植村花菜、新たな環境に身を置くことで変化する価値観ーーこの先どういう展開になっても冷静に考える力はついている

2020.5.16
インタビュー
音楽

植村花菜 撮影=河上良

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植村花菜が2010年に発表した楽曲「トイレの神様」は、同年の『第52回日本レコード大賞』で優秀作品賞および作詩賞を受賞。その年の年末には『第61回NHK紅白歌合戦』にも出場するなど、まさに2010年を象徴する楽曲となった。その後、プライベートの1人旅で訪れたニューヨークの街に感銘を受け、結婚と出産を経て移住を決意。現在は子育てをしながら、ニューヨークのライブハウスで日本語と英語をまじえながらライブを行っている。紆余曲折を経験しつつも、音楽と常に向き合ってきた彼女が、2020年にデビュー15周年を迎えた。「15年の間、ほんの僅かな期間でも、私の音楽を聴いて関わってくださった方に感謝しています」と語る植村は、近々その感謝を形に出来るように動き始めるという。今回のインタビューでは、そんな2020年のビジョンについて触れつつ、海外で日本語のライブを行う事に対する信念や、新たな環境に身を置くことで変化する価値観が、どのように楽曲に影響するのかを訊いた。

植村花菜

ーー植村さんは現在、ニューヨークのブルックリンにお住まいということですが、何年くらい経ちましたか?

丸3年経ちましたね。2016年の末から移住したので。

ーー実際住んでみて、ブルックリンの印象はいかがですか?

アーティストが多い街という印象ですね。芸術家やパフォーマーが多いんです。例えば同じニューヨークでもマンハッタンは「ビジネス」という印象が強いですが、ブルックリンはゆったりと「アート」といった街です。

ーーそんな街で植村さん自身もライブをやってらっしゃいます。ニューヨークの方々は植村さんの歌を聴いて、どんなリアクションなんですか?

場所にもよりますが、お客さんのリアクションで面白かったのが、Barでの投げ銭ライブですね。ニューヨークに行って一年目の頃、どうやってライブをやれば良いのかわからなくて、とりあえずブルックリンやアストリアのBARで歌ったんです。そしたらそこは、演奏中でもめっちゃうるさいんですよ。「全然歌聴いてへんやん!」というくらいめっちゃガヤガヤしてて笑。でも歌い終わった途端「ヒューヒュー! イエーイ!」みたいな歓声が聞こえてきて、「めっちゃうるさかったけど聴いてたんかい!」と(笑)。日本だとみんなすごい静かに音楽を聴いてくれるし、咳払いすら遠慮がちな空気があるじゃないですか。

ーー確かに(笑)。なんかすごい気を遣ってこっそり「エヘン、エヘン」みたいな。

そうなんです。でもニューヨークのお客さんは、ライブ中でもめっちゃ喋りつつ、ちゃんと聴いてくれてるし、リアクションがすごく良い。終わった後にも「すごい良かった」と言いに来てくれたり、CDまで買ってくれてたりするんです。そういう経験をする度にちゃんと外国で伝わってるなと感じたりして、モチベーションに繋がってましたね。

ーーでも植村さんは、日本での、いわゆる静かに聴くライブに慣れていた訳ですよね。その環境でライブすることに戸惑いはなかったのですか?

確かにガヤガヤしたところで演奏することに、最初は少し戸惑いはありました。でもニューヨークにいると、音楽がどれだけ身近なのかを感じるんです。BARとかレストランでは生演奏をしていることが多くて。だから食事の場で生の音楽が流れているのが、日常になっているんですよ。その空間をみんな楽しんでるというか、だからBARでガヤガヤ飲みながらでも、ちゃんと聴いてくれてる。日本と聴き方が違うのは面白いと思ったし、どちらの聴き方も素敵だなと思いました。

ーー日本人の感覚だと、どうしてもちゃんと向き合わないと表現者に対して失礼なんじゃないかなと思ってしまいます。でも、その部分を面白がれるのは、やはり植村さんにストリートの経験値があるからですよね。

そうかもしれないですね。ストリートライブの良さって聴きたい人は立ち止まるし、興味がなかったら通り過ぎる。演奏してる側も勝手にやってるし。誰も押し付けてないのが良いところだと思っていて。その辺の自由さは確かにBARでやるときと近いかもしれないですね。

ーー文化が違った場所でも変わらず力を発揮できてるのが、植村さんの強みだと思います。何か心がけていることはあるのでしょうか?

