巨匠の道を邁進するダン・タイ・ソンにインタビュー いまの心身の充実を音に託す
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ダン・タイ・ソン
ダン・タイ・ソンが1980年にショパン国際ピアノ・コンクールにおいてアジア人初の優勝者となってから、はや39年目を迎える。この間、彼はベトナムからロシア、日本へと移り住み、その後カナダとフランスに拠点を置くようになり、国際舞台で幅広い活動を展開するようになる。
現在はショパン国際ピアノ・コンクールをはじめとするコンクールの審査員を務めたり、オパーリン音楽院(アメリカ)やモントリオール大学(カナダ)で教鞭を執るなど、後進の指導にも尽力している。
ダン・タイ・ソンは来日公演のたびに新たな側面を提示し、ショパンからモーツァルト、シューマン、メンデルスゾーン、リスト、ロシア作品、フランス作品へと地平を拓いてきたが、いずれも特有の繊細な美音に貫かれ、テクニックと表現力、音楽性を最大限極め、一つひとつの音楽が生きた物語となって聴き手の心に届けられる。
その音楽はおだやかな音色とゆったりとしたテンポに彩られ、その奥に静謐な空気が宿る。そうした音の語らいが、今回の来日リサイタルではこだわりのプログラムとなって結実している。
まず、近年ようやくレパートリーに入ってきたシューベルトから幕開けし、自身の音楽の根幹を成すショパンへとつなげ、さらにショパンと同郷のパデレフスキへと進み、最後はショパンで幕を閉じるという趣向だ。
このプログラムは、幻想的で夢見るような曲想と個性的な舞曲のリズムに彩られる一方、各々の作曲家が新機軸を打ち立てた作品という共通項が存在する。まさにダン・タイ・ソンの新機軸をも示唆し、創意と工夫が全編にあふれているのではないだろうか。
ショパン国際ピアノ・コンクールの優勝者・入賞者は、以後どこに行ってもショパンを要求されるため、しばらくショパンの演奏から離れる人も多い。しかし、ダン・タイ・ソンは優勝後一貫してショパンをレパートリーの主軸に据え、ショパンとの音の対峙を極め、作品の内奥へと迫っていく。今回はショパン「3つのワルツ」「マズルカ風ロンド」「舟歌」「ボレロ」「バラード第1番」が登場する。
ダン・タイ・ソン
「私は長年ショパンを演奏してきました。そしていま、ショパンの基本である舞曲に根差した作品へと目が向いています。ショパンはたとえばリストとくらべると、けっして社交的ではなく、より内面的な音楽作りをしている人だと思います。音楽を通して自分の内面を表現するタイプ。私もそういう面が多分にあるため、ショパンという人間そのものに共感を覚えるのです。そしてショパンの作品でいえることは、大変おおまかにいうと、1にも2にもルバートを念頭に置くことだと思います。メロディのフレーズを決める鍵となるわけで、この鍵が把握できれば曲のロジック面の展開も解決できます。ルバートは音と音の間をほんの少し揺らすこと。テンポをちょっとずらすことで微妙な間が生まれるのです。でも、けっしてやりすぎてはなりません。あまりルバートを強調しすぎると、奏者がひとりでその音楽に酔っているように聴こえ、本来のショパンの意図から離れてしまいます」
そのショパンの前に、実はいまダン・タイ・ソンが非常に心を寄せているシューベルトのピアノ・ソナタ第15番が演奏される。
「《レリーク》と題されたこのソナタは未完の作で、2楽章しか残されていません。ただし、憧憬、哀愁、歌謡性などシューベルトの特徴が凝縮したソナタで奥深く、哲学的でもあります。シューベルトは奏者が人間として成熟しないと弾けません。いまようやく私はシューベルトに少しずつ近づくことができているのです。それを聴いていただきたいですね」
そして後半はショパンと同郷のパデレフスキの小品を組み、4曲披露する。近年、ダン・タイ・ソンはワルシャワでウラディーミル・アシュケナージ指揮フィルハーモニア管弦楽団と共演し、パデレフスキのピアノ協奏曲と小品をいくつか収録している。
ダン・タイ・ソン
「パデレフスキの作品は日本ではあまり演奏される機会がありませんが、シンプルで美しく、知性と感情に働きかけます。私はいつも日本の俳句を連想します。けっして派手な技巧は要しませんが、だからこそごまかしがきかず難しい。ポーランドでは、いまパデレフスキの国家的なプロジェクトが立ち上げられ、私の録音もその一環となっています。ポーランドでは徐々に人気が出ていますので、ぜひ日本のみなさんにも聴いてほしいと思い、聴きやすく美しい旋律の曲を選びました」
ダン・タイ・ソンには初来日以来、長年取材やインタビューを続けているが、いまとてもいい表情をしている。ゆとりというか、リラックスしているといったらいいのか、自信にあふれているという感じがするのである。巨匠の道をひたすら邁進している彼は、しかしながらけっして威圧的になったり、偉そうにふるまったりはしない。
自分の立場をきちんとわきまえ、多くの弟子たちにもそれぞれの個性を伸ばすような指導を心がけ、一緒にピアノを弾いて教えるという指導法だ。そんなダン・タイ・ソンの心身の充実が、すべて演奏に現れる。ピアノを聴く真の歓びに満たされるひとときを存分に堪能したい。
ダン・タイ・ソン
取材・文=伊熊よし子 撮影=山本 れお
公演情報
開演:18:45~ (開場 18:00~)
会場:愛知県芸術劇場コンサートホール (愛知県)
開演:19:00~ (開場 18:30~)
会場:紀尾井ホール (東京都)