「愛され」のプロ・猫と人の不器用さ。岡田麿里脚本の最新作『泣きたい私は猫をかぶる』
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(c) 2020 「泣きたい私は猫をかぶる」製作委員会
猫は「愛され」のプロである。
猫は、ただ存在するだけで人から愛される。しっぽを振って媚びなくても、芸をおぼえなくてもでもいるだけで無条件に愛される。人間は愛されるためにはいろんなことを学び、努力しないといけないというのに。
(c) 2020 「泣きたい私は猫をかぶる」製作委員会
2018年の『ペンギン・ハイウェイ』が高く評価されたスタジオコロリドの最新作『泣きたい私は猫をかぶる』は、愛され方を知らない女子中学生の物語だ。同じクラスの好きな男子にアプローチし続けるが、まるで相手にされない。そんな彼女がある祭りの日、怪しげなお面屋から猫のお面を買い取り、猫になる能力を手にする。そして、彼女は猫になって好きな男子に近づくことにする。
自分は嫌われていても、猫ならかまってもらえる。それどころか、誰も知らない彼の本音すら聞き出すことができると学んだ彼女は、毎日にように彼のところに行って、居場所のない現実からの逃げ場所とする。
いじめのある教室、別居する母、父の再婚相手との関係など、主人公を取り巻くきつい現実。本作は、そんな現実の痛みを存分にリアルに描き、思春期の成長を真摯に描いている。棘が刺さったような痛みを感じる瞬間もある、けれど見終わった時には少し心が軽くなるような作品だ。
(c) 2020 「泣きたい私は猫をかぶる」製作委員会
猫のお面、笑顔の仮面
『泣きたい私は猫をかぶる』というタイトルには、2つの動詞が含まれている。「泣きたい」と「猫をかぶる」だ。
「泣きたい」とは言い換えると「泣けない」ということだ。主人公の女子中学生、ムゲは本音では泣きたいけど、泣けない女の子なのである。
(c) 2020 「泣きたい私は猫をかぶる」製作委員会
だから彼女はいつも笑っている。しかしその笑顔は仮面だ。ムゲの母親は彼女が小学生の頃に家を出て別居している。父には新しい婚約相手がいて、今は一緒に暮らしている。ムゲにとって自宅は自分の居場所ではなく、父と婚約相手の場所だ。他所様の場所だから波風を立てぬようにいつも笑顔を絶やさないように努めている。
学校でのあだ名「ムゲ」は「無限大謎人間」を短くしたものだ。よくわからない突飛な行動を取ることからそう呼ばれる彼女は勝ち気で行動的で、思ったことは何でも言うと周囲には思われている。しかし、無謀な行動は裏返せば自分を大事にすることができない投げやりな態度の裏返しであり、変な行動に出るのも本当の気持ちをごまかすためだったりする。
(c) 2020 「泣きたい私は猫をかぶる」製作委員会
もう一つの「猫をかぶる」とは、文字通り猫のお面をつけて猫に変身することを指す。この言葉の元々の意味は、本性を隠しておとなしく振る舞うことや、知っているのに知らないふりをすることだ。猫になりすまして、彼女は好きな男の子、日之出の本音を聞き出して彼を攻略するための情報収集をしている。そして、猫でいる時は日之出から素直な愛情を受け取ることができることにも味をしめ、毎日のように日之出の家に行くようになる。
ムゲは普段から本音を隠すための仮面をつけている。猫に変身せずとも、ある意味普段から彼女は猫をかぶっている。むしろ、猫でいる時の方が本当の自分を開放していると言ってもいいのかもしれない。そんな彼女が、猫になって会いに行く日之出もまた、猫のムゲといる時には学校では決して見せない、屈託ない笑顔を見せる。彼もまた仮面をつけて毎日をやり過ごしているのだ。
