OVERGROUND ACOUSTIC UNDERGROUND「カリスマはもう飽きた」 TOSHI-LOWがBRAHMAN、OAUで投げかける“言葉”とは
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TOSHI-LOW 撮影=渡邉一生
BRAHMANのTOSHI-LOWがフロントマンをつとめるもう一つのバンド、OVERGROUND ACOUSTIC UNDERGROUND(OAU)。2005年の結成以来、そのアコースティック・サウンドを、ありのままの自然の中に溶け合わせてきた。でも決して牧歌的ではなく、「生と死」について喚起させ、生楽器だからこそ成し得る実感と緊張感を生んできた。OAUが2010年から主催を続けるキャンプフェス『New Acoustic Camp』はまさにその象徴で、自然の中で音楽を楽しむという豊かさの一方で、その自然は決してわたしたち人間の絶対的味方ではないことを認識づけるものでもある。いつまで生きられるか、いつ死ぬのか。それは誰にも予測ができない。だからこそ日常は貴重であり、美しく映る。そんな気持ちを、OAUは沸き立たせてくれる。今回は、そんなOAUの話題を絡めながら、TOSHI-LOWに話を訊いた。
TOSHI-LOW 撮影=渡邉一生
――OAUは結成15年目が近づいてきて、同バンドがオーガナイザーをつとめるキャンプフェス『New Acoustic Camp』も次回で10回目。でもそういう区切りの数字って気にしたりしますか。
まったく気にしないですね。だけど子どもに七五三があるように、お祝い事はやった方がいい。BRAHMANが20周年を迎えた時、どれだけの人に支えてもらったか、そして今の自分がどれだけ幸せなのかを改めて考えることができたので。ただ何十周年になっても、一番の若手だといつも思っているけどね。
――2018年10月に味園ユニバースでおこなわれた『s60&Xmas Eileen DJ presents ZASSO.』のイベントに、BRAHMANがオープニングアクトで出演したじゃないですか。「このキャリアでオープニングアクト!?」と驚きました。
完全に、おもしろがって出ました。「O.A」という表記がされていたから、最初は大仁田厚のことかと思って(笑)。「ただ単に出てもおもしろくないよね」と言ったら、主催から打診があって。でも、オープニングアクトだろうがトリだろうが、やることは変わらないから。俺たちのやりたいことは順番ではないから。
――そういう姿勢は年数を重ねてもまったくブレないですよね。逆に変わったこととして、ここ近年のTOSHI-LOWさんの記事などを読むと、「ライブやメディアで言葉を発するようになった」ということが取り上げられています。
デビュー結成してから長い間、ライブではMCをやってこなかったからね。特に話して分かってほしいこともなかったし、それでもいいと感じていたし。どんな勘違いをされても平気だった。でも、だからこそ今、言葉のありがたみが分かるんです。本当は背を向けて帰る人に一言、声をかけたいときもあった。誤解されている部分も多々あったし。ただ、そういうことを言わなかったから強くなれました。ライブの楽曲だけで分かってもらわなきゃいけないから、パフォーマンスも凝縮された。当時は鉄仮面をかぶって過ごしていましたね。それでも、その仮面から心はこぼれ出ていたけど。
――普段から寡黙を貫いていたんですか。
いや、楽屋で誰よりも一番喋っていたよ。怒髪天の増子アニキ(増子直純)に「うるせーよ」って言われてた(笑)。あんなに喋る人にそんなことを言われるとか、ありえねえよ!
