長哲也が届けたファゴットという楽器の多彩な魅力

2018.9.19
レポート
クラシック

長哲也(Fg.) 永原緑(ピアノ)

画像を全て表示(14件)

「サンデー・ブランチ・クラシック」2018.8.26ライブレポート

クラシック音楽をもっと身近に、気負わずに楽しもう! 小さい子供も大丈夫、お食事の音も気にしなくてOK! そんなコンセプトで続けられている、日曜日の渋谷のランチタイムコンサート「サンデー・ブランチ・クラシック」。8月26日に登場したのは、東京都交響楽団で首席ファゴット奏者を務める長哲也だ。

東京藝術大学音楽学部器楽科卒業と同時に、東京都交響楽団首席ファゴット奏者に就任した長哲也は、第30回日本管打楽器コンクールファゴット部門第2位。同声会賞受賞。第48回北九州市民文化奨励賞受賞などの受賞歴を持ち、ソリストとしても芸大フィルハーモニア、トウキョウ・ミタカ・フィルハーモニアと共演。東京オペラシティリサイタルシリーズ「B→C」、NHK-FM「リサイタル・ノヴァ」への出演や、北九州国際音楽祭、東京・春・音楽祭などにも定期的に出演し、2018年1月には無伴奏ファゴット作品を集めたデビューCD「SOLILOQUY(ソリロキー)」をリリースするなど、充実した活動を展開している。

そんな長哲也がサンデー・ブランチ・クラシックに初登場、しかもソロで聴く機会が決して多いとは言えないファゴットのソロ演奏会とあって、リビングルームカフェ&ダイニングのステージに注目が集まる中、丈の長い美しい楽器を手に長が登場すると温かい拍手が贈られる。

「暑い中ようこそおこしくださいました。30分という短い時間ですが、なかなかソロで聴く機会のないファゴットの魅力を十分お楽しみください」と挨拶した長は、同じ東京藝術大学音楽学部卒業で、第66回日本音楽コンクール最高位、併せて野村賞、河合賞を受賞し、アンサンブルピアニストとして国内外の演奏家と共演を重ねるピアニストの永原緑を紹介。いよいよ演奏がはじまった。

長哲也(Fg.) 永原緑(ピアノ)

ファゴットの歴史を感じさせる選曲

1曲目はドニゼッティの歌劇 愛の妙薬より「人知れぬ涙」。村の娘アディーナの流した涙を見て、自分が好かれていることを悟った農民の青年モネリーノが喜びを歌う、テノールリサイタルなどでも頻繁に取り上げられる有名なアリア。長のファゴットの滋味深い音色で奏でられるメロディーには、静かに訴えかけてくるものがあり、永原のピアノも決して主張し過ぎず繊細でいて、美しい音色でメロディーを支える。明るさの中にも温かさがある印象的な1曲になった。

長哲也

「『人知れぬ涙』自体をファゴットで演奏することはあまりないですが、この曲をオーケストラで演奏する時に、前奏でファゴットがソロを取る曲なので、まずこの曲でファゴットの音色を聴いていただきました」という長の解説があって、続いて1600年代、ルネサンスの時代の終わりからバロック音楽の時代に入った初期の頃に活躍したドイツの作曲家 Böddecker作曲によるファゴットソナタ「ラ・モニカ」が演奏される。

長哲也(Fg.) 永原緑(ピアノ)

この曲は1651年にドイツで出版されていて、ルネサンスの時代の音楽の中心地であるイタリア以外で、ファゴットの譜面が出版された最初の楽曲だとのことで、ファゴットがインターナショナルな楽器になる先駆けとなった曲とも言える、ファゴット奏者にとってはとても大切な1曲です、という長の説明通り、短い変奏曲の中で、ファゴットの多彩な魅力が楽しめる。主題になっているのはタイトルの「ラ・モニカ」 という当時の流行歌。修道院に入ることが決まっている娘が、母親に向かって「私を修道女にしないでください、修道院に入れないでください」と懇願する歌で、しみじみと思いを伝えるその主題から、スタッカートを多用した低音の魅力、更に細かいパッセージに香るどこかコケティッシュな味わい、とファゴットの様々な個性が伝わる。長の演奏は、どうやって息づきをしているんだろう?と思うほど長く続くメロディがなめらかで、永原のピアノと息を合わせて盛り上がる終盤に、音色の美しさが際立ち、大きな拍手が贈られた。