多くの学生が、学校での人間関係をうまくやり過ごすために、ムゲや日之出と同じく仮面をつけて過ごしているだろう。学生に限らず、大人になって職場でも同様に仮面をつけて過ごしている人はとても多いはずだ。本作は世の中を生きていく上で、知らないうちに身に着けてしまっている仮面の煩わしさを「お面」というモチーフで描いた作品と言えるだろう。本作には猫になれるお面の他、人間になれるお面も登場するのが象徴的だ。
(c) 2020 「泣きたい私は猫をかぶる」製作委員会
しかし、仮面に自分の本音を隠していてはいつまでも愛される存在にはなれない。猫なら無条件に愛を注いでもらえるかもしれない、しかし、人間ならちゃんと気持ちを伝えて、周囲にもきちんと向き合わなければ愛は得られない。
人間は、本当の自分を仮面で隠し続けていると、自分が何者なのかわからなくなってしまうものだ。ムゲも猫でい続けるうちに、人間と猫の境界が曖昧になってゆく。猫として生きるか、人間として生きるか、ムゲは選択を迫られる。その選択は、主人公たちが中学3年生で進路の選択を迫られていることとも重なり、本当の気持ちに向き合うことがいかに大切かをファンタジックな設定で見事に描いている。
(c) 2020 「泣きたい私は猫をかぶる」製作委員会
人は猫ほど器用じゃないけれど
本作は、「私はあなたの力になりたい。好きって言われたい」という主人公の台詞から始まる。
「あなたの力になりたい」という利他的な感情と「好きと言われたい」という利己的な気持ちが同時に語られている。人間らしい感情の矛盾がリアルに現れた見事なセリフだ。岡田麿里はこういう「自然に矛盾した感情」を描くのが上手い脚本家だ。
佐藤順一監督は、岡田麿里の脚本を「人物像はいつも立体的に完成されている。そこが岡田さんのシナリオのすごいところ」と評している。キャラクターの抱える矛盾は、時にキャラがぶれていると思われてしまうこともあるが、ぶれではなくリアルな多面性として描写できるセンスはピカイチだ。
主人公の好きな男の子と一緒にいたいピュアな気持ちと、有力な情報を聞き出したい邪な気持ちを抱えて猫に変身しているあたりも実に自然に矛盾している。感情が決壊してついに涙があふれるシーンでも、いつもの癖で顔は笑ってしまうといった描写にも、同時に2つの相反する気持ちが表れている。
岡田麿里は自著『学校へ行けなかった私が「あの花」「ここさけ」を書くまで』で、自身のスタイルについて「アニメの美しさに、ほんの一握りの現実」と記している。本作は、その言葉どおりに、人間らしいグチャグチャとした感情を、猫になれるファンタジーで上手い具合にコーティングしている。
(c) 2020 「泣きたい私は猫をかぶる」製作委員会
人間はだれも猫のように上手い愛され方を最初から知っているわけではない。けれど、他者と向き合うことで成長していくことはできる。この映画は、その当たり前なことの大変さに改めて気づかせ、向き合う勇気もしっかり与えてくれる。人間はみな、猫とは違って不器用だけど、不器用なりに人間も良いものだと思わせくれる作品だ。
上映情報
Netflixアニメ映画「泣きたい私は猫をかぶる」
(c) 2020 「泣きたい私は猫をかぶる」製作委員会
6月18日(木)よりNetflixにて全世界独占配信
小木博明 山寺宏一
●監督:佐藤順一・柴山智隆 脚本:岡田麿里
●主題歌:「花に亡霊」ヨルシカ(ユニバーサルJ)
●企画:ツインエンジン
●制作:スタジオコロリド
●製作:「泣きたい私は猫をかぶる」製作委員会
●コピーライト:(c) 2020 「泣きたい私は猫をかぶる」製作委員会
●公式サイト:nakineko-movie.com
●SNS
Twitter:@nakineko_movie
Instagram:@nakineko_movie
#泣きたい私は猫をかぶる #泣き猫