そもそも私の根本に「歌える場を与えてもらえるだけ有り難い」という気持ちがあって。もちろん、聴いてくれる人がいるに越したことはないんですけど。ストリートライブにしても、ニューヨークのBARにしても、私の歌が目的じゃない人もたくさんいるわけで。そういう人に対して「ちょっと今、歌ってるんやから聴いてよ!」と言っても、相手に「そんなんそっちが勝手にやってるだけやんか!」と思われるだけですしね(笑)。​

ーーなるほど(笑)。そこから植村さんは活動していく中で、ニューヨークのライブハウスでも歌ってらっしゃいましたよね。

そうですね。徐々にライブハウスでやれるようになってきました。ライブハウスはBARと違って、ちゃんとをを買って私のライブを観に来てくださる方ばかりなので、比較的日本のライブの雰囲気に近いですね。でも、まだまだアメリカでは無名で、ちゃんとした宣伝とかもほとんど出来てないので、来てくださるのは7~8割がニューヨーク在住の日本人の方、2〜3割が外国人といった感じですね。​

ーーやはり日本でやるライブと、ニューヨークでやるライブで植村さん自身のスタイルに違いはあるのですか?

やってることは日本とほぼ一緒ですね(笑)。違いがあるとするならば、MCが全編英語くらいかな。私はライブのMCでよくお客さんに絡むんですけど、ニューヨークでも拙い英語で、お客さんと会話をしながらMCしています。「英語でこれなんて言ったらいいの?」とか、わからなくなったらお客さんに質問したりして、本番のライブで英語の勉強してる時もありますね(笑)。

ーー流石ですね(笑)。植村さんはニューヨークでも日本語で歌われていますよね。アメリカでJ‐POPを歌うということにどういう意図や目的を持たれているのでしょうか。

元々、ニューヨークに行ったキッカケは大きく二つあって。一つは、日本にはない音楽、文化、価値観をもっと勉強したいと思ったから。そしてもう一つは、ニューヨークの人、広くは世界中の人に、J-POPを聴いて欲しいと思ったからなんです。文化が違うアメリカで、外国の方に私の歌を聴いてもらうにはどういう武器を持って戦ったらいいんだろうと考えました。ニューヨークに引っ越してから、積極的に英語と日本語の両方で歌詞を書いていますが、日本語から生まれてくるメロディーと、英語から生まれてくるメロディーは全然違うことに気が付きました。それってつまり、日本語で作る楽曲というのは、日本人にしかできない唯一無二の音楽なんじゃないかと思ったんです。そんな、日本語から生まれる音楽、いわゆるJ‐POPの素晴らしさを、もっと多くの人に聞いてもらいたいという想いから、アメリカでも日本語で歌っています。​

ーー珍しいパターンですよね。ニューヨークで学んだことを日本に持って帰ってきて何かしようといった発想ではなく、外国の方が集まる中で、日本語の歌を届けるというスタンス。それはなかなか聞いたことがないというか、勇気がいりますよね。

確かに、言葉の壁や文化の壁はもちろんあるので簡単なことではないと思います。だけど、ちょっとずつ世界の価値観も変わってきているし、日本の文化も昔に比べて定着してきているなと、住んでいてすごく感じます。J-POPで勝負できるかどうかも、3年後とか5年後といった少し先の未来ではなく、10年、20年、30年という長期スパンで見た時に、日本の文化がもっと広く定着する時代が絶対に来ると思っていて。そのタイミングがいつなのかは私にもわかりませんが、現地に住んで見極めていきたいなと思っています。もちろん、ニューヨークで学んだことを日本に持って帰ることもしたいですけどね。​

ーー日本に住んでいた時とアメリカに住んでから植村さん自身になにか変化はありましたか?