長哲也

永原緑

コケティッシュな魅力と、豊かな歌心の詰まった演奏

演奏直後、「この曲は非常に長いフレーズの中でとても細かく難しい事を要求され、ブレスをとる暇があまりなく、息がとても切れています」と語る長は、自分が演奏している現代のファゴットには金属のキーが数十個付いているけれども、自身もファゴット奏者だった作曲家の Böddeckerの時代には、ほんの数個しかキーがなかったので「今よりもずっと演奏が難しかったはずです!」と、作曲家に敬意を払う真摯さが印象的。そこから続いてプログラムのラストを飾る曲はウェーバーの「アンダンテとハンガリー風ロンド」を。ファゴットのソロ曲としては最も多く演奏されている曲で「軽快で優雅なファゴットにとてもあっている曲です。曲の最終部は超絶技巧満載なので、うまくいったら大きな拍手を、いかなくても大きな拍手を!」との、長の解説に和やかな笑いが広がる中演奏がスタート。物悲しいメロディがファゴットの味わい深い音色で奏でられ、繰り返される主題の表情変化が楽しい。ピアノも静かに、時に軽やかに寄り添って盛り立てる。細かい音の動きが続いたあと、ピアノの間奏に続いて、突然音楽が変化し、諧謔的なメロディが弾みに弾む。ピアノとの掛け合いも面白く、低音域が得意な楽器というイメージがあるファゴットの音域の広さを感じる。ピアノも華やかに、たっぷりあると宣言されていたファゴットの超絶技巧も鮮やかに決まる大成功! フィニッシュと同時に「ブラボー!」の声が飛び交った。

長哲也

長哲也

永原緑

その喝采に応えてのアンコールはサン=サーンスの組曲『「動物の謝肉祭』より「白鳥」。水の流れの響きを思わせる前奏が特段に美しく響き、メロディを歌うファゴットの音色がチェロの演奏が最も耳に馴染んでいる楽曲に、新たな輝きを与え長の豊かな歌心が伝わる。いつまでも聴いていたい心地よさと温かさがあふれる、素晴らしいアンコールになった。

長哲也(Fg.) 永原緑(ピアノ)

ファゴットという楽器の魅力と可能性を感じさせる時間だった。

ーー素晴らしい演奏をありがとうございました。今日の会場の雰囲気はいかがでしたか?

:まずこのリビングルームカフェ&ダイニングに入ってきた瞬間に、思いの他広いなとびっくりしました。しかも高級感があって落ち着いた雰囲気で、ここで演奏させていただけるのは嬉しいと思ったのが第一印象でした。

永原:お写真で見ていたよりも遥かに奥行きがあったので、リハーサルに来た時にまずびっくりしましたよね。

ーー思ったよりも広いというお声はよくいただくのですが、その反面でお客様とステージが近いかとも思いますが、演奏されていてそのあたりは?

:本当にお客様の顔の表情までわかるので、反応がとてもダイレクトに返ってきて、すごく助かったという気持ちでした。楽しんでいただけているんだなということが、伝わってきましたので。

長哲也

ーーこんなに近くでファゴットのソロを聴かせていただく機会はなかなかないので、皆様本当に興味深く楽しんでお聴きになっていらしゃいましたよね。その中で今日のプログラムの選曲に当たって特に工夫された点などを改めて教えてください。

:30分という短い時間の中で、ファゴットの魅力をお伝えしたいということを考えた時に、まずファゴットが一番活躍するのはオーケストラの中の楽器としてなので、ファゴットのソロがあるオーケストラの楽曲の中で、最も有名な「人知れぬ涙」を聴いていただこうと。次にファゴットを語る中で外せない大切な曲である、最も初期に作られたファゴットのソロ曲、ファゴットソナタ「ラ・モニカ」を入れて。最後にファゴットという楽器のキャラクターをよく表していて、更によく知られた曲である「アンダンテとハンガリー風ロンド」と並べることによって、ファゴットの全体像をお伝えできたら良いなと思いました。

ーーその通りに多彩な魅力が感じられるコンサートでしたが、演奏されていて長さんご自身が感じているファゴットの魅力はどういうところでしょうか?

