」
今回は出演できなくなったけど、メンバーの牛尾(千聖)はね、女優として換えがきかないタイプです。アイラーのようなもので、牛尾にも、彼女自身にしかない魅力がある。ほかにいないんですよ、牛尾は。それは一種の天才性でしょう。もうひとり上げるとすれば、竹中(直人)です。これまで一緒にやってきた人のなかで、竹中といとう(せいこう)くんで考えると、竹中のほうがアイラーなんです。いとうくんは極めて広い方向に才能を開花させた人であり、非常にコンセプチュアルですよね。すごく優秀な人だけど、他人にマネされやすいというか、マネしたいとあこがれる人がたくさんいると思う。だけど、竹中の場合は、まさに竹中にしかできないという意味で、やっぱり天才だよね。「笑いながら怒る人」だって、よく考えたら笑いながら怒るだけだよ(笑)。どこが面白いんだと(笑)。でもみんな笑う。つまり、竹中がやらないと面白くならない。
そんなアイラーや竹中、あと牛尾のような存在を「飛び道具」というふうに表現する人がいるでしょう。すごくつまらないよね、そういう言い方は。何も考えていない。あと、最近気になるのは「天然」という表現。そうした言葉で済ませようとすることにも同じものを感じる。
――宮沢さんのエッセイでは、しばしばそういう「紋切型」に対して批判的に書かれておられますね。
紋切型に関する違和感は、単純さに対する怒りです。世の中は複雑で、そのなかで生きているにもかかわらず、それに目をつむる。深く見ようとしない。考えるのがめんどくさいということですよ。簡単な言葉で表せばいいとみんなが思うとすれば、それはすごくつまらないよね。まあ、熊野大学がきっかけでアイラーの天才性に興味がわいて以前よりずっと聴くようになったんです。それまではコルトレーンが好きだったんだけど、今はアイラーだね。フリージャズといえばアイラーでしょう(笑)。
◆「教室」という普遍性
――『14歳の国』は高校演劇だけでなく、若手演出家が上演したり映像化されたりと、さまざまな形で広がっていきますね。
それは、作品にある種の普遍性があったからだと思う。みんな中学校生活は経験しているし、教室の勉強机は今も昔も変わらないんですよ。椅子は新しくなっているらしいけど。教師が持ち物検査をやることだって、どの時代でもあり得ることですね。
――話は変わりますが、遊園地再生事業団は「サークル」なんですよね。
って、いきなり話が変わるね(笑)。はい、そうです。だからメンバーの牛尾と上村(聡)と僕で、たまにデニーズに集まるわけです(笑)。僕と上村はお酒を飲めないから、牛尾だけが飲んでいます。上演することはサークル活動の一部だね(笑)。
――「劇団」とは名乗らないわけですか。
今さらそう名乗ってもねえ。一応、僕は遊園地再生事業団の団長です。だけど誰にも団長とは呼ばせない(笑)。平田(オリザ)くんだって、青年団の団長でしょう。劇団内ではみんなそう呼んでいるんじゃないの(笑)。岡田(利規)くんはフィッチュ長と呼ばれているはずです(笑)。
――そしたら松尾スズキさんは計画長になっちゃいます。
それはかっこいいな。大人長でいいよ。KERAはあれだな、℃長だね。彼は℃長と呼ばれているんです。うーん、これはもうなんの話なんだ(笑)。
――宮沢さんのエッセイの世界観のようになってしまいました。2016年に『子どもたちは未来のように笑う』が上演され、2年後の今年に『14歳の国』となると、次なる公演は2020年くらいでしょうか。
いつもそうだけど、僕は人生を決めないで生きているからね。計画もしません。演劇だけでなく、すべての仕事に対して自分からやろうと思ったことがないんだ。若いころ、自分からいろいろ動こうとしてあまりうまくいかなくて、それ以来ただ待つというふうにしているんです。でも、待っていたら向こうからやってくるんだよね。小説を書くことも、歌舞伎を書く仕事も、突然やってきた。自分で自分をこうしようと決めてしまうということが、僕には面白くないんです。決めずに生きることには無駄もある。目的地があって、そこにまっすぐ進むことは合理的だと思うけど、そのあいだ、まわりのものが見えないでしょう。それでは発見の面白さを失ってしまう。
だから、いざ声をかけられたらいかに全力を出すかが大切だよね。熊野大学の話もそうです。声をかけてもらってから何をするか考える。仕事で全力を出そうとするとき、まわり道して発見したものをためていれば、それが蓄えになる。自分に必要なものになる。決めないで生きることで、得られるものも十分にあると思うんですよ。
撮影・取材・文/田中大介
公演情報
■作・演出:宮沢章夫
■出演:大場みなみ、踊り子あり、笠木泉、谷川清美、善積元
■日時&会場
2018年9月14日(金)~10月1日(月)◎早稲田小劇場どらま館
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一般(予約)3,800円 (当日)4,000円
学生2,300円/早大生1,000円
(※学生、早大生
■詳細ページ:https://14year-olds.roa-polo.com/