【THE MUSICAL LOVERS】Season3『ミス・サイゴン』 ~第五章:キャスト論・エンジニア編~
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【THE MUSICAL LOVERS】Season3『ミス・サイゴン』
~第五章:キャスト論・エンジニア編~
ヒロインのキムから始めたキャスト論、続いてはエンジニア。最初にクレジットされる役ではあるが、物語の主役というより狂言廻し(ストーリーテラー)的な役どころであり、ゆえに本連載序章のストーリー紹介にもあまり名前が登場していない。では、ただ愛嬌と存在感を持って物語を進行すればいい役かというと、さにあらず。いや正確には、それだけでもたぶん成立はするし、「愛嬌と存在感を持って」という点にすでに離れ技級の難しさがある気もしているのだが、キャラクター造形の面でもものすごく色々な選択肢のある役なのだ。
エンジニアは面倒見のいい男?
登場の瞬間から特に説明なく「エンジニア」という通称で呼ばれているこのクラブ経営者の出自は2幕の後半、作品全体の大きな見どころの一つであるソロナンバー《アメリカン・ドリーム》まで明かされないが、じつは彼自身がフランス人の父親とベトナム人娼婦との間に生まれた混血児。父親は兵士ではなく入れ墨師とのことだが、エンジニアという存在自体もまた、本作の“主役”である戦争犠牲者の一人であることに間違いはないだろう。そんな大事な情報を終盤まで観客に明かさぬまま、むしろ戦争を利用してうまいこと儲けているお調子者のような素振りで物語を進行するのだから、役者にとっては演じ甲斐(バックグラウンドの想像し甲斐、表現のし甲斐)の塊のような役なのではないだろうか。
ベトナム旅行の折、《アメリカン・ドリーム》に登場する「ディエンビエンフーの戦い」の現場にたまたま遭遇し、オタク心が騒いで撮影した1枚
どんな個性を持った役者が、エンジニアのバックグラウンドをどう想像し、それをどんな表現方法で滲ませるか。その掛け合わせによって、ひとことで言ってしまえば「アメリカ行きを夢見てどんな局面もしぶとく生き延びる男」であるエンジニアには、無数の演じ方が存在する。そんななか、筆者が日本のエンジニアに多い気がしているのが「なんだかんだ面倒見のいい男」。……結局のところ毎回毎回キムに感情移入して観ているため、一人ひとりのエンジニア像をそうくっきりと覚えているわけではなく、気のせいだったら申し訳ないのだが。
田舎から出てきたキムに仕事を与え(まあその仕事って売春婦ですけど)、追われる身となったキムに助けを請われれば母子を連れてバンコクに渡り(まあタムがアメリカ行きのパスポートに見えてからですけど)、クリスに会いたがっているキムにおせっかいにも彼の居場所を教え(まあそれが仇になるわけですけど)……。彼の行動を考えると、面倒見のいい男というのはじつにすんなりと入ってくる造形で、それが成り立っている上に抜群の愛嬌と存在感のある市村正親エンジニアは、間違いなく世界でも有数のエンジニアだと思う。もしも本作に続編があったなら、エンジニアがブツクサ文句を言いながらもバンコクでタムを育てているような気がしてくる、それが筆者が思う、市村に代表される日本のエンジニア。
バタフライナイフ・エンジニア
2014年に新演出版が誕生した際、エンジニアがバタフライナイフを振り回し、平気で人を殺すような男に変わったと大きな話題になった。その噂を聞いた時、日本のエンジニアに慣れていた筆者的には疑問符が湧いた。誰かが「そんなエンジニアならとっくにアメリカ行ってるでしょ」と言うのを聞いてその通りだと思った。実際、日本版にその変更は取り入れられなかった(『レミゼ』同様、あるいはそれ以上に、本作では上演されるごとに演出が少しずつ変わるため、ある地での変更が次の地で踏襲されないことは珍しいことではない)。
だが2015年のロンドンでジョン・ジョン・ブリオネズ演じるバタフライナイフ・エンジニアを観た時、「全く面倒見の良くない男」が、それはもう驚くほどすんなりと入ってきた。これだけ手段を選ばない男でもアメリカに行けないほどベトナム戦争というのは大変なものだったのだと納得し、キムにクリスの居場所を教えるのもキムを思ってのことでなくジョンを信用していないからなのだと悟った。そして2017年、ブロードウェイで観たブリオネズの代役ビリー・ブスタマンテのエンジニアは輪をかけて野心家で、クスリをやりまくってアメリカに欲情しているような男だったのだが、それもまた成り立っていた。エンジニアって、こんな演じ方もありなんだ!と、目からウロコが落ちるような思いがしたものだ。
【動画】ジョン・ジョン・ブリオネズの《アメリカン・ドリーム》
そうは言ってもやっぱり面倒見のいいエンジニアに愛着があるし、日本で上演する以上、人情みたいな要素が不可欠であるような気もする。だが一方で、これだけ解釈の幅が広い役なのだからもっと色んなエンジニアがいていいし、そのほうがリピート観劇の楽しみも広がるのではないか、いっそ山田孝之みたいな役者が演じても面白いのではないか――そんなふうにも思い始めていた矢先に発表されたのが、今年の日本版のキャストだった。特に伊礼彼方には、新しい日本のエンジニア誕生の兆しを勝手に感じて大いに期待していただけに、中止は本当に残念。そんなわけで、前回と全く同じ結論になってしまい、ライターとしての芸のなさを恥ずばかりだが、やはりリベンジを望ますにはいられないのだった。
(つづく)