:「アンダンテとハンガリー風ロンド 」によく表れていた、ちょっとコミカルな味わいを表現するのがファゴットは得意なのですが、一方で「人知れぬ涙」のようにテノールが愛の喜びを朗々と歌う曲も表現することができる、そういう二面性が僕はファゴットの大きな魅力だと思っています。

ーーご一緒に演奏されている永原さんも、それは特に感じるところですか?

永原:そうですね。ファゴットってとても低い音域の楽器というイメージがあると思うのですが。

ーーオーケストラでの演奏などでは、特にそういう印象がありますね。

永原:でも実は音域がとっても広い楽器なので、その音域の広さひとつをとっても色々なキャラクターの曲を表現できるのが、素敵な楽器だなと思います。

(左から)長哲也、永原緑

ーーそうした楽器への理解の中で演奏されているお二人ですが、共に演奏していて感じるお互いの魅力についてはどうですか?

:永原さんはファゴット界に於いては「ピアニストと言えば永原さん」と代名詞的な存在になっているくらい、ファゴットの伴奏をしてくださるピアニストの第一人者でいらして。僕もずっと一緒に演奏していただいていますし、すでに何も言わなくても、曲のテンポや僕がやりたいことを理解してくださっているので、本当に安心しています……と僕が勝手に思っているだけかも知れないんだけど(笑)、どうですか?

永原:そういうことにしておきましょうか(笑)。

:(笑) 僕は本当にストレスなく演奏させていただけていて、信頼させていただいている方です。

永原:彼は学生時代から成績優秀で、若くしてオーケストラの首席奏者にもなって、同じ音楽の道を進む仲間の中でとてもよく知られた存在なのですが、にもかかわらずフランクで親しみやすい人で。私は大学時代に初めてお話しさせていただいたのですが、その時から功成り名遂げても全く人柄が変わらないんです。いつも自然体で構えることも、奇をてらうこともない姿勢が音楽にも表れていますね。だからと言って何も考えていない訳ではなくて(笑)、常に自然に素敵な音楽を奏でていらっしゃるので、私はただ後ろで「いいね、いいね」と言って弾いているだけです(笑)。

:とんでもない!

ーー本当に繊細な音の中で、表現力も豊かでいらして。

:そうなんです! ファゴットのピアノ伴奏をするというのはヴァイオリンやチェロ、また声楽などの伴奏をするのとは違っていて。というのもファゴットという楽器自体が音量面で、あまり大きな音が出る楽器ではないんです。ですからどうしてもピアニストの方にも音量をセーブしていただく必要があるのですが、セーブしても尚ちゃんと音楽が出てくるという技術をお持ちなのが、永原さんのすごいところだと思います。

永原緑

ーー素晴らしいパートナーでいらっしゃるんですね。そんなお二人がそれぞれ演奏家として抱いている夢やビジョンなどは?

:ファゴットという楽器は元々ソロのレパートリーが少ないので、逆に言えば一人の人間が一生のうちに全曲を網羅することが不可能ではないですから、目標としてはソロのレパートリーをすべて制覇したいという野望のようなものはあります。ただ、ファゴットのソロリサイタルという機会自体もやはり少ないので、どこまで行けるかはわかりませんが、実現できたらと思っています。

永原:私は必要とされればいつでも喜んで弾きますし、存在感のある影でいたいと思っています。なので、必要としてくださる方にいつまでも寄り添っていけたら良いなと思っています。

ーー今日の機会でファゴットに興味を持たれたお客様も多いと思いますので、また是非機会を作ってサンデー・ブランチ・クラシックにもいらしてください! 今日は良い時間をありがとうございました。

:こちらこそです! 是非またよろしくお願い致します!

(左から)永原緑、長哲也

取材・文=橘涼香 撮影=岩間辰徳

公演情報

サンデー・ブランチ・クラシック
 
9月23日(日)
鈴木 舞/ヴァイオリン&斉藤一也/ピアノ
13:00~13:30
MUSIC CHARGE: 500円
 
9月30日(日)
本堂誠/サックス
13:00~13:30
MUSIC CHARGE: 500円
 
■会場:eplus LIVING ROOM CAFE & DINING
東京都渋谷区道玄坂2-29-5 渋谷プライム5F
■お問い合わせ:03-6452-5424
■営業時間 11:30~24:00(LO 23:00)、日祝日 11:30~22:00(LO 21:00)
※祝前日は通常営業
■公式サイト:http://eplus.jp/sys/web/s/sbc/index.html