松本幸四郎に聞く~破綻した男の人生を描いた『女殺油地獄』がシネマ歌舞伎に登場
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松本幸四郎
2018年1月に歌舞伎座から始まり、同年11月の京都・南座で締めくくられた、二代目松本白鸚、十代目松本幸四郎、八代目市川染五郎の高麗屋三代襲名披露興行の内、7月に大阪松竹座「七月大歌舞伎」で上演された『女殺油地獄』がシネマ歌舞伎化され、2019年11月8日(金)より東劇ほか全国で公開される。
『女殺油地獄』は、複雑な家庭環境に育った若者の孤独と狂気を描いた近松門左衛門の名作で、主人公の与兵衛を演じるのは、シネマ歌舞伎への登場は襲名後初となる松本幸四郎。油屋の女房・お吉を演じるのは、2016年から毎年夏に歌舞伎座で上演されている「東海道中膝栗毛」で幸四郎と“弥次喜多”コンビを組むなど共演も多い市川猿之助。今作において、2人の息がぴったり合った油屋での殺しの場面は必見だ。
今回、『女殺油地獄』が新たにシネマ歌舞伎として公開されることを控えた現在の心境を幸四郎に聞いた。
シネマ歌舞伎ならではの作品に生まれ変わっている
ーーシネマ歌舞伎は、舞台で上演されたものが映像化されたことにより、カメラワークの面白さであったり、役者の表情がアップになるなど、生の舞台とはまた違う楽しみ方ができると思いますが、今作品を試写でご覧になってどう感じられましたか。
生でその場で演じるのではなく、映像化されたものを大きなスクリーンで見ることになるので、当然違ったものにはなってきます。それならば、シネマ歌舞伎でないと見られない『女殺油地獄』に生まれ変わって欲しいな、という思いは強くありましたし、そういう作品になっていると思います。
松本幸四郎
ーー1年前に上演された舞台がこうしてスクリーンで見られる、ということもシネマ歌舞伎ならではの面白い部分だと思います。
シネマ歌舞伎の素材となっているのは、実際に劇場で、そこにお客様もいる中で上演された舞台ですから、これは時間が経てば経つほど面白いです。例えば5年後には、5年前の僕を見ることができます。映像ではあるけれど5年前に上演していた舞台を見られるという、シネマ歌舞伎は記録映像とはまた違った感覚になれるんです。舞台はどうやったって残るものではないですが、舞台そのものではないにしても新たな形で残る方法ができてしまった、という感じを抱いています。
襲名後も今まで通り変わらずにやっていく
ーー今作は襲名披露公演でした。2018年1月に松本幸四郎を襲名後、公演等を重ねていく中で、名前との向き合い方など、ご自身の中で何か変化はありましたか。
何も変わっていないですね。まあ、変わらないのが自然じゃないかという気がします。これまでがあったからこそ、この大きな名前をいただくことができたのではないかと思うので、今まで通り変わらずにやっていく、ということではないでしょうか。何か変わらなければならないとなると、今までを否定してしまうというか、リセットしてしまうことになるのかな、という気がするので。
松本幸四郎
ーー今年9月にご出演された歌舞伎座公演を拝見して、これまで歌舞伎の舞台のみならず、映像や現代劇にも精力的にご出演されてきた染五郎時代からの積み重ねがあっての今の幸四郎さん、ということを強く感じました。昼夜公演またがって多くの演目で大活躍でしたね。
襲名後はもうちょっと偉い出方ができるんじゃないかと思っていたんですけど、幸四郎になってからの方が出る役の数が多くなっているというのはどういうことだ、という感じですね(笑)。
ーー夜の部の『勧進帳』では、日替わりで武蔵坊弁慶と富樫左衛門を演じていらっしゃいました。
とにかく大変でした。あまりやらないことだとは聞いていましたが、まあやらないものだな、ということを実感しました。今年3月の『弁天娘女男白浪』でも弁天小僧菊之助と南郷力丸を、そして9月は『勧進帳』で弁慶と富樫を日替わりで演じたのですが、相手役も日替わりでしたから。自分から「やりたい」と言ったわけではありませんが、お話しをいただいて断る理由もないですし、あとは「やれたらかっこいいな」と思った自分もどこかにいたんだと思います。
頼りがいのあるお吉と、破綻した与兵衛
ーー『女殺油地獄』の相手役は市川猿之助さんです。猿之助さんのお吉はいかがでしたか。
お吉は「受け止める」ということがとても大事な役で、話を聞いているときの心の揺れが非常に鍵になる役だと思っています。猿之助さんはそこをしっかりとやってくださったので、実に頼りがいのあるお吉だったと感じています。シネマ歌舞伎では、そのあたりの表情なんかもより強調されて見られるようになっていると思います。
松本幸四郎
ーーご自身が演じられた与兵衛について、どのような人物だと思われますか。
