ヌレエフ「伝説」の素の姿に迫る映画『ホワイト・クロウ 伝説のダンサー』、バレエファンなら見逃せない
東西冷戦時代の1961年、キーロフバレエ団(現マリインスキーバレエ)のパリ公演時にフランスへ亡命したルドルフ・ヌレエフ。「ニジンスキーの再来」ともいわれ、亡命後は「西側」のバレエ界や男性舞踊に多大な影響と革新を興したこの稀代のバレエダンサーの半生を描いた映画『ホワイト・クロウ 伝説のダンサー』が、2019年5月10日(金)から上映される。
監督は『ハリー・ポッター』シリーズをはじめ『シンドラーのリスト』『グランド・ブタペスト・ホテル』の映画出演や、ナショナルシアターライブでも上映された『人と超人』など数々の舞台出演でもおなじみ、そして2011年『英雄の証明』で監督デビューを果たしたレイフ・ファインズだ。ヌレエフの評伝を読み「自己を確立しようとする強靭な意思の強さに心を掴まれた」というファインズが、20年の構想を経て完成させたものだ。脚本は戯曲『スカイライト』や映画『めぐりあう時間たち』の脚本を書いた名匠デヴィッド・ヘアー(映画『ウェザビー』の監督としても知られる)。
ヌレエフ役はオーディションで選ばれた、カザン・タタール劇場のプリンシパルを務めていた現役のダンサー、オレグ・イヴェンコ。先頃話題となった映画『ボヘミアン・ラプソディー』のフレディ・マーキュリー役にラミ・マレックがいたように、『ホワイト・クロウ』にはイヴェンコが天から遣わされたかと思えるほどのはまり役だ。またセルゲイ・ポルーニンがヌレエフの同僚ユーリ・ソロヴィヨフ役として出演するほか、ファインズ自身がヌレエフの教師であるアレクサンドル・プーシキンを演じる。
物語のはじまりは、そのファインズ演じるプーシキンがソ連の役人の尋問を受けている場面からだ。ヌレエフ亡命の理由を問われ「ただ踊りたかっただけだろう」と、憔悴した表情で答えるプーシキン。ストーリーはそこから1961年のパリ公演をベースに、ソ連の青年時代、そして幼少時代が交錯する形で描かれる。モノクロの幼少時代に対し、ソ連時代とパリ時代は60年代の――カトリーヌ・ドヌーヴやアラン・ドロンが銀幕を飾った頃の映画の色彩を彷彿させるカラー映像で、それが後半の亡命へ至るシーンを、まるでドキュメンタリーフィルムを見ているようなリアリティで伝える。
ヌレエフが世を去ったのは1993年。すでに四半世紀を過ぎ、また彼がパリ・オペラ座芸術監督時代に見出して育てたシルヴィ・ギエムも引退するなど、「ヌレエフ」は文字通り伝説人物だ。「偉大なる人物」「天才」等々の装飾語を付けなくても、「ヌレエフ」の名にはすでにその言葉が含有されている。だからこそ、「ヌレエフの映画」と聞いたとき、あの天才ダンサーの役をやれる人がいるのか、踊れる人がいるのか、と思った。
しかしイヴェンコ演じるヌレエフは己の道を求めて遮二無二突き進む、ある意味「一人の青年」でもあった。それこそ冒頭のプーシキンの「ただ踊りたかっただけ」という言葉通り、己が目指すものを手にするため教師の変更を願い出、故郷のバレエ団で踊れという帰還命令も拒否するなど、ソ連時代の当局との衝突も辞さない強さで己の道を切り拓いていく。踊りの技術ばかりでなく、感性を養うためソ連ではエルミタージュ美術館に、パリではルーヴル美術館に通うなど、己を磨く努力を怠らず、東ドイツのダンサーを通して英語も学ぶ。まさに「天才とは努力する力」という言葉そのもののとおり、ひたむきな情熱をもって自らの運命を手繰り寄せる。無論常識外れの破天荒な性格もあるが、そうした「一人の青年」としてのヌレエフの生き様を通すことで改めて、その類稀なる天才っぷりを改めて思い知らされるのである。
終盤で挿入されるバレエを習い始めた頃の少年時代や、ヌレエフ自身が踊る『ラ・バヤデール』のソロルのヴァリエーションの実画像には、「踊ること」に対する純粋な想いが凝縮されているようで、目頭が熱くなる。また師であるプーシキンの「テクニックより、舞台を支配すること。物語を紡ぐこと」という言葉は、まさに後のヌレエフ振付作品に活かされているようにも感じられる。伝説のダンサーの素の姿に近づけるこの映画、バレエファン必見と言っていい。
文=西原朋未