やっぱり価値観が変わったかなと思います。ニューヨークに引っ越して、日本に住んでいたらおそらく気付けなかっただろうなということに出会える機会がたくさん増えました。​

植村花菜

ーー環境を変えたからこそ、気がついた価値観ということですよね。2017年に1000枚限定でリリースしたアルバム『Definite』に収録された「Time」は本当にそれが反映されているなと思います。

そうですね。「Time」は、ニューヨークに行ってから紆余曲折あり、いろんな葛藤の中から「時間というものは、出来るんじゃなくて、自分で作るものなんだな」という気付きがあって、それを歌にしました。ちょうど最近、また新たな発見や経験も増えてきてるので、もっと色んな曲を書いていきたいモードに入っています。​

ーーおっ、良いですね。これからがっつり楽曲制作をやっていくと。

早いもので息子も5歳になって、Pre-k(日本の幼稚園のようなもの)に通い出して、少しだけ自分の時間が持てるようになってきたし、ちょうど今年デビュー15周年になるので、このタイミングで新しいアルバム出したいんです。3年間ニューヨークで暮らしていろいろ気付いたこともあるので、これから作っていく学曲に全部投影していこうと思っています。​

ーーなるほど、じゃあこれまで育まれた価値観や気付きだったりが、今から曲になっていくわけですね。

とはいえ、まだ一曲もないのでこれからどうしようという状態ですけどね(笑)。でも、お母さんになったり、ニューヨークに行ったり、独立して全部一人でやり始めたり、その都度状況ががらりと変わっているので、書ける曲に新たな幅が出てくるんじゃないかなと思っています。

ーー様々な紆余曲折を経たからこそ書ける楽曲って、それまで書いてた曲とは全然色味も変わってくると思いますし、個人的にはすごく楽しみです。ファンの方も、やはり日本国内にいた時よりはちょっと疎遠になってしまってるわけじゃないですか。本当に楽しみにされていると思います。そんなファンの方へはどのような想いがありますか?

それはやっぱり感謝しかないですね。私のことをいつ知ってくれたとか、今はもうあんまり聴いてないとか、そこは私にとって大きなポイントじゃなくて、どの時期、どの期間でも、人生の中で一度でも私の歌を聴いてくれたという事実が本当に嬉しい。シンガーソングライターとして歩み出した日から今まで、ほんの僅かな期間でも関わってくださった方には感謝の気持ちしかありません!

ーーデビュー15周年イヤーは「感謝を伝える15周年」としてライブも楽曲もやってくということですね。

そうですね。もちろん感謝もですし、新しいチャレンジをしてる姿もお見せして、色んな意味で変化してる部分を表現していけたらと思っています。

ーー植村さんの15年の中には、もちろん今の海外生活を通して知ってくださった方も含まれているわけで。その海外の方が、日本で開催されるJ-POPのコンサートに来ることが何よりも結果だと思うので、そうなれるように活動を続けていってほしいなと思います。

アメリカからわざわざ日本のライブを観に来てくれたら嬉しいですよね。日本語で作ったJ-POPや、日本のミュージシャンの素晴らしさ。そういうものを、もっと広めるキッカケになれたらいいなと。そんな簡単なことじゃないと思うけど、長い目で見て実現していきたいと思っています。​

ーー逆輸入でヒットするJ-POPアーティストというのもめちゃくちゃ面白いと思います。向こうで作った曲がこっちでいきなりヒットみたいな。なにかまた新しいことが起きると思う。植村さん、頼みました!(笑)

頼まれた!(笑)独立して1年半、少なからずいろいろなことを経験させてもらったので、まだまだ新米ですが、この先どういう展開になっても「じゃあこうすればできるかな」とか「やっぱりこれはできないかな」と、現状を真摯に受け止めて考える力は叙々についてきていると思います。どんな時も心に余裕を持って、この15周年はさらに楽しくできたらいいなと思っています!

ーー続報を楽しみにしています! ありがとうございました。

植村花菜

取材=北岡良太 文=城本悠太 撮影=河上良

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