まず人間として破綻している男ですね。簡単に言ってしまえば、行き当たりばったりに思い付きで行動する人間、と言えるのかもしれませんが、でもその行動が真剣なんです。遊ぶことにしても、嘘をつくことにしても、人をだますにしても、怒るにしても、とにかく何をするにしても、そしてどんなときでも、すべて真剣に生きている。彼は常に人間を相手にしていて、一人では生きていませんから、思いのままに生きている、というのとはまた違うような気がするのですが、そういう人として破綻しているところがとても魅力的なのではないでしょうか。
三幕構成で描かれる「人間の繋がり」
ーー歌舞伎や浄瑠璃以外にも、映画やドラマなどでも取り上げられてきたこの作品の魅力はどういったところにあると思われますか。
常に全力で生きていく男の運命と、その破綻した男を中心とした「人間の繋がり」を描いているところかもしれませんね。三幕構成になっていて、一幕目は他人とのつながり、友達、お吉夫婦、叔父をはじめとする侍、あとはここで描かれている野崎参りというのは、罵声を言い合うお祭りみたいなものですから、そこに集まる群衆とのつながりということもありますね。二幕目は、与兵衛に対する愛にあふれている家族とのつながりです。そして最後の三幕目は、お吉という人と一対一のつながりで、破綻して殺しにまで至ってしまいます。現代は個々の時代になっていると思うので、この作品に描かれている、常にそばに人がいて繋がって生きているという、そういう物が何か求められているのではないかと思います。
松本幸四郎
ーーそうした人間同士の繋がりという部分が、時代を超えて普遍的なテーマになっているのかもしれませんね。
そうかもしれませんね。だから与兵衛は、ある意味幸せだという見方もできるかもしれません。あんなに破綻した人間だけど、常に人と繋がりがあるのですから。一人ぼっちにならない、なれない人ですからね。
歌舞伎の新しいイメージができるのでは
ーー最後に、この作品の上映に向けてメッセージをお願いします。
「歌舞伎が映画になりました」と言ってしまうと簡単なんですが、でもそういう見方でもいいかもしれません。『女殺油地獄』というドラマを、歌舞伎という演出で映像にしました、ということだと思うので、ひとまず歌舞伎というイメージは取っ払って、まずは破綻した男の人生のドラマを見て頂きたいです。そして見終わった後に「これ歌舞伎なんですよ」ということを思い出していただければ、皆さんの中に歌舞伎の新しいイメージができるのではないかな、と思います。
ーーこれまでなかなか歌舞伎に足を運ぶ機会のなかった人がシネマ歌舞伎を見て、実際に生の舞台公演に興味を持つかもしれませんね。
もちろんそう思っていただけたら嬉しいですが、そこは正直あまり考えていません。これは「シネマ歌舞伎」でないと見られないお芝居になっていますので、まずはそれを存分に楽しんでいただきたいです。そして、お客様の方からシネマ歌舞伎でこんな題材をやって欲しいとか、こんなテイストで見てみたい、といった新たな可能性を教えていただけるとうれしいです。シネマ歌舞伎のラインナップには、今回のような古典の作品もありますし、新作歌舞伎もあります。これからも新作歌舞伎の上演は増えていきますので、今この時代に新しく生み出されている歌舞伎、というものにも興味を持っていただけるといいですね。
松本幸四郎
ヘアメイク:AKANE
スタイリスト:川田真梨子
ブランド名 ポロ ラルフ ローレン
問合せ先 ラルフ ローレン 0120-3274-20
取材・文=久田絢子 撮影=安西美樹
上映情報
公演上演月:2018(平成30)年7月
公演上演劇場:大阪松竹座
上映時間:103分
配役
河内屋与兵衛:松本 幸四郎
七左衛門女房お吉:市川 猿之助
山本森右衛門:市川 中車
芸者小菊:市川 高麗蔵
小栗八弥:中村 歌昇
妹おかち:中村 壱太郎
刷毛の弥五郎:大谷 廣太郎
口入小兵衛:片岡 松之助
白稲荷法印:嵐 橘三郎
皆朱の善兵衛:澤村 宗之助
母おさわ:坂東 竹三郎
豊嶋屋七左衛門:中村 鴈治郎
兄太兵衛:中村 又五郎
河内屋徳兵衛:中村 歌六
実在の事件を基にした 若者の孤独と狂気の物語―
近松門左衛門が描く、現代にも通じる若者の心理や親の情、殺しの場面などみどころの多い世話物の名作。悲劇を引き起こす刹那的な青年の与兵衛を新幸四郎が勤めます。
油屋を営む河内屋の次男与兵衛は、放蕩三昧で喧嘩沙汰を起こしてばかり。
借金の返済に困り、親からも金を巻き上げようとし、さらに継父・徳兵衛や妹にまで手をあげる始末。見かねた母・おさわが勘当を迫ると自棄を起こして家を飛び出すのだが、借りた金の返済は迫り途方に暮れる。
あてもなく彷徨う与兵衛が向かったのは同業の油屋 豊嶋屋の女房お吉のもとだった。一方、徳兵衛とおさわも、お吉を訪ね、与兵衛を家に帰るよう諭してくれと涙ながらに頼み、銭を預けて帰って行った。このやりとりを物陰で密かに聞いていた与兵衛は、その親心に涙を流し、銭を受け取るが、借金額にはまだ程遠い。
もう親に迷惑はかけられないと思った与兵衛は、お吉に不義になって金を貸してほしいと迫るが、断られてしまう。
金の無心をあきらめ、それならば油を貸してほしいとお吉に頼む与兵衛だったが...。
時を告げる鐘の音が響いたそのとき、心にとりついた一瞬の闇が与兵衛をある行動へと駆り立てる――。