――逆にOAUは、はっきりとした言葉の表明がなくても、活動そのものにメッセージ性があり、やろうとしていらっしゃることが伝わってきますよね。
OAUとBRAHMANはある意味、対になるものであり、光と陰、表と裏とも言えるし。でも共通して言えることは、俺は音楽がやりたいんじゃなくて、バンドがやりたいんです。音楽がやりたいのなら、パソコンがあればできる。でも俺は、大の大人が集まって楽器で音を鳴らして歌いたい。あと、ソロ活動にも興味がない。歌手になりたいわけでもないし。バンドをやりたいんです。
――ソロデビューの話とか、多かったんじゃないですか。
いやいや、全然ないですよ。音楽的に俺のことを見ている人なんて、いないんじゃないかな(苦笑)。暴力性や肉体的なところしか見られていないと思っている。
TOSHI-LOW 撮影=渡邉一生
――OAUの楽曲には光や陰が確かに表出していますよね。「MIDNGHT SUN」には“暗がり”、「gross time〜街の灯〜」には“灯”、“夜”、“夕闇”、「Question」にも“光”、“日が昇る”など、明度に関する表現が多いです。
OAUはアコースティックなのでより自然に近い言葉が紡ぎ出されていくんです。都会的なものより、もっと天然であり、自然に近いものを選ぶ。思い浮かぶ光景も、都会ではなくて、山、海、川。そういう“体つき”なんでしょうね。
――ここ数年、都会的なものに音楽が溶けあう「シティポップ」が人気ですけど、体系としてはまったく違いますね。
俺たちにそれを望んでいる人はいないよね。もちろん音楽として(シティポップは)格好いいから、興味がないわけではないけど。ただ、現在の主流と自分たちがやりたいものが真逆であっても、やりたいことを貫きた。OAUは、カントリーポップでいいし。
――BRAHMANは「怒りを発している」とよく言われますけど、OAUはどうですか。
OAUも、もちろんあります。でも怒りはあくまで着火点であって、燃料にしてはいけない。怒りが動力になってしまうと、新たな怒りを生んでしまう。怒りを知ることで、優しさ、慈しみを知らなければならないんです。そうすれば、怒りの炎に焼き尽くされることはない。
――OAUの怒りには、確かに優しさが感じ取れます。
むしろ、その優しさの方が痛いときがありますよね。OAUは決して柔らかくないし、BRAHMANよりも生々しい分、キツいと感じて欲しいこともありますね。単に、1日の出会いを歌っているわけではない。身近な死についてなど、痛いくらいに引っ叩かれたような歌詞を書いている。2018年は各地で残酷な災害がたくさんあった。そんな状況を知りながら、たとえば「君も俺も死ななくて、俺は君を愛していて、世界は俺たちを中心にまわっていて」なんて歌詞は書けない。自分は「俺も君も死にます。その死は突然あらわれます。君に訪れるかもしれないし、俺かもしれない」と歌ってきた。前者と後者、どちらがいいかはみんなで選べばいい。でも俺は少なくとも嘘は歌いたくないから。
TOSHI-LOW 撮影=渡邉一生
――(ここで、SUPER BEAVERのメンバーたちが挨拶に訪れてインタビューは一時中断)
ごめんね、中断しちゃって。今のバンドの子たちもそうなんだけど、もし俺が寡黙なままで、「背中だけ見てろ」なんて言っていたら、仲良くなれないよね。自分のことを相手に理解してもらうためには努力が必要。しかし、必要以上に良く見せようとか、飾り立ててまでして、分かってもらおうなんてしなくてもいい。
――TOSHI-LOWさんはメディアなんかでは「カリスマ」と表現されるじゃないですか。若手バンドからしたら、それは近寄りがたい肩書きですよね。
カリスマはもう飽きた(笑)。もうやめた。元カリスマでいいよ。はじめからバカにしてたもん、その肩書き。そういう言葉で表現すれば分かりやすいけど、語力のなさが出ているよね。「それ以外の表現はないのか」とずっと思っていた。
――TOSHI-LOWさんの近くにいる人たちが、それを一番分かっているでしょうね。「カリスマ」なんて言葉こそが飾りだってことが。だからさっきのように若いバンドの方が気さくに話に来る。
フェスなんかで、自分の好きなアーティストが気さくに話してくれたら嬉しいじゃん。ま、俺は素っ気なくされても、それはそれでアガるけどね。
TOSHI-LOW 撮影=渡邉一生
――BRAHMANでは20周年ライブなどが開催されましたが、OAUはそういった予定はありますか。
特に考えていないけど、やらなきゃいけなかったら、一番いい形を考えるよ。ちゃんと本気でやって、たとえ失敗しても、そのときの最上級をやるし、考えを膨らませる。そういえばMCをやらなかったときも、アイデアはいっぱいあったんだよね。
――たとえばどういうことを考えていたんですか。
自分がMCをやらなかった分、他のミュージシャンのMCをめちゃくちゃよく見ていた。「なんでこいつ、地名しか言わねーんだよ」とか。「大阪〜! たこ焼き〜!」とか言っているのを聞くと、「はっ?」となった。そういうことが今、血となり肉となった。だから、やらなかっただけで、「俺ならこうするのに」ということが頭には溢れていた。周年記念イベントも、特別何かしなくてもいいって思っているけど、でもだからこそ頭の中に溢れ出ているものもたくさんあるから。もしやるなら、思いっきり楽しませるつもり。
取材・文=田辺ユウキ 撮影=渡邉一生